火花散る熱暴走
携帯電話で時間を確認すると、デジタル表記の画面は15時を10分ほど過ぎていた。
まだ昼間といってもいい時間帯だが、淀んだ雲がところせましと敷き詰められていてこともあって、普段のこの時間帯よりもずっと薄暗く感じられる。
今日は朝から一段と冷え込んでいた。でもそれは柊のある山奥だけのことと捉えていた赤羽だったが、いざこうして都心部に来てみても特に違いはなかった。その影響からなのか、さっきからくしゃみが頻発している。
鼻をすすり、もしかしたら柊に帰るころには雪がちらつくかもしれないな、と空を仰ぎながら寮の入り口に来てみて、そこで赤羽は絶句した。
葛城がいたからだ。
よくよく考えてみるとたしかに、ふたりは同棲するのだから一緒に部屋の片づけをしていてもなんら不思議ではない。むしろ、電話をもらってから今に至るまでどうして葛城の存在を視野に入れなかったのか、そのことのほうが不思議でならなかった。
「どうしたんだ、そんなところで棒立ちになって」
「いや、まさか先生がいるとは思わなかったので」
「そうなのか? なんだ、てっきり雅から聞いているものだと思ってたけどな、俺たちのこと」
最後の言葉がやたらと耳に纏わりつく。
葛城が下の名前で呼んでいる生徒は、赤羽の知る限り他にいない。たったそれだけのことなのに、不快が弾ける。
「まあ、それなりには聞いてますけど」
「じゃあいまさらそんなに驚くことでもないだろ。それにしても、急に呼び出したりして済まなかったな」
「それは別に構わないですけど。で、雅は? 部屋にいるんですか?」
「ああ。今もひとりで片づけをしている」
「そうなんですね。じゃあさっさと済ませまちゃいましょう。天気も悪くなりそうだし」
「じゃあ案内するよ」
「大丈夫です。部屋の場所はわかってますから」
数日前までは普通に受け答えができたのに、あの日──ふたりで教室にいるところを目撃したあの瞬間から、葛城への態度が無遠慮というか、無骨なものになってしまっている。そうした自覚はあるし大人げないとわかっているが、どうしてかやめられない。
当たり前のことだが、女子寮は閑散としていた。
普段はたくさんの生徒で賑わう寮も、今はそれが一切ない。どこか別の建物のように感じられた。足音が無駄に反響している。
自然と、並んで歩く形にはならなかった。
早く部屋に到着して、この状況から抜け出したいという気持ちが行動に現れてしまっていたのかもしれない。赤羽が一歩前を歩いていて、それに葛城が続いているかたちとなっていた。
「そういえば、先生方から受け取った課題はちゃんとやってるのか?」
沈黙にしびれを切らしたのか、葛城が話しかけてくる。赤羽は振り返りもせず答えた。
「それなりにやってますよ。さっきも雅から電話があるまでは2時間くらいやっていたし」
「そうか、ならとりあえずは留年も回避できそうだな。いやなに、雅が大層心配してるもんだからさ、お前のこと」
「そうなんですか」
階段を踏み込む足に、余計に力が加わる。
やがて2階にまで来た。常盤の部屋は、一直線に伸びた廊下の向かって右側、手前からよっつ目にある。
いくらも経たないうちにドアの前にまで来て、ドアノブを素早く握る。そこで「あれ?」と疑問を吐露した。
ドアには鍵がかかっていたのだ。てっきり常盤がいるものだと思っていただけに、いったいどういうことなのかと混乱を覚える。
そして葛城に向こうとしたそのとき、見ればいつの間にか葛城がすぐそばにまで歩み寄っていて、ちょうどその左手を赤羽の右肩にそっとかぶせてきたところだった。
瞬間、『バチン!』という、鞭をふるったような痛々しい音が響き渡り、廊下に木霊した。
