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【ウメ種】勇者を辞めた勇者の物語  作者: ウメ種【N-Star】
第二章
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第七十話「決着 後編」

 俺に向けられたわけでもないのに、ぶつかった時の衝撃だけで一瞬意識がトんだ。

 身体から力が抜け、そのまま海に落ちそうになり――そこで意識を取り戻す。掴んでいた鱗を強く握り、頭を軽く振って意識を完全に覚醒させる。


「くそ、バケモノめ」


 もう何度目かの悪態。

 しかし、次の行動には移れなかった。

 アスピドケロンが大地に身体を擦りつけ始めたのだ。

 これだけの巨体だと方向転換が出来ず、正面には人が住む大地。魚は後ろへ戻る事が出来ない生き物だと思い出す。

 つまり――こいつはどん詰まり。進む事も退く事も出来ない状態。

 ただ、そうやって暴れるだけでも地震が起きたように大地が揺れ、そしてがけが崩れていく。大地が抉られていく。

 本当に出鱈目だ。

 しばらくすると頭上から砕けた大地の破片、岩が降り注ぐようになった。徐々に、アスピドケロンの頭部が大地にめり込んでいく。

 頭に張り付いている俺はなすすべも無く振り落とされないように張り付いているのが精いっぱい。腕を放せば、そのまま大地の破片に飲み込まれてぺしゃんこだと思うと、どうしても鱗から手を離せなくなってしまう。

 死ぬ。

 すぐそば、身近に死が近付いてきている――。


「くぉ、くそ……っ」


 すぐ横に落ちた岩に顔を顰め、上を見る。

 土煙で陰った空と、雨のように落ちてくる大小様々な岩。アスピドケロンはそれらを意に介さず身体を動かし、必死にこの状況から逃げようとしている。

 チャンスだ。チャンスのはずだ――けれどこっちも動けない。

 この巨体が身をよじらせるだけで、振り落とされないように身を硬くするしかないのだから。

 それが数分、もしくはもっと短い時間か続いた時だった。

 ようやく、アスピドケロンが暴れるのを辞めた。その事に安堵の息を吐く間もなく、今度は身体が持ち上がる――いや、触手を使って身体を傾け始めた。頭を上に向けて伸びをするような格好だ。


「う、ぉ、お?」


 不思議な感覚だった。周囲の景色が下に流れていく。

 そして――上を見ると、砕かれた大地、割れた地面……そして、その先。今にも崩れ落ちそうな割れ目に、必死に掴まっている人影が見えた。


「なにやって――」


 アスピドケロンが上を向く。まるで大地が裂けるように、その口が開く。

 鼻が曲がりそうなほどの生臭い息。そして、獲物が落ちてくるのを待つかのような格好――次の瞬間、降ってくる岩に数匹のゴブリンが混じっている事に気が付いた。

 何匹かはそのまま海面へ落ちて行ったが、その多くが口を開けて待ち構えるアスピドケロンの口内へと消えていく。

 もう一度上を見る。

 ……その人物が着ている服、制服には見覚えがあった。


「ジェシカか!?」


 なんでこんな所に、と。そんなありきたりな質問をする暇も無い。

 アスピドケロンがこの場所まで来たのは、やはりジェシカが目的だったのか。そして、魔族に施された魔物寄せの魔法――『呪い』とも言うべき体質は、こんなデカブツにまで作用するのか。

