第四十五話「如月天音」
「…………」
「…………お久しぶりです、新藤さん」
さて、何から話したものか。
そう言葉に詰まっていると、向こう――アマネさんの方から声を掛けてくれた。
「え、っと。久しぶり、アマネさん」
「……アマネ『さん』?」
声が一オクターブ、低くなったような気がした。心なしか目付きも。
何か怒られるような事をしただろうかと考えてしまっていると、またアマネさんの方から口を開く。
「もしかして、私の事、忘れてる?」
「……あー、はー……昔、一緒に仕事をした事がある、くらいは」
「はあ?」
今度は一気に声の質が上がった。こう、なんというか……分かり易いくらい、怒っているような。
「嘘でしょ。私の事、忘れたの?」
「ぅ」
あれ?
俺って魔物退治の為に来たと思っていたけど、なんでいきなり女の人から怒られているんだろう。
若干の現実逃避をしながら、先程よりも鋭くなった視線から目を逸らす。
いや、もし何かあって、そして忘れているなら俺が悪いんだけどさ。
「へー、ほー。何も知らなかった私に色々と教えてくれたのに、それも忘れたって言うの?」
その言葉を聞いて、海に出られず気が滅入っていたにもかかわらず聞き耳を立てていた船乗りたちの一部が、妙にざわめいた。
まあ、分かる。
船の上というのは、基本的に女人禁制だ。
地球でも昔はそうだったが、女性を船に乗せると不幸が起きるとか何とか、そういう迷信がこの異世界でもあるらしい。
だからか、船乗りと言うのは船の上では必死に仕事をしながら太陽の熱に焼かれ、陸に上がると酒場で酒盛りをして女性の温もりを求める。
気が滅入っているとはいえ酒場で酒を飲んで、そして身近な所に女性が居て――もしかしたら、俺が来る前にこの女性に声を掛けて、失敗して落ち込んでいたんじゃないか……という気がしてきた。
「教えた?」
「私がこの世界に来たばかりの時、色々教えてくれたじゃない。勇者の事とか、生活の事とか」
「あれ? 二年前に仕事をしただけじゃ……」
「六年前にも会ってます」
鋭い視線が細められ、なんだか物凄く悪い事をしてしまったのではないかという気持ちになった。
あれ、本当に何も覚えていないぞ、と。
必死に記憶を掘り返そうとするが、なにせこの女性が言うには六年も前の事。意識して覚えようとしても忘れてしまう年月だ。
簡単に思い出す事なんか出来ずにうんうんと唸り……しばらくして黒髪の女性は溜息を吐いた。
「まあ、昔の事はいいわ。後でまた話しましょう」
「あ、はい」
後でまた話すのか……。
これで「思い出せません」と言ったらどんな目をされるのだろうと、悪い意味で心臓が高鳴ってしまう。
「それでアマネさ――」
「アマネでいいわよ、新藤さん。如月天音。昔は天音って呼んでたし」
「わかった、天音」
「ん」
名前を呼ぶと少し気分が良くなったのか、声音も柔らかくなったような気がする。
如月天音。ああ、確かに。フルネームを聞くと、なんだか昔、そういう人と話したような気がしてきた。
少し懐かしい気持ちになりながら、息を吐く。
「えっと、まずは仕事の話ね。いきなり呼んでごめんなさい、ちょっと面倒な魔物が沖に住み付いたの」
「アスピドケロンだったな。フューリーから聞いてるけど――他の勇者は何もしなかったのか?」
少し前にこの港町周辺で大規模な戦闘があり、王都の勇者の殆どが討伐戦に参加したと聞いている。
おかげでジェシカの騒動があった時に俺しか動けなかったのだが――と話すと、天音は溜息を吐いた。
「やったわよ、討伐戦。こっちは十一人。……でも、どうしようもなかった。だって、本当に島みたいに大きいんだもの。体を覆う鱗だけでも、川を渡るような小舟と同じくらいだったし」
「……そんなに大きいのか?」
「港どころか、宿屋の窓からでも見られるわよ」
「マジか」
「ちょっと、生物として大きさに問題があるレベル。どうやってあそこまで成長したのか、餌は何を食べているのか……調べようにも情報が何も無いし」
まあ、そうだろう。
