第九話「少女の依頼5」
「お、ちゃんと仕事をして来たみたいだな」
王都の城下町にある『赤毛の雄牛亭』に戻る頃には、太陽が傾き始めていた。
店内には少し早い夕食を食べようとする客が増え始め、キッチンの方ではサティアさんがフライパンを豪快に振っている。そして、そんな彼女が作った料理を配膳しているロシュワの姿。
……いつも思う、役割が逆だろ、と。
「お前が接客なんかしたら、気弱な客は食事が喉を通らなくなるだろ」
「いきなりだな、この野郎――まあ、そこは俺も同意するがな」
カウンターの定位置に座りながら言うと、ガハハと笑ってロシュワが同意する。
「だが、人の嫁に色目を使うような輩が居る時間帯はダメだ。俺かカルティナの嬢ちゃんが接客をする」
そう言って、店内を見渡した。その、『嫁に色目を使う輩』を睨みつけたのだろう。
……誰もお前の嫁さんに手は出さないよ。
死にたくないもん。見ろよ、その丸太みたいな腕。俺の二倍は優にある。
それで殴られたらそれだけで死ねそうだし、店の奥には現役時代に使っていた巨大な斧が飾られている――あれで切られたら、きっと原型も残らない。
同じことを考えたのか、店内に居た男達は揃って顔を伏せてロシュワの視線から逃げた。
懸命だと思うよ、本当に。コイツ、本当にやりそうだもん。顔が怖いもん。
「それでどうだった、ジェシカ嬢ちゃん。探し物はちゃんと見つかったか?」
「はいっ。ユウヤさんを紹介してくれてありがとうございました、ロシュワさん」
「いいってことよ」
「……随分と仲いいよな。知り合い?」
ふと気になった事を聞くと、手の空いたロシュワが空いたテーブルにお冷を置いてくれた。
どうやら、そこに座って良いという事らしい。
「近所に住んでいるからな、よくウチにも食事に来てくれる」
「え、っと。私も学生ですし、食事の用意が出来なかった時は、父と一緒に」
「ご飯の用意はジェシカがしているのか? そりゃあ、凄いな」
と言って、隣に座ったカルティナへ視線を向ける。
「なに?」
「いや、なんでも」
自分の料理の腕に気付いていないというか、教えてもらってもそこへ自分なりのアレンジを加える同居人が心底から不思議そうな声を出していた。
「私も、いつも料理をしているの」
「そうなんですか?」
「ええ。ユウヤは、自分では何もしないから」
何もしないわけじゃないけど、と思いながらお冷を飲む。
「料理もそうだけど、仕事の後に着替えたら脱いだ服はそのまま床に放りっぱなしだし、部屋の掃除も全然しないし」
「…………ふう。今日も水が美味いな、ロシュワ」
「お前ってやつは……」
カルティナの話を聞いたジェシカどころか、ロシュワからすら呆れた目で見られた。
「お前だって似たようなもんだろっ」
「俺はちゃんと、ゴミ捨てと庭掃除はやっている。それに、家では食事の用意は当番制だ」
「……なん、だと……」
「偉いわね、店長」
「だろう?」
心の中で敗北感を覚えながら、残っていた水を一気に飲み干す。タン、と空のグラスとテーブルが小気味の良い音を鳴らした。
俺だって日ごろ、何もしていないわけじゃない。ただちょっと、やっていることが目立たないだけなのだと――心の中で言い訳をしながら、何かやっていないかと考えてみる。
…………。
「まあ、それはさておき。それで、報酬なんだけど」
「あ、はい」
「ユウヤ?」
「明日から頑張ります、カルティナさん」
「こりゃあダメだな」
「ダメって言うなっ」
そんな遣り取りを聞いてクスクスと笑いながら、ジェシカが懐から革袋を取り出してテーブルの上に置いた。
それを受け取って口を開くと、中には銀貨が十枚ほど入っている。
学生が用意するにしては結構な額である。
「それだけしか都合できなかったのですが……ユウヤさん、大丈夫ですか?」
「ああ、いや。多すぎるくらいだけど」
「ユウヤ、いくらなの?」
「銀貨……えっと、十枚」
円にして約一万円。
物価が安いこの世界なら、毎日外食をしたとしても二週間は楽に暮らせる額だ。
「学生だろう? こんなに使って大丈夫なのか?」
俺の質問に、ジェシカ嬢ちゃんは恥ずかしそうに顔を俯けた。
「父からいただいた、今月分のお小遣い全額です」
「今月って……」
この異世界の一年は、地球と同じ三百六十五日。一年は十二カ月で、一日は二十四時間として計算される。
元々は時間の計り方など無かった世界だ。何度目かに召喚された『勇者』が時間の概念を教え、計り方を伝えたとか何とか。
そんな時間の成り立ちはさておき、今はまだ月が始まったばかり。
いや、ジェシカの十五歳という年齢から、おそらく騎士学校へ入学して初めて与えられたお小遣いなのかもしれない。
なにせ、今は春。入学の季節。
よく見ると、彼女が着ている制服はまだ真新しい。
「全部使って大丈夫なの?」
「え、っと……大丈夫ですっ。ゆ、勇者様に依頼を出したんですしっ」
勢いの良い言葉に、なんだか強がっているだけのようにも思えてきた。聞いたカルティナが、俺を見る。
全額貰うのか、と目は口以上にものを言っているような気がした。
水を飲……もうとして空だったので、ロシュワにお代わりを頼む。
「元『勇者』だけどな。おい、ロシュワ。お前、依頼料はどれだけだって教えたのか?」
「いいや。ジェシカ嬢ちゃんにとって『探し物』にどれだけの額を出せるか、って言っただけだ」
「……顔に似合わず厭らしいな、お前」
「……顔は関係ないだろ」
その言葉からすると、ジェシカにとって形見の髪飾りは『手持ちのお金全額』と同じだけの価値がある……いや、金額なんて付けられないくらい大切なのだろう。
