第六十七話「呪いと共に」
港町の大通り――丁度、私達が部屋を借りている宿屋の近くに、人だかりが出来ていた。
何事かと耳を澄ますと、喧騒に似た激しい声……その中には、怒号も混じっているようだ。
「どうしたの?」
集まっている人達を掻き分けてアマネさんが進む。
私達は、邪魔にならないように人の輪の外で待機。カルティナさんは周囲から聞こえる会話に集中する為か、気持ちを落ち着けるようにゆっくりと息を吐いた。
「……何があったんですか?」
「魔物が現れたみたいね。多分、アスピドケロンが現れた事で、町に住んでいる人達が不安を抱いたから」
子供の頃から教えられた事だが、魔物は人間の感情――負の感情を好む。特に恐怖を好み、怯える人間を狙うのだと。
だから私も『恐怖』の感情が漏れやすい魔法……呪いをかけられた。
「貴女とは違って、長い間アスピドケロンが海に居座り、生活を歪められた。それが精神的な抑圧になって、魔物を引き寄せてしまったのでしょうね」
カルティナさんの説明が聞こえたらしい、周囲の人達の視線が集中するのが分かった。
少し怖くなって、カルティナさんが着ているいつものメイド服――そのスカートの裾を握ってしまった。
「大丈夫よ」
「は、はい」
私を安心させるため、ゆっくりとした声音で、カルティナさんがスカートの裾を掴む私の手の上に自分の手を重ね、優しく握ってくれた。
「少しは落ち着く?」
「……はい」
「そう、よかったわ」
数歩、その人の集まりから離れる。
「それで、どうして人が集まっているんでしょうか?」
「この町にも王都と同じように出入口を見張っている人がいるみたいだけど、数人が魔物に襲われたそうよ。あと、結構な数の魔物が町に向かってきているとも言っていたわね」
「そ、そうなんですか?」
「落ち着きなさい。貴女は悪くないは――これは、この町の人達の問題よ」
それは私を安心させるための言葉なんだろうけど、だからといって……。
「なにか、出来る事はあるでしょうか?」
「この港町の問題だから……まあ、仕事を依頼されれば、受けてもいいかもしれないけれど」
……私は戦えない。
ユウヤさんから剣の使い方は教えてもらったけど、それは本当に付け焼刃。素人のソレとほとんど変わらない。
カルティナさんは物凄く強いけど、なんだか乗り気じゃないように思う。
いつも通りの声音だけど、何となくそう感じられた。
しばらくすると、人の輪が少し小さくなったよう。見ると、何人かがその場を離れていくのが見えた。
そして、その人波が割れて、そこからアマネさんが出てくる。私達に気付くと、歩み寄ってきた。
「少し面倒な事になったわ……少し聞くけど、新藤さんはアスピドケロンに勝てると思う?」
「……え?」
突然の質問に疑問符を浮かべる間もなく、隣に立つカルティナさんは頷いた。
「勝つわ。アレは、口にした事を違えない」
「そう。なら防衛ね」
話の意味が分からない。
いったい何を『防衛』するというのか――。
「そんなに、ここに向かってきている魔物は多いの?」
「ええ。……数が多いというか、向かってくる範囲が広い、というのが正しいわね。ほとんどの『勇者』はアスピドケロンを恐れて港町を離れたばかりだし、今の町に滞在している傭兵もそう多くないから」
「そう」
聞けば、町の外まで迎撃に回せる人数はなく、港町へ入る時に見た周囲を囲む高い壁――そこに人員を配置するのが精いっぱいなのだとか。
港町アルストレラの周囲は平地で、身を隠せる場所は無い。だからこそ高い壁で町の周囲を固めるだけでそこから魔物の接近を知る事が出来る。
後ろは海で右には高い丘と崖。注意すべきは正面と左側。今回は、その両方からゴブリンの大群が迫ってきているのだとアマネさんが説明してくれた。
確かに、門を出て平地で迎え撃つよりも、高い壁の上に待ち構えて弓矢を射た方が安全だと素人の私でも分かる。
ユウヤさんやカルティナさんを見ていると錯覚しそうになるが、そもそも魔物は私達人間よりもずっと強い。
腕力も、体力も、生命力も。
ユウヤさんが簡単に倒したゴブリンだって、普通は二人か三人が一緒になって倒すような存在なのだ。
「ジェシカ、宿に戻っていなさい」
「え、でも」
「戦えないでしょう?」
それは意地悪とかではなく、ただ純然たる事実を口にしただけだった。
当然だ。
カルティナさんは、私が偶にユウヤさんから剣の使い方を習っている事を知っている。
そして、私がどの程度の腕前なのかも。その上でそう言われれば、従うしかない。
