第三十四話「勇者の在り方4」
「そもそも、力を借りる『ユウシャ』が力を奪う『魔族』に勝てるはずなど無いのだ」
私に『魔法』を掛けた男が吐き捨てるように言うと、その手に掴んでいた女性を投げ捨てた。
カルティナさんだ。
私を守るために戦って、けれど敵わずに大怪我を負って……それでも立ち上がって、この人は向かっていった。
涙が零れる。
悲しいよりも、怖いよりも、悔しいという気持ちが胸に沸く。
守られている。何も出来ない――そんな自分が悔しくて、けれど身体は怖くて動かなくて、見ている事しかできない。
カルティナさんの手はまだ反りのある片刃の剣を握っているけど、右腕に力が入る様子はない。
黒い服のお陰で目立たないが、出血も多い。
頭部から流れる血が頬を伝い、顎から垂れ、白いエプロンを真っ赤に穢す。
それでも――投げ捨てられ、地面を転がり、刀を杖のようにしてまた立ち上がる。いつも通りの無表情、けれど足が震えていて、剣が無ければ立つこともできない状態。
でも、そんな状態でも私に背を向け、庇い、その視線は……巨大な瓦礫に押し潰されて隠れてしまったユウヤさんを見つめているようだった。
瓦礫の下から、血が流れ出ている。ゆっくりと、血溜まりが広がっていく。
致命的な出血量だと、誰が見ても分かる。
ふん、と。魔族の男はつまらなさそうにその血溜まりを一瞥した後に鼻を鳴らした。
「まだ立てるのか」
「ユウヤから、あの子を守るように言われたわ」
「もう死んだ男だ。くだらん事に固執するのだな、ヒトは」
何の感情も無く言い放つと、一瞬でその距離を詰めて顔面を殴打。耐える事など出来ずにカルティナさんは地面へ伏せ、しかしそれでも刀は手放さない。
男が、そんなカルティナさんの、刀を握る手を踏みつけた。
「……いたい、わ」
「痛みは感じるのか……ニンゲンにしては頑丈だな」
その様子を見ながら、私は震えていた。浮いた涙が視界を潤ませ、肩の震えを止めることもできず、地面に尻餅をついて。
腰が抜けていた。下半身に力が入らない。
目の前の凶事に成す術も無く、声を出す事も出来ない。
カルティナさんの手を踏みつけながら、そんな私を魔族の男が見る。
「良い顔だ。良い感情だ――私達魔族は人の感情から生まれ、人の感情を糧にする。その恐怖、その悲哀、その絶望……それをあそこに住むニンゲン達から味わえたなら、私はもっと強くなれる」
魔族の視線が遠く――王都の方を向いた。
何を言いたいのか、今なら分かる。
今までの魔物達の行動が、それを教えてくれる。
魔物は王都の結界を恐れて侵入しようとはしないけど、王都の中に私が居たら死の恐怖すら忘れて王都へ侵入しようとする……そうして侵入した魔物達はヒトに恐怖を与え、その恐怖を食べるつもりなのだ――この魔族は。
「ぐぅっ」
「魔族にとって、ヒトの感情こそが良質な糧。貴様は周囲のヒトに厄災を振り撒き、絶望を広めるのだ」
視線は王都の方へ向けたまま、カルティナさんを踏む足に力を込めた。
私が少しでも動こうとすると、周囲の魔物が唸り声をあげて牽制する。それだけで、私は動けなくなってしまう。
「……それにしても理解に苦しむ。あの娘を助ける意味など無いだろうに」
カルティナさんを踏む足を捻りながら問う。
「助けてどうする。魔物に狙われる娘だ。ヒトの害となる存在だ。どうせここで助けても、いつか我ら魔ではなく『ヒト』があの娘を殺す」
「……っ」
「お前はもう、誰からも必要とされない。不要ですらない。邪魔な存在と成ったのだ――生きる価値も意味も無いだろう?」
言葉を聞きながら、カルティナさんは自分の手を踏む男の足首に踏まれていない方の手を伸ばした。
「どけ、なさい」
「ぐっ!?」
そのまま力を込めると、魔族の男が痛みに呻いて飛び退いた。
頬を腫らして、それでもカルティナさんは立ち上がろうとする。けれど、足に力が入っていない。震えて、今にも倒れてしまいそう。
