禁じられた接触
葛城は、脱兎の如く逃げ回るサンタを追いかけていった6人の部下の、その後を追いかけているところだった。
もう少しで1階に着くが、階段を下りている最中、北東側の校庭のほうがやけに騒がしく感じた。きっと雅が──妹が、サンタとやり合ってる音だろう。
南西側の昇降口にまで来ると、外はいつからか雪が舞い降り始めていたようで、すでに地面が若干の雪化粧を施されていた。いくつかの乱雑な足跡も薄っすらと残っていることからして、やはり南西に向かったのは間違いないなさそうだ。
ゆらゆらと雪が舞うなか、重役出勤よろしくゆっくりと校庭に出向いた葛城は、そこで先に向かわせていた部下達が白くなりかけた大地にキスするように腹ばいなって倒れているのを目にした。そしてそのなかに、雪と同化するように白い恰好をした人物がひとり、両手をズボンのポケットに収めながら屹立している。
「……お前がやったのか」
「他に誰がいるっていうんだ」
見たところ、負傷している様子はない。
「それで、俺が到着するのを待ってたと?」
「まあな」
さっきから葛城は、どうもこいつとの会話が不快感に思えて仕方ないと感じていた。
なんというか、いい歳した中年の女が、妙にいきがっているような一丁前の態度をとっているのが気に入らない、というか気味が悪い──と、そう感じていたが、それはまったくの思い違いである。
金鵄は男性にしては長髪の部類に入るし、そこに『ジングル・ベル』の効果が合わさったことで、葛城の目には完全に女性としか映っていなかった。
「積もる前に、さっさと始めるか」
葛城は、会話を交えながら、少しずつ距離を詰めていく。
サンタを自分の過剰超帯電の餌食にできる、その距離にまで。
「そんなゆっくり詰めてないで、さっさとかかってきたらどうだ」
相変わらずの減らず口に、葛城はまたしても不快を味わう。なんなんだこいつは。
とりあえず余計なことは考えまいと自分に言い聞かせ、そして触れるものを容赦なく麻痺させ熱する青白い火花を発生させながら、次に口を開いた瞬間に突撃しよう、と決めた。
同時に考える。
おそらくこいつは、自ら口を開くことはしない。だから、こちらから誘発させなければならない。
相手の発言をある程度誘発し、誘導する。それが教師の本質だ。そうでなければ授業が成立しない。こんなところで教師の経験が生きてくるとは皮肉なものだと感じながら、適当に言葉を繕った。
「どの口が言ってんだよ。さっきは尻尾を巻いて逃げ出したってのに。強がるんじゃねぇよ」
「何を言ってる。サンタ──」
瞬間、葛城は無事の右足に力を込めて、一気に跳躍するように全身を前進させた。そうして右腕を大きく振りかぶり、声を荒げて帯電した拳を腹目掛けて送りだした。もともと歩み寄っていたこともあり、一連の流れは1秒にも満たなかった。
一瞬で決まった──そう思ったが、ここで予想外な出来事が起こる。
拳が、目的地であるサンタの腹に向かうその途中でどうしてか、弾かれたように腕ごと後退してしまったのだ。まるで透明な棒か何かでおもいきり払いのけられたかのように。
その威力がまた強烈で、腕のみならず体ごと、後ずさりしてしまう。
「──が人前から逃げるのは、当たり前だろ」
一方で、サンタは何事もなかったように──事実、何事もなかったのだが、淡々と会話を続ける。
何かをしたような怪しい素振りは、少なくとも葛城には認識できなかった。相変わらず屹立したままだ。
……何が起こった?
葛城は、何気なく右手を見つめる。
殴る勢いを相殺されたどころか、そのまま体ごと吹き飛ばすほどの力。にもかかわらず、サンタは一歩も、指先ひとつとして動かしていなかった。他ならぬ自分の眼でそれを確認している。
皆目見当がつかない。だが、悠長に考察している場合でもない。再度、全身全霊を込めて、右拳を勢いよく送り込む。
だが、結果は変わらなかった。やはりサンタに触れることなく、先ほどと同じくらいの距離で腕が弾かれてしまう。
手がダメなら脚はどうか。
葛城は少しだけ後ろに跳び下がると、今度は両手に行き渡っていた電気のその全てを右脚に集わせ、今度こそ本当に、全身全霊を込めて電撃の鞭へと変化した右脚をサンタの左腕に振るった。
だが、無常にも結果は変わらないままだった。まるで透明なゴムの塊でも相手をしているかのように、直前でどういうわけか弾かれる。直撃しない。
「くそっ、何だ、何が起きてやがる」
「さっきも言っただろ。『お前の接触を許さない』って。その耳は飾りか」
「っ、またわけのわからないことを……」
一体何なんだ、この超心理は?
