46ねこ 兄妹の再会
ともあれ、だ。あの子猫は入院という形になり、今の段階ではもう俺たちにできることはなくなった。
ということで当初の目的地に向かうため、俺はお願いした通りアカリに連れられて車に乗車なうである。
なお一緒に子猫を助けた例の三毛猫は、子猫がよほど心配だったのかそっちに残っている。獣医さんたちも手を焼く頑固っぷりで居座ろうとしたので、全員が匙を投げたとも言うが。
「湊さんは去年から、我が家でメイドさんとして働いていただいてるんですよ。本当なら正規従業員として雇いたいくらい腕は確かなんですけど、どうしても声優をしたいということで……でもそちらも常にお仕事があるわけではないとのことで、アルバイトです」
後部座席で湊について語るアカリににゃんにゃん相槌を打ちながら、返事をスマホに打ち込む。めっちゃせわしなくて疲れる。猫の手、ほんと細かい仕事向いてないわ……。
『声優はそこらへん不安定だからな。言っちゃなんだが、扱いの上では日雇い労働者とさほど変わらん。仕事ないときはマジでなんもないし』
「あ、やっぱりそうなんですね? 湊さんもそう仰っていました」
『でも声優の仕事ってわりといきなり来ることあるからな。急なスケジュール変更とかにも応じてくれるバイト先を見つけられるとラッキーって感じだった』
「なるほど。だから正規は遠慮されたんですね」
どうやらアカリ家のメイド業はそこらへん融通が利くらしい。普通、メイドなんて重要な仕事バイトで済ますなんてしないはずなんだが。金持ちの道楽ならともかく。
でもアカリの感じから言って、こいつの家はそれなりに歴史のある貴族だろう。となると、よっぽど気に入られてるのか?
確かにあいつ、高校は従仕科だったが中退だぞ。成績もいいとは聞いていたが、それでそこまで気に入られるなんてあるんだろうか。
そう思って彼女に普段の湊について聞いてみたのだが。
「はい、彼女は優秀なので、お父様も気に入ってますよ。中退は一身上の都合ってことでしたけど、それでも彼女含めた人たちの面接のとき、一番腕がよかったのは彼女なんですよ」
『マジか』
あいつ、そんなにできる子だったのか。
いや、兄としてそれは知ってはいたが、メイドとしての技術がどれほどのものかまでは知らなかった。実際にそういう応対を受けたわけでもないしなぁ。
「あとですね、彼女って私の一つ上なんですよ。なのでメイドさんとしてだけでなくて、一緒にお話ししたり、お仕事についてきていただいたりしてるんです。なので、私としては歳の近いお友達みたいな感覚なんですよね」
そこまでか。予想以上に好評価で、お兄ちゃん嬉しいやら驚くやら。いや、あいつはすごくいい子だからそれも当然って思ってる俺もいるわけだが。
しっかし、本当にいいところ見つけたんだなぁ。バイト先としては間違いなく大当たりのやつだぞ。羨ましい。金持ちのお嬢さんつきのメイドで、関係も良好って、なぜそこまでして声優にこだわるんだ。
いやまあ、やりたいことが別にあるからこそってのは、俺もそうだったから理解できるけどね?
でも前にもちらっと触れたが、あいつから声優をやりたいなんて話は欠片も聞いたことがなかったのに。そこらへん、どうなんだろう。
「ダイブカプセルの設定なんかも、実はほとんど湊さんにしていただきまして。いつか一緒に遊びましょうねって約束もしていたんです」
『マジか……世界は狭いなぁ……』
「そうですねぇ……」
なんて考えている間にも、話は続く。
そして俺たちは、しみじみと感じ入りながらも苦笑した顔を合わせた。
「……ちなみに、ナナホシさんのほうはどのようなご関係で……?」
「にゃー……」
アカリの問いに、俺は目の焦点をずらしてぼんやりと答えた。
いやうん、そりゃあ俺が聞いたんだからアカリも聞いてくるよな。というか、猫が縁のないはずの間に対してあれこれ動いてるのがおかしな話だし、そもそも人間と同等の思考をしてることがまずもっておかしいもんな。
「あ、ご、ごめんなさい。何やら事情がありそうですし、今のは聞かなかったことにしてください」
そんな俺の態度から色々察したのか、アカリは少し慌てた様子で前言を撤回した。
しかし俺は、首を振ることでそれを拒否する。
アカリとの付き合いは決して長いわけではないが、それでもSWWで一緒に過ごした時間から言って、信じるに値する人物だというのはわかってるつもりだ。それは今こうして面と向かって会話している中でも実感できる。
だからアカリには、ちゃんと明かそうと思うんだ。猫の俺に、これだけ真摯に対応してくれたんだ。せめてそれくらいはしないと、不義理がすぎるというものだろう。
まあ、湊と顔を合わせて話をする段階まで行ったらどっちみち説明しなきゃならんだろうし、という打算もないわけじゃないけどな。
というわけで、説明するから、と書いてから改めてスマホに文字を打ち込んでいく。打ち込んでいくのだが……。