同時に、赤羽の体内を何かが光の速さで這いずり回った。それが体の筋肉を弛緩させ、両脚からその場に崩れ落ちる。
何が起こったのか、しばらく理解が追い付かなかった。それと気付いたときにはすでに、凍てつくような床に頬をつけていたのだから。
直角に傾いた霞んだ視界に、葛城の足元だけが映り込んでいる。
その足を辿るようにして目だけで見あげていくと、その表情は今までの爽やかなものから一変し、まるで害虫が殺虫剤でもがき苦しむのを傍観して楽しむ異常者のような、歪んだ笑みに豹変していた。
「おいおい、まさか今のでオチたりしてないだろうな。ちゃんと手加減してやったんだから。オラ」
葛城は、何のためらいもなく赤羽の横腹を蹴りつけた。当然のように声が漏れる。
「お。よかったよかった。ちゃんと意識はあるようだな」
「せん、せ……何、を」
「ん? ……ああ、そうか。こっちについてはお前、知らないんだったな。いいぜ。物のついでだ、教えてやる」
そのまま、葛城は赤羽の顔近くで両足を曲げてしゃがみ込んだ。
「お前、サンタがキングキャッスルに現れたあの日に、妙な廃墟に潜り込んだだろ」
「どう、して、それ、を」
「俺はな、あのときあそこにいたんだよ。さすがのお前でも、俺の言っている意味わかるよな?」
改めてその言葉を吟味する必要はなかった。思わず驚愕が顔に出てしまう。
それを確認すると葛城は今まで隠していた黒い感情を全面にだして、「ああいう場面でケータイの電源を切らないとか、本当お前らしいよな。次からはちゃんと切っておいたほうがいいぜ。ま、次があるかどうか知らないけどな」と笑った。
「俺、を、どう、する、つ、もり、なん、だ」
「そうだな、……ここでぶち殺す、って言ったらどうする?」
「……っ」
「ハハハ。冗談に決まってるだろ冗談。そんなに怯えるなって。殺しはしないさ。もし殺すんだったら、こんな話なんか省いてとっとと済ませてるからな。いいか、お前にはエサになってもらうのさ。サンタをおびき寄せるためのな」
「サン、タ?」
「いまさらしらばっくれても無駄だぞ。お前を保護している柊って施設がサンタと繋がってるってことは、こっちはすでに調査済みなんだよ」
葛城は、公知の事実であるかのようにそう言ってのけた。
少女や瑠璃が『ホシ』を使ってまでして、あれだけ情報漏洩について厳重に規制していたはずなのに、それをあざ笑うかのように。
「何、で、それ、を」
「知っているのか、ってか? さあ、何でだろうな。お前にはどうでもいいことだろ」
口では嘲りながら、葛城は片足で赤羽の背中を、じっくりと、思い切り踏みつける。骨の髄にまで染み渡るほどの力が込めて、なぶるように。
たまらず、赤羽の口から呻き声が漏れた。
「とにかく、お前がそろえばこっちのもんだ。あとはせいぜいおとなしく眠ってろ。……オラッ!」
途端、さっき体験した、あの強烈な刺激が再び襲ってきて、瞬く間に赤羽の体を内から弛緩させた。加えて、まるで体の内側から火で炙られているような耐え難い熱も襲いかかってきた。あまりの苦痛に、寮の全域にまで届きそうな悲鳴が上がる。
熱せられた体から、若干の焦げ臭さを孕んだ妙な蒸気が沸きあがった。こうしている今もまだ攻撃が続いているのか、それともただ痛みを感じているだけの状態が続いているのか、それすらもう判断がつかない。
それでも、ただひとつわかったことがある。
それは、今自分を苦しめているこの現象──この超心理についてだ。
「……え、れ、き……と、り、っく?」
『超帯電』。
それは、もっぱら富裕層を商売の標的とした、護身のために用いることが目的とされた超心理であり、電気ウナギの遺伝子を基に開発されたものである。