 そう思いながら、両手足に纏ったままだった水を、左腕に集める。


「ジェシカ、おい!」


 声が届かない。きっと、落ちないよう必死にしがみ付いていて、他の事が耳に届いていない。

 カルティナは、天音は、近くに居るのだろうか。

 考えるが、分かるはずも無い。なら――。


「今行くっ」


 恐怖に足が竦む。踏み出す、最初の一歩が重い。

 けれど、守ると言った。助けると言った。

 ――約束は違えない。それだけは、貫き通したい。


「待ってろっ」


 降ってくる岩を足場に、跳躍。ジェシカを目指して身体を伸ばすアスピドケロンよりも先に、高く、上へ、移動する。

 何匹かのゴブリンを水の腕で殴り飛ばして道を作ると、最短距離を移動。

 だが、俺が届くよりも早く、ジェシカがついに大地の割れ目から手を放してしまった。

 落ちる――それを先読みして、落下位置へ移動。左腕に纏った水腕で捕まえる。


「ジェシカ、何をして!?」

「ゆ、ユウヤさあん……」


 ああ、もう。

 その可愛らしい顔は涙で濡れ、酷い有様。美少女が台無しだ。

 落ちてくる岩を足場にしながら水腕を器用に操り、ジェシカを生身の左腕で抱きとめる。ジェシカも、こんな状況だからか躊躇わずに俺の首に両腕を回してきた。

 何も言っていないのに、落ちないようにしっかりと抱き付いてくる。


「お前のお陰だ」

「うぅ」

「しっかり掴まっていろ、すぐに終わらせるからな」


 ジェシカに向けていた視線を、下に。そこには、大口を空けて極上の餌が落ちてくるのを待ち構えている巨大魚の姿。

 現状、唯一の弱点ともいえる鱗に覆われていない口は丸見え。土煙で陰ったとはいえ、太陽の明かりがその口内を照らす。


「ぶち抜く――テメエは、ここで死ね」


 ジェシカを抱えたまま、重力に引かれるままアスピドケロンの口内へ狙いを定める。

 左腕に在った水を全部、右腕に集める。周囲から崩れ落ちる多量の岩を巻き込んで、繋ぎ止める。

 作り上げるのは、巨大な、重量のある岩の槍。

 先端を尖らせ、水が渦巻き螺旋となる。岩が回る。ガリガリと自然ではありえない異音が鳴る。

 魔法の水は、俺の手を離れれば数秒と経たずにただの水へと戻る。だがそれでも、数秒の猶予がある。

 水に飲み込ませた岩の重量、そして投げる威力――それがあれば、数秒でアスピドケロンの巨体を貫ける。

 おあつらえ向きに上を向いて、バカみたいに大口を開けてくれているんだ……。


「ふ――――ッ!!」


 投擲。

 空中で一回転するほどの勢いで投げられた水で繋ぎ止められた岩の槍が、空気を裂いて飛ぶ。

 狙い違わずアスピドケロンの口内へ突入すると、勢いを殺さぬまま直進。太陽が届かない奥の奥まで進み、視界から完全に消える。

 落下する。

 落ちていく。

 アスピドケロンの口が迫る。ジェシカが、抱きしめる腕に力を込めた。


「…………」


 視線は逸らさない。

 口が迫る。

 口が閉じていく。

 落下と同時に俺達を食もうと、ゆっくりと、口が閉じていく。

 それを見ても、動揺はない。

 ――手応えあり。

 ちょうど、俺達が口内へ落ちようとしたところ。アスピドケロンの口が閉じようとしたところ。牙が合わさろうとしたところ。

 そこで――魔物の巨体が『ブレ』た。

 続いて、どろりと、融ける。

 黒い液体となって。

 ……魔物の死。それは、その死体を現実に残さない。黒い液体となって、消え失せる。


「ふう」


 そのまま、黒い液体となっていくアスピドケロンの死体を貫いて、海に落下。

 ちゃんとジェシカを支えたまま海面から顔を出すと、海に黒い液体が溶け出していた。汚い。

 けれどそれも、すぐに消えていく。浄化されていく。

 残ったのは、透き通るように透明な、綺麗な海。

 それと、アスピドケロンが突撃した衝撃で崩れ、形を変えた崖。

 観光の名所だったか……まあ、しょうがない。諦めよう。


「帰って、風呂に入って、寝よう」

「……し、死ぬかと思いました……」


 ジェシカが、まだ泣きながらそう言った。


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