こおり鬼
なにやら騒々しい。
そうと気づき、赤羽は意識を取り戻した。
ゆっくりと覚醒していく意識が最初に感じ取ったのは、苦痛だった。
全身から痛みが沸いてきて、ところどころ火傷したようなヒリヒリとした感覚すらある。
続いて、両腕が背後に回されて拘束されていることに気づいく。同じように両足も拘束されていたるのを見て、それが何かの金属でできた鎖であることがわかった。体勢を変えるたびに擦れあう冷ややかな音がする。
埃っぽいというか、土臭い。なんとなく嗅いだことのあるような匂いだが、そんな空気が震えるほどの寒さと溶けあって充満している。
全体的に暗く、明かりもない。どこかの室内だろうかと周囲を見回してみると案の定ガラス張りとなっている壁の一部が見て取れた。そこから、壁一枚隔てた向こうからわずかに光が差し込んでいた。
ここらで、さっきから聞こえている音がけたたましい銃声の嵐だったことを遅れて理解する。
一体今はどういう状況で、ここはどこで、そして何が起きているのか?
室内には赤羽の他に誰かがいるような気配はなかった。ならばとりあえずはこの拘束状態を何とかしようとして、赤羽はサンタクロースの力を、ここでは遺憾なく発揮させることにした。
仰向け状態になり、できる限り腕を浮かせて、手のひらが間違って自分の背中や腕に触れないように注意しながら、手首に巻かれている鎖に対してどうにか指先で触れつつ、一気に力を行使した。
直に触れるようなヘマはしなかったが、暗闇ということもあってか、融解した金属であろうその雫が背中に滴り落ちてくることまでは予想が回らなかった。
極熱の到来に思わず体がエビ反りになるが、それが体中ボロボロの赤羽の体にさらなる苦痛を与える。
そんなこんなで、赤羽が拘束を解くのには若干の痛みが伴ったものの、そう時間はかからなかった。そして両手を合わせ、力の副作用でまたしても生まれてしまった氷塊の駆除をある程度終えてから、改めて起立してみた。
ある程度の時間も経ったせいか、目が慣れてきたようだ。
とりあえずガラス張りの壁面にまで近づいて、その向こう側に何があるのか確認しようとしたが、ガラスが厚すぎるせいでどうにも判然としない。
覗き込むのに夢中になっていると、足に何かがぶつかり、それが倒れ込んできた。
芯に響くような音からして金属製の何かだろう。音はやかましいほど大きく感じたが、少し当たって倒れるくらいだから、物自体はそんなに大きくはなさそうだ。
試しにその何かを手探りし、持ってみる。
それは棒のようなものだった。握るのが億劫なほどに冷たく、ただの棒にしては重い。ゆっくりと触診しみて、やがてそれが、どうやらスコップのような形状だということがわかった。
「……待てよ? もしかして、ここって」
記憶にある限り、葛城に襲われたのは柊の女子寮でのことだ。ということは、ここが女子寮か、あるいはその近くである可能性は高い。その推理で行けば──赤羽が知る限りでは、土臭くて、スコップがあるような場所といったら、ひとつしか思い浮かばない。
それはニコラス学園の敷地内にあり、あの地下の隠れ家から地上へと脱出するときにも最後に通った、学園内の庭園を維持管理する機材等がしまわれている倉庫である。
記憶を頼りに倉庫の立面図を頭に思い描いて、窓ガラスやスコップの位置から自分の配置を類推する。そこから扉があるであろう位置を見据えて、朧げな光を頼りに直進した。
おそらくはこの辺りだろうというところまで来て、壁のどこかにあるはずの突起物を手さぐりに探し始めた。推測が正しければ、この辺りにあるはずなのだ。この倉庫の明かりを灯すスイッチが。
そしてその通り、スイッチがあった。しめたと思い、当然のようにオンにする。そうして目が痛むほどの光が室内を満たした。
やはりそこは倉庫だった。赤羽は一通り室内を見回すが、数日前に目にした光景と、これといって特段の異変は見受けられない。せいぜい自分が融解した、元々は鎖だった何かの金属が中央で飛び散っているくらいだ。さらに付け加えるなら、赤羽が開けた可動式の床が今はちゃんと閉じている、ということくらいか。
倉庫には一応時計が備わっている。赤羽はそれを見て、今が深夜であることを理解した。
葛城の話では、赤羽をエサにサンタをおびき出すとのことだったが、外から聞こえてくるこの喧騒は──もうすでにサンタと黒服が交戦中だということだろうか。
その事実も併せて現実的に考えると、丸一日以上も気絶していたとは考えにくかった。
いったい外がどんなことになっているのかとドアを開けようとしたが、ドアノブを握り締めたところで動きが止まる。
外から聞こえてくるのは、紛れもなく銃声だ。本当にそこに飛び込むのか?
