第四話「一日の始まり3」
昼時までに草むしりの用事を済ませると、近所の爺さんに別れを告げて家を出て近所にある行きつけの食堂へ向かう事にする。
カルティナの職場……というよりも、月に数回しかマトモな仕事が来ない『何でも屋』家業だけでは退屈だからと始めた、彼女の趣味のようなものだ。
その食堂を目指しながら遠くへ視線を向けると、この王都の中心に存在する王城が見える。小高い丘の上に作られた石造りの城だ。
その白亜の城には数百人からなる騎士、俺が住む城下町には数千から数万人は居るであろう住民。そして、王都の外には王族ではなく貴族が治める大小様々な町や村。
正確に数えた事はないけれど、人は数えきれないほどこの大地で生活している。
広い海に、大きな一つの大陸。
魔物が居るので外洋まで人は進出していないので、俺が知っている知識はこの大陸の事だけ。
そんな大陸に住んでいるのは、人間だけではない。獣の耳や尻尾を持つ獣人、人間に似ているけど耳が尖っていたり子供のように身体が小さかったりする亜人。
それ等を総称して『人』と呼び、人は魔の脅威を前に助け合いながら生活している。
王都の周囲は魔の侵入を防ぐ高い壁が築かれ、辺境の土地を管理する貴族達、そこにある村を守るために騎士や傭兵、ともすれば『勇者』すら雇う。
この異世界は、中世時代くらいの文化レベルだろうか。
貨幣があって商売は盛ん。
何を成すにもまずはお金が必要というのは現代社会と変わらず、違うとすれば科学がそれほど発達していない事と人種が『少し』増えたくらい。
移動には車の代わりに馬車を使い、地球と同じような動物や植物が生息している。
ある程度の知識があればすぐに生活に馴染めるし、不便と言えばインターネットが無い事と、電気が無い事。
風呂は俺が召喚された時には広まっていたけれど、家に風呂場を持っているのは裕福な家庭で、普通は家に風呂など無い。
多くの人は王都内にいくつかある大衆浴場で一日の汚れを落とす。
この辺りの感覚は江戸時代辺りと同じだろう。
たしかあの時代から、大衆浴場が盛んになった……と思う。
そんな事を考えながら石畳で舗装された道を歩いていると、目的の建物が見えてくる。
周囲の民家よりも二回りは大きく、少し屋根が高い建物。昼時と言う事もあり、まだ少し離れた場所だというのに中の喧騒が伝わってきた。
城下町で最も活気のある大通りから外れた場所。露店や商店ではなく民家が建ち並ぶ住宅街。
その中にある、一件の食堂兼酒場。
両開きのスイングドアを押して店内へ入ると、外にまで聞こえていた喧騒が直に耳に届く。
うるさいというよりも鼓膜が痛くなるような大きな笑い声は、昼間から酒を飲んでいる連中が原因だ。
その明るさに少しだけ足取りが軽くなったような気がしながら、定位置となっているカウンター席へ腰を下ろす。
「おう、ユウヤ」
カウンターテーブルの向こう側に立つ大柄な男が、その身体には似合わない繊細な指使いでグラスを磨きながら、微かな笑みを浮かべて声を掛けてくる。
この異世界では珍しくない赤毛に、同色の豊かな髭。日に焼けた剥き出しの腕は丸太のように太く、その腕や指は傷だらけ。日に焼けた肌も相まって、精悍という言葉がよく似合う。
身長は二メートルを優に超えているのではないだろうか。それなりに身長が高い俺でも見上げてしまうほど高く、その身長に見合うがっしりとした身体つき。
手に持っている標準サイズのグラスが、まるで子供用のコップに見えてしまうほど。
白いシャツに黒のベスト。そして黒のスラックス。
大柄な男が身に着けるには不釣り合いにも思えるが、これがなかなか似合っている。
獅子を連想させる外見だが、獣人ではなく人間だ。偶に間違えられているけど。
そんな男の後ろには棚があり、多種多様な酒瓶がずらりと並んでいた。
テーブルの向こうには綺麗に磨かれたグラスが並べられ、奥にあるキッチン……石を組んで作られた台所の上には火で熱せられたフライパンから芳ばしい香りが漂っている。
食堂兼酒場の『赤毛の雄牛』亭。店長である大男の名前はロシュワ。
この住宅地一帯の顔役にして、元傭兵。昔何度か一緒に仕事をした事もある知人であり、今では仕事を斡旋してもらう間柄。
あと、ツケでよく酒を飲ませてもらう間柄でもある。お蔭で、コイツには頭が上がらない。
「カルティナの嬢ちゃんから聞いたが、仕事を回してほしいんだって?」
「ああ。近所の草むしりやら薬草採りだと、少しばかり生活が苦しくなってきたんだ」
おどけて言うと、水の注がれたグラスが目の前に置かれた。
