47ねこ 兄妹の会話
号泣だった。誰にはばかることのない、渾身の大泣きである。
その様子を見ながら、俺はここまで来てよかったなと考えていた。明人に背中を押されて半ば勢いで家を飛び出したが、面と向かって顔を合わせることには確かに意味があったな、と。
湊が、これほど感情を爆発させるくらい二年以上経ってもなお俺の死を受け止めきれていなかったから、というのもあるが……俺自身も意識しないようにしていただけで、やはり湊には会いたかったのだろう。複雑な心境になるかと思っていたのだが、ところがどっこい喜びが何よりも勝るんだから人間現金なものだ。
いや、俺は猫なわけだがそれはともかく。
これが異世界や過去、あるいは遥かな未来とかへの転生だったら、ここまではならなかっただろう。きっとその環境に適応するのにいっぱいいっぱいだろうし、絶対に関わりがない状況に置かれれば諦めもつく。
しかし何の因果か、俺は前世と同じ世界に……しかも時間軸、住所に至るまでほとんど変わらないところに転生した。おかげで世界のあちこちに、前世の繋がりが見え隠れしていて……取り戻したいと思うには十分すぎた。
今、改めてそれを実感している。湊との再会は、まるで失くしていた身体の一部が戻ってきたような、そんな気持ちにさせられたのだから。
……繰り返すが、昔と違って今の俺は猫だ。名前も変わった。だから、泣きじゃくる湊には言葉どころか、簡単な返事だってろくにしてやれない。
それでも黒川北斗の魂は確かに今の俺が受け継いでいて、俺と湊の間には今でもはっきりと繋がっているものがある。
そう伝えたくて、俺は湊の腕の中でその細い腕を抱きしめる。彼女の涙で俺が濡れることなど、いとうはずもない。
まあ、多少強めに抱きしめられてるのは、猫的にちょっと堪えるんだが。それも別に我慢できないレベルではないし、目くじらを立てるほどでもない。
感情を爆発させつつも、そこら辺はちゃんと配慮できるいい子なのだ、うちの妹は。
何より、彼女を泣かせた原因については俺のヘタレもかなりの部分を占めているので、これくらいは甘んじて受け入れよう。可愛い妹の数年ぶりのわがままだ。受け入れずして何が兄か。
そうしてしばらく抱き合っていた俺たちの姿は、傍からはどう見えるんだろうな。ペットは家族と言うし、号泣しながら猫を抱きしめていてもおかしくは思われないだろうが、ペットに興味のない人には奇妙に見えるかもしれない。
そういう意味では、ここにはいるのがアカリでよかったなぁと思う。猫好きな上に人格者だもんな。ただ見てるだけじゃなくて普通に感動した様子で涙ぐんでる辺り、察しがいいだけじゃなくてやはり素直なんだろうけども。
「……ごめ、ごめんねお兄ちゃん……わたし……」
「にゃあん」
しばらくしてようやく落ち着いた湊が、いまだ涙を目にたたえながらも謝ってきた。
だが、別に湊は悪くない。だから俺は首を振って応じた。
それから身振り手振りでなんとかパソコンの前に戻してもらい、キーボードに前脚を伸ばす。
『お前が気にすることは何もないよ。つぶやきったー、返事できなくてごめんな』
「おにいちゃあん……!」
また抱きつかれた。そのまま頬ずりをされた。まったく、大きくなっても甘えん坊だなぁ。
だがこのまま二人の世界に浸っているわけにもいかない。
『改めてアカリにも自己紹介するよ。俺はナナホシ。人間だった頃は黒川北斗と呼ばれていた』
「黒川……では、ナナホシさんは本当に、湊さんのお兄さんなのですねっ」
ぐす、と鼻をすすりながらアカリが言う。
彼女に頷きながら、俺は手近なところに置いてあったティッシュボックスから一枚取って、渡した。
ちーん、とお嬢様にはちょっと似つかわしくない音が聞こえた。
『ただ、今の俺に湊と血の繋がりはない。見ての通り猫に生まれ変わっちまったからな』
「生まれ変わり……そんなことがあるんですね……」
あるんだよなぁ。まったく不思議なこともあるもんだ。
結局これについてはよくわからないままだ。特に神様とかに会ったわけでもないし、チートとかそういうのもないしなぁ……。
