8ねこ いざ進め
SWWをプレイし始めて、現実世界で一週間が経った。ゲームの進捗はなかなか順調で、既に三つ目の街に王手をかけているところだ。
相変わらずほぼすべての装備ができない縛りプレイを強いられているが、そこは助け合いの精神でなんとかしている。
まあ、そんないいスタートダッシュができたのは俺が猫だからというのもある。何せ日中は本当にやることがないから……。
ご主人がいる時はもちろんできないわけだが、うちのご主人はなかなか売れっ子の俳優なので、家にいない時間が結構ある。普通の勤め人と違って空いている曜日と時間帯には多少ブレがあるものの、ちょっと黒めのサラリーマン程度には家にいない日がままあるのだ。それだけ時間があったら、そりゃあ没頭するというものだろう。
ちなみに、俺はご主人のスケジュールを大体把握している。彼女の手帳を毎晩チェックしているから、SWWはタイマーをセットしてプレイするのがお約束だ。こうしておかないと、ゲームに没頭しすぎてバレかねないからな。昨日はマジでギリギリだった。
で、そのスケジュールによると、今日明日は泊りがけの仕事があるらしい。関東近郊のロケ地を巡って、ドラマの撮影をするんだとか。
つまり、丸一日ゲームができる!
「いーいナナホシ? これがご飯、これがお水だからね。一気に全部使っちゃダメよ?」
「にゃうん」
「一回で一食分だからね? 気をつけるのよ?」
「にゃーん」
「それじゃああたし行くけど……ご近所に迷惑にならないようにね?」
「にゃぁん」
「よしっ、今日もいい子ねナナホシ! それじゃあ行ってきまーす!」
「にゃうっにゃうーん」
あれこれと心配そうにご主人は言い含めてくれるが、しゃがんだ彼女の膝の上に乗った二つの巨大な果実がビッグバンインパクトすぎてあまり集中できない。去勢されているにもかかわらず、人間の感覚がそのまま残っているからかどうしても見ちゃうんだよな……興奮はしないんだが……。
とりあえず愛想よく鳴いて見送ったものの、なんだか記憶があいまいだ。逃げろジャイロ、これはスタンド攻撃だ!
しかしなんだな……うちのご主人はどうもかなりの心配性らしい。確かに俺が彼女の下に来てから、一日以上家を空けるのは初めてだが……俺が普通の猫とは違うことは彼女が一番知っているだろうに。
いやまあ? 俺が普通の猫ではないからこそ、複雑な指示を出すのかもしれないけどさ?
にしても気にしすぎじゃないか? それとも飼い主というのはみんなそういうものなのか?
黒川北斗として生きていた前世でもペットを飼ったことがないから、その辺はよくわからない。
ずっとペットが飼いたかったのに飼えなかったとか言っていたから、単なる親バカの可能性もあるとは思うが……だとしたら色々と申し訳ない。中の人は三十手前の野郎なんだよなぁ……。
もし万が一ご主人と会話ができるようになったとしても、これだけは言うわけにはいかないよなぁ。
なんてことを考えながら、ベランダに出る。そこから外を見ると、ご主人の迎えと思しき車が停まっていた。傍らにはスーツの女性が一人。確かご主人のマネージャーさんだったな。
と、そこにご主人が出てきた。上から見ていてもその豊満な身体つきがよくわかるから、なんかもう生命って不思議だよな。神秘だ。
「おはようございます、加奈子さん」
「ごっめーん、猫の留守番準備してたらちょっと遅くなっちゃった!」
「いえいえ、時間には余裕持たせてるんで大丈夫ですよ」
そんな会話を交わしながら、車に乗り込む二人。
ほどなくして、電気自動車らしい静かな駆動音とともに、ご主人を乗せた車は緩やかにマンションから遠ざかっていった。
よし、行ったな? これでようやくゲームができるぞ。
俺はひらりと身を翻すと、足取りも軽やかに家内を縦断。そのままいそいそとダイブカプセルへと入り込む。
「にゃっにゃーん♪」
