第六十一話「勇者と呼ばれる人間」
「今日も来ていないんですね」
カルティナとデートの様な、ただの散歩の様な、港町を歩いた翌日の昼。
借りた部屋で戦い支度をしていると、窓から港の方を見ていたジェシカがどこか哀しそうにそう言った。
ちなみにカルティナは、何が気になるのか一階まで顔を洗いに行っている。上等な宿だから、呼び鈴を鳴らせば係員が水くらい持ってきてくれるのに。
……多分、アイツなりに気を使ったのだろうとは思う。
ジェシカだ。
昨日というか、アスピドケロンと戦った後から、少し元気が無い。それを気にしての行動か。
「あん?」
流石に本格的に戦う事になるだろうからと荷物から引っ張り出した勇者時代の服の具合を確かめながら顔を向けると、唇を尖らせているジェシカの顔。
まあ、年相応と言えば可愛らしいが、これから戦いに行く俺からすると何を膨れているんだと少し気になってしまう。
いや、まあ。最近は少し親しくなれたかな? と思う少女だし、笑顔で送り出してほしいし?
「他の勇者の方々ですよ。職人とか言っていた」
「ああ。まあ、来ないだろうな」
天音の話だと、職人を名乗る勇者は港町に三人。その全員が工房に籠っているそうだ。
その理由は分かる。
初めてこの港町に来た時に天音から感じた尖った雰囲気――初めて同郷の、地球から召喚された人間の死に目に遭った事による恐怖。
天音はその恐怖を忘れるために俺を呼んでアスピドケロンをどうにかしようと考え、他の三人は怖くなって工房に籠った。
それだけだろう。
「まあ、ジェシカさんや」
「なんですか? 急にお爺さんみたいな話し方で」
「勇者も人間なんだ。死ぬのは怖いって事さ」
「ぅ……」
同じ人間だというと、ジェシカが言葉を詰まらせた。
偶に居るが、勇者を特別――まあ、魔法が使えるっていう時点で特別なんだろうが、『何でも出来る』と勘違いしている人が居る。
その最たる例が――死なない。
厳密に言うなら、普通の人間なら死ぬような事でも、勇者なら何とかできるといった感じか。
「俺もそうだが、死ぬ時はあっさり死ぬんだ――誰だって死ぬのが怖いから、戦いたくないのさ」
「……ごめんなさい」
謝られた。
なんだか俺が悪い事を言ったような気がして、服を着終わってから自分が使っているベッドへ腰を下ろす。
ちなみに、三つ並んだベッドは真ん中がカルティナで、海が見える窓際がジェシカ。俺は窓が無い方である。
つまり、ベッド一つを挟んだ反対側なので、ちょっと遠い。その事に気付いて、カルティナのベッドへ腰を下ろし直す。
起きて間が空いているとはいえ宿のベッドなのに、もう既にベッドメイクされているのはカルティナらしいと言えるのか。
「気にしなくていいさ。そうやって気が付いて、謝ってもらえるだけで嬉しいから」
「……でも、ユウヤさんは行くんですよね」
「ん?」
「他の勇者の方々が行かないような戦いに、ユウヤさんは行くんですよね?」
「そりゃ、まあ。誰かが行かないといけないし」
誰も行かないと、この港町を住んでいる人達がここを捨てないといけなくなるから。
「誰かが行かないといけないからって、ユウヤさんが行かなくても――」
「まあ、そうなんだけどな。だからって、誰も行かないわけにもいかない」
「それは、そうですけど……」
「だったら俺が行くさ。幸いというか、他の連中よりは頑丈だし」
また、ムスッとした顔。この前、他の勇者連中が来ないと聞いて、怒っていた顔。
それが俺に向けられる。いや、視線は逸らされているのだけど。きっとジェシカが今怒っているのは俺に対して。
それくらいは、俺でも分かる。
「カルティナがほとんど顔に出さないから、なんだか新鮮だな」