でも、このままここにもいられないし……ならいっそのこと、地下に向かうか?
たとえばあの地下室に立て籠もるとか。それなら、少なくともここよりは安全な気がする。
あ、でもあのドア直っているのかな? 俺が跡形もなく溶かしちゃったんだよな……。
なら、地下を通じてそのまま学園から逃げ出すっていうのはどうだ?
地下へと逃げる方針を固めつつあった赤羽だったが、やがて地下通路へと続くこの床をこちら側から開く方法を知らないという事実に直面した。
前に地下からこの小屋まで登ってきたときにはわかりやすいスイッチがあったこともあり、ざっと付近の床や壁を見渡してみるも、それらしいものは見当たらない。よくよく考えてみれば、そもそもここはサンタのことなど知らない一般職員や作業員やあるいは生徒が出入りする場所ということで表向き通っているのだから、そんなものがおいそれと目につく場所にあるはずもないのだが。
この床もいっそのことサンタの力で突破してしまおうかという考えもよぎったが、さすがにそれはまずい気がした。そんなことをすれば、仮にここへ葛城が現れたときに地下通路の存在が露呈してしまう。自分はここから逃げましたと自白しているようなものだ。
しかしそれでも、地下室を横切ってそのまま川を渡り、ニコラス学園の敷地そのものから離れるのであればもはや関係ない。それならすぐに気づかれでもしない限りは逃げおおせるだろう。
結局、それが最前にして唯一の逃げ道なのだ。それしかない。
自分の考えが固まったところで、意を決して床に穴を穿とうと構えた──そのとき。
床の向こうから何かの装置が作動したような機械的な音がして、赤羽は息を飲み、凍りついた。
やがて作動音が止むと、床の奥底からかすかに、定期的な音が聞こえてくるようになった。
徐々に迫ってきているのか、だんだんと大きくなっているように感じられる。
ここでようやく赤羽は思い至る。柊やニコラス学園がサンタと繋がりがあるという事実がすでに葛城にバレている以上、もしかしたら地下室や地下通路の存在も同じくバレているかもしれない──と。
となると、実は鎖には発信器がついていて、それが破壊されたと感づいたのかもしれない。
あるいは、この倉庫の照明を点けてしまったことで、不審に思われたのかもしれない。
真相は定かではないが、とにかくこれで地下通路からの脱出計画は水の泡となった。
周囲を見渡してみても、隠れられるような適当な場所もない。小ざっぱりとして律儀に整理整頓されていることが今だけは許せなかった。
こうなった以上は、意に反しても戦場へと続くドアを開くほかない。
いくらか生唾を飲んで、足音がここまで到達しきらないうちに、赤羽はやけくそになって、しかし息を殺すように、照明を消してそっとドアを開いていった。
そうして現れた庭園の変わり果てた様相に、思わず目が点になる。
つい数日前まで色とりどりの花弁で賑わっていたそれと比べて、あまりにも無残な姿に変わり果てていたからだ。
一見した限り、夜間時に自動的に点く照明器具は、存在数に対して無事に稼働しているのは半分の半分もない。なかには生き絶え絶えといった感じで、点滅するように明滅を繰り返しているものもある。
庭園自体は至る所で掘り返されたように土が表面化しており、舗装された歩道も含めて、辺りは七色の花弁が散り散りにこびり付いている。
そして、荒れに荒れた庭園の所々に、黒い装いで身を包んだ人が、何人もぐったりとしていた。
それこそまさに、嵐の過ぎ去ったような状況だった。ともすれば、赤羽が捕まったことが原因でやはり、サンタが──霜月たちがおびき出されてしまったに違いない。
あまりの凄惨な光景に見入ってしまっていたことに気づいた赤羽は、すぐに周囲を警戒し、物陰に隠れながら息を殺して、少しずつ倉庫から距離を置いていく。
