第五話「少女の依頼1」
昼時を完全に過ぎ、夕食にはまだ早い時間帯。店内に人は誰もおらず、ロシュワは料理の仕込みを、サティアさんは買い出しに出掛けてまだ戻ってきていない。
カルティナもぼんやりと窓から通りの方を眺めているという寂しい店内で何をするでもなく時間を潰していると、ギィ、と木製のスイングドアが微かに軋んだ音を立てた。
振り返ると、おずおずといった様子で『少女』が店内へ入ってくる。
こういう場所は初めてなのか何度も周囲を見回していることから、誰かと待ち合わせでもしているのかもしれない。
「おい、ロシュワ。客だぞ」
「ん? ああ、ジェシカ嬢ちゃんか。こっちだこっち」
どうやらロシュワはその少女を知っているらしい。外見通りの大きな声で名前を呼ばれた少女は、目に見えて表情を明るくしながらロシュワの元へ歩み寄ってくる。
「客なんか誰も居ないんだから、大声を出さなくてもいいだろ」
「悪かったな。癖だよ、癖」
呆れて言うと、ロシュワもそう思ったのか少し恥ずかしそうな言葉が返ってきた。
そのロシュワの大声に驚いたのか、店を訪れた少女は来た時以上におっかなびっくりといった様子で店内を歩いている。
「は、はじめまして」
そう挨拶をして、ちょこんとお辞儀をした。
なんだか小動物みたいな子だなあ、というのが第一印象。
身長も低く、小柄。ともすれば、まだ十代前半の子供にも思える外見。
肩まで伸びた金髪は一房だけ三つ編みに纏めてリボンで飾られ、服装は商店が並ぶ大通りでよく見かける制服。
白のブラウスと、青のブレザーに似た厚手の上着。上着は所々がフリルで飾られ、それがまた少女の幼さに拍車をかけている。綺麗より可愛いといった印象だ。
その上から羽織られたマントは白い生地に金の刺繍が施された、一目でそれなりに値の張る品と分かる物。
上着の胸元にある金刺繍の紋章から、彼女が有名な騎士学校の生徒である事が分かる。
下は丈の短いプリーツスカート。健康的な細い脚は日に焼けておらず真っ白で、膝下まであるロングブーツを履いている。
身長が低くて童顔の、幼さを感じさせる少女だが、その胸だけは外見不相応に膨らんでいた。
金ボタンの並ぶ胸元は果物を詰めたように盛り上がり、そこにみっちりと脂肪が詰まっているのがよく分かる。突き出された小高い乳峰の下には贅沢な陰が作られ、ブラウスの首元を飾るリボンが乗っかってしまっている。
しかしそれは肥満からくる豊かさではなく、ベルトで締められている腰は驚くほど細く、中身が詰まっているのか疑わしく思えるほど。
成人女性でも多くは居ないであろう豊かな胸と細い腰つきに、若い少女特有の健康的な美脚。
最近の子供は成長が早いとか、そういうレベルではない。何というか、凄い。
胸は歩くだけでその柔らかさを存分に教えるように揺れているし、ブラウスなんて今にもボタンが弾け飛んでしまうのではと心配になるほど横に張り詰めている。
童顔と胸のアンバランスさに目を奪われていると、無言でカルティナから頭を小突かれた。
「ユウヤ、依頼人だぞ。挨拶しろ」
「……は?」
突然、ロシュワがそう言ってテーブルの上に新しい水入りのグラスを置いた。
そこにジェシカと呼ばれた少女がちょこんと座る。
恥ずかしそうに顔を俯けている様子は初々しくて保護欲を掻き立てられるような気がしないでもないが……ちょっと待て、と右手をロシュワの方へ向け、左手の指で眉間の辺りを揉み解した。
「は? 依頼人?」
「依頼人だ。近所に住んでいるジェシカ嬢ちゃん」
言葉を失っていると、耐えられないとばかりにロシュワが噴き出した。
カルティナも、表情はいつも通りの無表情だが、雰囲気が何だか明るい様な気がする。笑いを堪えているとか、そんな感じ。
「……いきなりで失礼だけど、何歳?」
「十五です。今年、騎士学校に進学しました」
その言葉を聞いて、テーブルに顔を打ち付ける。全身から力が抜けるのが分かった。
「……子供が来るようなところじゃないだろ」
「一応、昼間は食堂なんだが、ウチは」
「昼間っから酒を飲んでる客も居るけどな」
十五歳となると、元の世界では中学生……もしくは高校一年生という年頃。
地球の道徳観念があるとどうしても気になってしまう――なにせ十五歳。『未成年』という単語が頭に浮かぶ。
それが悪いのかと言われると全然悪くないしこの少女よりも幼い子供が依頼を出す事だってある、けれど、こんなにも若い依頼人を『俺』が受けるのは初めてだった。
「流石に若過ぎだろ……依頼料、ちゃんと払えるのか?」
「あ、はい。ロシュワさんに聞いて、これだけ……」
そう言って、少女はテーブルの上に革の袋を置いた。
