第五十九話「軽い気持ちで」
「さて、どうしたもんかなあ――」
宿に戻って風呂で汗と海水を流してさっぱりしてから酒場に行って、戦って体を張った礼だと漁師の連中から飯を奢ってもらって、食べながら――。
「んで、なんでお前らも居るの?」
「丁度通り掛かったら、一緒にどうかってお呼ばれしたんです」
「少し早いけど、夕食に」
「早過ぎだろ」
まだ太陽は高い位置にある。昼時はとうの昔に過ぎているが、だからと言って夕食時とは言い辛い時間帯。
先日、天音を訪ねた時とは違う、賑やかな喧騒に包まれた酒場で、丸テーブルを挟んだ向こう側で軽食を口にしているのはカルティナとジェシカだ。
俺の前には鳥やら牛の肉を使った照り焼きやステーキ、彩りのあるサラダとロールパン。
切れ込みの入ったロールパンに肉と野菜を挟んで食べる。
カルティナ達の前には女性に人気らしい、沢山の果物で飾られたパンケーキが置かれ、こっちも男連中の奢りらしい。
どっちも美人、美少女だからなあ。
そう考えながら、空っぽの胃に食べ物を突っ込んでいく。
正直、今回は堪えた。空になった魔力を少しでも回復するために、食べられるだけ食べる。
食事が回復に直接作用するのかどうかなんて誰も調べていないが、しかし疲れた時に腹一杯に飯を食うと回復が早まる……ような気はする。
長年の経験という奴だ。理由みたいなものは、俺がそう感じたとか、そんな曖昧なものである。
一つ目のパンを食べ終えてそんな事を考えていると、天音が飲み物を持ってきてくれた。
微かな酒の匂い――果汁と割った飲み物みたいだ。
そんな天音の手には同じ飲み物が握られており、そのまま俺の隣にある席へ腰を下ろす。
「それで新藤さん、何か良い案はあるの?」
「あー……そうだな。まずは触手を一本残らず切り落とす所からかな?」
「その前に魔力が尽きるじゃない……」
「それにあの触手、斬った傍から再生していたしな」
一本は半ばから断ち切ったが、多分今頃はもう再生しているだろうな。もしくは、まだ再生の途中か。
どっちにしても、近いうちにあの傷は完治するだろう。
「じゃあ、玉砕覚悟で目玉を潰して、アイツの脳みそをかき混ぜるか」
「……ユウヤさん、食事中なんですけど」
「奇遇だな、俺もだ」
ジェシカの抗議する声に気の無い返事をして、肉と野菜を挟んだパンを齧る。胡椒や濃いタレの味付けが食欲をそそる。
もう二つ目だがあっという間に食べ終えて、三つ目に取り掛かりながら頭を悩ませる。
「こっちもな、目を狙っている間に触手で潰されて終わりだ。っていうか狙われた。死にそうになった」
「……簡単に言うような事じゃないと思うけど……。どちらにしても――外から攻撃するとなると、あの触手をどうにかしないといけないのね」
「そういう事。多分、鱗を剥がそうとしても邪魔されるだろうな」
そもそもあれだけの巨体、そして巨大な鱗だ。俺一人の力で剥がせるかは微妙な所である。確かに俺はこの世界だと――特に水の魔法を使っている間は結構な怪力だが、それでも限界はある。
後は――。
「陸に引っ張り上げて窒息させるか?」
「どうやって? 浅瀬に近付くと動きを止めるわよ」
「だなあ」
好物でもあればなあ――と呟いてジェシカを見る。
……こっちは最終手段だよな。本当。
気分転換に連れて来たのに戦いの道具として使うなんて、本末転倒もいい所だ。
「んじゃ、奥の手だ」
「なに?」
「口から入って、心臓を直接潰す」
「……ユウヤ、食事中なのだけど」
「ああ、俺もだ」
血生臭い話題が嫌なら、離れた場所で食べればいいのに。
そう思ったけど、周りは俺がアスピドケロンと戦うという話題だけで盛り上がって、酒盛りまでしている有様だ。
カルティナはともかくジェシカは酔っ払いの相手なんて慣れていないだろうし、それはそれで面倒そうなので離れろとは言わないでおく。