『理由はわからんが、ともかくそんなわけで、黒川北斗というのはあくまで前世だ。アカリにとっては俺は猫のナナホシだろうし、好きに呼んでくれて構わない』
「わかりました。それではお言葉に甘えて、ナナホシさん、と」
アカリはそう言って微笑んだが、使用済みのティッシュを持て余してちらちらと視線が泳いでいる。いいこと言ってるシーンのはずなのに、まったく現実ってやつは物語みたいにきれいに進まないなぁ。
とりあえず、彼女にはごみ箱を前脚で示しておくとして……あ、ナイスシュート。
「猫になっててもお兄ちゃんはお兄ちゃんだよぉ……お兄ちゃんが生きてて、また会えて、わたし、わたしそれだけで……」
あああ、また感情が高ぶったのか湊が泣き出してしまった。何かしようがしまいが、今日は何回もぶり返しそうだなこの子。
『見ての通りわりかしブラコンの気がある妹でな』
「知ってます。うちにいるときも、お兄さんのことよくお話しされてましたから。一回りも歳が離れていたら、それも仕方ないかなって思いますよ」
『昨日体調崩したのは、ナナホシというプレイヤーが兄貴だと確信する情報を見てしまったからだな。突然のことで驚いたと思うし、迷惑もかけただろう。兄として俺からも謝罪させてくれ』
「いえそんな! 湊さんには普段からお世話になってますし、亡くなったはずのお兄さんが生きてるってわかったら誰だってああなりますよ!」
『アカリはほんと、いい子だよなぁ。湊、この縁は大事にしろよ』
「う、うん、もちろんだよ! もう、お兄ちゃんってば、わたしもう子供じゃないもん!」
「にゃーん」
「あ、その顔! 何言ってるかわかんないけど、何言ってるかわかる! 絶対絶対バカにしてるんだ!」
「にゃうーん?」
「急に猫ぶってもダメだよ、絶対そうだもん! お兄ちゃんが皇室スマイルでなでてくるときは絶対そういうときだもん!」
おっと、さすが我が妹、俺のことはお見通しのようだ。
でもな湊よ。俺はぷんすか反発するお前の顔や態度がかわいいから、わざとやってるところもあるんだぞ。言ったら言ったでまたすねるだろうから言わないけど。
それはそれとして、久しぶりに見る妹のぷんすかモードが死ぬほどかわいい。今はかなり細くなってるのと、寝不足とか心労のあれこれでマイナス補正はかかっているが、それでもだ。
『バレたか』
「ぷうー」
そしてむくれる湊の態度は、いつも通りだ。
ああ懐かしい。久しぶりだな、このやり取り。筆談だからテンポは悪いが。
「いいなあ……わたしもSWWしたい……。でもダイブカプセル高いし……」
「下手な自動車よりお高いですからね……」
「っていうか、おかしくない!? なんで猫のお兄ちゃんがSWWやれてるの!?」
『実際運営も予想外だったみたいで、要観察対象にはなってるぞ』
「えっ……あの、なんかごめんね……?」
「な、なっていたんですか」
『ああ。運営から直々に人が来た』
嘘は言ってない。まあ来た人はMYUだったわけだが、これは言わなくていいだろう。
それに観察対象になっていると言っても、特に何かされてるわけではないしな。データを収集されているだけだ。
今のところは、と言えるかもしれないが……ともあれ今は何も起きていないから、そこまで心配してくれなくても大丈夫だ。
そう伝えたら、さらに心配された。なんでだ。
「だ、だって、こないだデスゲームもののアニメで役貰えて……。あれもフルダイブ系のMMORPGだったし……」
「うにゃあん」
なるほど、そういえばVRモノはそういうジャンルもあったな。でもそういう事態になったら、猫がどうとか関係ないし考えすぎだろう。サブカルに明るくないアカリなど、きょとんとしていたくらいだ。
しかしここで我が家にダイブカプセルが二台あるなんて言おうものなら、話が長くなりそうだ。ここは話題を変えよう。
『それより湊、アニメ出演したのか。観るからタイトル教えてくれ』