カチャ、と金属が擦れる音が響く。それほど大きな音ではなかったけど、この年頃だとそんなにお小遣いとか貰ってないのかもしれない。
「まあ、報酬を払ってもらえるならこっちは何も言わないけど……その服装からすると、学生だろう? 俺なんかのところに依頼するより、学校の先生に相談したらどうだ?」
「ええっと……探し物が得意な人が居ないか相談したら、この酒場を紹介してもらったのですが」
「探し物か」
面倒そうだな、とは口に出さないでおく。
ただ、顔には出てしまったようでロシュワがコホンと咳払いをした。
「人がやりたがらない仕事でいいんだろう?」
「依頼人の前でよく言えるよな、お前」
「できなければ、酒場の店主などやってられんさ」
「あ、えっと……何か問題が……?」
「いいえ、なにも。初めまして、ジェシカさん。私はカルティナ、こっちはユウヤよ」
俺とロシュワを置いて、最初にカルティナが挨拶をした。ジェシカと呼ばれた少女が、頭を下げる。
「はい。ユウヤさんとカルティナさんのお話は、父やロシュワさんから聞かせていただいています」
「……話?」
何を話したんだと顔を上げてロシュワを見ると、赤毛の男は視線を逸らした。
「昔、勇者だったユウヤさん……ですよね?」
「あー……そっちか」
その言葉に息を吐くと、俺の昔を知っているらしい少女は首を傾げた。
そんな少女へ、ひらひらと適当に手を振って応える。
「あんまり『勇者』って呼ばれるのはのは好きじゃなくてな」
「そうなんですか?」
分からない、といった風に息を吐いて少女は水を飲む。
その手は少し震えていて、呼吸も少し乱れている。
最初はびっくりして震えているのかとも思ったけど、僅かに色付いた頬は酒場の雰囲気に驚いているのではなくこの状況に興奮しているのだと伝えてくる。
異世界の……それこそ、騎士学校に通っているような少女からすると、『勇者』というのはそれだけで羨望の的なのかもしれない。
人から信頼され、人に勇気を与える存在。
人を守ることを仕事とする『騎士』が憧れる者。
……まあ、俺にはもう無縁のものである。
「……やめていい?」
ロシュワに聞くと、首を横に振られた。
「お前は……駄目に決まっているだろ。受けるって言質も取っているしな。どうしても嫌なら、溜まっているツケをまとめて払ってくれ。全額、一括でな」
「鬼か、お前」
俺がその日の生活も危うい貧乏人だと知っているくせに。
だからこそ仕事を紹介してもらったのだから、ここで嫌だというのも、それこそわがままでしかないと分かっているけど。
隣を見ると少女が期待に満ちた表情で、けれど瞳には不安の色を宿して俺を見ていた。
……そんな顔をされると、助けてあげたくなってしまうから困る。
「それにしても、探し物か」
この広い王都で探し物である。
また面倒臭そうな依頼に溜息を吐きそうになると、先手を打って依頼人の少女からは見えない位置で背中を小突かれた。その痛みから、多分肘だ。
結構痛かったので声を上げてしまい、ジェシカが不思議そうな顔をして俺を見た。
「偶に変な声を上げるの。気にしないで」
「馬鹿だからな」
「……酷くない、お前ら?」
まあ、言われ慣れた事だけど。
犯人であるカルティナを見ると、彼女は素知らぬ顔でジェシカを見ている。
ここで文句を言ってもしょうがないので溜息を吐いて、背筋を伸ばしてジェシカへ視線を向けた。
「……それで、何を探せば良いんだ?」
「え、あの。依頼、受けていただけるんですか?」
「そのためにロシュワに相談したんだろ? こう見えても俺は、一度受けた依頼は断らない主義でね」
本音は面倒だとしか思わないが、金に困っているのも事実だ。
……仕事を選り好みできるほど余裕が無いとも言える。
「ジェシカ嬢ちゃん。コイツは馬鹿だが、腕は立つ。探し物も得意だからこき使ってくれ」
「馬鹿馬鹿言うな、バカ野郎」
睨みつけると、ロシュワはガハハと豪快に笑った。
真面目に仕事をしようとする俺が面白いのだろう――悪趣味なヤツである。まあ、俺も昔は似合わないウェイター服を着て慣れない酒場仕事に四苦八苦していたロシュワを涙が出るくらい笑ってやったけど。
「それで、何を探せば良いの? こんな所を通して依頼するくらいなのだから、大切な物なんでしょう?」
俺に代わって、カルティナが依頼内容を聞いてくれた。
「こんな所って……」
「見境なしに毒吐くよな、カルティナ」
内心でざまあみろと思いつつ、ジェシカの目を正面から見る。綺麗な翠色の瞳。まるで宝石のように透明で、少女特有の裏も表も邪気も無い瞳だ。
「母の形見を探してほしいんです」
少女はそう言って、頭を下げた。