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【ウメ種】勇者を辞めた勇者の物語  作者: ウメ種【N-Star】
第二章
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第三十八話「彼女の体質」

 カンカンと、小気味よい乾いた音が晴れ渡った空の下に響く。

 白い雲が少ない青く晴れた昼間。心地良い涼やかな風が裏庭に干した洗濯物を揺らし、畑仕事をしている人達がその涼しさに小休憩をしている。

 ふと、そんな人達がこちらを見ている事に気付いた。

 手で挨拶をすると、風切り音が一つ。

 ジェシカにせがまれた俺は家の裏庭で木刀を片手に剣の稽古中。

 そんな時に挨拶をして隙を見せたのだから打ち込まれるのは当然だが、その一撃はとても分かり易い。

 必死に一発を入れようと力んだ一撃は、大振りの打ち下ろし。


「脇が甘い」

「ぁぅっ!?」


 その一撃を半身になって避けると、眼前を木刀が通り過ぎていく。

 それが鼻先まで来ると、右手一本で持っていた木刀を軽く振り、その脇を優しく叩く。可愛らしい悲鳴が出ると、休憩中の農夫達から軽いヤジが飛んできた。

 曰く、「女の子を叩くな」らしい。

 訓練中なんだけどなーと心の中でぼやき、慌てて距離を取ったジェシカに倣って、俺も一歩後ろへ下がる。

 相手は、つい先日、騎士学校へ入学したばかりの新人ともいえない素人。

 剣の握りどころか、まず体格や筋肉の付き具合から『打ち合い』に向いていない少女は、息を乱しながら一生懸命剣を振って俺へ打ちかかってくる。

 それを受け、もしくは軽くいなし、彼女が体勢を崩して怪我をしないように気を付けながら付き合う。

 朝食を食べた後からだから、かれこれ二時間ほどか。

 最初は「剣の使い方を教えてほしい」と頼まれただけだったが、気付いたらこうやって打ち合っている。

 ……若さというか、ヤル気というか、勢いで付き合わされているだけと思いながら、久しぶりに身体を動かすのが楽しくて、こっちも少し熱が入ってしまった。


「そろそろ休憩にするか」

「は、はい……」


 これでもそれなりに体力が落ちたと自覚しているとはいえ、この異世界に召喚されて身体能力が強化されているからか、若さと勢いのあるジェシカの相手をしても息が乱れるほどじゃない。

 逆に、この二時間ほどをずっと動きっぱなしだったジェシカの方は、もう手に持つ木刀を握っているのがやっとの状態。

 短いスカートから伸びるしなやかな脚は、今まで見た中で一番プルプルと、まるで生まれたての仔馬のように震えてしまっている。

 きっと、服で隠れている腕も似たような状態だろう。

 明日は筋肉痛で動けないな、と他人事のように思う。


「疲れただろう?」

「はい……体力は、ある方だと思っていたんですけど……」

「まあ、ある方だろうな。普通なら、最初の一時間で音を上げる」


 ジェシカには悪いが、正直に言うと結構面倒臭かったので、最初の方は少しスパルタな対応をしてしまった自覚がある。

 普通は剣の使い方を教えるにしても体力づくりや型から入るのが自然だろう。

 どれだけ才能があろうと、何かを覚えようとするなら土台が大切だ。技術を支える土台――剣技なら体力だろうか?

 それを無視していきなり剣の打ち合いなんかしても、きっと何一つモノにならない。

 まあそれも、一時間くらい付き合って、楽しくなったから途中からはちゃんと……俺なりに教えたつもりではある。

 剣の振り方や構え、間合いの取り方。

 この異世界に召喚されて十六年。自己流――それこそ魔物や魔族と戦いながら覚えた『経験』からの剣技だが。

 どうやら俺達の訓練が終わった事を察したらしい観客達は、仕事に戻っていく。何人かは、ジェシカを応援してくれていた。

 美少女に甘いというか……全員が男連中だったが、まあ、まずまず受け入れられていると言うべきか。


「す、少し座ります……」

「どうぞどうぞ」


 そう考えていると、どうやら立っている事も辛いようで、ジェシカは家の軒先にある影になっている場所まで移動すると、そのまま勢い良く腰を下ろした。

 せめてもの礼儀か、木刀は投げ出さずに隣の壁に立て掛ける。

 ……しかし、あれだな。

 運動する為と言って騎士学校の制服を着こんでいるのはいいけれど、スカートで乱雑に座られると、色々と目に毒である。

 流石に十歳以上も年下の女の子にドギマギするような事もないが、指摘するのも気まずいように思え、気付かないフリをして近所に住む人達と共同で使っている井戸の方へ向かう。

