第四十一話「仕事の依頼2」
――アスピドケロン。
要は、巨大な魚である。触手があったり亀みたいな硬い甲羅を持っていたりするけれど、海を泳ぐ魚……ただ、デカい。
どうしようもないくらい……本当に、そう表現する以外にないくらい、巨大な魔物だ。
なにせ。
「大丈夫。確認されているのは子供で、まだアルストレラの近くにある無人島と同じくらいの大きさらしいから」
「すみません、フューリー、様。無人島と同じくらい、ですか?」
「堅苦しい呼び方はいいよ、ジェシカ。もっと気軽に読んでくれ」
「は、はあ」
「それでフューリー様、どうしてその仕事をユウヤに?」
さっきの話を聞いていたカルティナがわざとらしく『様』を強調してフューリーを呼ぶ。
その呼び方にフューリーは一瞬口元を引き攣らせたか、咳払いをして誤魔化す。
「アスピドケロンは海中の魔物だから。水のある場所でなら、ユウヤが最も戦える。あと、向こうからお前が名指しされてる」
「魔物からですか?」
「いや、アルストレラに居る勇者の一人」
ジェシカの的外れともいえる言葉に、フューリーが苦笑した。
……先ほどから出ているアルストレラとは、王都の南にある港町の名前だ。
何度か行った事はあるが、最後に行ったのはもう何年も昔の話。俺を名指しするような勇者が誰なのか分からない。
「誰だ?」
「アマネだよ。覚えていないのか?」
「…………」
いや、普通に覚えていない。
晩飯のハンバーグもどき――どっちかというと、ほうれん草っぽい野菜入りの大きな肉団子――を食べながら首を傾げる。
アマネという名前から日本人だろうというのは予想できる。
けれど、本当に思い出せないのだ。
夕食を出してもらえず、けれど特に気にした様子もなく水を飲んでいるフューリーを見る。
「誰?」
「まあ、向こうは街を転々と移動して活動しているから覚えていないか。二、三年前に王都へ来て、お前と一緒に仕事をした女性だよ」
そういう勇者は多いからなあ、と。
俺みたいに十年以上も同じ場所に留まっている方が珍しいのだ。
なにせ異世界。広く、人の手が加えられていない豊かな自然が残る世界。
美しい自然も、目を奪われる景色も、未知の料理も。地球人が知らないモノが、この世界には沢山ある。
それを見て回るというのも、異世界生活の醍醐味と言えるだろう。
「ふうん」
「反応が薄いなあ。あんな美人に名指しで呼ばれたくせに」
「……本当、鎧兜を付けていない時のお前の相手は疲れるよ」
顔を覚えていないから美人だ何だと言われてもピンと来ない。
――と、そんな俺とは別に、珍しくカルティナの方が声を上げた。
「彼女ですか」
「知っているのか、カルティナ?」
「この場合は『覚えている』が正しい言葉だと思うけど――長い黒髪の女性だったはず」
「そうそう」
どうやら、俺よりカルティナの方がよく覚えているようだ。……というか、何年も前の話だし。
普通は忘れるだろ。
「そのアマネから直々の依頼だ」
「なんか普通に、お前の中では依頼を受ける流れになってるみたいだけど……俺、断りたい」
だって、相手はあのアスピドケロンなのだ。
甲羅と触手を持つ巨大な魚――巨大過ぎて、本当に島と間違ってしまうようなバケモノ。
遭遇すれば遠洋用の巨大な船すら簡単に沈める……というか丸呑みするような魔物である。いくら俺が水の魔法を得意としていて、戦う場所が海上だとは言え、どうしたものかと話を聞いただけで頭を抱えてしまうような相手だ。
正直、魔法が使えて頭も使う魔族よりもよっぽどヤバい。
「悩んでいるようだが、アルストレラで確認されているアスピドケロンはまだ子供だそうだ」
「魔物の子供、ですか?」
ジェシカが聞き返すと、フューリーは大仰に頷いて応える。多分やりたかっただけだろう。
