第四十四話「港町アルストレラ2」
「はー……広い町ですね」
と、馬車の荷台から顔を出して呟いたのは、ジェシカだ。
王都と同じか、海側を壁で囲まれていないお蔭でそれ以上に広く見える港町へ到着してから、ずっとこの調子である。
聞くと、港町へ来たのは今回が初めてとの事で、王都や内陸部の村々とは違う雰囲気にずっと興奮気味だ。
「あの、ずっとしている……この独特な匂いは?」
「干物だそうよ。町が海に面しているから特産品である海産物を安全に王都や他の村へ運ぶ際に傷まないよう、ここで干してから出荷すると聞いた事があるわ」
ジェシカへ説明していたカルティナが、ついと視線を逸らした。
その視線を追うと、家の軒先に吊るされた大小様々な魚の開きが視界に映る。
「その生臭さと、磯の香りが混ざった匂いね」
「魚ばっかり、ですね」
「海のすぐ近くだからな。獣を狩るより、海に出て網を投げた方が危険も少ないんだろ」
勿論、海の中にも魔物は存在している。半魚人を筆頭に、ヴォジャノーイや人魚。大型になるとヒュドラやクラーケン、オクトパス。人間に似たスキュラ、ネレイス等々。
それでも大型の船で漁へ出れば、それらは船の上までくる事が出来ずに一応の安全は確保される。
……偶に、魚と一緒に網へ引っかかる時もあるらしいが。
それにしても一匹や二匹。陸の上で十匹近いゴブリンやオークに囲まれるより、船の上で数匹を仲間の漁師と一緒に囲む方が安全だっていうのは子供だって分かる事だ。
それもあって、港町では獣狩りよりも漁の方が盛んだとか。
「なるほど」
「まあ、でも。今は少し、活気が感じられないな」
港町の大通りを御者台から眺めて、そう呟く。
ずっと前に来た時は、もっと町の人達は活気のある顔をしていたと思う。王都ほどではないけれど、大通りには人が多かったとも。
けれど、今は大きな馬車が余裕で通れるくらいに人はまばらで、軒先に吊られた干物の数も少ない。
――まあ、沖に船どころかこの町よりも巨大な魚が居座っていれば、漁にも出られずに気分も滅入るか。
「お、っと。カルティナ、代わってくれ」
そう考えていると、目的の場所が見えてきた。
カルティナを呼んで手綱を渡すと、馬車の御者台から荷台へ移る。
「先に宿屋に行って、部屋を借りていてくれ。荷物も置いて、休むなり町を見て回るなり、自由にしていいぞ」
「あれ。ユウヤさん、どこに?」
そのまま荷台の後ろまで移動すると、すれ違う時にジェシカが聞いてきた。
「俺は酒場――」
「また、昼間からお酒ですか?」
カルティナのように咎める口調ではなかったけど、頭に「また」と付いている所が少し悲しい。
苦笑して「違う」と言う。
「ロシュワの店と一緒で、ここのギルドも酒場と兼業しているんだよ。顔出しついでに情報収集――あと、アマネって奴と会ってくる」
「……ユウヤさんが、真面目だ」
「俺はいつも真面目だよ」
「そうかもしれないわね」
どこまで本気なのか、カルティナがボソッと呟くと、堪らずジェシカが小さく噴き出した。
そこまで不真面目なつもりは無かったけれど、まあ、確かに最近は仕事らしい仕事をしていなかったのを思い出す。ジェシカが家に来てからだと、何もしていなかったような……。
「俺だって、実はジェシカが知らない所で真面目に仕事をしているんだよ」
「……そうだったんですか?」
わりと本気で驚かれてしまった。むしろ、そこまで驚かれた事に、こっちも驚いてしまう。
どれだけ不真面目だと思われていたのか、と。いや、実際に不真面目なんだけど。
「ふふん。今日からは、少し見直していいぞ」
「馬鹿を言っていないで、早く行きなさい」
「はいはい」
カルティナに急かされて、ゆっくりと大通りを進んでいる馬車の荷台、その後ろから飛び降りる。
一瞬、ジェシカが驚いた声を上げたが、カルティナはもう後ろの方等見ていない。馬車は少しも減速する事無く、宿屋がある方向へと進んでいく。
街の構造は、どこもシンプルだ。
客が取れる店――武器や服、宿に装飾品の店なんかは大通りに面した場所にある。少し値は張るが、人気というか、治安が良い店だ。
裏通りへ行けば治安は悪いが値段が安い店、掘り出し物が並ぶ穴場などもあるというのが、この異世界における大きな町の基本だろう。
