第二十九話「勇者と魔族と人間と2」
「それじゃあ、ジェシカ。机を拭いてもらえるかしら?」
「分かりました」
いつもならそろそろ学校で最初の授業が始まる時間帯。
理由なく無断で欠席したわけじゃないけど、平日に学校を休んでいるという事にわずかな興奮を感じながら手持ち無沙汰でリビングのソファに座っていると、それを気にしてかカルティナさんが声をかけてくれた。
ユウヤさんが出掛けてすぐ、カルティナさんは家の掃除を始めていた。
聞くと、掃除は毎朝の日課だそうだ。
「毎日、凄いですね」
「そうかしら。住んでいる家を綺麗にするのは普通でしょう?」
「そうですけど……毎日は凄いですよ。私なんて、週末の休みにまとめてしますから」
平日は学校があるし、休みの日は友達と遊びたいし。
そうすると掃除の時間は少ししかなくて、カルティナさんみたいに家の隅々までなんてとてもできない。
「それが普通なのかしら?」
「どう、でしょう。でも私は、カルティナさんみたいに毎日家を掃除していたら、気持ちいいと思います。綺麗で」
話しながら掃除を手伝っていると、カルティナさんは多分いつも通り、テキパキと掃除を終わらせていく。
高い位置の埃を落として、家具や机の上を濡れた雑巾で拭いて、最後に床に溜まったゴミを溜めてゴミ箱に。
私と同じように口も動かしているのに、手も早い。
着ている服がメイド服なので、その行動が凄く似合っている。
あと、同性の私から見ても物凄く美人で……やっぱりユウヤさんとは仲が良いのかな、と掃除を手伝いながら邪推してしまう。
友達とも偶に話すけど、やっぱりそういう――恋愛事に興味があるのだ。うん。
私はまだ誰も好きになったことがないし、友達もそう。
クラスの男子を「いいなあ」と思ったことはあるけれど、それが好きとか恋とは違うような気がするから。
だから男の人と一緒に暮らしているカルティナさんは、私からするととっても大人の女性に見えた。
「カルティナさんって、ユウヤさんとずっと一緒に暮らしているんですよね」
「ええ。もう十三年になるわね」
「……凄く長いですね」
「そうかしら」
ユウヤさんに髪飾りを探す依頼をした後にお父さんから聞いたけど、それだけ長い時間一緒に暮らしているのに、二人は結婚しているという訳ではないそうだ。
かといって、ここ最近知り合ったばかりなのでアレだけど、お付き合いをしている風にも見えない。
どういう関係なのかな、と思うのは普通だろう。
それとも、そういうのが『大人な関係』というやつなのだろうか?
「お二人はどういう関係なんですか?」
なので直接聞いてみると、箒で床を掃除していたカルティナさんの手が止まった。
その視線がこちらに向く。
お人形のような整った容姿と、まるで宝石のように綺麗な赤い瞳。
掃除の為に開けていた窓から入り込んできた風が、艶やかな長い栗色の髪を大きく揺らす。
「どういう関係かしら……私も分からないわ」
そうして、じっと私を見たのは少しの間だけ。
すぐに視線は逸らされて、カルティナさんは掃除を再開する。
「ユウヤに聞いてみたら? 私、そういうのは苦手だから」
「あ、はい……」
そこに動揺みたいなものは感じられなくて、話をはぐらかされたんだな、と思った。
「貴方からはどう見えるかしら、私達は」
「え?」
今度は、カルティナさんからの質問。
やっぱり掃除の手を止めて、彼女はじっと私を見ている。なんだか悪い事を聞いてしまったのかと思って一歩下がると、そんな私をどう思ったのかカルティナさんは少しだけ首を傾げた、
「聞いているだけよ。知りたいだけ。ユウヤと十三年間一緒に居るけど、そういうのはよく分からないの。本当に」
「そう、ですか?」
「ええ。こうやって長い時間をユウヤ以外の人と居るのも、ロシュワやサティア以外だとそう多くないの」
なんだかよく分からないけど、うん。
質問されているのかな、と。何となくそう思った。
「カルティナさんって、お話をするのが好きなんですか?」
「そうね。ロシュワはあまり喋らないけど、サティアはお喋り。彼女からたくさんの事を教えてもらったわ」
そう話すカルティナさんは、表情に変化はないけれど、どこか楽しそうだった。
「けど、教えてくれないこともあるの」
「教えてくれない事?」
「貴方がさっき聞いてきた、私とユウヤの関係」
「…………」
なんだか恥ずかしい話になってきたような気がした。
というか、何日か前に会ったばかりなのに、普通、そういう事を聞かないでしょ、と内心で声を上げてしまう。
関係というと……アレだよね。友達と偶にする、その、男と女の関係というか。なんというか。
