40ねこ 俺はやるぜ俺はやるぜ
犬じゃないけど。
「そもそも、なんであいつが東京に? こっちの大学に通ってるのか?」
落ち着こう。まずは状況確認だ。
俺は口元を隠す形で手を当てて、明人に問う。
「いや、就職ですよ。……ん? あれは就職と言っていいんですかね……?」
「就職って……あいつまだ十八だろ? 俺より頭良かったのになんでまた」
少なくとも中学時代の成績は俺よりかなり上だったぞ。何せ通信簿はほぼ5だったし。東大はさすがに無理かもだが、有名どころは狙えたはずなのに。
「…………」
「なんだよ。なんでため息ついて俺を見る?」
「わかりませんかねぇ。湊ちゃん、声優になったんですよ」
「ファッ!?」
マジかよ!?
……ん? なった? なる、ではなく?
早くない? 俺、デビューできるまでそこそこ年数かかったんですけど。そんなところまで優秀なのかうちの妹は。
すごい子だな! あとで時間ができたら出演作品を調べないと!
「北斗と同じ仕事がしたいと、ご両親の反対を押し切ってですよ。すごいガッツです」
おっと、今はそれは問題じゃなかった。なんであいつが東京にいるかだ。
「それは、そうだろうけど……そんな話は聞いたことなかったぞ? あいつが声優目指してたなんて俺はまったく……」
「自分も詳しくは知りませんけどね。ただ、都内の養成学校に通うために高校を辞めてまであのアパートに入ったとは聞いていますよ。それを早める気になったのは、北斗が死んだからだとも」
「は……」
それは、なんだ。どういう心境なんだ。
俺と同じ仕事がしたいってのはまあわかる。
俺が声優を目指して上京したとき、号泣したあいつのことだ。なんだかんだで俺の近くにいたかったんだろう。
そして俺が知る限り、日本の声優は比較的東京か西京でないと十分にできない仕事だ。東日本の人間は東京に、西日本の人間は西京に集まる傾向が強い。
そんな東西の都の二人勝ちな現状の是非はさておき、俺もそれに従って東京に来た。だから俺を追って東京まで来るのはわかるが……。
だからって、高校を辞めてまで、だと? それは……ちょっとわからない。
声優の養成学校は、別に東京だけのものじゃないんだ。わざわざこっちに来なくとも、ここ最近は地元にも確かできてたはずだぞ?
「さあ? その辺りは自分にはなんとも」
そう問えば、明人は肩をすくめて苦笑した。
「本人に聞くのが一番じゃないですか?」
さらにそう付け加えてきたが、確かにそうかもしれない。本人しか持ってない答えなんだから、ここで俺があれこれ考えたところでどうしようもない。それは間違いない。
ないが……うーん、行ける……かぁ……?
「生まれてこの方外を出歩いたことがないんだよなぁ……」
「キャットライフ羨ましすぎる」
「気持ちはわかるが、それは置いとけ。それよりもだ、人間だった頃の感覚で動いたら痛い目見るのは間違いないだろ。大体、ご主人をどう説明すればいいか……」
「あー……」
正直、人間の思考力を維持している俺なら、この家から出ることは可能だ。むしろそこまでは簡単と言ってもいい。
だが問題はそこからだ。色んな困難が予想されるが、それを全部乗り越えたとしてもご主人への説明をどうすべきかという高すぎる壁がある。
今の俺があるのは間違いなくご主人のおかげだから、彼女を裏切りたくない。やるからにはできるだけ誠実に当たりたいんだが……さすがに前世のことを話すのはな……。
「……なら、自分が迎えに行きましょうか」
「は? お前何言って……」
「新幹線を使えば二時間かかりませんからね。あとは北斗のほうから表に出て来てもらえれば。ご主人とやらの住所を自分に知られてしまうことにはなりますが、ここはそれが一番では?」
「有給中とはいえ、相変わらず無駄に軽いフットワークしてんな……いやそれはありがたいけど、お前下手したら誘拐犯になるぞ?」
いや、ペットの場合は窃盗犯だったか?