俺の事情を一言で説明するのは、無理だ。つぶやきったー程度の短文でも明らかに無理。
というわけでそれなりの文章を作らなきゃいけないわけだが……アカリに対して下手な説明はしたくない。要点以外にも俺自身が言っておきたいことだってあるし……。
しかしそんなことを考えながら文章を打とうとしたら、なかなか考えがまとまらないのはある意味当然とも言える。でもって、そこにこの身体の不便さが重なって悪循環に陥る、と。
これまた当然だが、その間アカリの会話にも応じられないしで……なんというかこの辺りは、我ながら考えすぎる性格だなと思う。
……いや、それを言ったら、そもそも人間だったらこんな苦労はしなくて済んだ、か。俺もすっかり猫だな。
と、そうこうしているうちに時間切れのようだ。車が緩やかに停まり、エンジンも落とされる。
「ナナホシさん、到着しましたよ。がんばってるところ申し訳ないですけど、まずは降りましょう?」
くそう、間に合わなかったか。まあでも、こればっかりは仕方ない。ひとまずスマホを返すことにする。
「にゃあ」
「はい、行きましょう!」
俺はアカリの腕を伝い、彼女の肩に陣取る。ちょうどSWWの中でやっているのと同じように。
そして彼女は、俺ににこりと微笑んで車から降りた。
そんな俺たちの前に現れたのは、ややくたびれた様相の三階建てアパート。前世の俺が、そこそこの期間を過ごした懐かしき我が家である。
外から見た感じ、俺の記憶にある姿とほとんど変わらない。良くも悪くも、だが。それでもこうして前世の住処を前にすると、感慨深いものがあるな。
「ええと、階段は……」
「に」
「あ、あれですね。ありがとうございます」
俺が住んでいたのは三階奥の角部屋だ。コンクリートの階段を踏むかすかな音を聞きながら、二人で三階に向かう。
この通路の移動も、果たしてどれほど繰り返したことか。実家とはだいぶかけ離れているはずだが、郷愁を覚えてしまうな。
「えっと、どの部屋ですか?」
「にゃん」
「一番奥の部屋ですね? わかりました」
そしていよいよ、問題の部屋の前にたどり着く。
扉の前に立ったアカリは、ここで一度深呼吸。そうやって心の準備を整えてから、意を決した顔でインターホンへと指を伸ばした。
瞬間、扉の向こうからかすかに音が鳴ったのが聞こえた。チャイムが鳴った音だ。これも懐かしいもんだ。
……しかし、それだけだった。特にリアクションはないまま、無言の時間が過ぎていく。
「……お留守でしょうか?」
「にゃあ」
アカリの問いに、首を横に振る。
湊のことだ、たぶんいるはずだ。反応しないのは、寝ているか……ガチ凹みしていて来客に対応したくないか。……さすがに自殺とかそういうところまでは行ってない、よな?
「わかりました、もう一度やってみます」
両手をぎゅっと握って気合いを入れたアカリが、再度インターホンを鳴らす。
しかし先ほどと変わらず、何も起こらない。
彼女はそれから数回、同じことをしたが……残念ながらダメそうである。
「……どうしましょう?」
「にゅぅん」
「スマホですか? はい、どうぞ」
答えるために今一度スマホを借りて、文章を打ち込む。
『あいつの連絡先知ってるんじゃないか?』
「あ、そういえば!」
わりと親しくしているみたいだし、そうだろうと思って聞いたが大当たりらしい。
ということで俺はスマホを返し、アカリはここから電話することになった。
そしてコールすること十数回……。
『……もしもし……』
「あ、湊さん? よかった、通じました!」
『お嬢さま……あの、昨夜はすいませんでした……』
「いえお気になさらず。あれから大丈夫ですか?」
『ええまあ……一応は……』
……スマホの向こうから聞こえてくる声に、複雑な気持ちが去来する。
もう一度妹に会えた、会えるという喜びが一番大きいのは間違いないんだが……嬉しいがすぎて感極まりそうになってしまう。
だが、聞こえてくる声は完全に沈んでいる。誰がどう聞いても大丈夫ではない声色だ。その原因が俺にあることを考えると、ものすごく申し訳なくなってくる。
今すぐお兄ちゃんだよと言って抱きしめてやりたいが、今の俺はそんな簡単なことすらできない。もう一度人生をやり直す機会を得られたんだから、贅沢を言っている自覚はあるが……それでもやっぱり、生まれ変わるならまた人間がよかったなぁ。
「それであの、実はですね。私今、湊さんのお宅まで来ているんです」
『え゛!? も、もしかしてさっき聞こえたチャイム……』
「はい、私です!」
『わああああ!? ご、ごめんなさい! 本当にごめんなさい!』
機械越しに、それから部屋の中からも大声が聞こえてきた。ついでに、慌てているだろうドタバタした音も。この辺りは変わらないな。
「あの、そんなに焦らなくても大丈……」
そしてアカリが緩やかにそう言いかけたタイミングで、勢いよく扉が開いた。
