第三話「一日の始まり2」
木造平屋建ての、築十三年というマイホーム。
数年おきに改装しているので内装や支柱はしっかりしており、木製の壁がボロボロという事も無い。
異世界なので日本家屋のように靴を脱ぐというしきたりがあるわけではないが、癖なので玄関でブーツを脱ぐと屋内へ。
窓には可愛らしい花柄のカーテンが引かれており、花瓶には摘みたての花が活けられている。床にはレトロな雰囲気が感じられる絨毯。
客間とは別に、寝室が四つと書斎が一つ。本を読む趣味は無かったけれど、何となくあったら格好良さそうだという理由で家を建てる際に作ったのだ。
今では、それなりの読書家だと自負している。
紙の生産は普及していて、学術書や娯楽小説の類は比較的安価で手に入る。テレビが無い異世界だ、読書は数少ない庶民の娯楽なのだ。
そして、読むだけ読んで片づけをしない俺はいつも本をリビングのソファに置きっぱなしにしているのだが――通り掛かるとちゃんと片付けられている。
昨日はソファに座りながら酒を飲んで寝たので、同じくリビングに脱ぎ散らかしていた寝間着も一緒だ。
他にも、見慣れた部屋や家具に一通り目を向けると、すでに掃除されているのか埃はほとんど無い事が分かった。
掃除してくれているのは、同居人の女性――先ほど近所の住人と話している時に名前が出たカルティナだ。
朝早くから起きて掃除洗濯、食事の用意までしてくれている。
そして今日も、俺が顔を洗って戻ってくるまでの時間を計っていたかのように作った朝食をリビングのテーブルに並べ終えると、彼女はカップに紅茶を注いでいた。
「おはよう、カルティナ」
「おはようございます、ユウヤ」
ちゃんと目の覚めた声で挨拶をすると、カルティナからも挨拶が返ってくる。
そして、何処で覚えたのか、紅茶を注ぎ終わるとスカートを摘まんで優雅に一礼してから椅子を引いてくれた。
そのまま椅子へ腰を下ろして、今日の朝食へ視線を向ける。
テーブルの上に並んでいるのは野菜だけを挟んだサンドイッチに綺麗に反面だけが焼かれた目玉焼き、野菜を使ったサラダ。それに、淹れたての紅茶。
朝食が質素なのは、俺の稼ぎが少ないからである。ここに後一品、少しでいいから肉が欲しいというのが本音だが、閑古鳥が鳴いている現状では贅沢でしかない。
カルティナが床を軋ませながら、テーブルを挟んで俺の正面にある席へと向かって歩いていく。
彼女の定位置。
何となくその後ろ姿をぼんやりと目で追うと、肩越しに彼女が振り返った。
山登りをしていた昨日と同じ……いつ見ても完璧なメイド服姿である。
断じて俺が強要したわけではないしけれど、割りと好きな服装である。割とというか、かなり好きだったりする。よく似合っていると思う。あと、いい目の保養になる。
元の世界ではメイド喫茶なるものが流行っていたけれど、これは確かに流行る。見ているだけで癒やされるし、なんというか、こう、うん。いい。
仕事でメイド姿というわけではなく、職業メイドだからかそこに不自然さも感じない。
ただ、惜しむらくはその胸だろう。
ぺったんこの胸は、それはそれで良いという人も居るが、俺は胸が大きい方が好みだった。
「なに?」
「いや。今日もメイド服がよく似合っているなあ、と」
勿論、そんな事は口にしない。
バカ話をする近所の男連中なら態度で気付かれているかもしれないが、女性に言うような事じゃない事くらいは俺だって理解している。
それに、口にすると握り拳で殴られそうだし。
偶にだが、口より先に手が出る女性なのだ。カルティナは。
本当に稀だが。
「……そう。ありがと」
表情に変化は無いけれど、どうやら褒められて嬉しかったらしい。少し声が上擦っていた。
本当に少しだけで、普段とほとんど変わらない口調に他の人は聞こえるらしいけど、長年一緒に生活していると、そんな僅かな機微も感じ取れるようになる。
この辺りは、長年一緒に暮らした経験だろう。
「それじゃあ、飯にするか」
手を合わせて「いただきます」と口にすると、サンドイッチを頬張る。
野菜を挟み、それを斜めに切っただけの三角サンドイッチ。それを頬張って、咀嚼し……止まる。
「どうかした?」