思わず鼻歌を漏らしながら、起動。
もはや慣れた手つきでゲームを開始する――。
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ログインしてしばらくは、街をうろつくのが最近の日課だ。
理由は、現実とゲーム内で時間の経過が違うから。ゲーム内のほうが早く時間が進むせいで、半日ログインしないだけでも結構街の様子が変わるのだ。
特にプレイヤーやNPCが入り乱れて店を出してる区画はそれが顕著で、その顔触れは頻繁に変わる。場合によっては一回しか見たことのない店もあったりするから、まずはここをチェックするというわけだ。
もちろん、気になったものがあれば買う。そしてここで役に立つのが【鑑定】だ。これがあると、ものの真贋がわかるから重宝している。失敗することもあるが、それはそれだ。
ただし、たまにそういうのを度外視してつい買ってしまうものもある。
「買ったー! それ一つ買ったー!」
「はい毎度ー」
たとえば今、衝動買いをしたやつとかな。
猫の手でたどたどしく受け取ったそれは、料理だ。シロップ漬けのみかんとかが入っている缶(針金の持ち手つき)に、ミネストローネ風のスープが入ってる料理。その上のほうには、肉団子が二つ浮いている。
お察しの通り、今も数年に一度はテレビで放映される名作アニメ映画で、主人公の少年が冒頭で注文していたあのスープだ! 【鑑定】の結果にもずばりその少年の名前が出てくるあたり、今の店主はプレイヤーだな?
ゲーム内の時間は大体お昼ごろ。前回のログアウトから少し時間が経ってるのもあって、空腹のバッドステータスが出ている。そうでなくとも匂いがすごくおいしそうで、日ごろ粗食の身には堪える。早速いただくとしよう。
……まあ、猫の手で箸だのスプーンだのを使えるわけがないから、かなり汚い食べ方になってしまうのだが。こればかりは仕方がない。
そう、このゲームには空腹の概念がある。定期的に何かを食べないと、ステータスが激減するのだ。もちろん放置し続けるとライフが減り始め、普通に死ぬ。この辺りもめちゃくちゃリアルだ。
ゲームの中でわざわざそんなこと気にするのは面倒、なんて意見もあるが……ゲームの中でどれだけ食べようと現実には影響しない、この点があまりにも強すぎる。
つまり太らない。だから、体型を気にすることが多い女性には結構人気なんだとか。
この「現実に影響しない」という点は、俺にとっても極めてでかいメリットだ。何せ、猫は人間と違って食べられるものが多くない。たまねぎとか冗談でもなんでもなく、マジで死ねる。
毒性のことを抜きにしても、日々の生活の中で食べられるもののバリエーションも極めて貧相なんだよな。キャットフードばっかりじゃ飽きもくる。たまにおやつでジャーキーとかソーセージをもらえるけど、それだけじゃなぁ……。
というわけなので、俺にとって空腹システムにまつわるゲーム内の食事は、もはやこのゲームをプレイする理由の半分近くにまで達していると言っても過言ではない。
とはいえ……。
「……やっぱり飯の時ほど猫になったことを恨む時はないな……」
ここでは猫に厳禁な食材がどうのとかを考える必要なんてないから、色々食べ歩いているんだが。
おにぎりとかサンドイッチの類はまだしも、こういう深い器に入った料理はどうしてもうまく食べられなくてもどかしい。
リアルじゃ味気ないキャットフードくらいしか食べられないから、それでもがんばって食べるけどな。
「おはようございます、ナナホシさん」
「んお?」
スープ相手に悪戦苦闘していると、後ろから声をかけられた。
振り返れば、そこにはアカリの姿が。その恰好は最初の頃と違って、鮮やかな緋袴の巫女装束。シャーマンとしてプレイしている彼女にはお似合いの格好だ。
ただ、俺と同じ料理を手に持っている辺り、彼女も衝動買いしたのかな?
