第六十六話「港町にて」
「今日は、町をゆっくり見て回る気分じゃないですね」
「そうかしら」
ユウヤさんが船に乗って出て行った港で海を見ながらの一言。
カルティナさんから返ってきた言葉はいつも通りの平坦で、冷静な声。
けれど、そう言いながらもカルティナさんの目は海に向いたままで、その足は動こうとはしていない。
内心ではやっぱり心配しているのか、それともいつかのように――その内心をカルティナさん自身が理解できていないのか。
多分、後者なんだろうな。
海風に揺れる髪もそのままに、カルティナさんの視線はじっと海を見ている。その先を進んでいる船を追っている。
ただ、その瞳はいつもよりちょっと冷たいように感じる。言葉を替えれば――拗ねているように見えてしまう。
それはユウヤさんが魔物討伐に出る前の一幕。ユウヤさんとカルティナさんの遣り取りを見ていたから。
だから、そうやって海を進む船を眺めている様子が、不謹慎だけど可愛らしくて、クス、と小さく笑ってしまった。
「私は心配です」
「――きっと」
少しの間を置いて、カルティナさんが海から視線を逸らした。そして、私の方を見る。
「――私も、ユウヤを心配しているのかもしれないわね」
きっとと断言しながら、けれど断言しきれていない。
元魔族だというカルティナさん。ユウヤさんを知りたいと言っていたカルティナさん。
どこか人形みたいに怜悧で、けれどちゃんと生きているカルティナさん。
……元魔族という事は関係なく、今の様子はずっと人間らしいと思える。
まあ、たかだか十数年しか生きていない私が何を偉そうに、と言われたらそれまでだけど。
「ちゃんとそう言ったら、ユウヤさんも連れて行ってくれたかもしれないのに」
「それとは関係ないと思うけど」
ユウヤさんとカルティナさんが、珍しく口論をした。
いや、口論とは言えないのかもしれない。交わした言葉は一言二言。ただ、カルティナさんがユウヤさんと一緒に行きたいと言って、ユウヤさんが駄目だと言った。
カルティナさんはその結果に納得していないのは付き合いの浅い私が見ても明白で、その心情を素直に語ってくれた事からもよく分かる。
ああ、この女性はあの人と一緒に行きたかったんだな、と。
「大丈夫ですよ。ちゃんと、無事に帰ってくるって言ってくれましたから」
「だといいけど」
そう言いながら、また海の方へ視線を向けたカルティナさんの姿を見て口元が緩むのを自覚する。
年上の女性に微笑ましい……と思うのは失礼だろうか?
ただ、素直に「心配」だと伝えればいいだけだったのに。
「あら、まだここに居たの?」
「あ、アマネさん」
「新藤さんなら暫く戻ってこないと思うけど。ずっと待っているつもり?」
「……そうね」
ユウヤさんの見送りに来ていた人の一人。
この港町に住んでいる勇者のアマネさんが、朝からずっと波止場の近くに立っていた私に声をかけてきた。
聞けば、見回りの途中で目に付いたらしい。確かに、船は出ないのに、朝からずっと波止場で海を眺めていれば目立つ……かも。
アスピドケロンという魔物の所為で漁師の人達が誰も……本当に文字通り、誰も居ないから猶更だ。
最初は目付きの鋭さからちょっと怖い人かなと思ったけど、こうやって話すと気さくな人だし、その声音は優しい。
それに、ずっと海を眺めているカルティナさんを見る瞳には、優しさや心配……のような感情が宿っている気がする。
「気晴らしの観光はしないの?」
「あー……。今日は、そういう気分では……」
「だったら、もしかして今日は暇?」
「ええ」
その問いには、私じゃなくてカルティナさんが応えた。視線が、アマネさんの方を見る。
「そういう気分じゃない、かしら?」
「そうかもしれないです」
歯切れの悪い私の言葉に、アマネさんが苦笑する。そして、カルティナさんの方を見た。
「そういう時は身体を動かした方が、気が紛れるわよ?」
「そういうものなの?」
「そういうものよ……王都の方では引き籠っていたと聞いたけど、偶には外に出ると気持ちが良かったでしょう?」
それは私に向けた言葉。多分、ユウヤさんから聞いたんだろう……けど、引き籠っていたと言われると少し恥ずかしい。
でも。ああ、確かに、と。
私も王都にあるユウヤさんの自宅で籠るようになってから、物事を悪い方へ考えるようになっていたのを思い出す。