視線を向けると、ジェシカはこちらをじっと見ていた。
「これだけでいいや」
そう言って、革袋の中から銀貨を四枚だけ抜き取り、その内の一枚をロシュワへ投げ渡す。
仕事の仲介料と、後は今までのツケ……その一部の代金だ。
「まいど」
「あの、えっと……」
「いいのいいの。学生なんだから、小遣いは大切に使わないとな」
「……は、はあ」
手をプラプラと揺らしながら吐いた気のない言葉に、ジェシカは困ったようにカルティナとロシュワを交互に見た。
「探し物をしてゴブリンを始末しただけだから。報酬はそれくらいで十分よ」
「俺はツケを払ってもらえれば十分だしな」
そう言って、ピン、と投げ渡した銀貨を指で弾くロシュワ。
指が太いのに器用なもんだと感心しながら、残りのお金が入った革袋をジェシカへ返す。
「それにしても、騎士学校っていうと親父さんは騎士か兵士?」
「あ、はい。父はお城に勤めている兵士です」
学校というのは、その名の通り子供の教育機関。
これは『勇者』が異世界へ召喚される前から存在しており、元々は『魔と戦うための兵士を育てる機関』だったらしい。
まあ、言葉は悪いが子供を鍛えて戦えるようにしていた場所だ。『勇者』の数が増え始めてからは、その在り方は今のような『子供の教育機関』に変わっていったそうだ。
今では考えられないことだが、なんでも昔は『勇者』も一人か二人しか居なかったのだとか。
あれだ。勇者が居る事で子供が戦わなければならないほど切羽詰まった状況から解放され、今度は子供をちゃんと育てようという気持ちが出てきたとか、そんな感じなのだろう。
学校という施設はいくつもあるが、騎士学校というのはその名の通り将来騎士を目指している子供が通う場所。
卒業生は優先的に騎士や兵士として働けるようになるそうだ。
そして、入学するのに資格のようなモノは必要無いが、その多くは騎士や兵士の子息が多い。
他にも傭兵学校や錬金学校なんかもあるが、名前通りと考えればいい。
「珍しいな。親父さんが王城勤めの兵士なら、俺にはあまり関わるなって言われてなかったか?」
「ぅ……まあ、その」
言い淀んだので、ああ言われているんだな、と分かった。
元『勇者』だということ。
勇者を辞めるというのは、口にするのは簡単だけど色々と面倒臭い。
というか、しがらみが多い。
勇者というのはこの国から支援を受けて生活している。その支援を受ける条件は『人のために戦う事』。
『魔』を討伐したり、人を助けたり。
まあ、『人のため』というのは範囲が広すぎるが、ともかく『誰かのため』『何かのため』に戦うことで国からの援助を受けられる。
俺も、この異世界に召喚された当初は国の支援を受けて活動していた。
宿屋に泊まるにも、物を買うにも、特に金に困った事はない。
その分、毎日のように魔物を討伐したり、大規模な戦いの際には矢面に立ったりもしなければならなかったけど。
けど、俺はそんな支援を受けていたのに、自分の感情で『勇者』である事を辞めてしまった。
魔法はそのまま使えるけど、国から要請されても戦うことが嫌なら突っぱねるし、助けたくない相手は助けない。
そういう生き方を選んだ。
おかげで、これまで俺を支援していた人々は怒ったわけだ。
勇者を支援する金は、地球で言うなら税金のようなもの。人々は税金を払っているのに、税金を貰う側の勇者が人を助けない。
それは怒るだろう。
地球なら、仕事をしない政治家が変わらず給料をもらうようなものだ。しかも、その政治家は替えがきかないときた。
そりゃあ、誰だって怒るだろう。
そして、それは人だけでなく同じ『勇者』も。
俺だけでなく自分達の支援を打ち切られたらどうするのか、と怒った。
なので『勇者』を名乗る事をやめ、税金ではなく自分で稼いだ金で家を建て、のんびりと今日まで生きてきた。
おかげでここ十三年は、肩身の狭い生活を送っている。まともな職にも就けず、『何でも屋』なんて自分でも怪しい仕事をしながらこうやって日銭を稼ぐ日々。
いや、がめつく依頼料を巻き上げればいいだけなんだけどさ。……それはそれで、なんだか悪い気がしてしまうのだ。
別に、毎日飢えない程度にご飯を食べられればいいという考えだ。
それに、自由とはとても言えないけれど、こういう生活もそれなりに楽しいものだ。
何せ異世界。剣と魔法の世界。
魔法という特別な力があるから日々の生活だって変わって見える――元の世界には無かった、『特別』があるというのは、存外悪い気分じゃない。
そしてなにより、カルティナが居る。
元の世界で普通に生活していたらかかわる事すらできないような美女。
料理の腕に難があるけど、そんな美女が身の回りの世話をしてくれる生活だ。誰もが羨む日常ある。
たとえそのカルティナが、俺が『勇者』をやめる一因――いや、きっかけだったとしても。
それでも後悔はしない。そう思えるくらいには、今の生活は『悪くない』と思っているのだ。俺は。
「でも、聞いていたより良い人ですね」
「そうか?」
「もっとお金にがめつくて、人なんか絶対に助けないような人だと聞いていました」
「……なんか、昔より酷くなってないか。噂」
呟くと、ロシュワがガハハと豪快に笑った。カルティナも、声には出していないが少し口元がほころんでいるように見える。
「今日は、本当にありがとうございました」
そんな二人に気付いているのかいないのか。ジェシカ嬢ちゃんはのんびりとした口調でそう言った。




