第二十一話「ジェシカの噂3」
一度、暇潰しに大通りの方まで散歩をしてから『赤毛の雄牛』亭へ戻る頃には、太陽が傾き始めていた。
時間は夕方。そろそろ騎士学校の授業が終わる時間帯。
夕食時にはまだ少し早いからか店内に人影はなく、暇をしているカルティナが俺の定位置に座って紅茶を飲んでいた。
その隣にはサティアさんが座り、ロシュワがお茶菓子を用意している。
「暇してるなあ」
「お前ほどじゃない」
言われて、肩を竦める。
正論だ。昼間っから暇だからという理由で大通りまで散歩に出かける大人っていうのも、そう多くないだろう。
「それじゃあ、俺も何か――」
適当に飲もうか。
そう言おうとした瞬間だった。
後ろ――店の外から甲高い悲鳴。それほど大きくない……いや、遠くで上がった悲鳴だ。
「ロシュワ!」
「ほらっ」
何を伝えるでもなく名前を呼んだだけで、傍にあった水が入っている瓶を投げ渡してくるロシュワ。
それを受け取って手の平の上に水を零すと、水球が空中に浮かぶ。
それを目で確認するよりも早く、先ほど通った木製のスイングドアを乱暴に押し開くと店外へ。
周囲を見回すが、この近辺で何か問題が起こっている様子もない。周囲の人達は俺と同じように何が起こったのか確かめようと立ち止まって周りを見回している。
「こっちよ」
俺に遅れて店外へ飛び出してきたカルティナが、手に見覚えのある日本刀を持ちながら駆け出していく。
向かうのは大通りがある方向だ。
急いでいるというのにほとんど乱れないスカートを視界に映しながら追いかけると、言われた通り大通りへ。
普段なら夕食の買い出しなどで賑やかなはずの大通りは、しかし今は混乱と困惑、恐怖ではないようだが誰もが足を止めて声を押し殺していた。
その独特な雰囲気に一瞬足を止めて、人が多く集まっている方向へ足を向ける。
「あっ」
誰かが、俺に気付いて声を上げた。
それが呼び水となって、人の壁ともいえる集団が左右へ分かれていく。
「何があったんだ?」
「あ、えっと……」
「面倒事か? どうせ騎士団も、他の勇者たちもまだ来ないんだ。面倒事ならさっさと片付けたいだろう?」
言うと、周囲の人混みに紛れた誰かが、口を開いた。
「空から魔物が落ちてきたんです」
「……はあ?」
胡乱な声を返して、人混みの中心へ。
――そこには確かに、魔物の死体が転がっていた。
真っ黒だ。
王都を囲う結界に焼かれて消し炭になった死体。
腕は残っている骨格から翼状の形をしている事が分かり、足は鉤爪が目立つ鳥のソレ。けれどその身体と頭部は人に近い。その形状から、鳥人間――ハーピーだという事が分かる。
死体の傍へ膝をついて、黒焦げの皮膚へ手を当てる。
熱い――けどそれは、生命の熱ではなく、焼かれた熱。
「死んでいるな」
まあ、先日のキマイラくらい強力な魔物なら王都の結界も抜けられるかもしれないが、こんなハーピーやゴブリン、コボルト程度の魔物では数が揃っても結界を抜ける事すら出来ない。
それは経験として知っているのだが、それは魔物も同じ。
本能で王都の結界が危険だと理解しているはずなのだ。
だからこそ、これだけの数の人が集まっても魔物に襲われないのだから。
だというのに……目の前のハーピーは結界に突っ込んだのか。
「また来たぞ!?」
誰かが言った。
慌てて顔を上げると、空に黒い影が六つ。この黒焦げの死体と同じハーピー。
そのハーピーも、しばらく空中で旋回した後……そのまま一気に、一塊となって王都の結界に突っ込んだ。
王都をドーム状に覆う結界は健在。普段は目に見える事のないソレは、けれど魔物が触れればシャボン玉のように煌く壁を顕現させて異物の侵入を防ごうとする。
現に今も、突撃してきたハーピーは光の反射で幾重もの色を発する壁に激突する。
また、悲鳴が上がる。
一塊になったハーピーもまた王都の結界に焼かれ、空中で火の玉となり地面へ落ちてくる。
けれど今度は、そのハーピーの火の玉の中から、無事なハーピーが現れた。
「頭良いな!?」
仲間を盾にして、結界を抜けたのだ。