「えっ? あ、う、うん……でも序盤で死んじゃう半分モブみたいな役だし、無理に観てくれなくてもいいんだよ……?」
『バカやろう、役に貴賎はない。どんな役でも作品には欠かせないんだ、半モブだろうとなんだろうと、仕事として請け負ったなら胸を張れ』
「あ……そう、だね……うん、ごめんお兄ちゃん……」
『気にするな。大きい役が来ない不満はわかるからな』
こちとらほぼ端役だけで五年以上食いつないできた元端役声優だぞ。気持ちはすげーわかる。
でもな。
『役に貴賎はないと言って励ましてくれたのはお前だろ。あれがなかったら、俺はたぶん役者としてとっくに死んでたよ』
「お兄ちゃん……!」
『あとはだな、そもそもかわいい妹が出演してる作品を見ないなんてのはあり得ない。湊は何やらせてもかわいいから、モブだろうとなんだろうとめっちゃ目立ってるに決まってるしな』
「お兄ちゃん……?」
あれれ、おかしいぞ。同じセリフなのに語調も乗ってる感情も全然違うぞぉ?
『そういうお前だって、俺が出たやつは全部観てただろ』
「当たり前じゃん!」
「……そういうことなのでは?」
「あ」
俺がタイピングするより早くアカリがツッコんでくれたが、つまりはそういうことだ。
「なんていうか、似たもの兄妹なのですね」
「うー……」
うふふと笑うアカリに、湊は真っ赤になった顔を両手で覆い隠していた。
だが隠しきれていないので、ちらりと見える。嬉しそうに口元が笑ってる。
は? かわいいが?
「わ、わたしのことはもういいじゃん! それよりお兄ちゃん! お兄ちゃんと一緒にゲームしたい!」
そして俺は、胸元で抱きしめられた。そのままほっぺを両手で挟まれ、さらにむにむにされる。
はっはっは、照れ隠しかい我が妹よ。そんなお前もかわいいぞ。
と、まあこんな感じのやり取りがしばらく続いた。この二年の間の空白を埋めるように、噛みしめるように話を続けた。時折アカリも会話に加わるが、基本的には兄妹の会話だった。
そうしてしばらく経った頃、俺は何気なく時計を見て驚いた。
およそ八時半。まだご主人が帰ってくることはないだろうが、念のためそろそろ帰っておいたほうがいいかもしれない。
『すまん湊、そろそろ時間だ』
「え? まだ八時半だよ……?」
『今の俺は飼い猫なんだ。ご主人の留守を狙って家を出てきたから、帰ってくる前に戻らないといけないんだ』
「そんなぁ……!」
すると一瞬にして湊の顔が曇った。曇ったっていうか、今にも泣きそうだ。今日だけで一年分の涙を流しただろうに、まだ出るのか……。
いや気持ちはわかるんだけど。俺だって湊を置いていきたくはないけど。
『今の俺には猫なりの人生ってもんがあるんだ。ご主人に出会って、飼ってくれてなかったら今こうやって湊に会うこともできなかったんだから、ここは我慢してほしい』
「…………」
返事は……なかった。うつむいて、握った拳がかすかに震えている。
「湊さん……」
アカリが寄り添ってその手を取った。
そして優しく……さながら子供を諭すように、穏やかに。けれど何かを言い募ることもなく、ただ静かに湊を両手で包み込む。
そんなアカリの顔を、湊は驚いた様子で凝視した。
しかし、相手の思うところを察したのか……少しずつ表情を和らげ、遂にはぎこちないながらも笑みを浮かべて見せたのだ。
「……お嬢さま……うん……ありがとう、ございます……」
「湊さん」
「わたし……わたし、もう大丈夫です……だから……」
「湊さん!」
アカリもまた、想いが通じたことに顔をほころばせ、湊の身体を優しく包み込む。
その様子は、雇用者と労働者の関係にはとても見えない。どこからどう見ても、友情を感じる対等なものだ。
ふふ、いい友達を持ったな。アカリも、湊にここまで心を寄せてくれて本当にありがたいよ。
と、思いながら温かい気持ちで二人を見守っていたのだが、湊が断りを入れて席を外した。
そしてわりとすぐに戻ってくる。
一体どうしたのか……と思ったが、俺はすぐに気づいた。湊が右手に、銀行の通帳を持っていることに。
……おい。
おい湊。
お前、お前まさか!