それにしても……まだ倒したわけじゃないし、それどころか倒す策すら思い浮かんでいないのだけど。
それだけ、色々とうっぷんが溜まっているのかね。
「……大丈夫なの?」
「さあ、どうだろうな」
「どうだろうな、って」
なにせ、アスピドケロンと戦うのが初めてなのだ。その口の中がどうなっているかなんて知る由も無い。
多分、どんな文献を探しても載っていないだろう。
アスピドケロンに喰われたモノは、帰ってきた記録が無い。船も、人間も。
「形はともかく、顔は魚だったんだ。内臓も同じ感じなら――口から入って心臓を潰せる」
「魚の構造なんて知ってるの?」
普通に驚いた声で、天音が聞いてきた。
つんと尖った声より、こっちの方が親しみやすい――と言ったら怒るだろうか。
「普通なら、エラの近く――小さな魚ならエラと一緒に包丁で抜き取るからあの近くだろ」
「普通の魚とは姿形が違い過ぎていると思うけど……まあ、倒すとなるとそれしかないわよね」
「大き過ぎるからなあ。あと、口の中なら触手の邪魔が無い」
言うは易し、だが、行うは難し。
何より難しいのは――誰も行った事が無いという事。
体内は魚と同じなのか、それともまったくの別物なのか。……そんな悩みを、溜息と一緒に吐き出す。
「ま、これしかないかなーとは思ってる」
風呂に入って気持ちを落ち着けながら考えた唯一の策。
あれだけの巨体を追い返すのは、不可能だ。
得物を見付けた獣を追い返すには、その獣に同等以上の『脅威』がある事を教えなければならない。
あのアスピドケロンにとって、勇者一人――いや、十数人だって、きっと脅威にはならないだろう。
それでは追い返せない。なら、もう討伐するしかない。倒して、アスピドケロンという存在を消すしかない。
それが、俺の考えた答えだった。
「そうね」
「他の勇者の方はどうしたんですか? その、この場に集まっていないんですよね?」
パンケーキを食べながら黙ってこっちの話を聞いていたジェシカが聞いてきた。
天音が、その質問に首を横に振る。
「残っているのは職人ばかりなの。――私は少し経験があるけど、他の皆は戦いの経験自体が無いから」
「……でも」
「ジェシカ」
それに納得がいかなかったらしいジェシカが何かを言おうとすると、優雅にナイフとフォークを使っていたカルティナが口を挟んだ。
「誰だって死ぬのは怖いのよ」
「…………」
カルティナの言葉に、ジェシカが唇を尖らせる。
不満をあらわにした視線を向けられたカルティナはいつも通りの無表情。黙々とパンケーキを食べている。
それに気付いて溜息を吐くジェシカ。その表情が強張っていて、緊張を解すためにわざとらしく声に出して笑う。
「変な顔をしてるぞ」
「心配しているんですっ」
「はは、ありがとな」
「もうっ」
茶化されたと思ったのだろう。拗ねてパンケーキに視線を落としたジェシカを、もう一度笑った。茶化したわけでも、もちろん馬鹿にしたわけじゃない。
本当に俺の事を心配してくれているのが分かったから、笑うのだ。
だって、そんな良い子に心配させるなんて悪いじゃないか。だから、大丈夫と笑って言う。
「死なないさ、この程度で」
少し冷めたステーキの最後の一切れを口に含んで、噛む。
「絶対ですか?」
「ん?」
「絶対に、生きて帰ってきますか?」
ぶすっと、僅かに頬を膨らませながら、視線を逸らしたままの言葉。
それに、大きく頷く。
「ああ。危なくなったら逃げるさ」
「逃げるのね」
「死んだらそれまで。生きているからこそ、次があるってもんだ」
死んで何も成せないよりも、生きて次に向かう方がマシである。
それに、まあ。
ジェシカの体質をどうにかしてやりたいという気持ちもあるし――カルティナを独りぼっちにしたくないというのもある。
だったら死ねないさ。
そんな事を考えながらカルティナを見ると、パンケーキから視線を上げて、俺をじっと見ていた。




