第四十六話「カルティナとジェシカ」
「よいしょ、っと」
ユウヤさんから言われた通りに宿で部屋を借りて、馬車から荷物を移し終えたのはお昼時を少し過ぎてからだった。
部屋に空きが無かったので、借りたのは四人用の少し大きな部屋。
ベッドやクローゼット、部屋の中央には小さなテーブルと椅子が四つ。
物は少ないし、どれもそんなに大きくないけれど、宿屋の備品と言うには綺麗でしっかりとした造り。お値段の交渉はカルティナさんがしていたので、この部屋が一泊どれくらいしたのかは知らないけど、多分、結構高い。
馴染みのない宿屋、しかも結構なお値段がしそうな部屋と言うだけで少し緊張してしまい、なんだか椅子に座るのも悪い気がして、ベッドメイクがしっかりとされているベッドへ腰を下ろして一息吐く。
「結構、時間が掛かってしまいましたね」
「ええ。お腹は空いていない?」
「えっと、少し」
長旅と荷物運びをしても疲れた様子の無いカルティナさんは私にそう聞くと、僅かに思案するようその細い指を口元へ運んだ。
その些細な仕草も、よく似合う。
綺麗な人だ――と、そう思ったのはもう何度目だろう。
お人形のように整った美貌に、三つ編みに纏められた綺麗な栗色の髪。高い身長と、服から覗く細い手足。
本当に、文字通り『人間離れした』綺麗さ。王都で、男の人達に大人気なのも頷ける。
同性の私でも凄く綺麗だと思うから、男の人からすると物凄く綺麗なんだろう。
こう、羨ましいと思うよりも先に、凄いとか、なんとか。同じ女として私もこうなりたいと思うのではなく、線を一本引いて遠くから眺めているだけで良いみたいな気持ちになってしまう。
そんな、人間とは全然違う綺麗さ。
――魔族。
カルティナさんは、人間の天敵である魔族であり、けれど人間と――ユウヤさんと一緒に暮らしている家族である。
ユウヤさんが言うには『居候』らしいけど。
あれって本心なのか照れ隠しなのかよく分からない。
そんな風に言われてもカルティナさんは全然気にしていないし、ずっと一緒に暮らしているらしい二人は、私からすると『家族』にしか見えない。
そう言うと、なんとも微妙な顔をしていたユウヤさんを思い出した。
…………居候より家族の方が、きっとカルティナさんは喜ぶと思うけど。本人達は『家族』ではないと言う。
前は、その違いは何だろうと少し悩んだけれど、今ではそんなものなのかな、と思うことにしている。
だって、本人達がそう思っているのだし。部外者で、本当に居候でしかない私が口を挟むような事じゃない。
変に口を出して嫌われて追い出されたら――ユウヤさんはそんな事をしないだろうけど、同じ家に住んでいて怒られたり嫌われたら嫌だし。
それに、のんびりしている二人を眺めているのは、気持ちが落ち着くというのもある。
私は自分の体質に悩んでいる。
魔族に掛けられた呪い。魔物を引き寄せてしまう体質。
その所為で、今では周りの人からどんな目で見られているか――怖がられ、嫌われてしまったのかと気にしてしまう日々だけど、この二人はそんな事を気にしていないと分かるから。
この体質に悩んで相談した時と変わらないから。
……きっと、ユウヤさんとカルティナさんは、そんな『普通』に私がどれだけ喜んでいるかなんて、気付いていないんだろうなあ。
「流石に宿の厨房を借りる訳にもいかないし、何か食べに行きましょうか」
「はいっ――あ、でも。美味しいお店とか、カルティナさん、知っています?」
「十四年前に来た事があるから、少しはどんな店が何処にあるかは知っているわ」
それって、ずいぶん昔だなあ、と。十四年前と言うと、私が生まれて物心がつく前の頃だ。
「お仕事でですか?」
「ユウヤがまだ『勇者』をしていた時に。あの頃は私、彼をずっと追いかけていたから」
荷物からお財布を取り出しながら、カルティナさんが事も無げに言った。
その妙な言い回しに、私の好奇心がムクリと顔を上げる。
「追いかけていた?」
「言わなかったかしら? 私、ユウヤに助けてもらってからしばらく、彼を追いかけていたの」
「助けてもらって一緒に暮らすようになったとは聞きましたけど……」