そうして円形状の噴水の近くにまで来てみると、鹿の像のうちの一体だけが大破していた。首から上がもげたようになっていて、その首から上の部分が赤羽のすぐ近くに転がっている。他の8体は見た限りたいした損傷もない。
9体の鹿にはそれぞれに名前があり、それがそれぞれの首元にローマ字の筆記体で刻みこまれているのだが、首がもげたその鹿の名前を見て、赤羽は不吉な予感を覚えた。
こうしている今も少し離れた位置から銃声が絶え間なく続いている。ただそれが、目を覚ましたときと比べてだいぶ遠のいたように感じられた。おそらくは校舎で隔てられたその向こう側へと激震地が移動したのだろう。
地下通路を使えない以上、もはや大正門から抜け出すしか手段は残されていないのだが、見たところ周囲には動き回っている黒服の姿もない。どうやら激震地もそちらではないようだ。つまり、今こそが逃げ出す絶好のチャンスなのかもしれない。
そうして満身創痍の体に鞭を打ち、物陰に隠れつつ静かに校門へと向かおうとした──そのときだった。赤羽が物陰から飛び出したその先から、ふたりの黒い影が現れたのは。
「おい、いたか?」
「いや。それにしても本当、どこに消えたんだろうな」
「くそ、せめて無線が生きてればなぁ。よりにもよって、どうしてこんな大事なときに使えなくなったり──ん? お、おい見ろ。一般人だぞ」
「は? 何言ってるんだよ、そんなはずはないだろ。あの門には鍵がかかってるんだぞ」
「でもほら、見てみろよ」
「……本当だ。でも、どうやって?」
「……ま、まさかだけど、あいつもサンタのひとりだったりしないか?」
「なるほど。かもしれないな。恰好は全然違うけど、それを逆手にとって、ってことかもしれない」
「仮に一般人だったとしても、やっぱりここで始末しておいたほうがよくないか?」
「だな。俺たちを目撃されたことにかわりはないわけだし。どの道始末することになるだろうからな」
その会話は赤羽の耳には届いていない。だから赤羽は、唐突に殺気丸出しで自分に向かって迫ってきたふたりを目撃して、「あ、えっ、ちょ、嘘だろっ!」となりふり構わずに、とにかく駆けだすほかなかった。
──余談だが、サンタをおびき寄せるための捕虜の居場所は、黒服たちのごく一部にしか周知されていなかった。そのほうがサンタの襲来を阻もうとして変に倉庫に群がったりすることもなくなるからだ。群がってしまえば『ここに捕虜がいる』とサンタに教えているようなものだし、最悪、それで赤羽を救出されでもしたらそれきり即逃亡される恐れもある。
大切な捕虜がまさか小さな倉庫にいて、しかもその周囲にはひとりも警備がいない。これが盲点になり得るという葛城の考えによるものである。
以上から黒服のふたりは、赤羽こそがサンタを釣るためのエサだったということも知らずに、その手でエサを始末しようと試みていたのだった。
バイオリズムを狂わせるために造られたというあの指輪がないせいか、赤羽の逃げる足取りは普段よりも断然軽く、呼吸も全然荒々しくならないでいた。けれどそういう観点とは別に、すでに体が悲鳴を上げている。いつまでも逃げ回ることなどできやしないだろう。
何回か発砲音が放たれたが、深夜の時間帯にろくな照明もない場所での追いかけっこということもあってか、幸運なことに今のところは着弾していない。だが、その幸運がいつまで続くのかはわからない。
どうにかしてこの状況を打破しなければ、いずれはあの鹿の像のように最悪の結果になりかねない。
そんなことを考えながら校舎に近づくように走っていると、サンタと黒服の争いの影響だろうか、昇降口の大部分のガラスが酷く割れているのが目に飛び込んできた。
校舎内ならあのふたりよりも自分のほうが構造を熟知している。そんな自負もあって赤羽は無我夢中で校舎内へと飛び込んだ。そのまま螺旋階段を闇雲に駆け上がって、3階部分に差し掛かったところで東棟の廊下へと逸れた。