そこまでして王都へ侵入することに驚きながら、無事に結界を抜けて空中を旋回する二匹のハーピーへ視線を向ける。
ああ、面倒臭い。
空を飛ばれると、やれる手段が限られる。何より、空中は鳥の領分だ。弓でもなければ攻撃が届かない。
「散れ、散れっ! ハーピーに喰われるぞっ」
突然の事に茫然としていた人達へ向かって声を張り上げる。
足を止めて空中を見上げているなど、ハーピーからしたらいい的でしかない。
「近くの家の中に入れっ。俺が良いって言うまで出てくるなよっ」
右手に持った水球を握ると、風の流れで柔らかく形を変えていた水の球が手頃な長さの長剣へ形を変える。
「カルティナ、気を引け」
「分かったわ」
言って、傍にあった肉を売っている露店――そこの商品を地面へぶちまけた。
新鮮な肉の塊、そして僅かな血液が石畳の上に広がる。
ハーピーの視線がカルティナの方を向く。
人を襲う本能と、肉を前にした食欲で動きが鈍ったのを確認して近くにあった民家へと駆け込む。二階建ての、この近辺では一番屋根が高い家だ。
「あ、ゆ、ユウヤさん!?」
「ちょっとごめんよっ」
家の住人に一言謝ってから、そのまま二階まで駆け上がる。
窓から外へ飛び出すと、屋根の上に立つ……けれど、ハーピーの姿は無い。
周囲を探すと、カルティナがぶちまけた肉には見向きもせず、遠くへ飛び去って行く後ろ姿が視界に映る。
「はあ!?」
普通、もう少し躊躇うだろ。
地面に転がった生肉と、その周囲を逃げ惑う人。
目の前に『ご馳走』が転がっているのだから、普通の魔物ならどちらも選べずに次の行動が鈍る。その程度の知性しか持ち合わせていないはずなのだ。
内心で毒づきながら、民家の屋根伝いにその後を追う。
空を飛ぶハーピーの早さはそれなりだが、勇者の脚力はそれ以上。
一気に追いつき、丁度一匹のハーピーが民家の屋根と同じ高さまで下がってきたところで飛びつく。
人に似た顔から言葉にならない悲鳴が上がり、人一人など支えきれない小さな翼を暴れさせて何とか俺を振り落とそうとするハーピー。
そのまま力任せに足を引っ張って滞空できないようにすると、丁度、地上からハーピーを追っていたカルティナの姿が見えた。
こっちはカルティナに任せることにして、落ちるハーピーを足場にして踏みつけ、再度屋根の上へ飛び移ると、もう一匹を追う。
さっきの遣り取りで距離が空いたが、その背を見失う事はない。なにせ、空を飛んでいるのはハーピー一匹だけなのだし。
「一体何だってんだ、ちくしょうっ」
日本家屋に近い、瓦のような敷物で補強されていた屋根で足を滑らせて毒づきながら、なんとか体勢を立て直して駆け出す。
その間に目標を定めたらしいハーピーが、結界が張られているギリギリの高さまで飛び上がるとそのまま地面へ向かって急加速。
逃げ惑う人々の悲鳴に交じってガシャン、という窓が割れる音。民家の中に侵入したのだ。
「ちっ」
こっちも一気に加速。次いで、水の剣を細長い棒にして、棒高跳びよろしく離れた場所の家の屋根へ飛び乗る。
水の棒はもう使わないので、空中を移動している最中に剣の形へと戻す。そして、着地と同時に全力疾走。
ハーピーの姿が見えなくなってから十数秒。
窓が割られた民家を見付け、迷うことなく同じ場所から飛び込む。
落ちながら内装を確認。落ちて大丈夫そうなベッドの上に着地。ハーピーは屋内の狭さに慣れていないようで、飛び上がれずに翼を広げて暴れていた。
「暴れんな、くそがっ」
ベッドへ落ちると同時に、柔らかい布を蹴って突撃。一気に間合いを詰めるとその胸に剣を突き刺して一息に殺す。
傷口から血が流れて床を穢すが、こればかりはどうしようもない。
せめてこれ以上汚れないようにと、割れた窓の場所を確認してからハーピーの死体を外へ投げ捨てた。
「なんだってんだ、いった……」
そこで、この家に逃げ込んだのだろう……見知った顔を見付けた。
ジェシカだ。
――魔物が一人の生徒を追っていた
騎士学校で依頼された噂話の内容が頭に浮かぶ。
ここ数日で何度も見た少女は、泣きそうな顔で俺を見上げていた。