「顔が赤いわ。体調が悪いの?」
「い、いえっ。そうじゃなくてですねっ」
色々と変な事を想像してしまいそうになっていると、カルティナさんの声で現実に戻された。
僅かに息が乱れ、動悸が早い。心臓が自分の事でもないのにバクバクと早鐘を打っているのが分かる。
深呼吸を二回。
気持ちを落ち着けようとして、カルティナさんが今もじっと私を見ている事に気付いてまた鼓動が早くなる。
「か、カルティナさんって……」
「?」
「その――えっと」
首を傾げるその仕草が、なんだかとても子供っぽいもののように感じた。
この人……何も知らないんじゃないかな、とすら思えてくる。
男の人の事とか、男子と女子が一緒に暮らす事とか。
最初は驚いたけど、少し落ち着いたら何となく分かる。その仕草――整った容姿に無感情にも思える独特の雰囲気。
けど、こうやって話して、質問されて……それが私に恥ずかしい思いをさせる為じゃなくて、純粋な疑問なんだって感じられて。
だから、分かった。分かってしまった。
ああ、この人は本当に何も知らなくて、分からなくて、だから聞いているんだって。
「え、えっとですね……」
「どうしたの? 答え辛い質問だったかしら?」
服が汚れないようにと貸してもらったエプロンの裾を指で弄りながら、心の中でユウヤさんに文句を言ってしまう。
だって、何と言うか。
普通、こういう事は一緒に暮らしているユウヤさんが教えるべき事じゃないか、と思うのだ。もしくは、さっき話に出てきた『赤毛の雄牛』亭のサティアさん。
年下の私に、年上の人から質問されるような事じゃないと思う。ユウヤさんが帰ってきたら言ってみようか考えてしまう。
「そっ、それにしてもっ。この家、二人で住むには広いですよね」
「そうね。確かに、使っていない部屋も多いわ」
無理矢理話題を変えると、カルティナさんは特に気にする事も無くその話題に乗ってきた。
彼女の中では、さっきの質問はそれほど重要ではなかったのだろうかとも思えてしまうほどにあっさりと。
もうすぐ昼時。お喋りしながらだったけど、お掃除はほとんど終わっていた。
それにしても、この半日で本当にこの女性の事がよく分からなくなった。
ご飯の作り方はアレだし、いきなり年下の私にあんな事を聞いてくるし。
深呼吸を二回して気持ちを落ち着けると、改めて室内を見回す。
広い――本当に、二人で生活するには広い家。
ユウヤさんが居ないから、特にそう思う。
「ユウヤさん、早く戻ってくるといいですね」
「どうして?」
「う……まあ、その」
流石に、カルティナさん本人に『ユウヤさんが居ないから不安なんです』なんて言えるはずも無い。折角、私のためにお仕事まで休んでくれているのに。
けどやっぱり、元とはいえ『勇者』――世界を救うために召喚された英雄。
ユウヤさんが傍に居ると、大丈夫なんだと安心できるのだ。
……初めて話した時は驚いたけど、ユウヤさんの事はよく知っていた。知っているというか、聞いていた。
父から。
周囲の人から。
友人から。
シンドウ・ユウヤ。
十五年前に異世界から召喚された『勇者』。
『勇者』として活動していたのは二年という僅かな時間だけど、その成果はこの大地に住む多くの人が知っている。
最も多くの魔族を倒した『勇者』。
常に最前線で戦い続けた『勇者』。
だから、当時のユウヤさんを知っている人達は彼をただの『勇者』ではなく、『最高の勇者』だったと言う。
『勇者』の敵、この大地の敵、神の敵――その姿も、どこに居るのかも、何をしているのかも誰も知らない……魔王に最も近付いたとされる人。
そんな人だって知っているから――傍に居てくれないと、ちょっと怖い。
思い出してしまうのだ。他の誰にも見向きせず、私を追いかけてきた鳥の魔物の姿を。
目に付いた民家に逃げ込んだけど窓を突き破って侵入してきて、視界に魔物以外の何物も映らなくなった時は死を覚悟した。
先日、王都の外で魔物に襲われた時もそう。
コボルトに囲まれた時に飛び込んできて助けてくれた人。キマイラに襲われた時は……最後の方は覚えていない。
襲われそうになった時抱えて助けてもらった後、私は怖くて気絶してしまっていたから。
ふと。
手が震えている事に気が付いた。
今頃になって、あの恐怖を思い出して不安になったのだ。また、襲われるのではないかと。
……カルティナさんが箒を動かす手を止めた。
視線を、窓の外へ向ける。
「なにが原因なのかしら?」
呟いた直後、窓の外――裏庭に、鈍い音とともに黒い影が落ちてきた。




