第四十話「仕事の依頼1」
「やあ。今帰ったよ、ユウヤ」
「帰れ」
夕方、そろそろカルティナが仕事から帰ってくるという時間帯。
輝いていた太陽が夕焼けに染まり、遠くに在る山々へその姿を隠そうとする頃、家の玄関にその男は立っていた。
ノックがあったので玄関まで行くと、見慣れない、けれど見覚えのある顔をした男だ。
明るい栗色の短い髪に、深い緑色の瞳。身長は俺と同じくらいで、その口元は僅かに緩んでいる。
肌は白い。ほとんど焼けていないが、それは室内に引き籠もっているという訳ではなく、着ている服は鍛えられた肉体の筋肉で膨らみ、俺よりも一回り大きく見える体格だ。
「ただいま帰りました、ユウヤ」
「おかえりカルティナ――で、なんでそいつが一緒なんだ?」
珍しい、と。
そう言うと、カルティナの隣に立つ男がカラカラと楽しそうに笑う。
「いやいや。久しぶりの休暇でね。ついついカルティナさんの店で飲み過ぎてしまったよ」
「ロシュワの店な」
まあいいけど、と。
「ユウヤさん、カルティナさんが帰って……」
戻ってこない俺を心配してか、家の奥からジェシカも顔を覗かせる。
それを見て、栗色髪の男――鎧兜を纏っていないので別人のように感じるが、王都を守護する騎士団の副団長であるフューリーはジェシカの方へ笑みを向けた。
「やあ、元気そうだね」
「え、っと……」
ジェシカとは少し話した程度でほとんど面識もないし、休暇中のこいつは……なんというか、軽い。色々と。
鎧姿できっちりと『副団長』をしているフューリーしか見た事がないはずなので、きっとコレが誰なのかすら分かっていないのだろう。
フューリーを見た後俺の方を不安そうに見上げ、そしてまたフューリーを見て俺へ視線が移り……。
そんなフューリーをどう思ったのか、ジェシカが俺の後ろへそれとなく体を隠した。カルティナは……いつもの無表情が僅かに曇り、半眼で俺を睨んでいるように見える。
あれは、俺にこの男をどうにかしろという顔だ。
「まあいいや。取り敢えずこっちに来い。折角だ、お茶くらいは出してやるよ」
「お茶より酒の方が良いんだが――偶には飲まないか?」
「俺はこれから晩飯だっての」
言外に晩飯までは付き合ってやると言うが、どうやらフューリーはしばらく家に居るらしい。
礼儀正しく靴を脱いで家に上がると、俺の肩を掴んでリビングまで移動する。
「酒臭え……どれだけ飲んだんだ、お前」
「昼からずっと。カルティナさんが酌をしてくれてな」
どうやら酔い潰そうとして失敗したようだ。だからしかめっ面だったのか、アイツ。
「なんだ。ウチでタダ酒でも飲むつもりなのか?」
「それも良いけど、今日は仕事の依頼だ」
「……酔う前に来いよ」
俺がそう言うと、「他の所にはちゃんと酔う前に行った」との言葉が返ってくる。
まあ、俺の所に依頼が来るくらいだし、他の……ジェシカの問題が起きた際に港町方面へ出て魔物退治をしていた勇者連中にも仕事を斡旋してきたのだろうと予測する。
勇者――地球からこの異世界へ召喚された、超常の英雄。
その勇者達の所にも依頼がいっているという事は、それだけ魔物や魔族による被害が多いという事だ。
また面倒だなー……とも思いながら酔っているフューリーをソファへ投げると、カラカラと笑いながら勢いよく座る。
酔っていても運動神経が良いっていうのは羨ましいもんだ。
「ジェシカ、水を持ってきてくれ。頭からぶっかけて酔いを醒ますから、樽一杯でもいいぞ」
「掃除が面倒だから、外に連れ出してくれると助かるわ」
「普通にお水を飲ませるのではだめなんですか……?」
頭から水をぶっかけようと思ったが、ジェシカから止められてしまう。その理由がなんとも冷たいのだが、まあ、これがカルティナのフューリーに対する扱いである。
酔い潰そうとしたり、水をぶっかけるのを容認したり――それでもロシュワの店へ顔を出してカルティナへちょっかいを出している辺り、かなりの猛者と言えるのかもしれない。
単に、面白半分で今の関係を楽しんでいるだけかもしれないけど。
「それよりユウヤ、お前最近、王都から出ていないだろ?」
