第八話「少女の依頼4」
魔物、という存在が居る。
魔物。物語や映画、ゲームに出てくるようなモンスターである。
人に似た姿をしたモノ。人とは掛け離れたた姿をしたモノ。
魔族と魔物。その一番の違いは、『意思の疎通』が図れるかどうかだろうと俺は思う。
もっと単純に言えば、会話が成り立つかどうか。
会話で問題を解決する事は、人と魔という種の違いという点もあって難しいというよりも不可能に近いのだが、一応、魔族と人は対話する事が出来る。
言語は同じなのだ、連中とは。
けれど、魔物とは無理だ。
アレは言葉を理解できない。
本能のままに行動し、本能のままに破壊と殺戮をまき散らす。
ただ、その本能――殺戮衝動とか破壊衝動を、人にだけ向ける。『人を殺す』事を最優先に行動する。
「私が前に出ても、狙われるのは貴方なのに」
「後ろから襲えるだろ?」
俺とジェシカの匂いに気付いたゴブリンが顔を上げた。
ひっ、と少女が引き攣った悲鳴を漏らして俺の後ろに隠れた。
そして俺の上着を無意識にだろう、掴まれる。安心するためなのかもしれないが、とっさに動くときには邪魔になる……と思いながら、まあ今はいいかと握らせたままにする。
カルティナはそんなジェシカの行動など気にする事無く、収めるべき刃のない鞘を地面へ突き立て、抜き身の刀を両手で持つ。
構えは下段。
刀の刃先が地面へ向き、その刃は地に触れる寸前で止まる。
まるで、耳鳴りがしそうなほどの緊張感。上着の裾を握っているジェシカの手を払うようにして外すと、庇いながらゆっくりと数歩下がる。
「焦って動くなよ。動く奴を追うからな、アレ」
「は、はい」
少し脅かすように言ったのは、以前同じような状況で依頼主が走って逃げた事があったからだ。
逃げるのは別に悪いとは言わないし、ヒトを殺すことを最優先に行動する魔物を相手にするときはいい囮にはなるけれど、追われるというのは慣れていても精神に相当な負担となる。
その恐怖をまだ十五歳の少女に味わわせるというのは少々酷だろう……という善意から、勝手に逃げないようにとクギを刺しておく。
ちなみに、その時逃げたのは四十を過ぎたおっさんである。追われようが怖がろうが、色々なモノを漏らそうがどうでもいい。
そんな事を思い出していると、四匹のゴブリンがそれぞれ、思い思いに広がった。
連携を取るつもりは無いらしい。まあ、連携を取るほどの頭脳があるのかと言えば首を傾げるのだが。
「いいぞ」
水袋の口を開けと、中にある水が「ちゃぽん」という音を立てた。
カルティナがさらに少し、前に出る。
距離にして約十歩。カルティナの身体能力なら、ゴブリンに抜かれても数歩で追いつける距離。
構えはそのまま。緊張は途切れさせず、その視線はゴブリンから逸らさない。
ゴブリンは有名な魔物だ。
王都周辺にも、遠く離れた田舎の村にも、人が初めて足を踏み入れる山河にも、等しく顕れる。
何処にでも存在している魔物。
きっと、この異世界で最も多く殺された魔物。そして、この異世界で最も多くの人を殺した魔物。
だから、その生態は誰もが知っている。
群れるが、賢くはない。知能は精々、人間の子供程度。罠を張るほどじゃない。
性格は、残虐だ。簡単には獲物を殺さない。襲い掛かって、無力化して、殴る蹴るの暴力を行使して殺す。
まさに、子供のよう。
その目はもう、俺とジェシカしか見ていない。目の前に立つカルティナには目もくれない。
命を奪う刃を構えているカルティナより、離れている俺達だけを見ている。
腰を低くして、獣のように四つん這いなりそうなくらい前屈みになって、今すぐにでも襲い掛かろうとしている。
しないのは、目が合っているから。獣と同じだ。目でこちらを威嚇してくる。
「ひぅ」
後ろに居るジェシカが、悲鳴を上げた。
その怯えが合図となり、四匹のゴブリンが動く。カルティナや俺ではない。悲鳴を上げて怯えている少女に狙いを定める。
魔物は単純だ。
凶暴で――自分達を恐れる存在を襲う。
それは、魔物や魔族……その大元である魔王が『人の負の感情』から生まれた存在だからかもしれない。
怒りや憎しみ、恐怖や絶望。
そういった感情を元に、糧に、魔王は生まれたとされている。そして、その魔王から漏れ出た感情が受肉した存在を魔族や魔物と呼ぶ。
だから魔族の姿形は、人に近いのだとか。人の感情から生まれた存在だからこそ、人を模している。
そして、あまりに激しい感情ゆえに人型にもなれなかった存在――それが魔物。
まあ、ゴブリンはまだ人型に近いか。手足があって、頭がある。
「二匹は引き受けます」
カルティナの声が届く。
静かな声だ。平坦な声だ――いつもと変わらない、動揺など僅かも無い声だ。
ゴブリンは地を這うように駆ける二匹と、跳ねて飛び掛かってくる二匹に分かれた。
判断は一瞬。メイドの美女がクルリと回ると長い髪とメイド服のスカートが広がる。
その勢いを載せて刀を一閃。陽光を弾く銀閃が煌めくと、どす黒い液体が宙を舞った。血だ。人のソレより黒く濁った魔物の血液。
