第三十五話「勇者の在り方5」
「天候を操れるのか、貴様!?」
「んな、大層なもんじゃねえよ」
雨が降る原理っていうのは単純だ。
雲の中にある氷の粒――上空は気温が低いので水蒸気が凍って雲となるのだが、それが地上へ落ちてくる過程で溶けたもの。
それが雨の正体。
なら――少し『魔法』を使って、雲に含まれる氷の粒を地上に落とすように仕向ければいい。
普通なら雨が降るような雨雲が無くても、雲なら何でもいい。
この一時だけ、水を用意できるなら。
「だが、状況は変わらない。――これだけの魔物をどうする!」
はっ、と。
俺は鼻で笑った。
数えるのも億劫な魔物に囲まれ、周囲には沢山の廃砦の瓦礫。どれだけ水があろうが、俺が『質量』のある攻撃が苦手というのは変わらない。
それでも。それでも笑ってしまう。
ああ、そうだ。
笑ってしまう。単純だ。単純な事だ。
「ジェシカ、見ていろ」
「え?」
「もう怖がる必要なんかない。怯える必要なんかない」
水を纏った右腕の具合を確かめるように握ったり開いたりすると、その動きに合わせて巨大な水の腕も連動する。
うん、大丈夫だ。
問題ない。
「死にたくないなら俺が守ってやる。生きたいなら好きなように生きていい――だから、もう怯えなくていいぞ」
恐怖の感情が魔物を引き寄せるというのなら、怖がらなければいいだけの話だ。
そうすればジェシカは魔物を引き寄せないし、普通の生活を送る事が出来る。
そう単純ではないのかもしれないけど、今はそう思うことにする。
――難しく考えている余裕もないのだし。
さあ……さっさと終わらせてしまおう。
「おい」
「なに?」
「――お前、カルティナに怪我をさせて、ただで済むと思うなよ」
その言葉を口にして、俺はドラゴンを模した水の腕を纏った右腕を振り下ろした。
それだけで十数体の魔物がその四肢を千々に散らせ、雨とは違う血を降らせる。
どんな威容を誇ろうが、所詮はただの水。だがそれでも、圧縮し、固定されたソレの強度は岩を越える。
その分、重量も増すので一振りで先ほど岩で押し潰された際にできた傷が痛むが、むしろ傷の痛みが意識を繋ぎ止めてくれる。
「ジェシカ、カルティナと一緒に伏せていろよっ!!」
「は、はいっ」
右腕を三度振るったところで、ようやく雨に打たれていた魔物達が動き出す。
だが、それでも。むしろ数が多いからこそ――。
「しゃらくせえ!!」
巨大な腕の一振りで肉片となる。
水の腕は魔物の臓腑を、骨を、血液を吸収してその威容を増していく。紅く、赤く、赤黒く。
冷たい雨が傷の痛みに火照った身体を冷やし、感覚を鈍らせていく。
思考が『生き残る』ことのみに集約されていく。
それでも――傍で蹲る二つの命を守る事だけが、思考に残る。
「紅い腕――血の魔法使い――っ」
「さっさと来やがれ――殺し合いなんだ。俺かお前、どっちかが死ぬまで終わらんぜ!!」
晴れた空の下。陽光で煌めきながら降る雨が陰った。
先程押し潰された瓦礫――それ以上に大きい廃砦の外壁が浮き、太陽を隠す。
「今度こそ圧死しろっ」
「軽いんだよっ」
魔族の男が右腕を振り下ろすと、浮いた外壁が加速する。俺だけでなく、カルティナやジェシカを押し潰そうと迫る。
だがそれでも、脅威も恐怖も感じない。
降る雨を、魔物の血肉を吸収して肥大したドラゴンの腕がその形を崩し、向かってくる廃砦の外壁の瓦礫に絡みつく。
それはさながら液体生物の触手、生物の肉体を巡る血管のように。
俺は無数の触手となった水で外壁を受け止め――。