とにかく攻撃性が高く、その他の超心理とは一線を画すほどであったこと。そしてなにより一般庶民では手も足も出ないほどに高額すぎたこともあって、発売された当初は世界的に注目を集め、色々なメディアでもこぞって紹介されていた。当然のようにクラスでも一時期その話題で持ち切りとなり、そのおかげで赤羽の記憶にも残っていた。
もちろん、こうして実際にその威力を体感するのは初めてのことだが。
「なんだ、まだ意識があるのかよ。意外にタフじゃないか、赤バツ」
口を動かしながら、葛城は胸ポケットから煙草一本を取りだしてくわえる。それから、右の人差し指と親指をまるで何かつまんでいるかのような状態にしてタバコの先端に近づける。すると矮小な稲妻がバチバチという音を奏でて両の指先の間を走った。
気づけばタバコには火がついていた。たちまち葛城の顔に靄がかかる。
そうしてタバコを一度思い切り吸い込んでから、ふうと吐き出し、葛城はタバコを指のあいだに移した。
「だが残念、不正解だ。今のは超帯電じゃないぜ。俺のを、そんな低レ《・》ベ《・》ル《・》なモンと一緒にされちゃ困るぜ」
基本的に、すべての超心理は『犯罪防止規定』の統治下にある。
具体的にいえば、超心理はそのどれもが使い方次第で犯罪行為そのものを助長、あるいはその手助けになり得てしまう。それらを未然に防ぐために、市販に出回る超心理薬はあえて質を劣化させて得られる力の凶悪性を低下させてあるのだ。
これが超帯電になると、最大出力でもスタンガン程度(全身麻痺を与えはするが気絶にまでは至らないくらい)として定められている。だが葛城は、己のそれがいかにもその水準を越えているような物言いをする。
タバコを右手でつまんだまま左腕の腕時計を確認すると、今までで一番の醜悪な笑みを浮かべた。
「どうやらまだ時間もあるようだし、これからたっぷりとその体に教えてやろうか。お前には今までろくに何も教えてこれなかったわけだしな。せいぜい覚悟──ん?」
そこで急に、葛城の懐から電子音が鳴りだした。やむを得ず取り出し、画面を見て、舌打ちし、すぐに顔をしかめた。
しかしそれでいて無視することなく、そのまま電話に出る。
「なんだ? ……ああ。……あ? おいおい、まだそんなこと言ってんのかよ」
視線が険しくなり、それがやがて赤羽に注がれる。
さっきまでいびつな笑顔だったのが、苛立ちを募らせたそれに様変わりしていた。
「わかったわかった。じゃあな、切るぞ。──ったく、いいところで邪魔しやがって」
一方的に通話を切って胸にしまうと、まだ火をつけたばかりのタバコを床に落として足で強く踏みつぶし、横たわる赤羽に強い瞳を向けて「オラ。聞こえてるか」と軽く蹴りつけた。
「個別指導は辞めだ。持つべきものは幼馴染だな、オイ」
「……おさ、な……み、や、び?」
「あいつもつくづくバカな奴だぜ。本当、誰に似たんだか」
苛立ち、悪態をつきながら、その鋭い眼光で赤羽を見下す。
状況からして、偶然にも常盤から電話があったようだ。このあとふたりで何かしらの予定でも入っているのかわからないが、おかげで攻撃が中断されたらしい。
しかし、自分に対してのみならず、常盤へも暴言を吐く葛城を前にして、赤羽は改めて痛感した。
こいつが、目の前にいるこの残虐非道な男が、常盤の恋人だということを。
対する葛城は何を思ったかしゃがみ込み、赤羽の顎を強くつかんで軽く持ち上げた。
「いい機会だから教えといてやるよ。……そうだな、これが最後になるだろうな、俺がお前に教えることは」