しばらく追いかけていたって……どういう関係だったのだろう。
ちょっと気になる。だって、一緒に暮らしている人だし、人の恋路……っぽい話は聞いていると面白い。
それが元勇者のユウヤさんと美人なカルティナさんなら尚更だ。
ただ、カルティナさんはその辺りの感情に疎くて、照れたり笑ったりしないのがちょっと……だけど。
「人間の男に襲われそうになっている時にユウヤが助けてくれて、興味を持ったの。どうして魔族を倒すために異世界から召喚された勇者が、魔族を助けるのか。どうして弱い私を殺さず、守ったのか。それを知るために追いかけて――今は王都で一緒に暮らしているわ」
「それって、助けられて嬉しかったとか、ですか?」
「うれしい?」
私の言葉を繰り返しに呟いて、カルティナさんは首を傾げた。
「多分、違うわ。私は、ユウヤに興味があるの――彼を知りたいの」
カルティナさんはよく、「ユウヤさんを知りたい」と言う。それは本当に興味があるという感じで、恋愛感情とか感謝の念とか、そういうのは感じない。
でも、私からすると『助けられたから感謝して、好意を抱いた』――風に見てしまう。それは私が子供で、まだ恋愛というモノをした事が無いからなのかもしれない。
時折、恋に恋するなんて言葉を耳にするけれど、そんな感じなのか。
なんだか興味本位でこれ以上聞かない方が良いのかな、と思って私はベッドから立ち上がった。
「あ、ご飯、食べに行きませんか?」
「そうね。ユウヤが美味しいと言っていた店がいくつかあるから、案内するわ」
……ユウヤさんがカルティナさんには味覚が無いと言っていたのを思い出す。
一緒に暮らしていると分からない事がたくさん増えていく。
魔族と人間。
違う所が沢山あるのに、どうしてユウヤさんはカルティナさんを助けて、カルティナさんはユウヤさんと一緒に居るのだろうと。
「何か、聞きたい事はあるかしら?」
「え?」
「今はユウヤが居ないから、質問に答えてもいいわ」
借りている部屋から出る。
宿屋の三階。一番上の部屋。
三階には部屋が二つしかなく、その一室。窓からは港町アルストレラの大通りが一望でき、遠く、海と空が重なる水平線も見る事が出来る。
そんな、窓から見える海を背に、カルティナさんが言った。
「ユウヤは昔の話があまり好きじゃないから、家だと話せないの」
それは、昔話がしたいと言う事なのか。
そういえば、ユウヤさんを追いかけていたという話も、確かに家では聞かなかった。
これも、遠出……旅行をして気持ちが緩んだ影響なのかな?
「それじゃあ、ご飯を食べながら少し聞いても良いですか?」
「ええ」
それと、思い出す。
ユウヤさんが、カルティナさんは話す事が好きだと言っていた事を。
少し――心なしか嬉しそうに弾んだ声のカルティナさんを見ていると、やっぱり魔族だなんて思えない。
何処にでも……居ないか。
普通というには凄く美人。
でも、人間の女の人にしか見えない。
「どうかした?」
「いいえ。カルティナさんが楽しそうだなあ、って」
「楽しそう?」
私の言葉に、階段を降りようとしていたカルティナさんは首を傾げ、不思議そうな目で私を見る。
窓から差し込んだ陽光が逆光になってその表情が隠れる。
けれどそれは一瞬で、すぐにカルティナさんの表情が視界に映った。
それは――どう言えばいいのか。
言葉にするなら、きっと困っている顔。
「そう」
自分の気持ちに気付いていないのか、それとも興味が無いのか。足を止めたまま、興味が無い声でそれだけを言った。
カルティナさんは、何を考えているか分からない時が結構ある。でも、怒っている風ではない。
「それじゃあ、ご飯に行きましょう」
「ええ。……元気ね、貴女は」
「はいっ」
なんだか褒められたような気がして、元気に返事をする。
さあ、沢山お話をしよう。
この人が少しでも『楽しい』と思ってくれるように。なぜか、そう強く思った。
多分……失礼だけど、いつも無表情なカルティナさんが驚いた顔を見せてくれたから。だから、もっと他の顔も見てみたいと思ってしまったのだ。