「あん? まあ、そうだな」
王都に籠ってどれくらいになるだろうか。
たぶん、二年は遠出をしていないと思う。いや、出るのが面倒臭いのだ。
馬にしろ歩きにしろ、近くの村に行くにはそれなりの時間が掛かってしまう。それに、買い物だって王都に居れば困る事はない。
だから王都を出る必要性がない――出るとしても精々、近場で魔物退治や薬草摘みをする程度である。
「いかんぞー、まだ若いのに旅をしないなんて。俺と違って毎日が休みなのに、家に籠っているなんて」
「どこのおっさんだ、お前は……」
「兎に角座れ。お前にはとっておき、遠出の依頼を持ってきた」
「要らんわ」
なんで、好き好んで遠出をしなきゃならんのか。面倒臭い。
取り敢えず、放っておくとどこまでも絡んできそうなので言われた通りに俺もソファへ腰を下ろす。
丁度ジェシカが水を持ってきたのでフューリーに渡すと、酔っ払いはちゃんとジェシカに礼を言った。
……酔っていても女性全般には礼儀正しいんだよな、こいつ。器用というか、なんというか。
たぶん、女性の扱いっていうのが身に沁みているんだろう。
「カルティナ、晩飯の準備を頼む」
「いいの?」
「酔っ払いの相手は俺がしているよ。ジェシカも、カルティナを手伝ってやってくれ」
「え、っと。はい、わかりました」
「うん、良い返事だ」
「なんでお前が嬉しそうなんだよ」
陽気に笑う友人に呆れて溜息を吐きながら、さて、と居住まいを正す
「それで、依頼っていうのは?」
「その前に、南にある港町で魔物の大群が暴れたのは知っているか?」
「ああ。王都の勇者が総出で対応したヤツだろ」
丁度、俺がジェシカと出会った頃の話だ。
その勇者達が凱旋したおかげで新聞の一面がそれ一色になり、ジェシカの体質が不必要に広まらずに済んだのでよく覚えている。
「それがどうかしたのか?」
「残っている魔物が居るから、そっちを片付けて来てくれ」
「……簡単に言うなよ」
王都に居る勇者は、確か三十人前後。総出とはいえ全員が真面目という訳じゃない。
それを差し引いてもかなりの人数で、それだけの数で対応した魔物の大群――を俺一人でなんて、無茶振り過ぎる。
呆れて断ろうかとすると、フューリーはソファの上で大きく伸びをした。
「よし。酒が抜けてきた」
「……お前もう、一生酒を飲むな」
「酷いな。俺の数少ない心の安らぎを」
せめて酔うまで呑むなと言いたいが……まあ、いいと溜息を吐く。
「大丈夫、お前に倒してもらいたい魔物は海のヤツだけだ」
「海……ああ、半魚人か? アイツ、臭いもんな」
若い勇者達だと、生理的に受け付けないとかでそういうのを苦手としている。
分からなくはない。何せ、本当に臭いのだ。
腐った生ごみを数日放置したような匂いというか、近付くだけで鼻が曲がるどころか吐き気がしてしまうくらい。
サハギンは確かに群れるが、それでも精々が十数匹程度。それ以上になるとリーダー格のサハギンが群れを維持できずに別れてしまう。
なので、まあ群れが複数あっても各個撃破で何とかなる――だろう。
だから俺のとこに話が来たのかと勝手に納得していると、フューリーが俺の肩を叩いた。
「いや、アスピドケロン」
「…………」
「あす……なんですか、その魔物?」
「まあ、あまり聞かない名前だからな。もしかしたら、今の騎士学校でも教えていないかもな」
料理を運んできたジェシカへそう軽く言うフューリーは事の重大さというか、ソレがどういう魔物かを知っての発言なのだろう。
俺がムスッとした顔をしていると、それを見て笑う。
「取り敢えず、続きは夕食の後にしよう。いやー、久しぶりのカルティナさんの手料理だ」
「……はあ」
コイツ、俺が断らないと思って軽く言いやがって。
「え、食べていくの?」
「え?」
「話が終わったら帰ると思っていたから、作っていないわよ」
途端、物凄く落ち込んだ顔になるフューリー。ざまあみやがれ。
でも、カルティナの料理を自分から食べたいと思う所は、正直凄いとは思う。思うだけで別に何かしてやる訳じゃないけど。