……口にはされなかったけど、『足手纏い』なのだと。
「いいの?」
「私と貴女が前に出て、打ち漏らしを他の人が狙う――それが一番安全でしょう?」
「……そう、ね」
「それに、身体を動かした方が、気が紛れる……でしょう?」
私が一緒に行かないのは当然として、カルティナさんからそう言われたアマネさんは少し歯切れが悪かった。
思い出すのは、先日……アスピドケロンから逃げてきたユウヤさんが酒場で食事をしていた時。
他の『勇者』が戦わないと聞いた時に、カルティナさんが私に言った言葉。そして今朝、ユウヤさんと話した時の言葉。
――『勇者』だって人間で、死ぬのは怖くて、戦う事に慣れていないという事。
もしかしたらアマネさんも、戦う事が怖いのかもしれない。
「大丈夫、ですか?」
「え? ええ。大丈夫よ」
けれど、私がそう聞くとすぐに返事が返ってきた。声音にも緊張や恐怖と言った感情は感じられない。
「戦いの経験はあるの……ただ、魔物とはいえ生き物を殺す事に少し抵抗が、ね」
「昔はユウヤもそうだったわ」
「そうなんですか?」
「私と出会った頃には魔物相手の殺し合いには慣れていたけど、人間同士はね」
……ユウヤさん、人間同士でも戦った事があるのか、と。
今は、それ以上深く考えないでおく。なんだか、思考が悪い方へ向きそうな気がしたからだ。
「それじゃあ、ジェシカ。あまりに気にしないで、落ち着いて宿で待っているのよ?」
「はい、わかってます」
そう返事をするしかなかった。
そんな私を置いて、カルティナさん達は街の外へ通じる門の方へ歩いていった。その背中を見送ってから、溜息を吐く。
私には出来る事が無い。
もしそれをユウヤさんやカルティナさんに相談しても、きっと気にしないだろう。私はただの人間で、凡人で、『才能』と言えるものが何も無いから。
本当に、『ただの人間』でしかないから。
王都で剣を教えてと言ってもうそれなりの時間が過ぎた。だというのに僅かな上達も無く、何かを成した事も無い。
……だから、こうやって一人で待つことになるのも当然なんだと思う。
でも、何かやれる事は無いか。出来る事は無いか。
そうも考えてしまう。
確かに、私に出来る事はない。特に、戦いにおいては。
それでも、何もしないというのは嫌だった。
胸が締め付けられる。
何もしないのではなく、何も出来ないというのが……辛い。
「あ――」
そう考えている内に、遠く……町の外へ通じる門の方から、高い声が聞こえた。緊張を孕んだ、男性の声だ。
町の中心付近に居る私の所まで聞こえるくらい、大きな声。それが、何かの伝達である事が分かる。何人かの人達が引き継いで、町全体に伝えている様だった。
その声が段々と近付いてくる。声が言葉になり、意味が伝わる。
「――家の中に避難して、戸に鍵を掛けろ! 指示があるまで家から出ないように! 魔物が来るぞっ、だが、町の中まで入れないから安心しろっ!」
ふと。さっきまで大通りに集まっていた人達が、ほとんど居なくなっている事に気付いた。
ついで、その集まりの中心――大通りの中央に、まだ新しい血の跡が残っている。少量だ。多分、致命傷じゃないはずだ。
きっと、アマネさんに魔物の事を伝えて、そのまま仕事……アルストレラを囲む壁の上から魔物と戦う仕事に戻ったんだと思う。
皆が、やるべき事をやっている。
やれる事をやっている。
……私にやれる事は、何だろう。
アマネさん達が話していた内容を、今更ながら深く考える。
魔物が来ているという話に浮ついていた思考を、引き締める。
私が出来る事。私にしか出来ない事。
――それは、この『呪い』だ。呪いというしかない、『魔物を引き寄せてしまう体質』だ。
アマネさんはカルティナさんに、魔物が広範囲から迫ってきているから防衛するしかないと言っていた。
迎撃には二人で出ると。
他の『勇者』の方々は戦うのが、死ぬのが怖いから戦場には出ない。最初はそれを非難するような気持ちもあったけど、今は無い。
誰だって死ぬのは怖いし、死にたくないと思うのは当然だ。
それを『勇者』だからと、他人に押し付けるのが間違っているんだ。
「私に出来るのは、一つだけ」
なら、決まっている。
やれる事を、出来る事をするだけだ。
不思議と、躊躇いは無かった。
怖いという気持ちは消えないけれど、それで良かった。それが、私の『武器』だ。
――広い範囲から向かってくる魔物を一つの場所に集める。
私が囮になる。
カルティナさん達と別れて、しばらくの間立ち尽くして考えた答えが、それだった。