「……私が、顔に感情が出やすいからですか?」
「ああ」
分かり易い。
俺のために怒ってくれている――心配してくれている。それが、分かり易い。
「ありがとう」
腰を曲げて膝に肘をつき、可愛らしくむすっとした顔を覗き込みながら言うと、ジェシカはあからさまに慌てた様子を見せた。
「――お礼を言われる事は何もしてないです。それどころか、これから戦いに行くのに嫌な顔をしてます」
「それで十分さ。心配してもらえている――こんなに嬉しい事はない」
本当さ、というとまた頬を膨らませてしまった。
ここ数日で、なんだか随分と子供っぽくなってしまったものだ。これも、ジェシカが呪われる前の日常で見せていた顔なのだろうか。
そうやって気を許してくれたという事なら、嬉しいのだけど。
「俺は、そうやって誰からも無茶苦茶を『求められる』のが嫌で勇者を辞めたってのもあるわけだが」
「…………」
「それと同じくらい、皆が見捨てるような理不尽に立ち向かえるくらい強くありたいと思っているんだ」
「……ユウヤさんは強いですよ。魔物だってやっつける事が出来るし、魔法だって使えるじゃないですか」
「そうじゃなくて――」
どう言ったものかな、と。悩んだのは一瞬。
まあ、変に格好つけて言うような事でもないのだから、言葉を迷う必要も無い。
「――困っている人が居たら、見捨てたくない。見捨てるのが当たり前で、助けるという選択が間違いだと皆が言うような事でも、逃げたくないんだ」
「ユウヤさん。それこそ、勇者っぽい行動だと思います」
「ちょっと違うな――俺は自分の意思で逃げたくないだけで、誰かから強要されて『助ける』のは嫌なんだ」
面倒だし。こっちに『助ける事』を強要するくらいならアンタが助けろよ、と思ってしまう。
誰だって、そう思うはずだ。
勇者だって万能じゃない。特別な力を持っていたって、ほんの少し特別というだけ。
戦えば疲れるし、怪我をすれば痛い。――殺されれば、死ぬ。
少し頑丈というだけで、俺だって普通の人間なのだ。
だから、助けたいと思う人だけ助ける。助けなければならない人だけ、助ける。
自分で何とかできる人、手助けをしてくれる人がいるなら、そっちは全部任せよう。
全部を助ける事なんて、きっと神様にしか出来ない事だから。
……笑いながらそう言うと、ジェシカは……ゆっくりと、深く息を吐いた。
「ユウヤさんはそうやって、沢山の人を助けるんですね」
「沢山じゃないさ」
なにせ、腕は二本。指は十本。
この手が届く範囲はとても狭くて、掴むことができる数も多くない。
それが俺の限界だ。
「でも、この港町を救おうとしています」
「港町とここに住んでいる人達だけさ。『勇者』に求められているのは世界を救う事だから、それに比べれば小さいし、少ない」
でも、俺はそれでいいと思う。
きっと、他の誰かが何とかしてくれるさ。だから俺は、他の勇者が匙を投げるような難題に挑もう。世界を救えない代わりに、手の届く範囲に居る他の誰もが助けない人を助けよう。
「よし、と。少しは元気が出たか?」
「はい」
「うんうん。これから死ぬかもしれない戦いに行くんだ、見送りは笑顔が良い」
「もうっ。そんな、縁起が悪い――それに、生きて帰るって約束したじゃないですか」
「ああ、そうだった。じゃあ、死ねないな」
約束は守らないと、と。
そこまで言うと、顔を洗いに出ていたカルティナが戻ってきた。
その後ろに、天音の姿がある。一階で会ったのだろう。
「準備は出来ているみたいね」
「おう。んじゃ、さっさと終わらせて、明日からはゆっくり観光を楽しむとするかね」
そう言って、気負いなくベッドから立ち上がった。