それだけが葛城の頭を占める。
葛城の過剰超帯電は、相手との接触が必要不可欠である。なぜなら、電気は電位差という電気の坂道を形成しなければ流れることがないからだ。ようは、平面にある水溜りの水が流れないのと同じ原理である。
葛城は『接触』することで自分と相手の間に電位差を作り、結果的に電撃を与える。だが、今の葛城はダメージ云々、そもそもサンタに接触できないでいる。すなわち、この不可解な現象を解明しない限り、葛城の基本にして切り札である電撃は一切通じないことを意味する。
これまでの人生で一度たりとも遭遇しえなかったこの現象に、葛城の思考の大半が持っていかれてしまっていた。だから、サンタが左脚を軸にして時計回りに回転し、右脇腹目掛けて右脚で廻し蹴りをしてきていたことに、直前でようやく気づく。
通常ならば、ここまで知覚が遅れることもなかったし、仮に遅れてもむしろこれを好都合として、狙われた右脇腹に電気を集わせておけばいいと即座に判断できたことだろう。だが混乱した頭がそうさせてくれず、本能として攻撃を避けるという選択肢をした。
しかしそれでも特段問題はなかったはずだ。ちゃんと避けられてさえいれば。
どうしてか葛城の体が意思に反し、まるでサンタの右脚に吸いつけられるように、自らその右脚に料理されに向かうかのように、迫ってくる右脚に向かって勝手に動きだしたのだ。
遠心力の乗ったサンタの右脚と、それに迫り寄った葛城の体。相乗効果で生みだされた破壊力が葛城の右脇腹にめり込み、体がまさしく『く』の字のように折れ曲がる。
「がはっ!」と血を吐きながら地面を転がるも、腹を抑えながらよろよろと立ち上がると、我ながらなんて無様だと思いつつも質問した。せずにはいられなかった。
「くっ……お、お前の超心理は……まさか、引力と斥力、なのか?」
それを聞いて、サンタは最初、何も答えなかった──が、
「お前、意外とバカだろ」
一言。そうとだけ呟いた。
余計な飾りが一切ないがゆえに、葛城を激怒させるには十分なものとなった。
怒りに身を任せて、過剰超帯電による息も吐かせぬほどの連続攻撃でサンタの前にたしかに存在している不可視の壁を、強引に突破しようとする。青白い火花の大群が、バチバチと空気を引き裂く音を立ててサンタの廻りで爆ぜている。
しかし、不可視の壁は葛城の接触を許しはしない。
一方で、サンタは騒がしい火花に動じることもなく、左腕をゆっくりと伸ばし、手のひらを葛城の顔へかざした。
触れてはいない。葛城とはまだ、ゆうに50センチは離れていただろう。しかしながらその一瞬後、どういうわけか葛城が、まるで顔面を巨大な鉄球で殴りつけられたかのように体ごと後ろに吹っ飛んだ。
「ある有名なボクサーの名言にこんなのがある。『もし俺を倒すなんて夢を見ているのなら、さっさと目を覚まして俺に謝ったほうがいい』ってな」
葛城は地面に背をつけて大の字になったまま動けずにいた。潰れた鼻からとめどなく溢れる血が、端整な容姿を無様なものに染め替えている。
「で、お前はいつ目を覚ますんだ」
耳障りな台詞に耐えながらも体を起し、右手で左脇腹を抱え、目の前の敵を睨みつけながら、この袋小路のような状況について考えを巡らせた。
サンタが具体的に何をしているのか、未だにわからずじまいだ。しかしながら、体はすでに満身創痍であることに変わりはない。頼みの超心理も無効化され、ただひたすら無駄に体力を消費するばかり。
どうすればいい? と思ったそのとき、葛城はふと目に入る光景に妙な違和感を抱く。
というのも、空からゆらゆらと力なく震え舞う雪の粒が、サンタの前にある不可視の壁をすり抜け、その体に付着していくのだ。
一見何でもないその現象がある閃きをもたらす。それは、『もしかして、防げるものと防げないものがあるのではないか』という発想だった。
葛城はよろよろとした右手で懐に忍ばせる。そして、44マグナム弾の倍のエネルギーを持つ454スカール弾を撃てる回転式拳銃『スーパー・レッドホーク』を取りだし、震えた腕で構えた。
「そんな状態で照準が合うのか」
悔しいが、言うとおりだった。
拳銃を握りはしているが、ただそれだけだ。軋む体が痛んでろくに的を狙えずにいるし、片手だけでは高威力の発砲の反動も十分には緩和できないだろう。ともすれば、狙い撃ちなど無理に等しい。
……どうする? 物は試しで撃ってみるか?
銃弾は6発分あるし、ストックだってある。1発くらい消費しても問題はない。ここで出し惜しみしていたんじゃ、これが有効手段だったかどうかもわからずじまいで終わってしまう。
いや待て。そもそも前提が間違っているかもしれない。はたしてこいつは、6発ともすべて使い切らせてくれるほど、そんなゆとりを与えてくれるほどに優しいのか?