「アルストレラの近くにある無人島、知っているだろ? あれくらいだ」
「感覚が狂ってんなあ……島と同じくらいって、どうしようもないだろ」
まあ、それだけ大きいなら浅瀬には侵入できないだろうし、そのおかげで港町は無事なのだろうけど。
「何となく分かってきたぞ。浅瀬に入り込めないが、そこに人間が居ると知っているから巨大魚が動かなくて困っているんだな」
「そういう事だ。最悪、倒せなくても追っ払ってくれればいいという話だ」
なるほどなあ。
まあ、倒さないとまた戻ってきそうだけど……正直、子供とはいえ島と同じくらいの巨体がある魔物なんて、今はどうやって倒せばいいのか想像もできない。
「それならまあ、楽かなあ」
「……でも、その、無人島と同じくらい大きいんですよね?」
ジェシカが心配の声を上げたが……。
「取り敢えず、港町まで行って実物と状況を見てからだな」
「そうか。行ってくれるか」
「名指しなんだろ? 受けるにしろ断るにしろ、顔を見せて挨拶くらいはするさ」
その程度の礼儀は知っているつもりだ。
それに――そう思ってジェシカの方を見る。
「偶には息抜きに、王都の外に出てみるのもいいだろ。最近は温かいし、海まで旅行ってのはどうだ?」
「そんな軽い話じゃ……」
「あまり難しく考えても、今はどうしようもないさ。その体質になってから王都の外に出てないし、息抜きに丁度良いだろ」
「そうね」
どうやらカルティナも同意見らしい。
その言葉を聞いて、ジェシカもその表情を少しだけ柔らかくした。口ではどう言っても、やっぱり王都の外に出たいという気持ちはあるらしい。
「ところで、報酬の方はどれくらい出せるんだ?」
「お前がこの前、王都の外壁に傷をつけたからな……その修理費を差し引いても、結構残ると思うぞ」
「……そうか」
どうやらこの依頼、受ける方向で考えないといけないらしい。
忘れていたというか忘れたかったが、結構大きく傷をつけたんだよな。カルティナを抱えて飛び降りたから。
「ま、いいか。ほら、いい仕事を持ってきてくれたから、晩飯、少し分けてやるよ」
カルティナお手製の肉団子を、ナイフを使って一口大に切り分けて、フォークに突き刺したままその口元へ持っていく。
「いいのか?」
「一口だけな」
そう言って食べさせようとすると、フューリーも口を開けて待つ。
……男に「あーん」なんて言うのもアレなので無言のまま食わせる事にする。
「んぐ――ゴブッ」
数回咀嚼した直後、フューリーが噎せた。
吐き出さなかったのは感心するが、酔っていた時以上に顔が真っ赤になっているのが面白い。
「どうかしら?」
「美味いだろ?」
カルティナが聞き、俺が内心を代弁する。
フューリーは……頑張って口内の肉団子を飲み込んだ後、一気にコップの水を飲み干した。
それを見てから、ジェシカが新しく水をコップに注ぐ。
「少し苦かった、けど。うん、美味しかったよ、カルティナさん」
「そう、良かったわ」
「お代わりもあるぞ」
「もうお腹いっぱいだ。残りは全部君が食べてくれ、ユウヤ」
そうかい、とだけ言って残っていた肉団子を食べる。
栄養を残すために湯煎されていない野菜を肉で包み、焼いたもの。野菜が苦いだけならいいのだが、その苦みが肉汁に混じって肉全体に広がっているのが問題だ。
なんと言うか、美味いのか苦いのかよく分からない。食べられるけど、噛み過ぎると凄く苦くなる。
……正直、悪くないというか結構美味い。個人的には、上手に出来ていると思う。
ちなみにジェシカは、自分の分は自分で作っている様だった。だって、肉団子の形が綺麗だし。
俺とカルティナのは少し歪だ……分かり易い。
「うん。今日も美味いぞ、カルティナ」
「そう。ありがとう、ユウヤ」
……やっぱり表情も声音も変化がないので、喜んでいるのか普通なのかよく分からない奴である。




