第三十一話「勇者の在り方1」
「お疲れさん、っと」
王都の周囲を囲う外壁。
俺は東西南北に存在する大門の傍に建てられた見張り台へ続く階段を上ると、駐在していた数人の兵士が驚いた顔をしてこちらを見た。
外壁と同じ、均一の形状に削った石を積んで組み上げられた見張り台。魔物の攻撃にも耐えられるよう頑丈さを求めた造りのそこは太く、大きく、高い。
知識にある木造の物見櫓とは全然違う作りで、確かにこれならオークやハーピー程度ではどうしようもないくらい頑丈で安定している。
ただ、見るものなど遠くの景色くらいなので、こんな所に普通は関係者以外の人間なんて来ないだろうから驚かれるのも当然の反応か。
あとは、俺の顔を知っているからの反応だろう。
新藤裕也。『勇者』を辞めて『何でも屋』なんて営んでいる、変わり者の人間とかなんとか。
「魔物はどっちに行った?」
「え?」
「集まっていた魔物だよ。逃げていっただろう?」
俺が聞くと、兵士の一人がとある方向を指さした。
「分かり易いな、アレは」
指差した方向――眩しい太陽が輝く晴天の空、美しい緑の大地とは対照的に、遠目だからこそよく見える蠢く黒や茶……魔物が、殺すべきヒトが沢山居る王都とは逆の方へ去っていくのが視界に映る。
ああまで魔物が一か所に集まるのも珍しい。そして、ヒトを無視しているのも。
魔物を操る魔族か――魔物を惹き付ける何かがあるというのが丸判りだ。
「行動力があるのは良い事なのかねえ」
「誰かのように日々を怠惰に過ごして動かないよりはマシだと思うけど」
その声に、見張り台の一室に居た兵士達が驚いた声を上げた。
俺より少し遅れて着いてきていたカルティナが、ようやく見張り台の一番高い部屋まで登ってきたのだ。
エレベーターなんて便利なモノは無く、階段を歩いて上るしかないので結構な労力を必要とするはずなのだが、その息は僅かも乱れていない。
彼女は俺の視線を追うように隣へ並ぶと、遠くを見た。
「その誰かって?」
「店長の店で待っているように言ったのに」
俺の言葉を無視して、カルティナが呟いた。
声音に変化はないけれど、心配しているのかもしれない。足取りが、俺が知っているカルティナより少し早い気がする。
「……あの年頃は無茶をするもんだ」
「そうなの?」
「俺もやったし」
「ああ、確かに」
最初の質問は無視されたけど、ちゃんと会話はしてくれるらしい。
どうやら魔物が襲ってきている間に自分の体質の事を気にしたのか、ジェシカはロシュワの店から姿を消していた。
混乱の中、魔物を遠ざけようと王都から出たらしい、というのはすぐに分かった。
なにせ、魔物の襲撃がぴたりと止んだのだ。あれほど分かり易い事も無い。
案の定、ジェシカを探しても見つからず、近所の鍛冶屋から馬が盗まれていた……考えるまでも無く馬泥棒の犯人はジェシカで、彼女は魔物を惹き付ける為に王都の外に出た。
問題なのは、彼女に身を守る術はなく、魔物はどういう訳か彼女を親の仇のように追っている。
親の仇なんて概念がアイツらにあるとは思えないが。
「それで、これからどうするの?」
「どうするかね」
普通なら、これから追いかけても間に合わないだろう。いくら馬で逃げているとはいえ、相手は魔族。空にハーピーの群れが居ては隠れる事も難しいし、馬の体力だって無尽蔵という訳じゃない。
いや、宙に在る黒点には大きなモノも混じっているからもっと大きな……グリフォンとかワイバーンとかが混じっているかもしれない。
どちらもファンタジーではお馴染みのモンスターだけど、まあ、それは無いか。王都周辺は結界の影響なのか、強力な魔物は湧かないし……とも思ったが、そう言えばこの前はキマイラが湧いたなあ、と思い出す。
これも『魔王』の力が増しているとか、そういう影響なのかね。
他の『勇者』達には、さっさと『魔王』を倒してほしいもんだ。そうすれば、この異世界はもっと住みやすくなるというのに。
「助けに行くの?」
「さあ、どうしようかな」
カルティナの問いに軽く答え、腕を組む。
ここで見捨てるのも、一つの手だろう。
魔物を惹き付けてしまう体質なんてどれだけ有用でもこの世界の人からすると疎まれる一因でしかない。
助けたところで、彼女には辛い現実が待っているだろうし……もしその体質を治す事が出来ても、風評というのはそう簡単に収まる物じゃない。
元通りの関係に戻れるなんて夢のまた夢。
後ろ指をさされる生活が待っているかもしれないのだから、ここで死ぬのも一つの救いなのではないだろうか。
……噂なんて碌なモノじゃない。
ああ、でも。
「助けるか」
