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【ウメ種】勇者を辞めた勇者の物語  作者: ウメ種【N-Star】
第二章
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第五十五話「アスピドケロン3」


「冗談じゃねえっ、これ以上待っていられるか!」


 海から触手が伸び、新藤さんを叩きつけてから数分。

 何度かの攻防を見届けた後、船の船長が声を上げた。


「おい、舵は俺が取る。帆を張れ! 港に引き返すぞっ」

「待ちなさい、まだ新藤さんが――」

「そんな事を言っている暇があるかっ。見ろっ、あの男はもう死んだっ」


 船員達が慌ただしく動き出す。

 先ほどまで凪のように静かだった海原に響く戦場のような爆音は、遠目でも巨木のように巨大な触手が海面に叩き付けられて出来る音。

 本当に、あれは爆弾だ。

 叩き付けられた海面に水柱が上がり、それは中型とはいえ私達が乗っている船よりはるかに高い位置まで昇っている。

 あんな触手を叩き付けられれば、いかに勇者として強靭な身体能力を持っていようが関係ない。潰れて死ぬ。

 でも――。


「あの人はまだ死んでないっ」

「時間の問題だっ。あの男が死んだら、今度は俺達なんだぞっ」

「船長っ! 風が出てきた、俺達は運が良いみたいだっ」


 張った帆が膨らむ。アスピドケロンが活動を始めた影響か、先ほどまで静かだった空に風が吹き始める。

 もしかしたらそれは、触手が起こす風なのかもしれない。

 どちらにしても、帆に風を受ければ船は動く。船長が急いで舵の所まで行くと勢い良く回して時計回りに旋回。一気に反転して逃げの行動に出た。


「まだ話は終わってないわよっ」

「アンタとの契約はこの場所まであの男を連れてくる事だ。これ以上は契約にねえよっ」

「くっ」


 慌てて動いている船員達を押しのけて、急いで船尾へ移動する。

 アスピドケロンの猛攻――というよりも、傍に居る小物を掃おうとする動きは激しくなっているが……それでも動いているのは触手が一本だけ。

 それはまだ新藤さんが生きている証拠でもあるのだが、それを言っても船長は話を聞いてくれないだろう。

 逃げるのが正しい。自分でも分かっている。

 それに、新藤さんなら――。

 そう思った瞬間だった。また海中から触手が飛び出し、その先端に新藤さんの姿。

 勇者というこの世界で特別な力を持つ私の目でも豆粒のように小さな、白い触手とは違う色合いの小さな人間の姿を何とか見る事が出来た。


「良かった、まだ生きてる!」

「んな――あの兄ちゃん、本当に人間か!?」


 優れた身体能力を持つ勇者であっても絶望的な状況だったというのに、あの人は触手を足場にして空中を移動していた。

 それを追って新たに数本の触手が海面から現れて追うが、その全部を足場に逃げている。

 ――なんて出鱈目!?