カルティナ達が乗る馬車が大通りを進んでいるのをしばらく見送ってから、俺も歩き出す。
馬車の御者台から見えた酒場の看板。その建物へスイングドアを押してはいると、むわっ、とした熱気。
海から流れ込む湿気や、強い日差しだけじゃない。昼間っから酒を飲んでいる屈強な男達が詰まった建物特有の、濃い……なんというか、男臭さ。
最初の一歩で足を止めると、見慣れない人間が訪ねてきたからか、数人が入り口の方へ視線を向けて、けれどすぐに興味を失くして逸らされたのが分かった。
「気力が無いなあ」
聞こえないように小さな声で呟いて、酒場の奥へ。
この場に居る多くの男達に共通している事は、薄着だという事だ。上はタンクトップの様なシャツが一枚だけでロシュワほどではないけれど太い腕と鍛えられた胸板。肌は日に焼けて浅黒く、酒場に籠った熱気でうっすらと汗を掻いている。
重い荷物を運び、揺れる船の上で鍛えられた船乗りの肉体だ。
そんな船乗り達は酒を飲んでいるっていうのに、陽気さは欠片も無い。むしろ、酔っても溜息が出るくらいに気が滅入っているように感じる。
さて、いくら討伐出来ないくらい巨大な魔物が現れたとはいえ、ここまで人間が落ち込むものなのか。
「すまない。アマネっていう勇者に呼ばれて来たんだが、何処に居るか分かるか?」
「あら」
酒場の店主は、高齢の老婆だ。
他の船乗りたちと同じ日に焼けた肌には皺が浮かび、腰も曲がってしまっている。身嗜みはしっかりとして、綺麗な白髪はバレッタで纏められている。
薄手の白いシャツと蝶ネクタイ、そして黒のスカート姿は、年や性別は違えど、どこかロシュワを連想させる。
老婆は俺の言葉に明るい声を上げ、ついと、俺から少しだけ視線を逸らした。
肩越しに後ろを見ているように感じて振り返ると、むさ苦しい男達に埋もれるようにテーブルに座っている一人の女性が視界に映る。
「彼女が?」
「そうそう。昨日からずっと待っておりますよ。早く声を掛けてくださいな」
「は、はあ……」
なんだか、妙に明るい人だ。
それとも、周囲が海に出られない事で落ち込んでいるだけで、これが普通なのか。
その陽気な声に背中を押されながら、一人でチビチビと酒を飲んでいる女性の元へ。
アマネ。
地球から召喚された『勇者』の一人……らしいけど、やはり本人を見ても思い出せない。
多分、名前からして日本人だろう。
目を惹くのは、長い、ポニーテールに纏められても腰近くまである艶やかな黒髪だ。
まだ若い――多分、二十代前半。
上は胸元が大きく開いたシャツが一枚で、下はぴっちりとしたジーンズのようなパンツスタイル。シャツの下に着ているのは水着だろう。
ジェシカほどではないけれど豊かな膨らみを包む小さな布を見せつけるような服装で、けれどそこへ向けられる男の視線を気にしている様子はない。
少し焼けた肌は港町で生活しているからか、船乗り達のように全身が焼けているわけではないようで、少しズレた水着から覗く日焼けしていない白い肌がなんとも艶めかしい。
(うーむ)
ただ、と。
同じテーブルに誰も居ない事からも分かるが――何と言うか、雰囲気が尖っている。
オーラと言うか、視線と言うか。
カルティナの場合は『綺麗過ぎて』人を寄せ付けないような雰囲気があるが、こっちの場合は『目付きが鋭すぎて』誰も近寄らない……というか。
いきなりものすごく失礼な事を考えながら、どう声を掛けようか躊躇ってしまう。
いや、だって同じ地球人。しかも日本人だし。
フランクに声を掛けて良いものかどうか、ふと迷ってしまったのだ。
情けないと笑わば笑え。
人見知りするような性格ではないと自負しているが、それでも躊躇ってしまうくらい気配が尖っているのだ。
フューリーとロシュワの話だと、昔一緒に仕事をした事があるらしいけど。
(まったく思い出せん)
こんな独特な雰囲気の美人と仕事をしていたら、そうそう忘れないと思うけど。
そう思いながら取り敢えず、声を掛けてみる事にした。
「席、一緒にいいかな?」
「ええ、どうぞ」
やっぱり声も冷たかった。
大丈夫。
こういう対応はカルティナで慣れているから。
内心を知られたらカルティナにも怒られそうな事を考えながら、女性――アマネの対面の席へ腰を下ろした。