 冷たい水を用意していた木のコップに注いでから、彼女の隣に腰を下ろした。


「ほれ」

「ぁ、ありがとう、ございます」


 小さく震える両手でコップを受け取ってから、一気に飲み干す。


「はあ――冷たくて美味しいです」

「そりゃあ良かった。息が整うまでゆっくりしてな」


 そう言って、俺も自分用に汲んできた水を飲む。

 しばらくそのまま、ジェシカと並んで何とはなしに遠くを見てしまう。

 木造の建物と、石造りの高い壁。澄んだ空気は運動して熱くなった肺に心地良く、深く呼吸をすると身体の芯が冷める様な感覚。

 運動不足の身体は気怠い疲労を気持ち良く受け入れ、このまま目を閉じて休憩したいという欲求をなんとか我慢。

 今眠ったら気持ち良いだろうが、多分風邪をひくだろうなあ、と。

 春が終わり、これから夏という季節。

 異世界とは言え日本と同じ四季があるこの国は、今は昼寝に丁度良い季節なのだ。


「そろそろ、騎士学校へ行けなくなって不安か?」

「……お見通しですか」

「いきなり剣の使い方をなんて言われたら、他に思い付く事もないしなあ」


 からからと笑って、残っていた水を一気に飲む。


「学校だと、そろそろ実技を教える時期だろうし……まあ、お前の気持ちは分からないわけじゃない」


 いつか学校へ戻った時に、皆と一緒に居られるようにと思っての行動だろう。

 夜に隠れて勉強している事も、学校の友達が登校しているのを羨ましく思っている事も知っている。

 ……というか、ジェシカがどう考えているかは知らないが、友達と一緒に学校へ通いたいという態度が顔によく出るのだ、この子は。

 不安や悲しみ。そして、どうにかしないと、という焦り。

 そんな顔をされて「剣を教えてほしい」なんて言われたら、まあ、こっちも応えないわけにはいかないだろう。

 ……最初は面倒だと思った自分が悪いとは思えるくらいに、ジェシカは一生懸命だった。

 なので、溜息を吐く。


「どうかしましたか?」

「……いや、自分の……こう……まあ、あまり気にしないでくれ」


 自分の汚さというか、なんというか。

 情けなさに溜息を吐いていたとは、流石に言えない。


「まあ、呪い……って単語が適切かは分からないが、その体質と向き合っていくなら、やっぱりジェシカ自身が魔物を『怖がらない』ってのが一番簡単だろうな」

「言っていましたね。怖がる感情が魔物を引き寄せて、私は魔族の魔法でその感情が人よりも強く出てしまう、って」


 先日、ジェシカに魔法をかけた魔族はそう言っていたのを反芻する。

 魔法をかけた相手を殺しても解けない魔法――本当に、呪いだ。

 いつかは解けるのかもしれないけど、同じ魔族であるカルティナでも知らない類の魔法だ。効果が切れるのを待っていたらジェシカの一生が終わっていました――では笑えない。

 考えられる限りで一番簡単なのは、やっぱりジェシカ本人が魔物を怖がらない事だろう。

 魔法で恐怖の感情を増幅しているのなら、その元になる恐怖を感じなければいい。

 まあ、人間が感情をそんな上手に扱えるはずもないのだが。


「さて、どうしたもんかねえ」


 この子を家に置いて、高い壁に守られた王都の中で生活するなら魔物を引き寄せるほどの恐怖を感じる事はないというのは、今の生活を見ていれば分かる。

 でも、いつまでもこうやって周囲から守られながら生活するなんて、ジェシカには無理だろう。

 現に、今だってストレスを感じているようだし。

 いつか爆発して、学校へ行きたいと言い出すかもしれない。友達と遊びたい、気晴らしに遠出をしたい……この年頃だと、それが当然なのか。

 今のままだと、遊ぶ事にだって制限がかかる。

 どうにかしてやりたいとは思うが、どうすればいいのか分からない。

 魔物退治は得意でも、女の子一人を救えない辺りが俺らしいと言えるのか――。

 そんな事を考えながら、息の整ったジェシカを見て、立ち上がる。


「取り敢えず、飯にするか」

「あ、もうそんな時間ですか?」

「今日は俺が作るか……疲れているだろ?」


 何気なくそう言うと、なんだか、物凄く驚いた顔をされた。


「ユウヤさん、料理、出来るんですか?」

「まあ、うん。家ではいつもカルティナが作っているから、そう言われるのもしょうがないよな。うん」

「あ、いえっ。いつもカルティナさんが料理をしていたし、その……美味しそうに食べていたので」

「安心しろ。一応、人並みに簡単な料理は出来る――と思う。肉とか野菜とかを焼くくらいだけど」


 それだってちゃんとした料理だ。食べられるし腹が膨れる。

 そういえば、まともに火を扱うのは何年振りかなあと冗談で呟くと、ジェシカは困ったような顔をした。

 ……ちょっと面白いと思ったのは内緒だ。


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