 私のように魔法が得意な『魔法使い型』とは違う、前線で動き回る『戦士型』。しかも彼には十数年という経験と、他の誰もが言う『誰よりも魔王に近い』という実績。

 それが新藤裕也という人間を支えているのか。

 同じ勇者でも驚くほどの動きで巨大な触手をやり過ごすと、海面へ着地。彼が得意とする水の魔法――魔力を通わせた海水を操って巨腕と成し、迫ってきた触手を掴んで止めた。

 そうしている間にも船は進み、さらに新藤さんの姿が小さくなっていく。


「新藤さん、もう逃げて大丈夫っ!」


 精一杯の大声を出したが、きっと聞こえていない。

 船から落ちそうになるほど身を乗り出してもう一度大声で名前を呼ぶが、彼は触手を掴んだまま微動だにしない。

 船がアスピドケロンから離れていく。

 あの巨大魚が侵入できない浅瀬がどの位置からなのか海に詳しくない私には分からないが、港はまだ遠い。

 巨大魚が動き出したらすぐに追いつかれる距離。例え巨大魚の本体が侵入できなくても、あの触手が届く距離なら掴まって終わる。

 ……私の得意な魔法は熱。炎ではなく、熱を起こす。ただそれだけ。

 相手に近付かなければ使えず、こんな海上では使い道が無い。

 そもそも、海上で戦える人間なんてそうはいない。足場が限られる船上では船から落ちれば終わりだし、海中に沈めば窒息するだけ。

 海面に立てるほどの水使いは限られ、それに頼るしかない。

 港町に残る勇者は、私のように戦闘向きではない。戦いが出来る勇者はすでにアスピドケロンの討伐を諦めて、町を離れた。

 足場が限定される海上では戦いにならず、そもそもあの巨体に傷を負わせる方法すら思い付かなかった。

 外部からの攻撃は一切受け付けず、なら内部から――と簡単に言っても、あのバケモノに喰われて体内に入るというのはそれだけで勇気が必要になる。

 勇気。

 ――勇気ある者。勇者の肩書きの代名詞だというのに、それを持っている人は……私も含めて、あの場には居なかった。

 だから呼んだ。頼った。

 他の誰もが私を非難しても、それでもこの町を守りたかった。救いたかった。だから新藤さんを頼ってしまった。

 その選択は間違いだったのか。

 あの人を死なせてしまうだけなのか。


「新藤さんっ」


 その声が届いたのか、触手を抑えていた水の腕が消えると同時に新藤さんがアスピドケロンへ背を向けて駆け出した。

 驚くほどの速さで海面を駆け、徐々に船へ近付いてくるのが分かる。

 それを追って触手が動き、十数本にもある巨大な触手はそのどれもが触れるだけで大怪我、叩き付けられれば即死という勢いで彼を追う。

 ――不味い。


「船長ッ」


 船員の一人、マストの上にある物見台から私と同じように新藤さんとアスピドケロンの動向を見ていた男が声を上げた。


「追いつかれる! こっちに来ますっ」

「くそったれが!」


 帆を張っている、触手の動きで波が出来て船を押している。それでも触手の方が早い。

 ――いや。

 見ると、その奥。

 アスピドケロンの本体。最初は背中にある甲羅の一部だけが海面から顔を出していただけなのに、その面積が増えている……?

 一瞬見間違いかと思ったが、違う。

 巨大な甲羅が動いている。こちらに近付いてきている。

 ゆっくりと、しかし確実に大きくなっている――その巨体が海面近くまで浮上してきているのだ。


「本体が来る!?」


 いやっ。

 船の船尾から下を見る。

 まだ浅瀬には遠いはず。だというのに海底がすぐそこに在った。

 違う。海底じゃない。――アスピドケロンの頭だ。

 私も、物見台に立っている船員も、触手の動きばかりを目で追って海中の動きを見ていなかった。

 すぐ真下にアスピドケロンの頭……それが浮上してくる。

 たったそれだけで海面が盛り上がり、まるで海中で爆発でも起きたような勢いで船が持ち上がる。


「掴まれっ」

「きゃあああ!?」


 船長が大声で何かを言った。耳で聞いたはずなのに頭に入ってこない。

 ただ必死に傍にあったロープを掴んで船から落ちないようにするのが精いっぱい。

 咄嗟に手を伸ばすと、甲板から転がり落ちようとした船員の手を掴む。


「――ひっ」


 その、すぐ真横。

 気配を感じて振り向くと、そこに巨大な『眼』があった。

 最初は巨大過ぎて黒い鏡か何かだと思ったが、アスピドケロンの目が私を見ている。

 心臓が高鳴る。喉が渇く。冷たい汗が流れ――息を止めてしまう。


「くそぉっ!? なんとかしてくれ、勇者様ぁ!」


 船が揺れる。アスピドケロンが浮上しただけで発生した波が船を制御不能の状態になるまで揺らし、一瞬の間をおいて多量の海水が頭上から落ちてくる。

 その頭部は、本当に魚。

 だというのに背には甲羅があり、下半身ともいえる尾の方には無数の触手が生えている。

 魚なのか、亀なのか、タコかイカなのか。

 改めて見ると、やはり巨大。海中に沈んでいる背びれ部分はまだ見えないというのに、それでも眩暈がするほどの大きさだ。

 様々な海の生物の特性を持つ威容。その姿は異様で、生物として何かが『間違っている』と感じてしまう。

 その巨体が船のすぐ隣にあり、そしてその目が私を、船を、『餌』を見ている。


「さっさと逃げろ、バカっ!!」


 その声は、見上げるほどに巨大なアスピドケロンの、さらに頭上から。

 まるで大岩のような頭部を越える質量を持った巨大な水の腕が頭上から魚の頭を殴りつけ、アスピドケロンの頭部が海中に沈む。

 同時に、ほんの一瞬だけ、新藤さんの姿が見えた。



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