別に3階であることに特別な意味はなかった。階段を昇れば億劫と思ってもしかしたら追うのを諦めてくれるのでは? という思い込みと、4階までは登りきりたくはないという気持ちが折衝した結果なだけである。
けれども、赤羽の期待に反して、階段の底のあたりからは未だに雑な足音が絶えずにいる。それがどうしても心を焦らしてくる。そこで、咄嗟に一番手前にあった教室の前扉に駆け込んだ。いっそのこと隠れてやり過ごそうと思ったからだ。
そして、一歩遅れてこの判断が悪手だったことに気付く。
一端足を止めて潜んでしまえば、もう逃げることはできない。黒服らが3階まで来たときに廊下に赤羽の姿がなければ誰だって教室のどれかに隠れたと思うだろうし、教室で隠れられるような場所もせいぜい掃除用具を入れるロッカーか教壇の下くらいと相場が決まっている。
とどのつまり、見逃すことなど万にひとつもないだろう。 いとも簡単に銃撃されてしまうことだろう。
少し荒くなった呼吸が、白い塊となっては儚く散っていく。走ったせいなのか、全身から汗がほとばしっている。それが、火傷したような肌にさらなる刺激を与える。
墓穴を掘ってしまったが、それでもひとつだけこの状況を打破する方法が残されていた。そしてそれは、赤羽自身もわかっていた。
問題は、覚悟の有無である。
何も逃げ回るだけが手段ではない。赤羽には立ち向かうための武器と呼べる異能がある。
ようは、やるかやらないか──いや、殺すか殺されるかだ。
もちろん赤羽は相手を殺す気など毛頭ない。けれども、自分の命を守るため、時としてそうなってしまう可能性も十分にあり得る。そしてもうこれ以外に打つ手はない。
前扉の後ろに予め回り込んでいて、黒服が教室に顔を見せた瞬間、間髪入れずに異能で極限にまで熱した手をもってして反撃する、これならふたり同時でもない限りはなんとかなりそうな気がする。そして、ふたりが同時に扉を通ることは構造上あり得ない。
ひとり目はそれでなんとかいけるとして、問題はふたり目だ。
確実に銃を構えているだろうし、至近距離で銃弾を防ぐ方法は……わからない。
でも、ようは相手が発砲するよりも先に熱した手で拳銃やその手を掴んだり、あるいは氷の塊でそのまま殴ったりすればいいわけだ。
もうそれでいくしかない。やるしかない。
赤羽は左耳を押し付けるほどに扉に体重を預け、深く息をついてから、手術を行う医師のように両手をあご先に用意して、静かに力を発動させる。もはや慣れたもので、一瞬にして両手が両極端の状態に変化した。
しかし、そこで気づいてしまった。ふたりの黒服が、前と後ろの両方から同時に侵入して来るかもしれない可能性に。そうなれば、赤羽の戦法は一気に破綻する。
とはいえ、今さらどうもこうもない。もうどうしようもない。
拳を交える瞬間が、こつ、こつ、と、まるでカウントダウンのように迫ってくる。話し声がしないのが逆に迷惑に感じられた。これではふたり同時に侵入してくるかどうかもわからない。
火のついた焦燥感にじっくりと炙られているうちに、足音が扉の向こうで止まったのに気付いた。そして──前扉だけが開いた。
足が教室に侵入してきた瞬間、獰猛な心拍数を飼い慣らす暇もなかった赤羽は、むしろその獰猛さにリードを引かれるようにして、己を鼓舞するよう半狂乱な叫びをあげながら、果敢に右手を繰りだした。
──が、どうしてか右手は何にも触れないまま、赤羽は扉の前を横切っただけで終わる。
おかしい。たしかに人がこの教室に入る気配がしたというのに、それが突然消えた。
暗い教室内をざっと確認してみるものの、やはりいない。仕留め損ねたという焦りから首を左右に振ると、廊下から声がした。
「見境なしだな」