「ええ」
きっと、心から死にたいなんて思う人はこの世界に存在しないんだろうなあ、と。
いつだったか見た、ジェシカの泣き顔を思い出す。
また泣いているだろうか。
泣きながら逃げているのだろうか。
独りで。
そう思うと、助けようという気持ちが湧いた。
……助ける理由なんて、そんなものだ。
世界を救う。人を守る。
そんな事よりも、頭に浮かんだ泣き顔――その涙を止めてやりたい。俺が『勇者』を辞めた理由。その根幹。根源。
最初の想い。
他者から見捨てられるだろう。疎まれるだろう。否定されるだろう。
それでも生きてほしいと思ってしまった――なら、戦う理由は十分だ。それだけに、俺は命を賭けよう。
隣を見ると、その『一番最初』はどこか楽しそうな顔をしていた……ような気がする。いつも通りの、感情の起伏が分かり辛い無表情だけど。
「まあ、お前も大丈夫だったしな」
「ええ」
受け入れられる――今の生活になじむまで何年も掛かったけど、あの時コイツが望んだ『人並み』の生活に辿り着く事が出来た。
ならきっと、あの子も大丈夫だろう。
ジェシカ本人がどう思い、未来を悲観しようと、きっと上手くいく。
最初から何でも『失敗する』と思っていたら、何も成せない。
無謀でも、無茶でも、出鱈目でも。
まずは『こうしたい』と思うことが大切だ――俺の経験だが。
「それに、料理が上手で何より将来が有望だ」
今でも十分可愛いが、きっとあと何年かしたらカルティナに負けないくらい美人になるだろう。
男というのは美人に弱いのである。美人で料理上手。命を懸けるには十分すぎる理由だ。
「私の料理では不満?」
「いいや。お前の料理も悪くないけど、たまには違う味も楽しみたくなるのさ、人間は」
照れ隠しにそう言うと、カルティナはじいっと俺を見る。
その目は俺の真意を確かめようとしているみたいで、逸らされない。
気まずくなってコホンと咳払いをすると、ようやくカルティナが俺から視線を外してくれた。
「そうなの」
少し落ち込んだように聞こえたのは気のせいだろうか。
そう考えていると、後ろで見張り台の兵士達が小声で何かを言っているのが分かった。小声なので聞こえないけど、まあ、悪口ではないと思う。
多分、ジェシカの情報が伝わったのか――それとも、俺とカルティナの二人だけで会話を続けているから、邪推されているのか。
多分前者だろうなあとか思いながら、見張り台の上から地上へ視線を向ける。
遠くを見るために高く造られたのだから当然だが、高い。地面が遠い。
異世界生活の経験が無ければ、身が竦んで腰を抜かしてしまっていたかもしれない。
「ま、これも『縁』ってものかね――行くぞ、カルティナ」
「お願い、ユウヤ」
決心は一瞬。
隣に立つカルティナをお姫様だっこの要領――右手で肩を抱き、左手を膝裏に通して抱え上げると、そのまま見張り台の窓から外へ飛び出した。
後ろから、兵士達の悲鳴が上がったが、気にしない。
風が頬を撫で、髪を揺らし、外套を攫う。
浮遊感は一瞬で、重力に引かれた身体が凄まじい勢いで加速して地面へと墜ちていく。
カルティナの、三つ編みに纏められた栗色の髪が揺れ、視界を覆う。良い匂いがした。香水なんか使わないはずなのだけど、甘い香り。
カルティナの両手が首に回される。
空中で抱きしめられる。更に強く、カルティナの薫りが鼻孔を擽り――その香りを感じながら、空いた右手で腰の水袋の口を開く。
ロシュワの店で補充したので、残り三つ。その一つを開放すると、右腕に纏うのは一瞬。
丁度、見張り台の半ばまで墜ちたところだ。
けど、焦りも恐怖も無い。
冷静に、右腕に纏った水の形状を整えていく。想像するのは獣の爪。大型の、ずっと昔に相対したドラゴンのソレを連想する。
すぐさま水はその形を変え、右腕に巨大なドラゴンの爪を模した腕甲となって纏わりつく。
これからやる事を考えると、片方だけこんな形だとドラゴンというより悪魔の腕だな、と何となく思った。
思って――躊躇いなく見張り台の土台となっている石造りの壁に爪を突き立てる。
落下の勢いで壁が削れ、痛々しい五本の傷跡が縦に刻まれていく。衝撃で視界が揺れ、削った石壁の破片が一緒に地面へ向かって落ちていくのが視界に映った。
「またフューリィから怒られるな」
「そうね。……その時は一人で怒られてね」
見張り台の壁を犠牲にして落下の勢いを殺し、地面へ足を着けると一言。
カルティナからの言葉はいつもより近くから聞こえたけど、いつもより少しだけ明るいように思えた。
落ちるのが絶叫マシーンみたいな感じで楽しかったのかもしれない。