どちらにしても、罪に問われる可能性は十分ある。
「この際それくらい必要経費では?」
「……ほんっと、相変わらずの突撃バカだなお前は。もう少し後先考えろよ」
「北斗はもう少し大胆になるべきでは?」
このやり取りも何回やったことか。
いやでも、今回ばかりは俺のほうが正しいだろ。
量刑の大小は問題じゃない。犯罪になるってことがそもそも問題だ。ダチを犯罪者にしてまでやろうなんて俺は思わないぞ。
「そんなことするくらいなら、俺一人がご主人に怒られるべきだろ。お前の気持ちは嬉しいがよ」
「そこでそう言えるのが北斗ですよねぇ」
そしたらなぜか嬉しそうに笑う明人。
なんでや。当たり前のことだろ。
「そう思うならそうなのでしょう、北斗の中では。しかしそれはそれとして、答えは出たのでは?」
「……まだ行くとは言ってねーだろ」
「顔は言ってますけどねぇ」
「むぐ」
猫の顔でもわかるものだろうか?
両手の肉球で頰を挟んでむにむにしてみるが、自分じゃわからん。
「今のはなかなか猫ポイントが高いですよ」
「やかましいわ」
明人のスネをぺしんと叩きながらも、やれやれと内心で苦笑する。
わかってはいるんだ。俺は生粋の慎重派だが、明人の無鉄砲をフォローしようとするときは、どうにも普段より少しだけ積極的に動いてしまうのだ。なんだかんだと言いつつも手を貸してしまう。
我ながら性別が違えばギャルゲーみたいなことになってそうだなとは思うが、そんなもしもはどうでもいい。確かに高校時代、腐女子たちの毒牙にかかってヨーグルトを食用以外で使う羽目になったりもしたけど、それはともかく。
黒川北斗としてのそんなあり方に、別に後悔はない。苦でもない。長年同じ道を歩いてきた幼馴染なんだからな。そしてそれは、ナナホシになった今でも変わらない。
とはいえ、今回はそんな性格を利用された気がする。煮え切らない俺に発破をかけに来たんだろう。
明人のくせに頭脳プレイとは生意気だが、こいつもこいつなりに、成長してるのかもしれない。
……こいつのことだから、意図してやってない可能性もあるけど。
いいぜ、今回ばかりは乗せられてやる。言い訳をどうしようかで不安は尽きないが、どっちにしても湊をこれ以上放置するわけにもいかないからな。
「はぁー。まあ、なんつーか、あれだ。相談乗ってくれてありがとよ」
「どういたしまして。……さて、それでどうするんです?」
「ん? そりゃまあ……あれだ。まずは道順の確認だな」
「ええ……」
「いや大事だろ!? 普通土地勘のないところ歩くなら調べるだろ! 前世のアパートの周辺はわかるけどさ!」
「うん……まあうん……うん……」
くそう! 明人に生暖かい目で見守られるとすげえ腹立つな! この突撃だけが人生野郎め!
「それに、ちゃんと理由もあるんだぞ! 今日はご主人、昼には一旦帰ってくるんだよ!」
「ああー。それならそうと言えばいいのに」
「やかましいわ!」
再度明人のスネを叩いて、一旦ため息をつく。
そう、今日のご主人のスケジュールはちょっと変則的だ。午前中は事務所で打ち合わせをしたあと、昼には帰ってきて食事を挟んで二時過ぎまでフリーなんだが、その後は屋外で夜のシーンの撮影があるとかでまた出かけるっていうな。
撮影はワンクール分の夜シーンのほとんどをこのタイミングで撮り切るという、ちょっとブラックなスケジュールらしい。おかげでかなり遅い時間までかかると聞いている。先に寝ててもいいよとも言われてる。
だからその時間帯はかなりフリーに行動できるわけだが、逆にそれまでは外に出る暇はほとんどない。午前中にやろうもんならタイムリミットでバレそうだし、最悪騒ぎになることだって十分あり得る。それを考えたら、今はまだ動くタイミングじゃないわけだ。
「あとはまあ、あれかな。外を歩く慣熟訓練とかしたい」
「はあ……? それはどういう……」
「いやな、俺って飼い猫だろ。さっきも言った通り、外を出歩いたことが生まれてこの方ないわけだ。そんなやつがアスファルトとかコンクリートの上を長距離歩くなんてのは厳しいと思わないか?」
「なるほど、確かに」
というわけで、ネットブラウザを立ち上げ移動経路や所要時間を調べつつ、明人とダベることになったわけだが。
「でもそんなのどうするつもりですか? どうにもできないんじゃ……」
「普段はオフになってる痛覚設定をオンにしてみようと思う」
「……そういえばこのゲーム、そんなシステムもありましたね」
「キャラメイクのときに言われたけど、デフォはオフだし大半のやつが痛いの嫌だろうからぶっちゃけ死に設定だよな」