それは今まで追いかけてきたふたりのどちらのものとも違った。
ふたりは共に男性であることが明白な声をしていたのに対して、今のは、低くて野太くはあるがそれでもたしかに女性のものだった。
ゆっくりと顔を向けてみる。そこには全身白のジャージを身に纏い、大きめのゴーグルで両の目を覆い隠した、額に白のバンダナを巻きつけている、赤羽よりやや身長の高い人物がいた。
恰好からしてこの人物がサンタのひとりだということは推測できる。ただ、
「助けにきてやったっていうのに。そんなことじゃ、もうマンガは貸してやらないぞ」
その人物は、まるで旧知の仲のような物言いをする。
マンガという単語から連想される人物を辿っていくうちに、脳裏に閃きが起こった。
「お前、ひょっとして……そんな」
赤羽の呆気にとられた表情に、サンタ名『ドンナー』の異名を持つその人物は満足したように唇の両端をほんのわずかに釣り上げてみせた。
そして赤羽の知る限り、この人物──金鵄鳴海が普段の学園生活においてそんなことをしたのは今までで一度たりとも目にしたことがない。
「本当に、……鳴海、なのか?」
「まあな」
「いや、でも……声が」
「ああ悪い。それはこいつのせいだ」
話しながら金鵄は、喉元にある小さな黄金色の『ジングル・ベル』に指をやる。するといきなり赤羽が普段耳にしている男の声に切り替わった。
顔の半分を覆うゴーグルを額に巻いたバンダナの上にまでずらし上げる。そうして露になった顔に赤羽は見入ってしまった。
狐のように細く鋭く尖った両眼。同じく細く鋭く尖ったような鼻、そして余分な肉が一切ついていない口元。普段はその長すぎる前髪と無駄にでかい眼鏡のせいで不明瞭となっていたその顔つきが、実は大層端正なものだということがはっきりと確認できる。そうやって素顔を晒したせいなのか、寡黙で不動な雰囲気は依然としてあるものの、いつも纏っている人を寄せ付けないオーラのようなものが今はどうしてか全く感じられない。
唯一共通しているものと言えば、その明るい茶色の髪くらいなものか。
「いろいろと聞きたいことはあるだろうが、とにかくここから離れるのが先だ。ほら、俺がエスコートしてやるからついてこい」
「え、ああ……っていうかその前に、俺、さっきまで拳銃を持ったふたりに追われてたんだけど」
「わかってる。とっくに無力化しておいてあるから安心しろ」
金鵄が顎で廊下の先を指す。つられて見ると、そこには黒服がふたり、共に死体のように転がっていた。
「ま、まさか、死んでるのか?」
「そんなわけないだろ。気絶してるだけだ。ほら、そんなことよりとっとと行くぞ。こっちだ」
そのまま金鵄は、額にずらし上げていたゴーグルで再び両目を覆い、『ジングル・ベル』のスイッチを入れ直してから、黒服のふたりが倒れている螺旋階段側とは逆──廊下の最果てに設けられている非常階段を目指して歩きだした。赤羽も遅れて付いていく。
歩きながら、赤羽は金鵄の背中に語り掛けた。
「それにしても、お前がサンタだったなんてな」
「とか言いながら、全然驚いていないように聞こえるぞ」
女性の声で、金鵄は振り向かず、足を動かしながら答える。
「いやいや、驚いてるって。だってさ、正直言って俺、どちらかと言えば鳴海はあの黒服の奴らのひとりなんじゃないかって思ってたから」
「俺が? どうしてそうなるんだ」
「だってお前、クリスマスの日に廃墟に向かってただろ。それもあいつらと同じ、全身真っ黒な恰好でさ。それに終業式の日に教室で会ったときだって、誰かと連絡とってたじゃん。ケータイを持ってないはずのお前がだぞ。よくよく思い返してみればアレ、なんか俺を見つけたような報告だった気もするし」
「ああ、あれか。あれは瑠璃さんに報告を入れていたんだ。ホシでな」
「瑠璃さんに?」