「ナナホシさんがおいしそうにしていたので、私もつい買っちゃいました。あの、ご一緒してもいいですか?」
「それはいいが……すまん、またお願いしてもいいかな」
「はい、お安い御用ですよ」
のそりと器から顔を離しながら頷くと、それに応じたアカリが隣に座った。VR空間だから汚れないのに、地べたを気にして敷物を用意してる辺り女の子らしいというか。
そこに自分の容器を置きながら、彼女はインベントリからスプーンを二つ取り出す。そのうちの片方を自分の、もう片方を俺の容器へ差し込んだ。
「はい、あーんですよー」
「おー」
そして俺の容器からすくい上げた中身を、鼻先へ差し出してきた。要介護者になった気分だが、背に腹は代えられない。
何より、このやり取りももう慣れたものだ。俺は遠慮なく、差し出されたスプーンを口に含んだ。
「うまー!」
「それはよかったです。では私も……」
言いながら彼女は自分の分に口をつける。その顔が、すぐに嬉しそうな色に染まった。
「美味しいです!」
「口に合ったようで何よりだよ」
「今まで食べたことのない感じの味です。ミネストローネに似ているみたいですけど……」
きっとこういう、庶民の味は食べたことがないんだろうなぁ。
とはいえ嫌うわけではなく、ゲームそのものと同じように興味深く食べてくれるから、こっちとしては好感度マシマシだ。
いや本当に、俺はいい仲間に恵まれたと思うよ。彼女以外に長期間パーティを組むほど信用できる人は、まだ見つけられていないけどな。
それからしばらく食事は続く。アカリのおかげで、食事はそれまでとは段違いの速さで進む。
「いつも悪いな。もっと手を器用に動かせればいいんだが……」
「それは仕方ありません。だってナナホシさんは猫さんなんですもの。……はい、あーん」
「ういー」
彼女とはあれからほぼずっとパーティを組んでいて、おかげでこういうやり取りには事欠かない。彼女も手慣れたものだ。
ただし、俺のリアルでの素性の話はしていない。いや、正確に言えば聞かれてはいるが、明言を避けて元芸能界関係者の警備員と述べるに留めている。
前世の仕事……つまり声優の話をしてもいいが、死んでから二年も経てばそれなりに事情も変わっているだろうし、ボロが出ても困るからな。
警備員ってのはあれだ、ニートって言いたくなかったんだよ……。
「大変なお仕事をされているんですね……すごいです!」
と言われたときは、どうしたものかと思ったがな。彼女は間違いなく普通の警備員と認識してるんだろうが、俺が言ったのは自宅限定の警備員なんだよなぁ……。
いやまあ? ペットはかわいいのが仕事かもしれないが……。
「あの、今日はどれくらいログインできますか?」
「んー? 今日は家人が一日留守だから、一日中いられる。そっちは?」
「本当ですか? よかった、私も今日はお休みなので、一日お付き合いできますよ!」
「あれ? 学校は?」
「うふふ、今日は祝日ですよ?」
「あ、そうだっけ?」
猫になってからというもの、曜日感覚がなくていけない。何せ生活スタイル自体は完全にニー……もとい、自宅警備員だからなぁ。
「まあでもそういうことなら、今日はシナリオ先に進めそうだな」
「はい! この街でできるエクスは全部済ませてしまいましたものね」
スープを最後の一滴まで飲み干して、頷く。アカリもゲームの用語に慣れてきて、この手の会話もスムーズになってきたものだ。
……SWWには、メインとなるシナリオイベント通称シナリオと、それとは関係のないエクストライベント通称エクスがある。シナリオはクリアすると次の街へ進めるようになるんだが、俺たちはエクスを一度すべてこなしてから先に進んでる。
正確に言えば、エクスの中でも一度きりのイベントを、だな。不定期で何度も出現するやつは、都度やってたらきりがないから一回だけだ。
おかげで、まだ二つ目の街……魔法都市クレセントにいるのに、俺たちのレベルや装備は次の街のシナリオ適正レベルに達している。ここ最近は明らかに戦闘が簡単になってる(主にアカリが)し、レベルも上がらなくなってきている。いい加減進むべきだろう。
「ここのシナリオって、確かユニオン必須なんですよね?」
「らしいな。ユニオンシステムのチュートリアルも兼ねているんだろう」
「実際に体験することで覚えられるので、私みたいな素人も安心ですよね」
「このゲームはそういう点も結構しっかりしているよな。業界初とか、黎明期のゲームっていうとその手のバグやら調整ミスやらはありがちだと思うが。丁寧なんだなぁ、全体的に」
「ゲームのことはよくわかりませんが、丁寧なのはいいことですよね」
「まあな」
などと食後の腹ごなしに会話しつつ。わりと遠慮なくアカリにモフられる俺である。
普段から特に食事関係では世話になっているし、彼女のおかげでゲームプレイも順調だ。これくらいの報酬はあってしかるべきだろう。
こういうときは猫になってよかったと思うね! アラサーの野郎がリアル女子高生にモフられていると考えると、ドン引きどころか通報案件だが!