「お兄ちゃん! わたしもSWWやるから! だから、今日は諦めるけど、あとで一緒にゲームやろうね!」
「え……えーと、湊さん……?」
『おいやめろ、考え直せ。借金してでもカプセル買うとか、絶対やめろよ!? フリじゃないからな!?』
「大丈夫だよ! ギリギリ百万円くらいあるもん! だから足りるもん! ほら!」
全身で決意を表す湊が、通帳を開いて最新のページを見せつけてきた。
確かにそこには、およそ百万円ほどの金額が印字されている。言っていることに間違いはない。
ないが……それじゃ一気に貯金を使いつくすことになるだろ! それはやめておけ、マジで!
確かにその銀行は残高がマイナス五万円になるまでは出してくれるが! でも社会的信用は絶対落ちるから、本当にやめとけ! 経験者が言うんだ、間違いない!
「み、湊さん、考え直しましょう!? お気持ちはわかりますけど、かといってゲームに貯金を全額つぎ込むのはどうかと思いますよ!?」
「ヤです! お兄ちゃんとまたお話ができるなら、わたしなんでもするから……!」
「ダメですよ!? お仕事は選んでください、お友達が悲惨な目に遭うなんて私嫌ですからね!」
「ヤーっ!! 離してお嬢さま、今からカプセルポチるんだもん!!」
「もうちょっとだけ我慢しましょう!? ナナホシさんも言ってましたよ、声優さんのお仕事は不安定だって! 蓄えは多めに持っているに越したことはないはずですよ!」
「ヤだぁーーっ!!」
あーもうめちゃくちゃだよ……!
落ち着いたと思ったし、実際そう見えてたけど、やっぱりまだ不安定だった!
今はアカリが必死に抑えて(押さえて?)くれているが、ここを離れたらすぐに購入手続きに突撃するに決まってる!
仕方ない、かくなる上は俺も実力行使に出るべきか……!?
そう思って、臨戦態勢に入った瞬間だった。
『~~♪』
「「「!」」」
すぐ近くでいきなり音楽が鳴って、俺たち三人は同時に硬直した。俺に至っては、大きく飛び退いて物陰から発信源を睨む勢いである。
その発信源はと言えば、湊のスマホだった。鳴っているのはつまり着信音で、電話がかかってきたということになる。
原因がはっきりしたので、俺は物陰から出る。なんだよ驚かせやがって……などと思ったが、このタイミングはむしろちょうどよかったかもしれない。
「……! は、はい! ミーナです! はい!」
何せ、画面に表示されていた名前を見た湊は、直前までの様子から一転して仕事モードの真面目な顔になって電話口に出たのだから。
ミーナ、と名乗ったということは相手は恐らく声の関係者。だけど敬語だから、恐らくは同業の先輩か、事務所の人間といったところだろう。
ともあれ、今のうちにアカリと示し合わせておこう。肩をつついて意識を俺に回してもらって、画面を見てもらう……。
『ホントだいじょーぶ? 昨夜すんごい落ち込んでたじゃない?』
「大丈夫です、ホント、ホントにもう大丈夫なので! なので、そのお仕事やらせてください、MYUセンパイ!」
「ふえっ!?」「うに゛ゃっ!?」
おい待て、待てよおい。
今MYUって言ったか!? いやでも確かに、スピーカーから漏れ聞こえるその声はMYU!
ということは? まさか、湊の所属事務所ってMYUのところなのか!?
ここまで読んでいただきありがとうございます。
強いて言うなら、猫なのに人間同様の思考や色彩を認識できているのがチートですかね・・・。
今まで言及してこなかったけど、猫の目には区別のつかない色とかあるから・・・。