「指輪を失くしたお前が、ここの地下から脱走したせいで、一時的にとはいえ行方不明だったからな。あの時はお前の居場所を特定するのが最重要任務だったわけだが、探索にあたって、常日頃からこの学園に潜伏している俺に白羽の矢が立った、ってわけだ」
「なるほど」
「それに、あの廃墟に向かったのだって、飛鳥の増援が目的だったに過ぎない」
サンタの一員だから当然と言えば当然なのだが、瑠璃や霜月の名前を始め、指輪のことや学園の地下室ついてまで、金鵄の口から次々と語られることに赤羽はまだよく馴染めていない。妙な違和感を覚える──と、ここで赤羽は気付く。
「そういえばお前──いや俺もだけどさ、サンタのこと、こんなふうに普通に喋っちゃってて、大丈夫なのかな? あの何とかってのを使ってないと、喋っちゃいけないんじゃ……」
「それは問題ない。こうして俺がそばにいる限りはな」
「? ふうん。それならいいんだけど」
「俺から離れたらもう口にするなよ」
「わかった」
実際のところ、金鵄の言葉が具体的にどういう意味なのかよくわからなかったが、とりあえず瑠璃や霜月に怒られないのであればそれでいい。
それにしても、金鵄の口から聞きなれない女性の声が出ていることにどうにも馴染めない。加えて、普段クラスで会話しているときと何ら変わりのない、文章の棒読みのような淡白な口調のままでいるのも妙な気分にさせられた。普通なら、スイッチを切り替えるかのように饒舌になったりしそうなものだが。
やがてふたりは廊下の突き当りにある、校舎の外側に併設された非常階段へと続く扉に辿りついた。
こういうものは内側に鍵があるので造作もなく扉を開け、そのまま階段を下っていく。その時にはもうさっきまでは聞こえてきていた喧騒が止み、静かな夜になっていた。
「もう黒服の奴らをだいたい制圧したのか」
「まあな。ただ、肝心の葛城の奴がまだ姿を見せてない」
「え? ……ってことはお前、知ってたのかよ。あの葛城が黒服の一員だって。……って、ああそうか、葛城がサンタを呼び出したんだもんな。そりゃあ知ってて当たり前か」
「いや、それよりも前から知ってた」
「知ってた? それっていつからだよ」
「初めからだ」
「初めから? ってことは、葛城がこの学園に来たときから、ってこと?」
「まあな」
「マジで? どうしてわかったんだ? やっぱりサンタの情報網とかから?」
「いや、そういうのじゃない。俺はただ、瑠璃さんに前もって聞かされていただけだ」
「瑠璃さんから? 前もって? 前もってって……ん? どういう意味だ?」
金鵄は少し声のトーンを落として「好きなように解釈しろ」とだけ呟く。
そう言われても困るが、とりあえず今ある材料で推理してみようとしたところで、金鵄から「止まれ」と声がかかると同時に左腕を横に伸ばし、赤羽の前進を阻んだ。
ちょうど非常階段を降りきるその直前のことだった。
「どうしたんだよ」
「何人かがこっちに迫ってきてる」
金鵄はゴーグルをつけたまま状態で、顔ごと校舎を見つめている。まるで校舎の内部やその向こうすらも見透かしているかのように。
「それって、もしかして熱像解析装置ってやつ?」
「よく知ってるな」
「いや、昔お前に借りたマンガにでてたんだよ。たしか、『予知との遭遇』ってやつだったかな」
「……あれか。そういえばあったな、たしかに」
熱像解析装置とは、物の温度と赤外線の密接な関係に着目して開発された、ようは一種の透視装置といっても過言ではない。
人間の体温と、真冬の夜の冷え切った校舎内の気温。両者の間に必然と生じる絶対的な温度の差。それが結果的に、金鵄に人の所在地の把握を容易にさせてくれていたのだった。
──余談だが、赤羽が目を覚ましたときに地下を歩いていたのは、金鵄だった。
霜月が黒服の大多数の相手をしているあいだ、金鵄は自分に集まってくる黒服だけを相手にしつつ、赤羽の探索に励んでいた。