「そうですね、自分も常時オフです。最初試して結構しんどかったので」
「そりゃお前のプレイスタイルだと戦闘中常に痛いだろ」
バカだなぁこいつ。無自覚タンク(ヘイト管理ができるとは言ってない)のこいつが痛覚オンにしてたら、わりと冗談抜きで死にかねないだろ。
一度は試してみたのは立派だと思うけど、よくその一度をやってみようと思ったもんだ。理由はないか、ものすごく単純なことだったりするんだろうけど。
それはそれとして。
俺は自分の前足を改めて見つめる。くるり、くるりと数回向きを変えてみる。
……この穢れのない、美しくて柔らかい肉球で外を歩いて大丈夫かな。いやわりとマジで。これで外に出るって、人間に置き換えたら裸足で外を歩くようなもんだろ。絶対痛いって。
時期も時期だ。そろそろ初夏が目の前に迫ってきたこの時期、昼過ぎの気温はそこそこ上がる。夏ほどじゃなくても、アスファルトとかめちゃくちゃ熱そうじゃない? それこそ焼き土下座みたいなことになったりとかしないかな……。
それでも行くと決めたからには、乗り越えなきゃいけないわけだが。
前世からだが、一度行動に移せばわりとすんなり進めるのにその一歩を踏み出すまでめっちゃしり込みする癖、なんとかならないかなぁ。
そんなことを考えつつ、調べが一段落した後はセントラルの街を色んな歩き方をして散策してみたわけだが。
いやこれ、やっぱ結構痛いわ。特に少し高いところから飛び降りたときとか、走ってる最中に急制動かけたときとか、足先に負担がかかる行動をするとわりとクるものがある。野良猫ってすげーわ。
やっぱこう、ある程度定期的に受けることで耐性ってのはできるんだなって、そう思ったよ……。
さすがにダンジョンには行かなかったけど、これで命を賭けて戦うってなったら俺なら尻尾巻いて逃げる自信があるね! 生まれたのも転生したのも現代でホントよかった!
まあでも、現実でも魔法が使えたらなぁとは思うけどな。そしたらヴァルゴを憑依させて、スィーって飛んでいけるんだけど……。
「先が思いやられますね」
「言うな……俺も不安が強くなってきたところなんだ……」
プレイヤーのクレープ屋で小休止しながらそんな会話を交わしたが、いやもう、ホント不安だよ。
問題は他にもある。思い出されるのは、最初のころ。アカリと出会って間もないころ、雑踏で踏まれてライフゲージが半分まで減ったりしたのがどうしても脳裏をよぎる。
現代社会は人以外にも、自転車や自動車なんかにも気をつけなきゃいけない。猫の身一つで果たしてどれだけのことができることやら。
「でも行くって決めたからな。ここで引くのはいくらなんでもカッコ悪すぎる」
「カッコつけても今のナナホシはかわいい系ですけど。まあ、言いたいことはわかります」
うんうんと頷く明人から、クレープを食べさせてもらいながらまあなと返す。
もちろん、一番は湊をあのまま放っておけないからではあるよ。うん、今も続々とメッセージが届いててわりとマジにホラーになってきてるしさ……。
とりあえず出発前に向かう旨は伝えようと思ってるけど、早く会って安心させてやりたいところだ。
「……ふぅ、ごちそうさん。ありがとな、@」
「これくらいお安い御用ですよ」
そうこうしているうちに、クレープも食べ終わった。はぁーチョコバナナクレープ最高かよマジで。チョコとか猫の身体じゃ食えないから、ほんとこのゲームやれてよかったわ。
いやそんなことはどうでもよくってだな、そろそろ時間だ。
「それじゃ、この辺りで一旦ログアウトするよ。そろそろご主人が帰ってくる」
「わかりました。くれぐれも気をつけて。また事故死とかやめてくださいよ?」
「絶対とは断言できないのがこの世の怖いとこだよな。まあそれはともかく、なんとかうまくやってやるさ」
俺はそう言って笑う。
返ってきたのも、笑みだった。それとダブルサムズアップ。
そして次第にドヤ顔に移行しつつある親友を背に、俺は「報告はまたあとでな」と告げてログアウトすべく宿屋に足を向けるのだった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
前にも言ったことがありますが、タグにもある通りこの作品の世界はパラレルワールドです。
西京というのは、我々の世界で言う京都に当たる土地になります。なんで西と東がそれぞれについた地名になってるかは設定がちゃんとあるんですが、本筋とは関係ないので割愛。
いつかその辺の時代の話も書きたいところですが、はてさて。