アスピドケロンなんて、ベヒモスやドラゴンと同じ――災害と一緒だ。
魔物の有名どころ。陸の怪物ベヒモスに空の怪物ドラゴン。どうしようもない、人間がどうにもできないバケモノ。
ただ、勇者十一人でどうにも出来なかった相手を俺一人……って言うのは、流石に無茶振りが過ぎるだろう。
「新藤さん、水の魔法が得意でしょう? 何とか追い払えない?」
「まあ、フューリーにも言われたけど――どうだろうなあ」
と、絶対に出来るという自信はない。
ただ、向こうはいくら巨大で少し形が違うとはいえ、結局は魚だ。
ベヒモスが血の滴る生肉、ドラゴンが金銀財宝に目が無いのと同じように、魚という生物としての特性を備えているのだとは思う。
エラ呼吸をして、ヒレを使って水中を移動する。外界の温度に合わせて体温を変化させる変温動物。
魚の弱点と言えば、やはりエラ呼吸だろう。
魚のエラには毛細血管が張り巡らされており、そこに水を通す事で二酸化炭素を水中に出し、水中の酸素を取り込むという呼吸だ。
逆に言えば、魚は陸に上がれば呼吸が出来ない。
ただ――。
「アスピドケロンを釣る道具も、上げる陸も無いんだよなあ」
「神話レベルの話じゃない。地面を釣る神様の話とか、どこかにありそう」
「あったっけ?」
神話はあまり詳しくないんだよな。
先程頭に浮かんだベヒモスやドラゴンも、どこかの神話から名前を付けられた魔物だってくらいしか知らないし。有名らしいが、遭遇したのはドラゴンだけだ。
ベヒモスはまだ見たことがない。
……と言うのはさて置き。
「アルストレラに被害はどれくらい出ているんだ?」
「最初、追い払おうとした漁船が三隻沈められたのと、討伐に出た勇者が一人――」
「そうか」
まあ、殺そうとしたのだから……殺されもする。
視線を逸らして告げた天音は、あまり人の死には慣れていないようだった。もしかしたら『勇者の死』は初めてだったのかもしれない。
……話を聞く限りだと召喚されて六年も経つらしいし、それは無いか。単に、人の死に慣れる事が出来ない性格なのだろう。
「真面目だな」
「え?」
「いや、なんでもない。それじゃあ、大きな魚を見に行くかね」
これからどうするかはまだ話さず、取り敢えず立ち上がって伸びをする。
「案内するわ」
「宿屋の窓からでも見えるんだろ?」
「もっとよく見える場所があるの。少し歩かないといけないけど」
俺を追うようにして、天音も席から立つ。
シャツとジーパンの様なラフな服装に包まれた、スラリとした肢体だ。
出る所は出て、引っ込むところは引っ込んでいる。シャツの裾を結んでいるから、ウエストの細さが凄い。
理想的な肢体と言えるのかもしれない。
健康的に日焼けした肌と相まって、カルティナやサティアさんとはまた違った女性の色香のようなものを感じ――まあ、カルティナに色気ってのもなあ、と考えてしまった。
「どうかした?」
「……いんや。あんまり疲れたくないんだけどな。さっき、ここに着いたばかりだし」
疲れたように肩を竦めると、天音は分かり易く肩を落として溜息を吐く。
鋭い視線が一瞬だけ、ちょっと柔らかく緩んだ気がした。
「なんだか、随分変わったね。昔はもう少し――乱暴な感じだったのに」
「そうか?」
「……まあ、私の事は忘れてしまっているみたいですけどね」
咎める口調に気付かないフリをして、下手糞な口笛を吹きながら酒場を出る。
大きく息を吸うと、濃い潮の香りがした。
「ふう、生き返った」
「どうかしたの?」
「いや、むさ苦しい男達の、汗臭い匂いが凄かったから」
「しょうがないわ。船が出せないんだし――今まで獣狩りなんてあまりしていなかったツケね」
狩りをするより海に出たい。けど、海には出られない――というストレスで港町全体が落ち込んでいる様だった。
それにしても、どこへ案内されるのか。天音の後を追いながら、ズボンの上からでも分かる形の良いお尻を眺める。
――フューリーじゃないが、こんな美人なら六年前の事でも少しは覚えていると思うんだがなあ、と。