ゴーグルの力を借りながらポツポツと孤立した熱源を探し回り、いくらかして赤羽が倉庫にいると見当をつけたわけだが、そのときちょうど倉庫の近くが乱戦の渦中となっていたこともあり、霜月の邪魔にならないよう配慮の意味もあって地上からの接近はせず、迂回して地下から倉庫を目指したという、その結果である。
つまり赤羽がじっとしていればそこで金鵄と合流できたし、無駄に黒服に追われることもなかったわけだが、もう済んだことなので、それを口にする気は金鵄にはない。
「ひょっとして、葛城か」
「だろうな、多分」
体の芯まで焼けるような電撃を浴びせられ、あまつさえ気絶までした赤羽の体は、その事実に条件反射の如く震えを覚えていた──と、そこに金鵄の手が肩にかかる。
「心配するな。俺が相手をする。そのあいだにお前はこのまま倉庫から地下にある隠れ家に向かえ。そして俺が姿を見せるまであそこに潜んでいろ」
「え? でも……」
「心配ない、もうあのドアは修理されてる」
「いや、そうじゃなくてさ」
「お前がここにいても何の役にも立たないだろ。いいから早く行け」
金鵄の冷めた言葉に反論したいし、言われ放題で悔しい気持ちもある。だが、接近する葛城を恐れて逃げ出したい気持ちもたしかにある。
ただ、金鵄を囮にして自分だけ逃げるということへの心苦しさが何よりも勝っていた。どうしても足が進もうとしない。
そんな赤羽の葛藤を一瞬にして見切った金鵄は、むしろ自ら敵に接近するのを選んだらしく、「いいか、俺の言った通り、ちゃんとあそこにいろよ」とだけ言って赤羽を置いて駆けだした。
赤羽は、去っていく友の背中に「死ぬなよ、絶対に」と呼びかける。
それに足を止めた金鵄は、口元だけ微笑んで見せると、今度こそその場を去った。
ゴーグルが、中央棟の螺旋階段の辺りに熱源が点在していることを金鵄に知らせる。熱源がまさに螺旋を描くようにグルグルと少しずつ上に位置をずらしていく。
この時点でまだ葛城とは断定できないが、そうだと仮定して──葛城は、その行動からして校舎の中にサンタがいると思っている節がある。黒服側にも何かしら相手の位置を特定できる道具か超心理があるのかもしれない。
さきほど気絶させたふたりが無線で連絡をした可能性はないと言える。金鵄を中心とするある程度の範囲下では、無線や通信機の類は使用できないのだから。
たった今非常階段から降りてきたばかりの金鵄だったが、とりあえず中央棟へと向かい、そして螺旋階段の手前で来て上を仰ぐ。すると黒い服を身にまとった大の大人が計7人、ひとりを先頭にして残りの6人が群がっているのを様子をゴーグルが捉えた。
金鵄はゴーグルをいじり、熱像解析の機能をオフにすると、それぞれの階層の中央にある半径3メートルほどの吹き抜けの輪を通るように、飛び跳ねるように螺旋階段をまっすぐ縦に登り、あっというまに黒服の集団を追い抜いた。
そのまま4階の広場にまで辿り着くとその場で立ち往生し、黒服の襲来を待つ。赤羽が逃走する時間をより多く稼ぐため、自分から階段を下りて迫ったりはしない。
その目で金鵄──つまりサンタの姿をとらえた葛城は、片手を挙げて「止まれ」と残りの黒服に一時停止を指示する。そして嬉々とした口調で語りだした。
「お前、サンタだな」
「見ればわかるんじゃないのか、そんなことは」
太く野太い女性の声に、挑発の色が加わる。
「そりゃそうだ。それじゃあ、お前に感謝させてくれ」
「感謝?」
「ああ。わざわざ、くたばりに来てくれたことになっ!」
途端、紫電が葛城の体内から全身へと駆け巡り、触れるものを虐げる凶悪な矛と盾に成り果てた。不定期に現れるバチバチという音と小さな火花が、否応なしに対峙した相手の視聴覚を威嚇する。
そして葛城以外の6人からは、古今東西多種多様な拳銃が一気に姿を見せた。
