第六十八話「自分に出来る事を」
海風が頬を叩く。――不思議と、迷いはなかった。
やるべき事が一つに絞られたからだ。
それに……魔族に呪われて、魔物に怯える生活を余儀なくされて、もう人並の生活を送れないのだと理解して。
そんな自分に出来る事がある。自分にしか出来ない事がある。
そう思うと、それだけで走る足が軽くなったような気がした。
「あの、すみませんっ」
向かったのは、カルティナさん達が居るはずの港町アルストレラ入り口。
王都の外壁ほどじゃないけれど、立派な高い壁。
石造りの壁には沢山の男の人達が立っていた。革や鉄の装備で身を固めた傭兵と思われる人達。布製の普段着に槍や剣を持った町の人達。
女の人の姿は少ない。
視界に映る女の人達は全員が傭兵のようで、男の人達と同じように装備で身を固めている。町の女の人は、皆が家に鍵を掛けて避難している様だった。
「ここにカルティナさん――アマネさんが来ていませんか?」
この場を仕切っていると思われる、周囲に指示を出している男性に声をかけた。
最初は無視されたが、何度か声をかけると鉄の装備に身を包んだ男の人がこちらを向く。
「何だ、お嬢ちゃん。今からここは戦場になるぞ。家に帰って……」
「天音さんを知りませんか!? 大切な話が――」
「アマネって、あのアマネさんか? 彼女なら、門の外に出ていっちまったよ」
その男の人とは別に、鎧で身を固めていない町人だと思われる気弱そうな男性が教えてくれた。
後ろからいきなり声を掛けられて驚いたが、その人の視線を追うと、丸太で補強されている最中の大きな門。
「ついさっき、アマネさんともう一人が外に出て行ったよ。んで、門が壊されないように内側から補強しろって……」
「もう外に……」
「詳しい話はそっちで調べてくれ。忙しいから、俺はもう行くぞっ」
その事実にどうするべきか迷っていると、最初に声をかけた鉄装備で身を固めている傭兵の男性は外壁の上層へと梯子を使って昇って行ってしまった。
「お嬢ちゃんも、早く町の奥に避難した方がいい。今からここに魔物が来るんだ。だから」
「ど、どうにかして外に出る事は出来ませんか?」
「外にかい? ……門は閉じちまってるからなあ……逃げるにしても、アマネさんが魔物を追い払うまで待った方が……」
「そうじゃ――」
沢山の人が慌ただしく動いている。その多くは傭兵と思われる人達だけど、町の男の人達も自分に出来る事を探して動こうとしているのが分かった。
「――お話、聞かせてもらってありがとうございます」
「ああ、すぐに落ち着くから、安心して待っててよ」
……そういう男の人の顔色は、お世辞にも良いとは言えない。それに、足取りは重そうだし……何も握っていない手は震えているように見える。
その背を見送る。
誰だって、戦いたくないんだ。死にたくないんだ。
――怖いんだ。
「私に、出来る事」
平原は広い。この港町を訪れた時の事を思い出す。この町の周辺、その地理を。簡易の地図を頭に思い浮かべる。
魔物の正確な数は分からないけど、門の所に沢山の……見た限り、百人規模の傭兵が必要なだけの数は居ると考えるべきだ。
魔物は……百か、二百か。それ以上か、それ以下か。
どれだけだとしても、いくら勇者のアマネさんと元魔族のカルティナさんでも、その全部を防ぐ事なんかできないはずだ。
だったら、こんなにたくさんの人が焦る必要が無いだろうし。
「うん」
本当はまず相談したかったけど、私は、私が出来る事をやろう。
宿に戻れと言われたけれど、私には出来る事がある。
沢山の魔物が平原に広がって町に近付いてくるなら、それを一か所に集めよう。
そうすれば、戦いやすいはずだ。
いや、町から遠ざけるようにすれば、町の人達だって安心してくれるはず。
恐怖が魔物を引き寄せるなら、安心が魔物を遠ざける。……そして、私の『恐怖』は魔物達にとって極上の餌なのだと、知っている。
「うん」
声に出して自分の考えを肯定し、同時に、言葉にする事で覚悟を決める。
次に考えるのは、場所だ。
『呪い』を利用して魔物を集めるにしても、街中に誘っては意味が無い。もっと人気が無くて、町から離れている場所。
けれど、私の足で行ける場所。
