第二十六話「朝の一時1」
「結局、夜には襲ってこなかったな……」
何となく、魔物は夜間の方が活発に動くというイメージがあったから、少し拍子抜けをした朝。
俺がいつものように朝起きて、裏庭で身嗜みを整えて、近所の爺さんと暫く談笑してから家に戻ると同居人のカルティナが朝食を用意してくれている。
……そんな毎日の光景に、今日は少しだけ違っている所があった。
「カルティナさん。ちゃんと味付けをしないと」
「でも、こうした方が栄養はあると聞いたのだけど」
「そうですけど……栄養も大事ですけど、食べる人が美味しいって思ってくれる料理の方が喜んでもらえますよ?」
「そうかしら?」
キッチンから聞こえてくる会話に耳を傾けながら顔を覗かせると、料理をしている二人の姿。
背が高い栗色の髪を長く伸ばした女性はカルティナ。こちらは珍しく、長い髪を纏めてポニーテイルのようにしていた。
いつもとは違う髪型というのは、それだけでなんだか新鮮な印象を与えてくれる。覗いて見えるうなじとか、首筋とか、白い肌とか。
見慣れていると言うか、なんと言うか。一緒に暮らしていたけどアイツも女なんだなあ、と。物凄く失礼な事を、一瞬だけ考えてしまった。
もう一人は綺麗な金髪を肩の辺りで揃えた少女、ジェシカ。
昨日からウチに居候をしている近所の女の子。
そんな女の子から料理を教わる美女というのも変な光景だな、と思いながらリビングとキッチンとが繋がる通路の壁に背を預けてぼんやりと眺める。
後ろ姿だけど、多分、相変わらずの無表情なのだろう。けれど、どこか楽しそうにも見えるカルティナの背中を。
二人とも刃物の扱いは上手で、食材を切る動きに淀みは無い。
カルティナはここに住むようになってからずっと……十年以上も家事をしているし、ジェシカも家の事は自分がしているような事を言っていた。
だからだろう、カルティナの……栄養を第一に考える調理法に口を挟んでしまうのは。
まあ、本来なら俺が言わなければならない事なんだろうけど。
でも。
「でも、健康でいる為には栄養が必要よ? 味よりも優先すべきだと思うけど」
「栄養も大事ですけど、食べてもらえないと折角の栄養も無駄になってしまいますよ?」
「大丈夫よ。ユウヤは全部食べてくれるから」
そんな事を言われると全部を食べなきゃと思ってしまう。
栄養。健康。
ちゃんと食べる人の事を考えて料理を作ってくれているのだから。
……できれば味も調えてほしいけど、カルティナにとってそれはとても難しい。ほとんどの人には知られていないけど、彼女の味覚は人と全然違う。
だからきっと、ジェシカが作っている料理の味も、彼女は分からない。
ただ、目分量で必要な調味料の量を覚え、その作り方を覚え、自分が作る時はまったく同じ分量と手順で味を調えるしかない。
それを知った時は凄く悲しい気持ちになったのを覚えている。
けど、カルティナがその事を悲しんでいないのなら、俺が気にし過ぎる訳にはいかなかった。だって本人が悲しんでいないのだ。本人でない俺が悲しんでどうする。
だから気にしなくなった……その結果が、栄養第一の料理である。味はアレだ。二の次だ。
「ですけど、味を調えた方が……えっと、ユウヤさんも喜ぶと思いますよ?」
「そうかしら? なんでも残さず食べるから、好き嫌いは無いと思うけど」
その言葉を聞いて、集中している二人から気付かれないように溜息。
好き嫌いが無いのではなく、せっかく作ってもらった料理だから残さず食べるように頑張っているだけだ。
そんな俺には気付かずに、二人は調理を続けていく。
用意されているのは沢山の野菜に鳥のもも肉。それにパンと卵。二人で暮らすには丁度良い大きさの鍋は火に掛けられており、どうやら水を沸騰させているようだ。
材料から朝食を予想すると、スープにパン、後は焼いたもも肉と炒り卵といった所か。
オーソドックスともいえる朝食。
顔を洗った事で空腹を自覚したからか、想像しただけで口内に溜まった唾液を飲み込む。
「でも……なんというか、意外です」
「なにが?」