その倒れそうになっている身体を剣で支えて、彼女は私を見た。
「どうなの、ジェシカ。貴女は死にたい? それとも、生きたい?」
きっと、目の錯覚だ。
けれどカルティナさんが……薄く笑ったように見えた。
――人形のように美しかった顔を血で赤く穢しながら……けれど、その表情は私が今まで見た中で一番『人間らしい』表情に思えた。
「この刀は、貰い物なの。初めての――踏まないで」
「その頑丈さ、力……」
魔族の男は何の躊躇もなく刃の届く範囲へと歩み寄り、そのままカルティナさんの前に立つ。
彼女にはもう抵抗する手段が無い。カタナと呼んだ剣を振る力もない。
刃が届く範囲に男が立っても、立っているのがやっとの状態だった
だから魔族の男は……至近距離でまじまじと、カルティナさんを観察する。じっと、カルティナさんに似た人形のように整った容姿、冷たい瞳で。
「どういうことだ」
そして吐き捨てると、カルティナさんの胸倉を掴んだ。女性とはいえ腕一本で長身のカルティナさんの足が浮くほど持ち上げる。
「どういう事だ、これはっ」
この状況になって初めて、魔族の口調が乱れた。余裕のあった声音が消え、怒りに全身を震わせる。
胸倉を掴まれたカルティナさんが呻き声を上げたが一顧だにせず、魔族は彼女をうつ伏せに地面へ押し付けた。
胸倉を掴んでいた手で頭を押さえ付け、そのまま逆の手を服の襟へ伸ばし――一気に破り捨てる。
白い肌、背中が白日の下に晒される。
「どういうことだっ。何故魔族が人間と行動を共にしている――いや、何故っ。何故、何故っ。翼を――魔族の力の源、存在の誇りを……」
「自分で捨てたの」
晒された白い肌。背中。
そこには、爛れたような大きな傷――消える事の無い痕が残っていた。肩甲骨の辺り、左右に一つずつ。
翼。魔族の証し、証明であるそれらを斬り落とした傷痕だった。
「ふざけるなっ。お前、貴様――魔族が――あy」
「元、魔族よ」
魔族の男が、押さえつけていたカルティナさんを乱暴に持ち上げて、力任せに放り投げた。
草むらの上を転がり、私の傍へ。腕と腰が抜けて力が入らない足を必死に動かして、その傍まで這って行く。
怪我をした頭、頬、そこに手を添えると、カルティナさんは冷めた目で私を見て――。
「貴女と似ているかもしれないわね。私の場合は、人ではなく魔族から否定されたのだけど」
上半身を起こしながら、言った。
服を破かれて露出した背中はそのままに、右手は刀を握って離さない。
もう、立ち上がる体力も無いのか身体を起こしただけ。けれど、声はいつも通りで……むしろ、少し明るくも聞こえる。
私には、それが『秘密』を明かしたからのように感じた。
「ふざけるなっ。何故だ――何故魔族が、ニンゲンなどとっ」
「人に救われたから。人に守られたから。だから私は魔族から淘汰された。淘汰され、人からも魔族からも狙われて……そんな私を助けて、ユウヤは『勇者』である事を辞めてしまった」
「ヒトが魔族を受け入れるものか!? 敵なのだぞ、殺し合っているのだぞ!?」
「だから翼を捨てたわ……十三年前から、私は人でも魔族でもない。でも、人の中で、人と一緒に生きてきた」
そこまで言って、カルティナさんが押さえつけられた。周囲の魔物達だ。ゴブリンとコボルトが左右の腕を押さえ、ハーピーが頭を踏みつける。
「必要とされなくても、不要と切り捨てられても、邪魔と断言されても、私は生きている――死ななかった」
全身を押さえつけられながら、それでもカルティナさんは口を閉ざさない。
紅玉を連想させる美しい瞳を私へ向け、語り掛けてくる。
「――――」
「私も理解できないの。人を、ニンゲンを、ユウヤを」
カルティナさんを押さえつける力が強くなる。地面に、美しい顔が沈んでいく。
それが痛々しくて、彼女を押さえつけているハーピーの腰に抱き着いた。必死に引きはがそうとしたけど、翼の一振りで吹き飛ばされてしまう。