「たしか、『過剰超帯電』って言うんだったな、それ」
「……なるほど、さすがにここに来る前に、少しは俺のことを調べたようだな」
「まあな」
そうは言うが、実のところ金鵄は葛城について調べたことなど一度もない。
調べ、そして知っていたのは瑠璃だ。金鵄はそれをとある理由から4年ほど前に聞き、今でも覚えていただけに過ぎない。
一方で葛城は、自分の特別な超心理について知ってなおも平然としている目の前のサンタを観察して思慮する。
ひょっとして、舐められているのだろうか。
俺よりも自分のほうが上だとか思われているのだろうか。
俺の過剰超帯電が、超帯電に毛が生えた程度だと思われているのだろうか。
……それは好都合だ。
どうぞ勝手に油断してくれ。その油断で、お前は死ぬんだ。
葛城の周囲を爆ぜる火花の数が、一際多くなる。
葛城がそっと構えを取る。今は一切の雑念がないこともその表情から窺える。
だが、サンタは相変わらず一切構えを取らない。
「なんだ? もしかして怖気づいたってわけじゃないだろ?」
「まさか」
「ならいい。ビビッて手も足も出せませんなんて言われた日には興ざめもいいところだからな」
「ビビッて手も足も出せません」
「……あ?」
「どうだ。興ざめしたか」
「なんだと?」
「お前が今そう言ったんだろうが」
葛城は翻弄されているような気分になっているのを自覚し、舌打ちとともに、初めて不快な表情を浮かべた。
「まあいい。その無駄口……すぐに叩けなくしてやるよ!」
しびれを切らし、纏った電気の鎧ごと突進する。そのまま火花を伴う魔の手がが、サンタの腹部に差しだされた。
だが、その攻撃がどうしてか空振りに終わる。
おかしい。たしかにサンタに向かって直進したはずだ。ということは、接触するよりも前にサンタがその場から姿を消したとしか考えられない。
事実、その場にはサンタの姿が消えていた。その様子を遠目に見ていた6人も合わさって、14の瞳でサンタを探す。
「あらかじめ言っておく。俺はお前の接触を許さない」
そこで急に6人の背後から声がした。
一斉に見ると、たしかにサンタがそこにいた。
「お前ら、撃てぇっ!」
瞬時に目の前から消え、そればかりか6人の背後にまで移動したサンタを見て、葛城が最初に思い浮かんだ概念は、逃がすものか、というものだった。生け捕りが目的だが、逃がすくらいならいっそ殺してしまうほうがいいに決まっている。
一秒も時間を空けず、一気に銃声が重なりあう──が、またしても、サンタを捉えることはできなかったらしい。そこにあるはずの亡骸が、どこを見ても見当たらない。校舎の内壁に無数の穴が歪に開いているのが、すなわち失敗を物語っている。
今、何が起きているのか。
葛城を含め、黒服の誰ひとりとして理解が追い付いている者はいない。
そして、今度こそサンタは完全にその広場から姿を消していた。
「ど、どこに消えやがったっ!」
もはや葛城には、斜に構えている余裕はなかった。
そこに、吹き抜けから下を覗き込むようにしていた黒服から「見てください葛城さん。奴が、あんなところに!」と声がかかる。全員が一団となって吹き抜けを覗いてみると、その最下層に、今ここにいたはずのあの白い服が、悠然とこちらを見上げている姿が目に映った。
どうしてそんなところにいる?
どうやって? 何をした?
いや、そんなことはもういい。時間があるときにでも考えればいい。
今は、そんな余裕が欠片もない。
「お前ら、あいつを追え! 絶対に逃がすなっ!」
6人はこぞって最下層を目指しだした。
葛城も、本当は先陣を切って駆け下りたかったのだが、正直なところ数時間前に赤羽にやられた左脚の痛みが未だにとれないせいでうまく走れないでいた。痛みを我慢しながら、遅れて小走りで階段を下りていくしかない。
いずれにせよ、鬼ごっこは始まった。