翻ったスカートが重力に引かれるよりも早く、その脇を抜けようとしたもう一匹を返す刀で一閃。
勘か、本能か。普通の人間には目で追う事も難しい速さで放たれた斬撃を、地面へ張り付くように避けるとそのまま加速。
ゴブリンの一匹がこちらへ向かって――そのがら空きの背中に先ほどの水袋と同じくどこからか『取り出した』短剣が突き刺さった。カルティナが投げたのだ。
いまだ回った勢いでふわりと浮いているメイド服のスカート。そこから覗く白色のストッキングとガーターベルト……そこに不釣り合いな、革のベルト。ベルトには数本の短剣があった。
もんどりうってゴブリンが地面へ倒れる。そのゴブリンの背中に向かって、カルティナが刀を振り上げた。
そこまで確認してから、視線を上へ。同時に、人間の身体能力では想像もできない高さを跳んで移動したゴブリンが地面へ降りる。また跳ねて空中へ。
その跳躍力は凄まじく、小学校低学年程度の身長しかないのに俺が見上げなければならないほど高い。
「き、来ますよユウヤさん!?」
ジェシカの切羽詰まった声は少し離れた場所から。けれど慌てることなく一度息を吐く。
水袋をひっくり返すと、中に入っている水が零れ出る。
それは、ジェシカからすると不思議な光景だっただろう。
重力に引かれて地面へ零れようとする水を手の平で受け止めると、まるで無重力状態の宇宙で見るかのように、液体がふわふわと揺らぎながら手の平の上に留まった。
「よっと」
それを野球のような要領で投げる。
強めに投げると勢いで水球が弾け、飛沫となって飛ぶ。着地直後のゴブリンに向かった飛沫は、その一つ一つが鋭利な刃となってその皮膚を貫いた。
指先よりも小さな刃だ。けれどもそれは研いだ短剣よりも鋭利で、その数は無数。
皮膚と言わず眼球や喉、上半身のいたる所を貫いてあっさりと一匹を絶命させる。
離れた場所に、もう一匹が無事に着地。
距離にして、あと五歩。ちょうど、俺とカルティナの中間あたり。
声は掛けられないので、どうやらカルティナは助けてくれないらしい。まあ、働けということだろう。
そのゴブリンは、死んだ仲間は視界に映っていたはずだが目を向ける事も無く大きな口を開けて威嚇してきた。穢れた牙と、糸を引く唾液が視界に映る。
それも一瞬。
狙いが定まらないように腰を低くし、地を這うように加速。直線ではなく、ジグザグに。
「残念」
水袋に残っていた水を全部出すと、もう一度手の平の上に留める。今度はそのまま、左手を使って伸ばす。
まるで飴細工のように水がその形を変え、一本の棒に。
変質は一瞬。
正面から向かってきても余裕があるのだから、ジグザグに移動するなら尚更余裕がある。
そのまま、クルリと回してゴブリンの頭部を殴打。小柄な身体に不釣り合いな大きな頭が宙を舞った。
残ったのは、頭が無くなった身体だけ。一拍の間をおいて、その身体が膝から地面へ崩れ落ちた。
「ふう」
息を吐いて、水の棒から手を離す。それだけで、棒はただの水へと戻って地面へと落ちてしまう。
「すごい」
そんな俺を見て、ジェシカがそう呟いた。
その言葉がくすぐったくて、コホンと咳払いを一つ。
「俺なんかよりもっと凄い『勇者』はゴマンと居るがね」
「そうなのですか?」
「なにせ俺は、もう勇者を辞めて長いからなあ」
言って、ワザとらしく肩を回す。
「明日は筋肉痛かね」
「運動不足なのよ。昨日も、すぐに息が上がっていたし」
「……もう年なんだよ。少しは労わってくれよ」
ゴブリンの死体から刀を抜いたカルティナがこちらに向かってくる。
鏡面のように研がれていた刀身は血で汚れ、黒く濁ってしまっていた。それを見て、カルティナは溜息を吐く。
「カタナは不便ね。また研がないと」
「だったら剣を使えばいい」
もう何度も言っている事だ。刀より、刀身が厚い剣の方がカルティナにとっては使いやすいはずだ。手入れも簡単だし。
けれど、カルティナは俺のその言葉を聞いて首を横に振った。
「初めて貴方から貰ったものだもの」
「……そうだっけ?」
睨まれた。
怖い怖いと呟きながら、ゴブリン達の死体を漁る。
丁度、カルティナが最初に殺したゴブリン。その腰蓑に吊られる形で、見覚えのあるものを見付けた。
ジェシカが探してくれと言っていた、十字架を模した髪飾りだ。
探し物を見付けるとゴブリンの死体が黒い液体となって溶け、地面へと消えていく。
魔物は人の負の感情が受肉した存在。死ねば、そこには肉も残らない――残るのは、精々が身に纏っていた腰蓑程度である。
「ありました!?」
「運が良いな。ゴブリンは、光り物を集める習性があるからな」
コボルトに追われて落としたものを、ゴブリンが拾っていたのだろう。
まあ、ゴブリンの血で少し汚れてしまっているけど洗えばまた使えるはずだ。
そう言うと、ジェシカは満面の笑みを浮かべて頷いた。それだけ、形見の髪飾りが大切なものなのだろう。