その声は、どこまでも真摯で、無邪気で、まるで料理の評価を聞きたいような……そんな明るい声だった。
ああ、忘れていた。まだ寝惚けていたらしい頭が、急速に覚醒していくのが分かる。
何でもできるし何でもしてくれるカルティナだけど、料理は……料理だけは、アレなのだ。
苦手というか、下手というか、駄目というか。
その感想を顔に出さないよう――だらしない俺に愛想を尽かす事無く料理を作ってくれる女性に真実とはいえ「マズい」と言えるはずもなく――今日も無言のまま、最低限だけ咀嚼して飲み込む。
そのまま、一気に紅茶で流し込んだ。
「…………ああ、まあまあだな」
「今日は自信があったのだけど」
サンドイッチの断面を見る。挟んであるのは見覚えのある野菜だ。
ああ、でも。
「お前、この野菜……湯通ししたか?」
「いいえ? 生の方が栄養あるらしいから」
そうなのだ。コイツは栄養の事しか考慮しない。
味についてはガン無視。二の次。食べられればそれでいいくらいの考えしかないのだろう。
ただ、それも俺の健康を考えての事。
悪気はないのは分かっているので怒るに怒れない……にしても、今回のは一段とキツイ。
その見覚えのある野菜は、苦い事で有名な野菜だった。
料理に使う時は少量、肉の臭み消しに使う程度。少なくとも、こんなサンドイッチに丸々使うような野菜じゃない。
そう思っていると、俺と同じようにカルティナがサンドイッチを食べる。小さな口を開けてパンを咀嚼し、飲み込んだ。
「うん」
「…………」
そのまま二口、三口と食べていくカルティナを見ながらしばらく過ごし、俺も頑張る事にする。
「そういえば、パム達が今日から学校に通うらしいけど……知ってたか?」
「ええ。近所の奥様達から教えてもらったから」
「制服姿をお前に見てほしいって言ってたぞ」
「そう。だったら明日は、早めに洗濯物を干すようにするわ」
「そうしてやってくれ」
その方が喜ぶだろ、と言うとカルティナはサンドイッチを両手で可愛らしく持ったまま首を傾げた。
「どうして喜ぶの?」
「嬉しいからだろ。お前に晴れ姿を見てもらえて」
俺が言っている事を理解できない、といった風にカルティナがじっとこちらを見つめてくる。
その真摯な瞳に苦笑して、肩を竦める。年を取ると、こういう真っ直ぐな視線がどうにも気恥ずかしく思えてしまうのだ。
「ま、気にするな。そのうち分かるさ」
「……そう」
それは、不自然、という言葉が適切なのか。
カルティナは俺が言っている事を理解できないまま、納得のいかない様子を一瞬だけ伺わせ、けれど食事を再開する。
この十三年間で変わらない行動。
初めて会った時から、カルティナという女性は変わらない。変わっていない。
人形のように美しいこの女性は、内面も人形のようなまま。変化する事無く、ここに居る。
楽しければ笑う。
嬉しければ喜ぶ。
悲しければ泣いて、悔しければ怒る。
人間にとって当たり前の『喜怒哀楽』。それが『無い』。
それを『いびつ』の一言で片づけるのは簡単だろう。
本人もそれを理解していて、それでもここに――人間社会の輪の中に居る。
長年一緒に暮らしていると、そんな感情の希薄さは気にならなくなって――それを当たり前と感じるようになってしまう反面、悲しいや寂しいといった感情も胸に湧いてしまうようになってしまう。
それは、コイツとそれなりに長い付き合いになってしまっているからか。
「今日も仕事だろう?」
「ええ。ユウヤは?」
「隣の庭を草むしり……ついでに、裏庭の草もむしるかね」
「またお金にならない仕事?」
「しょうがないさ、あまり評判が良くないからな……時間が余ったらそっちに顔を出すよ」
「店長にそう伝えておくわ。もしかしたら、仕事を用意してくれるかも」
サンドイッチを食べ終えて、息を吐く。少し草臭い。
また後で歯磨きをしようかな、と考えながら紅茶を飲む。
「草むしり、一人で大丈夫?」
「大丈夫だよ、子供じゃあるまいし」
「わかったわ」
美女と二人暮らしをしているのに、なんとも色気のない会話だと思う。
けど、もう何年もこんな生活をしてのだ。そんな色気のない会話が当たり前になってしまっていた。