吹き飛ばされて、地面を転がって――カルティナさんを見ると、血にまみれていた美貌が土で汚れていく。それでもカルティナさんは口を閉じず、紡ぐ。
「私は、私を生かしてくれたニンゲンを――ユウヤを理解したい。だから、ここに居る」
「何を言っているんだ、お前は……理解が出来ない。何を……」
「私は人の欲望から生まれた魔族。貴方が憤怒や狂気から産まれたなら、私は羨望、欲求……それが、私の根幹だから」
「――ヒトとしての感情が欲しいとでも思ったのか、貴様は!? 魔族が、魔族である事を捨ててでもっ!?」
ハーピーを押し退けてカルティナさんの頭を踏み潰そうと、魔族の男が右足を上げた。
それに気付かず、いや、気付いてもカルティナさんは口を閉じない。
彼女の目にはもう、魔族の男は映っていない。
彼女にとって、魔族の男はもう――不要な存在でしかない。
どうにかしたい。助けたい。守らないといけない――そんな思いが頭の中に浮かんだ。
――と同時に、頬に……冷たい雫が落ちた。魔物の涎ではない、汗でもない。
雨だ。
太陽が照っている。青空は僅かも陰っていない。
けれど、一滴、二滴――次第にその勢いは増し、晴れているのに雨が降る。
天気雨と呼ばれる現象。
「だから私も言うわ。あの時ユウヤが言った言葉を。私と同じ――他者から不要と断じられた貴女に」
足が振り下ろされる。
だが、それが届くよりも早く魔族の男が真横にズレた。
その体躯が宙に浮き、すさまじい勢いで吹き飛ぶ。
悲鳴はない。
口を開くよりも早く地面へ叩きつけられ、地面を抉り、転がり、その勢いを殺せないまま数十メートルの距離を吹き飛んで、遠くに在ったそれなりの大きさの砦跡の瓦礫を砕く勢いでぶつかって止まる。
「生きたければ生きればいい。生きたいなら、護ってやる」
「そりゃあ俺の台詞、そのままだろ……少しはアレンジしろよ」
呆れた声は頭上から。
死んだと思っていたその男の人が右腕を一薙ぎすると、カルティナさんを押さえ付けていた三匹の魔物、その上半身が千切れて飛んでいく。
鮮血が噴き出した。肉塊が、臓腑が、宙を舞った。
見慣れない、モノがあった。
ユウヤさんは『勇者』だけど、人間だ。
けど、今の彼の右腕は――人間のモノとは違う。
ああ、そうか。水だ。
水で右腕を覆っているのだと察するのに一瞬の間を要した……それくらい異質な、右腕。
どう、例えればいいのか思い浮かばない。
……どこかの本で、読んだ覚えがあった。父が読んでいた本か、学校の図書館か。思い出せないけれど、記憶の片隅にある――。
ドラゴン。
ヒトではなく星の憤怒が形を成したともされる、強大で巨大な魔物。『勇者』であっても複数の人が束になって挑むような魔物。
その腕に、似ていた。
「遅いわ。油断し過ぎなのよ、貴方は」
「油断というより、舐め過ぎた」
「ばか」
そのまま起き上がれないカルティナさんに、ユウヤさんは頭から外套を被せた。彼女の服が破かれていたからだ。
そして、周囲を囲む魔物達を見回し――いつのまにか翼を広げて飛び上がっていた魔族の男を最後に見る。
殴られた衝撃が大きいのか、空中に在りながらフラフラと力ないのが分かる。
「潰して殺したはずだ!?」
「――うるせえ、ボケ。人んちの居候を泣かせやがって」
ユウヤさんは頭から血を流しながら――それでもその表情に明確な感情を浮かばせて口を開く。
想像の中にあるドラゴンを連想させる右腕を、横に伸ばした。
「殺し合いにやり過ぎなんてありゃしない――ああ、その通りだ」
雨の勢いが増していく。
血と魔物の体臭を押し流していく。
降る雨が集まり――水の腕がその質量を増していく。
「こっから先は『殺し合い』だ、クソ野郎」
大きい、大きい、大きい、大きい――巨大な『腕』が出現した。半透明の、透けて見える水の腕。その中に、ユウヤさん本来の腕が見える。
水の中で拳を固めると、水の腕も拳を固めた。
――ドラゴンを連想させる、巨大で、禍々しい、ケダモノの腕が。