「お嬢さま! わざわざ来ていただいたのにごめんなさい!」
現れたのは、深々と頭を下げた女が一人。今すぐにでも土下座しそうな勢いを見せる彼女に、アカリが慌てて声をかける。
「いやあの、私も連絡がつかないまま来ましたしそんなに気になさらなくても。それに湊さんは体調不良だったわけですし……」
「でもその連絡を無視しちゃったのはわたしなので……! あうううう、ホントごめんなさい……!」
そして二人は、謝罪合戦に突入した。なんでや。
とりあえず、このままだと話が進まない。湊に至っては意地でも頭を上げない様子だ。
これは多少強引にでも割って入るしかあるまい。
「にゃあ!」
なので俺は大きめに鳴いて、わざと音を立てながら部屋の中に飛び込んだ。そのままかつての城を我が物顔で闊歩する。
「へ!? え、ね、猫?」
「あ、な、ナナホシさん!」
「ナナホシ……!?」
おお、視点は低いが懐かしい間取りだ。こっちがトイレで、こっちが洗面所だよな。風呂もあるぞ。で、こっちがダイニングキッチン。その奥にリビング、だ。
さらっと見渡してみると、やはり俺が死んで既に二年が経っているからか、俺の匂いは感じられない。だが、恐らく意図的なものだろう。俺が買い揃えたものの多くがほとんどそのままの状態に保たれている。
特にここから見えるリビングは、ほとんどどころか完全にそのままなのでは? ダイニングのほうに布団がたたんでおいてあるし、湊のやつまさかとは思うが、リビングを保存しているのか?
郊外とはいえ、都内のこの規模の部屋をあの値段で借りられるなんてラッキー以外の何物でもないのに、リビングをまるごと使っていないとかもったいないなぁ。
……いやうん、わかってるよ。そういうことなんだろう。俺がいた痕跡を消したくなかったんだろうな。
気持ちはわかる。お兄ちゃんっ子だったもんな。それだけ俺のことを残しておきたかったんだろう。わかる。
わかるが……それは死んだ人間に囚われかねない諸刃の剣じゃないのか。遺品整理って、心の整理も兼ねてのものだろうに。ますます心配になるじゃないか。
……ただまあ、今この瞬間だけは保存していてくれてよかったかもしれない。
なぜって、俺が生前使っていたパソコンが、完全にそのまま残っている。さすがに俺が死んでからは使われていないかもだが、買ったのは死ぬ少し前だったからまだ使えるはずだ。
だから俺は堂々とリビングに押し入り、迷うことなくパソコンの電源ボタンに手を伸ばした。
そこでちょうどアカリと湊が追いついてきて……アカリは状況を察してか何も言わず。一方の湊は息を呑んだようだった。
俺は続けて二人にちらりと目を向けて、けれどすぐに画面に向き直る。既に起動が完了したパソコンが、無感動にパスワードを問うてきていた。
返答は迷わない。今まですべてのパソコンで同じパスワードを設定していたんだ。実に十年近くもの間、俺はそれをほぼ毎日打ち込んでいたんだぞ。忘れるはずもない。
『I am Big Dipper』
前世の名前は、黒川北斗。北斗とはすなわち、北斗七星のこと。そう、我こそは北斗七星!
……という名乗りを、高校時代に明人とプレイしていたネトゲでやっていた(なお明人は南十字星を名乗っていた)わけなんだが。
うん、これな、いわゆる黒歴史的なパスワードだったりするんだ。自分でもどうかなって思うことは正直あったよ。
でも死ぬ直前まで使ってたのは、なんだかんだで気に入っていたからだ。大げさに北斗七星だとは名乗らなくなったが、最終的に行き着いたハンドルネームがナナホシだったのだから、つまりはそういうことなんだよ。
フッ、男ってのはな、いつまでも心の中に中学二年生を飼ってる生き物なのさ。
かくして完全に起動したパソコンの前で、俺は前世を思い出して一人ニヒルに笑う。
「う、そ……動いた……。ずっとパスワードわかんなかったのに……一発って……」
その後ろで、湊が震える声を絞り出した。
「お、にいちゃん……?」
そして、恐る恐る問いかけてきた彼女を尻目に、俺はメモ帳を起動して文章を打ち込む。
ああ、やはりスマホよりキーボードのほうがやりやすいな。
と、それはともかく。
『ただいま湊』
シンプルにそれだけ打ち込んで、俺は二人に画面が見えるように少し位置をズレつつ振り返る。
ここでようやく久方ぶりに真っ正面から対面した妹は、記憶にある姿よりも大人びていて……けれど、驚くほどに痩せていた。
「お兄ちゃん!!」
「にゃあん」
そして悲鳴にも似た呼びかけに応じた俺は、前のめりに転びそうな勢いで抱きつかれたのだった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
ようやく会えました。
ちなみに貴族とか従仕科とかそこらへんは、この世界がそういうのが存在するパラレルワールドだからですね。
前にも少し触れましたが、久々なので念のため。