もうずっと『魔物を惹き付ける体質』のままなのか、とか。ずっと学校には通えないのか。もう友達と遊ぶ事も難しいのか、とか。
けれどこうやって王都の外に出て、知らなかった事を見聞すると、そう言ったことは考えなくなった。多分気持ち的な物なのだろうけど、アマネさんがいう事は理解できる。
そして、カルティナさんは……もしかしたら今も、物事を悪い方に、悪い方にと考えてしまっているのか、とも。
「そう、かもしれません」
「そうなのね」
アマネさんの言葉に同意すると、カルティナさんが海に背を向けた。こちらに向き直る。
「やっとこっちを向いてくれたわね」
「話は聞いていたわよ?」
「心ここに在らずだったじゃない――随分変わったわね、カルティナさん」
「……そうかしら?」
そういえば、天音さんは昔、ユウヤさんとカルティナさんと一緒に過ごしていたのだとか。
私みたいに、ユウヤさんが面倒を見ていたと聞いていた。
その事を思い出して、何とはなしにアマネさんの方を見る。カルティナさんとそう変わらない、高い身長の女性。
私の視線に気付くと、じっとこちらを見返してきた。
――優しい人だと知っているけど、その鋭い視線に見つめられると、まだちょっと怖い。
「昔のカルティナさんって、今とは違ったんですか?」
「そうねえ」
考え込むように顎へ細い指を重ね、視線が上を見る。
「変わらないわよ。今と同じ」
「……取り敢えず、昔はもっと無口だったわね」
「今よりですか?」
「ええ。新藤さんが必死に話しかけていたくらいには」
想像もできない。
というか、今だと毎日家でだらけているユウヤさんに小言を言っているイメージしかない。
頭の中でユウヤさんがカルティナさんに、必死に声をかけている光景を想像したが……あ、でも、簡単に想像できた。
「なんだか想像できます……」
「まあ、その想像の中のカルティナさんがツンツンしている風に考えたら、その通りよ」
ツンツンしていたんだ、昔。
カルティナさんの方を見ると、いつも通りの無表情。でも、ちょっと怒っているように感じるのは、昔話をしたからなのかな?
「何をしに来たの? 今は、昔のように暇ではないのでしょう?」
「少し辛辣……でも、元気が出て来たみたいで良かった」
「よく分からないわ」
「その逃げ口上も、昔のまま」
さあ、と。海風が、カルティナさんとアマネさんの長い髪を揺らした。
今日はよく晴れていて、太陽の温かさと海風の涼しさが心地よい。
「見回り兼散歩の途中で見掛けたから、声をかけただけよ。だから、そんなに怖い顔をしないで貰えるかしら?」
「睨んではいないわ」
「カルティナさんは美人だから、そんな目で見られると寿命が縮んじゃう」
「ぇー……」
あれ、実はこの二人って仲が悪かったり……?
今までは、そんな風でもなかったのに。
「冗談。新藤さんが貴女とジェシカさんの事ばかり気にしていたから、ちょっと嫉妬しただけよ」
「そう」
「あと――」
と、そこまで話した時だった。
遠くの方で、少しのざわめき。それが、私の耳にも届く。元魔族のカルティナさんと『勇者』のアマネさんにも当然聞こえたようで、今まで場にあった雰囲気が霧散する。
険悪という訳ではない。
どちらかと言うと緊張というか、堅くなっていた空気が幾分柔らかくなったような気がした。
「魔物が出たみたい」
「そうね。アスピドケロンに引き寄せられたのかしら」
「……よく聞こえますね」
私には町の方が少し騒がしいと感じた程度だったけど、二人はその会話の内容まで聞こえていた。
この辺りは、やっぱり普通の人間とは違うなあ、と感じてしまう。
「それじゃあ、また。新藤さんが無事に戻ってこれるよう、私の分も祈っていて」
そこまで言って、アマネさんが歩き出した。
こっちの言葉は聞いていないあたり、少し慌てているようにも感じた。カルティナさんの方を見ると、カルティナさんも私の方を見る。
「どう、しましょうか?」
「行きましょう。話を聞くくらいなら、安全でしょう?」
「はいっ」
と、即断。
私はただの……というか、ちょっと変わった人間だけど。
何か手伝えることがあるかもしれないし、ずっと海を眺めているより身体を動かしている方が着は紛れる。
それはカルティナさんも一緒だろう。