冗談めかしたことを言いはしたが、冷淡なままの表情がぼやけた視界いっぱいに広がる。
「心して聞けよ。……いいか、お前と雅がこれまでどんなふうに過ごしてきたのかは知らないし、んなことは知ったこっちゃない。けどな、もうあいつのことはとっとと忘れろ。お前、覚えるのは苦手でも、忘れるのは得意なんだろ」
「? どう、いう、いみ……」
「雅から聞いたぜ。自分の両親が死んだときのことすら覚えてないらしいじゃねぇか。まったく浮かばれないよな。せっかく命がけで守ったってのに、とうの本人は頭が悪すぎて、そのときのことをてんで覚えてないんだからよ」
それだけ言うと、赤羽から手を放して立ち上がり、直立のまま聞くに堪えない嘲笑を続けた。
赤羽は顎を打ち付けたが、もはやそんなものは些細な痛みだ。どうでもよかった。
……よりにもよって、こんな歪んだ男が雅の恋人なのか。
このことを雅は知っているのか。それはわからない。
でも、もしかしたら──昨日見せたあの不審な様子は、たとえば葛城のこの凶暴な一端を、あるいは犯罪に手を染めているという素性を、ここにきて知ってしまったせいかもしれない。見てはいけないものを見てしまったがゆえの壮絶なショックによるものだったのかもしれない。
今朝早くに突然柊を去ったのは、一晩考えて、葛城からはもう逃げられないと悟ったからなのかもしれない。柊に迷惑を掛けまいとする配慮か、あるいは葛城からの命令、いや脅迫だった可能性もある。
昼頃にかかってきた電話だって、俺を捕縛するための罠だったんだ。つまり、雅は利用されたんだ。今目の前にいる、この──俺以上の、本当のクズに。
こいつだけは……許せない。絶対に。
やり場のない怒りの熱がそのまま理性という檻を燃やし尽くし、灰燼へと変える。
抑え込むものがなくなった今、遺伝子の奥底で冬眠していた『ルドルフ』としての本能が、解き放たれた。
「お、ま……え、だ……」
「ん? なんだ、何か言ったか」
「っ──クズは、お前だぁあっ!」
全身に訴えかけてくる苦痛をものともせず、あらん限りの力を振り絞って、這いずるように右手で葛城の左足首をしっかりと握り掴む。
刹那、床に触れていた左手から掴んだ右手にかけて、膨大な量の熱エネルギーが流動した。
一瞬にして床の表面が氷結する。それは赤羽の左手を中心に、波紋状に侵食していき、一気に廊下を、そして壁を、さらには天井にまで行き渡った。
そうしてそこらじゅうから奪い取って蓄積した熱が、今度は赤羽の右手から葛城の足へと凝縮されて譲与される。
「っ、うがあああああああっ! っつ──」
足を噛みちぎろうとするかのような突然の激痛に、葛城は防衛本能による反射で電撃を発動させた。自分が帯電している状態だと相手が接触を躊躇い拒む傾向があるという経験則によるものである。
そんなふうにして染みついた反射だから、そもそも手加減という概念がない。これまでで一番大きく豪快な音が、赤羽の体を十分に痛めつけた。すでに瀕死のところに容赦のない紫電の破壊力が相まって、赤羽のなけなしの気力と覚束ない異能が、糸が切れたように消え去る。
「くっ……て、てめえっ、今何しやがった!」
葛城は豪熱の余韻に苦悶しながら問いかけるも、もはや返事はない。
普段なら水を被せるなどして無理やりにでも起こし、そのまま電撃を与え続けてじわじわと拷問にかけるところだが、生憎とこれ以上の攻撃は本当に死に追いやってしまうかもしれない。それでは本末転倒だ。となると八つ当たりすることもできない。それでも感情は高ぶったままだし、激痛もおさまる気配がまるでない。
葛城に今できることとすれば、「チッ、くそがっ!」と盛大に毒を吐くことくらいだった。




