第三十六話「彼女が見る綺麗な景色」
「よいしょ、っと」
「荷物は運び終わったか?」
「……せめてソファから起きて声を掛けたらどうかしら、ユウヤ」
「疲れているんだよ。筋肉痛。昨日、働き過ぎたから」
「ユウヤさん……」
家から荷物を運んできたジェシカの悲しげな声を聞くとなんだか情けない大人になった気がして、溜息を吐いてソファから身体を起こす。
こう、目に見えて年下というか、娘くらいに年が離れているからだろうか。まだ十六歳差だけど。
カルティナの小言には慣れたけど、ジェシカの悲しそうな声にはどうにも慣れない。
まあそれも、そのうち慣れるだろうけど。
身体を起こして声がした方へ視線を向けると、そこには数個の木箱が置かれていた。
中には今日から増える同居人の私物が納められている。
ジェシカの私服やら勉強道具、あとは彼女が大切にしているぬいぐるみなど。
大きな……ウサギだろうか?
耳が大きな動物のぬいぐるみが、木箱から目元から上を覗かせこちらを見ていた。
「空いている部屋を勝手に使っていいからな」
「案内するわ。昨日掃除しておいたから、綺麗なはずよ」
ジェシカの体質は、結局治らなかった。
王都の危機だからと魔物討伐から急いで戻ってきた勇者連中、王城の学者達。昔の伝手を利用して事情を知らせて治療法がないか調べてもらったのだが、どうしようもないというのが共通の答え。
少なくとも、今すぐは。
時間が経てば『魔法』の効果が切れるかもしれないし、ふとしたことで解除されるかもしれない。
調べるから時間をくれというのが答えだったので、落ち着くまで一緒に暮らすことになったのだ。
危険な彼女をどうするか……王城の方では王都からの追放という流れだったが、まあ、それを薄情とも思わない。
簡単な計算だ。
一万人の安全のために一人を切り捨てる。
国を治める為には当然の選択だろう。誰だってそうする。俺だって、事情を知らないならその選択肢を視野に入れる。
けどまあ、ジェシカの事情を知っているし――そういう選択が嫌いだから『勇者』を辞めたんだし。
カルティナの時と同じく、俺が引き取る事にした。
ジェシカの体質は負の感情を普通の人より多く外へ漏らしてしまうもの。
だったら俺やカルティナが傍に居れば、魔物に恐怖などは感じないで済むだろう、と説得した。
彼女は親父さんと二人暮らしだったが近所だったので、顔を合わせる事はいつでもできる。
むしろ、カルティナが居るとはいえ男の家で過ごす事の方に難色を示したほどだ。結局、事情が事情なのですぐに納得してくれたけど。
あの難色も、どちらかというと別れと言うか、別居を悲しんでいた風にも見えたし。
「でも、驚きました。カルティナさんの事、沢山の人が知っていたんですね」
荷物の入った木箱を抱えながら、ジェシカが言った。
ちなみに、その親父さんは今日も仕事らしい。
ジェシカの生活費は払ってくれるらしいので、これからは毎月、ある程度の収入がある……といっても、それで安心出来る事でもないけど。
「沢山といっても、王族に貴族の一部、それに騎士団の何人かとロシュワにサティアさんだけど。一応、元とはいえ『魔族』だからなあ。隠せる事じゃないし」
「昔は私の事を隠そうとして、他の『勇者』達と揉めた事もあったけど」
「……さあ、どうだったかな」
あまり思い出したくないので言葉を濁すと、ジェシカが「はあ」と気の抜けた声を出した。
「それが、ユウヤさんが『勇者』を辞めた理由ですか?」
「どっちかって言うと、嫌われたからかな?」
「嫌われた?」
「魔族のカルティナ。普通なら殺さないといけない関係なんだろうけど、見捨てたくなかったんだ――けど、それって、他の人達からすると俺だけじゃなくて自分達も危険に晒されるって事だろう?」
だから、周囲から嫌われた。
周りの人を助けるのではなく、自分の我を通したから。
カルティナは今でこそ受け入れられているけど最初の頃は、それはもう――魔族だからっていう理由で敵視されて、俺が居ない間に他の『勇者』から殺されそうな目に遭ったこともある。
それもまた、俺が『勇者』を辞めた一因だった。
傍に居て守ってあげないと、カルティナに危険が及ぶから。
……そんなこと、恥ずかしくて口が裂けても言わないけど。
「でも、そんなカルティナと、そしてジェシカを俺は見捨てないぞ。俺って、困っている人は助けたくなる性質なんだよなあ」