おほん、話を戻そう。
ゲームはさておき、もう一つの目的である前世の知り合いと再会しようという活動自体は現状、停滞している。
というのも、あれからかつての知り合いたちのSNSを一通り見て回ったところ、まだ誰もSWWをプレイしていないという事実を突きつけられてしまってな!
うん……笑うなら笑ってくれ。ついでに言えば、未だに彼らに対してアクションを起こせていないチキンっぷりも笑ってくれて構わない。
いやだって、マジでどういう風に復活宣言すればいいかわからなくってだな!?
乗っ取りと思われることなく、俺だと信じてもらうためにはどうすればいいか……結局その答えが出ていないんだよ。新しいアカウントを取ったところであまり意味はないし……。
ゲームが面白くてつい忘れがちになっているとか、そういうのではない。ないったらない。
「……よし、そんじゃそろそろギルド行くか」
「はい。ユニオンを組んでくださるパーティを探さないといけませんものね」
「最悪一パーティでも、NPCが加わってくれるらしいけど」
「それはそれで楽しそうですよね」
「まあ、確かに」
ユニオンとはぶっちゃけて言えば、複数パーティによる連合だ。パーティには参加人数上限があるが、このシステムを使えばさらに大人数で同じボスに挑めるというわけだな。いわゆるレイドボスへの挑戦はこれが中心となる。
このとき、パーティと同じくメンバーはプレイヤー、NPCの別は問われない。むしろNPC勇者だけのパーティとユニオンするイベントも、先に進むとあるらしい。先に俺が言った通り、今回のシナリオはそれのチュートリアルでもあるわけだな。
ちなみにNPC勇者は結構あちこちにいて、彼らとだけパーティを組んでプレイしている人もそれなりにいる。
ただ、彼らは当たり外れが大きい。キャラによって強い弱いがかなりはっきり分かれるからだ。
何より、彼らは死んだらそのままロストする。プレイヤーと違って死に戻りしないのだ。そう言う意味でも、彼らとはできるだけ組みたくないのが俺の本音である。
もちろん興味がないとは言わないし、【鑑定】を使ったとしてもプレイヤーとの区別がつかないから、いつの間にかパーティを組んでいたこともなくはないが。
「それじゃあ、行きましょうか」
「おう。今日もよろしくな」
「はい!」
場を片づけて立ち上がって、アカリに抱きかかえられて肩に乗り、街並みを横切る。
……羨ましいって?
しょうがないだろ。ちょっと前、人ごみで連れ立って歩いていたら踏まれたんだ。それでライフゲージが一気に半分になったんだぞ。警戒するのも当然じゃないか。だからこれは仕方ないのだ。
他意はない。ないったらない!
ここまで読んでいただきありがとうございます。
一気に時系列が飛んでいますが、実を申しますとこれからも飛ぶときは一気に飛ぶ予定です。
というのもこれを初投稿したときの割烹には少し書いたんですが、この作品はもともと公募のラノベ大賞に出す予定だったもので、「10万文字、行っても12万文字くらいで全部終わらせる」形で構築しているからです。
なろうに投稿するに当たって加筆修正しながら投稿しているので、たぶん最終的には14万文字くらいには行くと思いますが、それでも中編の域を超える形に持っていく予定は現状ありません。なにとぞご了承ください。
(もしも、仮に、万が一、天文学的確率で、この作品が書籍化するようなことがあったのなら、そのときは間を埋めてもっと濃密にしたいとは思ってます……(チラッチラッ)