そんなわけがない。仮にこれが有効手段だとする。ならば、1発は撃たせたとしても、直後に銃を回収したりして俺の無力化を図るだろう。俺ならそうする。
つまる話、1発だ。この1発こそが唯一無二のチャンス。
けれど、それを見事に命中させる自信は皆無だ。こいつはさっき、中央棟で銃弾を全てよけきってみせたじゃないか。そんな奴に今のこの状態の俺が命中させられるなんて、俺自身が想像できない。
接近戦はダメ。遠距離攻撃も無理に近い。……くそっ、他に何か武器はないのか。
葛城は自身の過剰超帯電を過信している傾向があり、したがって保有する武器はこれしか所持していなかった。もっといろいろと武器を所持していれば、試行回数が増え、不可視の壁の謎にも迫れたかもしれないが、後悔は総じてあとからやってくるものである。
とにかく、自分が弱っているところは見せてはならない。意地でも強がらなければならない。
今更ながら鼻から流れ落ちてきた血を左腕の裾で拭った。元々が黒い裾に血が染みこんで余計に黒くなるのを見て、ふらつきながらも立ち上がろうとした。
そこで、足元に小瓶が転がり落ちたのに気づいた。なかには真紅色をした不気味な液体が入っている。葛城が拳銃を取りだすときに、一緒に懐から零れ落ちたのだろう。
何だこれは? と自問自答したと同時に思いだす。
小瓶の中味は、この決戦の前に高峰望から支給されていた、とある劇薬だった。もちろん違法な代物である。
こんな物を使わなくても過剰超帯電でサンタを殺すことができる、という絶対の自信から今まで使わず、今までその存在を忘れてさえいたそれを、葛城は意地や矜持をかなぐり捨てて、喉から手が出るほど待ち望んでいたかのように、すぐさま飲み干した。するとたちまち、
体の痛みが跡形もなく消えていき、
右腕の震えが嘘のように消えて、
銃口の照準誤差が綺麗に消え、
そして──迷いが、消えた。
次の瞬間、重厚で鈍い音が辺りを覆った。
ここで初めてサンタはその場から動いた。今までよりも右に2メートルほどずれた位置にいるが、その左頬には、一筋の赤い線が刻み込まれていた。ついさっきまでなかったはずのものである。
命中こそしなかった。しかし葛城は落胆などしていなかった。
この1発の銃弾で確信したのだ。このサンタは銃弾を防げない、と。
葛城が今しがた使ったのは、高峰望が裏社会に満栄させ、世界中の犯罪組織と高額で取引をしている『狂化薬』というものだった。
超心理薬と同じく、人間の体に不思議な力を与える薬のひとつであることには変わりない。だが、超心理薬が遺伝子に半永久的に働きかけるのに対し、狂化薬は束の間のあいだだけ運動機能全般に働きかける、という点が違う。
狂化薬は、服用者の口に入った途端、まず一時的に体中の痛覚を麻痺させる。
そして脳のリミッターを強制的に外し、さらに体内のありとあらゆる栄養素から一時的に仮性筋肉を構築し、一時だけ人間が本来有する限界を遥かに超越した動きを可能にさせるよう肉体を『狂化』するものだった。実験結果では、最大で常時の5倍にまで身体能力が膨れ上がるとされている。
そんな劇薬には、当然ながら代償が存在する。後に何らかの機能障害を負ってしまうことになるのだ。どのような機能障害になるかは多種多様だが、その運命から逃れた実験結果は今のところ存在していない。
葛城は、痛みを和らげるためだけに狂化薬を服用した。
盲目とも尊い覚悟とも呼べるその行いが、結果的に、追い詰められた現状を打開する。
葛城は一瞬にしてサンタの背後に回りこむ。サンタがその気配に気付いたときにはもう、例によって帯電した右脚を水平に送り込む動作に移っていた。
そのまま蹴りがサンタに見舞われる。しかし、狂化薬で強化した肉体を持ってしても、生身の攻撃は未だ不可視の壁を突破できずにいた。
それを確認すると潔く肉弾戦を諦め、その体制から一瞬にして後方に、周囲を漂う雪を巻き込むようにして車輪の如く一回転しながら飛び退き着地する。と同時に1発、不可視の鉄壁をすり抜けるはずの鉛の礫を弾き飛ばした。
さっきと違い、サンタは中央棟で見せたように目にも止まらぬ速さで十二分に移動して、完全にそれを避けてみせる。だが、それでも葛城は気分が良かった。
今までの痛みが消え去った解放感。
通常の何倍もの身体能力を得ている高揚感。臨場感。
なにより、今まで自分をコケにしてきたこいつを逆にコケにできているという優越感。愉快で仕方がない。
今の葛城には、過剰超帯電と狂化薬の併用により、サンタの瞬間移動じみた回避も真似できる。それほどの脚力に狂化されている。そして赤羽によって負った怪我の痛みも感じない。
ならば、銃弾とこの脚力でうまい具合に誘導すればいつかは仕留められる。
銃弾はまだ残っている。どうせ殺すならたっぷりと遊んでやろう。
狂ったような歓喜の叫びが白い校庭に響く。
葛城は、今度こそ狩猟を始めた。