「これで最後か?」
――握り砕いた。
破片が地へ落ち、翼を広げて空に在る魔族の男まで遮るものが何も無くなる。
「カルティナ、借りるぞ」
その手から刀を受け取り、水の巨腕の中にある右腕で握る。
真紅の触手が足場へと変化し、俺はその上を駆けた。
右腕を覆っていた水を切り離し、集中。体内を巡る血液。傷から流れ出る血の流れ。
雨に流されてもなお体に張り付く、『勇者の異能』の源。
いくら『勇者』だって、無尽蔵に『魔法』を使える訳ではない。
『魔法』を使えば疲れ、その根幹は体力、命の源――血液。血液に宿った、星の力。
その循環を理解し、消費する。
使い過ぎれば死に至るが、まず死に至る前に気を失う。
それが『魔法』。
その命の源を、流れ出る血液を、右腕に集める。傷から流れ出るソレが握る刀に流れ、刀身を覆う。
水使い、液体使いの本領。最後の手段。
自身の血液を武器とする異能。
血刀。
「ふっ」
横に薙いだ一撃は翼を器用に使って避けられるが、刀の切っ先から飛んだ俺の血液は大きな弧を描いて固定化し、そのまま勢いよく魔族の翼を半ばから切り裂く。
絶叫が上がった。
翼にも痛覚があるのだから当然だ。
カルティナだって、翼を切り落とした時は痛みで気を失ったのだから。
片翼を失くして痛みで集中を乱した男は地面へと墜ちていき、俺もそれを追って水と血液の足場から飛び降りる。
空中で血刀を構え直し、切っ先を下に向け――地面に落ちた男の腹を、血刀で貫く。
「ぐふぅ!?」
そのまま刀身を捻って傷口を広げ、一気に引き抜いた。
致命傷だ。皮膚の下にある臓腑が丸出しになり、雨で濡れた地面に血溜まりが出来る。
「言い残す事は?」
「……知って、いる。知っているぞ、貴様を――」
「そうか」
刀を払って刀身の血を払う。
周囲に魔物の姿はもう無く――雨が止む。
「魔物を、魔族を、殺し続けたバケモノ……姿を消した、はずなのに」
「『勇者』を演じるのに疲れたからな」
誰かのため、何かのため。
世界のため、神のため、星のため。
そんな生き方に疲れたから、『勇者』を辞めた。
「意味が、無い。意味が無い――あの女も、裏切り者も。誰からも受け入れられるものか」
カルティナと出会った時――彼女を穢そうとした男達。その欲望は当然の事なのかもしれないが、そんな『ヒト』を助ける、守る事に疑問を抱いてしまった。
だから決めたのだ。
俺は、俺が守りたいと思った人を守ると。
「ばーか。あの子の『恐怖』が魔物を引き寄せるなら、恐怖を感じないで済むようにするだけだ」
「……は」
だから、俺はそんな人を守ると決めた。
魔族を辞めたカルティナを。これから、その体質と向き合っていかなければならないジェシカを。
「くは――あの、女は、『世界』の害になる……」
「そうかもな」
世界を守る事が『勇者』の使命なら、他の『誰か』がそれを果たせばいい。
人の感情から生まれるのが『魔』なら、人が居る限り『魔』を滅ぼすことはできない。
『魔』の王は、すぐ目の前に――『勇者』が倒すべき『魔王』は人。その負の感情、欲望でしかない。
いつかきっと、みんなが気付く。
この世界で長く生きていれば、きっと辿り着く。
だから俺は、『ヒト』を助けない。守らない。
顔も名前も知らない『誰か』のために、行動しない。
俺は、もう『勇者』を辞めたのだから。
害だろうが、敵だろうが。
俺は、『誰か』ではなく、『カルティナ』と『ジェシカ』を守ると決めたから。
「…………」
もう、男は何も言わなくなった。