「自分で言うと格好悪いわよ、ユウヤ」
「…………」
一言多いな、チクショウ。
コホンと咳払いをすると、ジェシカが笑った。
「ま、あまり気にし過ぎないようにな。何かあったら――」
「ユウヤさんが守ってくれますか?」
そう言えば、騒動の最中。カルティナがそんな事を言ったような言わなかったような。
気恥ずかしくなって、溜息を吐く。
「面倒を見るって決めたからな。決めたからには、最後まで世話をしないといけない」
「ペットか何かですか、私達は……」
「……そこに私まで含めないでほしいのだけど」
言いながら、二人は荷物を運んでいく。
それを途中まで見てから、またソファへ腰を落とした。
欠伸が出る。
……多量の出血に天候操作の真似事。大量の水を操って、最後には自分の血液まで武器にした。
大判振る舞いにも限度がある。
血気盛んだった十代の頃ならいざ知らず、三十を過ぎれば筋肉痛に襲われ、疲れなんて体の芯に数日は残る。それがまだ抜けず、どれだけ眠っても眠り足りない。
もう一度欠伸をして、ソファへ横になる。
目を閉じると、離れた場所から聞こえる明るい声と、聞き慣れた静かな声。賑やかと言えるのだろう。けれど、すぐに眠れそうな気がした。
「また寝てる……ユウヤさん、昼間から寝ていると夜に眠れませんよ?」
「……疲れてるんだよ」
「そう言って、昨日は眠れずに夜遅くまで起きていたじゃないですか」
何で知っているんだろうと目を開けると、ジェシカが俺を見降ろしていた。
カルティナには無い豊かな胸が、彼女の顔半分を隠してしまっている。
「家、近いですから。窓から明かりが見えたんです」
「……そんなに遅くまでウチを見てたのか?」
聞くと、クスリと笑って彼女は残りの荷物を運ぶために玄関の方へ。代わりに、今度はカルティナが見下ろしてくる。
「仲が良いわね」
「そうか?」
世間話程度は以前からしていたような気もするけど、カルティナからすると仲が良いように見えるらしい。
「ええ、何となく分かるわ」
「なにが?」
「あの子は私と同じ。なんだと思うから」
よく分からないが、いつもと同じ平坦な声だけどどこか喜色を滲ました声音に欠伸で返事をする。
「変わっているわね、ユウヤは」
「あん?」
「私もあの子も。『勇者』からしたら、倒すべき敵のはずなのに」
「……だからさ。俺はもう、元『勇者』なんだよ」
そう言うと、カルティナは俺から視線を逸らした。
その目が窓の外を見る。
綺麗な紅玉色の瞳が外の景色を反射しているのが見えて、しばらくしてカルティナの瞳を見つめていることに気付いて視線を逸らす。
「きっと」
そんな俺に気付かず、カルティナはいつもの調子で――感情の起伏が分かり辛い、平坦な声で言った。
「この景色が、奇麗なのでしょうね」
「いつも通りだろ」
何も変わらない。
子供たちは学校に行って、大人たちは仕事をしたり家の掃除をしたり。
いつも通りの風景。
日常の光景。
それだけでしかない――と思っていると、カルティナは首を横に振った。
「ジェシカが居るわ」
「ん?」
「きっと。ユウヤ以外の『勇者』が動いていたら、ジェシカは王都に居ない」
「……そうだな」
「ユウヤ以外の人と出逢っていたら、私もここには居ない」
カルティナは……笑っているようだった。
表情にも声音にも変化はないけれど、なんだか、そう感じた。
視線を追うと、窓の外。俺の位置からは、青空しか見えない。
「ユウヤは、この景色を綺麗だと思う?」
「お前はどう感じる?」
「さあ、どうかしら――ただ」
そこでいったん言葉を切って、カルティナは外へ向けた視線はそのままに、ゆっくりと息を吐く。
「貴方と同じ景色を眺めている、と感じるわ」
「そうか」
軽く言って、目を閉じる。この話はもう終わり、と言外に告げると傍にあった気配が遠ざかっていくのが分かった。
「貴方が見せてくれた景色。貴方が居るから見る事が出来た景色――こんな時は、どんな言葉を向ければいいかしら?」
「さあな」
欠伸をしながら言うと、微かな――息を吐くような、軽い、笑い声。
「ありがとう」
最後に、そんな声が聞こえた。
柔らかくて、温かな声。初めて聞くようなカルティナの声だった。
もしかしたら表情を変えて笑っていたのかもしれない。
そう思いながら、眠りに落ちた。