「お前なあ……ウチは傭兵に仕事を斡旋しているだけで、『何でも屋』に依頼を流す所じゃねえぞ?」
「偶にはいいだろ? ほら、誰も受けたがらない仕事とか」
「まったく。まあ、あるけどな……受けたがらない仕事」
差し出された水を飲みながら呟くと、ロシュワが呆れたように息を吐く。
「カルティナの嬢ちゃんは……と」
そして店内を見渡すと、カルティナを呼ぼうとした。
そのカルティナは、朝見たメイド服はそのままに、両手に持った料理を各テーブルへ運んでいる最中だった。
両手が塞がっている状況だというのにその動きに淀みは無く、最小限の動きで料理を配っていく。
そんなカルティナを目当てにしているらしい男性客の数人が囃し立てるが、カルティナはやはりというかその表情を動かさない。
どこか人形のようにも思える冷たい表情。
けれど、男達はそんなカルティナの『冷たさ』が良いらしい。……俺もだけど、本当男って美人に弱いよなあ、と思う。
「まあ、昼時が落ち着くまで少し待っていろ。飯でも食うか?」
「奢りなら」
「……なら水だな。お代わり自由だ、好きなだけ飲んで腹を満たしてくれ」
「酒場の水を全部飲み干してやろうか、コノ野郎」
「いきなり奢りとか言うな。どんだけツケが溜まっていると思ってやがる、バカ野郎」
取り敢えず、いつものように言い合ってから目の前に置かれた水を全部飲む。
すると、言った通りにロシュワは空のグラスに水を注いでくれた。
……本当に水を飲み干してやろうかと一瞬思ったが――。
「ふふ。まかない用の食材、少し分けてあげるわね」
ロシュワと話していると、キッチンから料理を運んできた女性が笑いながら声を掛けてきた。
赤毛の巨漢の隣に立ち、艶のある色香を放つ銀髪の女性は出来立ての料理をカウンターの上に置くと、頬に手を当てながら微かに口元を緩めた。
リボンで一纏めにして左肩から垂らされた長い銀髪、深みのある碧眼。表情は幼さを残し、ともすればまだ二十代に見えてしまいそうなほど。
身長は女性の平均くらいはあるだろうが、赤毛の巨漢と並ぶと小柄に見えてしまうのも彼女を年齢以上に幼く感じさせる一因だろう。
着ているのは清潔感のある白のコックコート。
垂れ目気味で、目元には泣きホクロ。
俺よりも若く見える美貌の持ち主は驚く事に俺より年上で、その上、目の前で巨体を揺らしながら今度は食器を洗っている赤毛の男と結婚していた。つまり、人妻なのである。
髭面の巨漢と童顔の美女。野獣と美女というフレーズが頭に浮かぶ。
その美女は、こっちに話を振りながら器用にフライパンを操って、余った食材を綺麗な料理に変えてしまった。
「……いつも思うけど、なんでお前にそんな美人の奥さんが居るんだ? 不公平だろ。不公平だ」
料理も上手で愛嬌もある。その笑顔に癒やされたいと思う男は数知れず。
人間離れした美貌を持つカルティナとはまた違った魅力のある女性。あっちが綺麗なら、こっちは可愛い。
結婚して十年くらい経つだろうか?
それでも熱の冷めない万年バカップル……それが、目の前の夫婦に抱く俺の印象だった。
だって、今だって並んで仕事をしながら態と腕をぶつけるように身体を擦れ合わせたりしてキャッキャウフフと笑い合っているし。俺の主観だけど。
……バカップルなんて滅べばいいのに。
「また何か変な事を考えていないか?」
「正当な感想だ……なんでお前みたいな野獣が、サティアさんみたいな美人と結婚できたの?」
「野獣とか言うな」
素直に聞くと、その隣に立つサティアさんに笑われた。
そのまま器用にフライパンを操って、まかない料理を大皿へと移していく。
作ってくれたのは、日本で言う野菜炒め。余った野菜に味付けして、焼いてくれたもの。あとそこに、パンを一つ付けてくれた。
ありがとうと感謝の言葉を口にしてから、手を合わせてフォークを握る。
「サティアさん一筋で誠実な性格。元傭兵という事で腕っぷしも問題無し、外見と内面の違いが女性にとってはとても魅力的に見えるからだと思うわ」
「……冷静に言わなくていいからな?」
料理を配り終わって戻ってきたカルティナの第一声にため息交じりの返事をして、まだ湯気を登らせる野菜炒めを食べ始める。
金が無い時はいつもこうやってまかない料理目当てに店を訪ねる……こういう情けない所も、俺がモテない一因だとはカルティナの言だ。俺もそう思う。
「……それでロシュワ、仕事があるんだろ? 出来れば簡単で、実入りが良いものだと嬉しいな」
「仕事を舐めているのか」
今日の目的を告げると、バカを見るような目で言われた。