そんなに運動神経が良いわけじゃないし、特別に足が速いわけじゃない。
そして、時間に余裕があるわけじゃない。
魔物はすぐにでも町の門に辿り着くかもしれないし、カルティナさん達が無事とも限らない。
使えるモノが有るのだ。
利用できるモノが有るのだ。
「そうだ」
その場所は、すぐに思い浮かんだ。
港町の外れ。恋人達にとって有名な場所。
カルティナさんと町を散歩している時に聞いた、景色が良いと噂の場所。けれど今は、海に大きな魔物が現れた所為で誰も寄り付かないと言っていたのを思い出す。
そこにしよう。
町から離れているし、私の足でもすぐ行ける。
そうと決まれば、次の行動は早かった。
今来た道を戻って、門がある場所から町の反対側へ。
門があるのは街の西側。港町の北と西には平原と言って差し支えない低い丘が広がっていて、東側には高い丘がある。目的の場所は、その高い丘の向こう側だったはずだ。
更にその先へ進めば長い年月で波に削られた崖があり、そこから見える景色が素敵なんだとか。
他にも見モノがあると言っていたが、思い出せない。
そこへ向かって走り出す。
剣も槍も無い。特別な力も無い。
けれど、やるべき事を、出来る事を成すために。
勝手な行動だ。
後で怒られるかもしれないし、迷惑になるかもしれない。
でも、『魔物を一か所に集めれば』カルティナさん達も戦い易いはず。町の人達も、これ以上怯えなくて済むはずだ。
そう思って、誰も居ない大通りを走る。
息を乱しながら、汗を流しながら、それでも何とか足を止めずに。
町の反対側でも、数人が見張りをしていた。けれど、お年寄りの人ばかりだった。
西側と同じ石造りの高い壁。しかし、壁の上に見張りが数人と、門の傍に数人。十人と少ししか人は居ない。
「こちらには、魔物は来ていないんですか?」
「ああ。一応見張りに立っているが、魔物の影は無いのう」
老人が頭上へ向かって声を高くすると、高い壁の上から遠くを見張っているらしい老人が、魔物が居ない事を教えてくれた。
西側に集まっているのは、住居が集まっているからだろう。人が多いから、その分恐怖の量も多い。
「そうですか」
魔物が居ない事を確認して、息を吐く。
それをどう解釈されたのか、私とあまり変わらない細い腕に槍を持ったお爺さんが、長い髭を生やした口元を緩めて、声に出して笑った。
「安心していい。大丈夫だよ」
「はい――大丈夫。大丈夫です」
怪我人が出て、この先にある薬草が必要だと嘘を吐いて門を通してもらう。
バレないかと不安になったが、お医者様に言われたというとすんなり通してもらえた。
息を吐く。
緊張に高鳴る胸を落ち着けようと、深呼吸を数回繰り返す。
目的の場所は、まだ少し遠かった。
門を守るおじいさん達から十分離れてからまた走り出し、急いで目的の場所へ。
高い丘を進んだ先。
長い年月で波に削られて出来た。切り立った崖。
不思議なのは、どういう原理なのか、まるで槍のように尖った地形だった事だ。
槍のように、もしくは長い指が海を指すような、変な形状。
自然に出来たというには不自然で、けれど人の手で作るのも不可能なのでやっぱり自然に出来た物なんだろう。
走って乱れた息を整える。
整えながら、まるで海の果てを指すような切り立った崖にある石の槍――その先に、巨大な、巨大過ぎる魔物の姿があった。
「アスピド、ケロン」
それの名前を口にする。
その近くには、比較するには小さすぎるユウヤさんが乗っているはずの船も見える。
戦っているその光景が、遠くに在る。
それは、言葉通りの異形だった。
大き過ぎて遠くに居るはずなのにすぐ近くに居るような錯覚を覚え、傍にある漁船が玩具のよう。
現に、その異形……魚の頭を持つ魔物は身体から生やした触手を伸ばしたかと思うと、次の瞬間にはその船を、真っ二つに折ってしまった。
そのまま、船の残骸を食べてしまう。
「……ユウヤさん」
目を閉じる。胸の前で手を握る。
大丈夫。
勝って、負けないで……生きて戻ってきて。
怖い。
魔物が。それ以上に、ユウヤさんやカルティナさんが傷付くことが……怖い。
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