喋りながらも、ジェシカ嬢ちゃんの手は止まらない。ともすれば刃物の扱いに慣れているカルティナよりも器用に野菜を切り分け、最低限の動きでキッチンを移動する。
調味料の類はすでに近くへ集めているようで、その動きには無駄が無いように感じた。
「カルティナさんの事だから、もっと……」
そこで言葉を切る。多分その先は「もっと料理が上手だと思っていた」とか、そんな事だろう。
アイツに言い寄る男連中もそうだが、顔が良いから料理も上手とは限らない。カルティナはその典型である。
美人で掃除上手、いつも無表情だがパム達のような子供も好き。俺からすると不愛想だが、ご近所からの受けは良い。偶に、近所の奥様方と井戸端会議すらしているのだから。
ロシュワの所で働いているから知っている人が多く、たくさんの人達が知っていて、そして好かれている。
ただ、一緒に住んでいるのは俺のようなだらしない男。
掃除洗濯はおろか、脱いだ服や使った道具もその場に放置して片付けないようなダメ男。
いや、片付けなければと思うけど、俺が動くよりも早くカルティナが片付けてしまうのだ。
外から見ると、俺はカルティナに世話をしてもらっているように見えるらしい……というのはロシュワから聞いている。
身の回りの世話から食事の用意、『何でも屋』稼業も上手くいっていないから金銭面までカルティナにおんぶに抱っこ。
……あまり否定はできない。
いや、金銭面云々はさすがに否定する。うん。
ちゃんと働いているし。ジェシカの事だって、依頼として受けているから報酬が出るし。
仕事は少ないけど。週に一回か二回、貰えればいい方と言う閑古鳥が鳴く始末だけど。
とにかく、基本的に俺は家が汚れていても気にしないので掃除をあまりしないし、洗濯だって着るものが無くなってからまとめてしてしまうような性格だ。
ご飯だって美味しい方が良いけど、食べられればいいと思うだけなので自分ではあまり作ろうとは思わない。
カルティナが居るからこの家は綺麗だし、食事だって家で摂っている。
けど、一人暮らしだったらきっと、家は自分一人がなんとか暮らせる程度まで汚れ、近所にあるロシュワの店で済ませてしまっていただろう。
少なくとも、元の世界――地球で暮らしていた時は、まだ未成年だったので実家暮らしだったが、俺の部屋は……それはもう、汚かった。
まあ、そういう性格だから……周囲からの評価は概ね正しい。
「でも」
「ん?」
「ユウヤさんは優しいですね」
続いて出た言葉に、はて、と首を傾げる。
なにか、ジェシカ嬢ちゃんに優しいと思ってもらえるような事をしただろうか。
それを不思議に思いながら、会話の続きに耳を傾ける。
カルティナも気になるようで、少しだけ動きがぎこちなくなったように感じる。多分気のせいだろうけど。
「だって、カルティナさんの料理を残さず食べてくれるんですよね?」
「ええ……それとユウヤが優しいという事と、どう関係が?」
「だって。お父さんったら、味付けに失敗したり苦手な食材を使ったりしたら、すぐ料理を残すんですよ?」
「そうなの?」
「はい。だから、苦手な食材を食べさせるために細かく刻んだり、調味料を沢山使ったり……毎日頭を使わないといけないんです」
そういうものなのかと思うと同時に、ああ確かにとも思ってしまう。
まだ地球の……日本で平和な生活を送っていた頃。当たり前のように母さんが料理を用意してくれていて、それを食べていた頃。
確かに、苦手な野菜とかは食べずに残していた。
……今思うと、凄く失礼な事をしていたような気がする。
せっかく作ってくれていたのに、と。
「だから、残さず食べてくれるユウヤさんはすごく優しいと思います」
……口にしてないけど、たぶん味の事も含めて、だろうなあ。
「それじゃあ、早くスープを作ってしまいましょう。サラダは出来たから、後はハムを焼いて……」
「ええ、ユウヤもお腹を空かせているようだし」
……どうやら、カルティナには俺が立ち聞きしていたのがバレていたようだ。
足音を立てないようにその場を後にしながら、息を吐く。
まあ、今までと変わらないけど。――これからも、出された食事は全部食べようと思った。




