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【ウメ種】勇者を辞めた勇者の物語  作者: ウメ種【N-Star】
第一章
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第二十話「ジェシカの噂2」


「カルティナの嬢ちゃん、今日は機嫌が良いみたいだな」

「あん?」


 騎士学校で依頼を受けた翌日の昼時。近所の食堂兼酒場『赤毛の雄牛』亭で昼食を食べていると、ロシュワがそんな事を言った。


 俺が何時も座っているカウンター席の隅。他の客からはあまり目立たない定位置。

 店長であるロシュワはカウンターを挟んだ向こう側で食器を拭きながら、どこか遠くを見ていた。


 頼んだウサギ肉の照り焼きにフォークを刺しながら、その視線を追う。

 その先には見慣れた、整っているけど感情の乏しい顔……人形を連想させる美女の姿。


「カルティナがどうかしたのか?」


 聞くと、ロシュワが珍しく破顔した。

 ……この店の名前と同じ牛みたいな男が笑っても、見慣れていないと怖いだけである。


「暑苦しいな、オイ」

「失礼な」


 俺の言葉に憮然としながら、けれど機嫌が良いようですぐに表情が柔らかくなる。

 何度も言うが、強面な男が生暖かい笑顔を浮かべてもキモチワルイだけである。

 奥のキッチンで作った料理をカウンターテーブルまで持ってきたサティアさんが、そんなロシュワの笑顔を見ると肘でその脇を軽く突いた。


「何か良い事でもあったの、アナタ?」

「カルティナの嬢ちゃんの機嫌が良いみたいだからな」

「あら。私も今日は機嫌が良いのだけれど……私には笑顔を向けてくれないのかしら?」

「いや、笑顔ってわけじゃ……」

「笑顔だったわ。私もあんまり見たこと無いくらい、素敵な笑顔」

「すみません。目の前でイチャイチャするのは勘弁してもらえませんかねえ!?」


 嫌がらせ以外の何物でもない。

 砂だったか砂糖だったか、胸が焼けそうなモノを吐きそうな気持ちになりながら言うとロシュワが自分の髪と同じくらい顔を赤くしながらサティアさんから一歩離れた。


「あん。もう、ユウヤ君。別にイチャイチャなんてしていないわよ?」

「してるから。目の毒だから……」


 店内へ視線を向けると、昼食を食べていた客たちの視線がカウンターに集まっている。

 というか、男連中は泣きそうな、もしくは怒りに染まった顔でロシュワを見ていた。

 わかるわかる。

 なんでこんな野獣が美女に好かれているんだろうとか、嫉妬してるんだな。

 ウサギ肉を口の中に放り込んで、味わいながら咀嚼する。


「それで、カルティナがどうしたって?」

「ん? ああ、カルティナの嬢ちゃん。これ、七番テーブルに運んでくれ」

「はい」


 何時の間にか、カルティナが傍に来ていた。

 見慣れたメイド服に身を包んだ彼女は、特に何かを言う事無くサティアさんが用意した料理を運んでいく。

 いつも通りだ。別に変な所などどこにも無い。


「この前は心ここに在らずって感じでな――仕事はちゃんとしていたが、どことなく気持ちが上の空だったんだよ」

「仕事はちゃんとしていたんだろ? 上の空っていうか、ぼーっとしているのはいつもの事じゃないか」


 ぼーっとというか、何を考えているか分からないというか。

 カルティナはいつも無表情だ。だから、俺としてはいつも通りとしか想像できない。

 ロシュワは違う何かを感じ取っていたようで、それを上手く説明できないのか食器を拭きながら頭を捻っている。


「客への態度がな。いつもより素っ気無かったんだよ」

「素っ気無い……」

「まあ、男連中はそういう態度もまた良しといった感じで悦んでいたけどな」


 最後の方は聞き流しながら、配膳をしているカルティナへ視線を向ける。


「あいつが、愛想の良い時なんてあるのか?」

「偶にあるんだぞ、極稀に」

「へえ」

「機嫌が良いと、カルティナの嬢ちゃんの方から客に挨拶をしてくれる」

「……客商売としてどうなんだ、ソレ」


 呆れた声が出てしまった。

 それで客に人気なのだから、男っていうのは本当にバカだなあと思ってしまう。

 まあ俺も、美人に向こうから挨拶をされたら嬉しいし、その気持ちはよく分かるけど。


 そんな俺たちの会話を聞いていたサティアさんが、肩を震わせながらクスクスと笑った。


「それはそうよ。うふふ」


 どうやら、サティアさんはロシュワの言うカルティナの不調の理由を分かっているらしい。

 どこか含みのある笑顔を浮かべながら厨房の方へ戻っていった。

 口内の肉を咀嚼しながら、首を傾げてしまう。ロシュワも同じように、首を傾げている。


「で。なにがあったんだ?」

「ん? ああ。この前な、お前が怪我をしたって聞いた後から微妙に落ち着きが無かったから心配していたんだ」

「アイツが?」


 先日、キマイラと戦った後。

 傷を手当てしに戻ってきた時の事だろう。

 あの時のことは覚えているけど、特に変わった様子はなかったと思う。


「お前のことを心配していたのかと思っていたんだが」

「はっ。一緒に暮らしていて、それこそ着替えを覗いても眉一つ動かさないようなヤツだぞ? 俺の心配なんかするかねえ」

「……お前、そんな事をしてるのか?」

「……いや、言葉のあやだよ。言葉のあや」


 ロシュワの声音が一オクターブ低くなったので、愛想笑いを浮かべながらそう言い訳をする。

 お前だってサティアさんと一緒に暮らしているんだから、そういう事故くらい起きたことがあるだろ……とは口にしない。


 言っても喧嘩になるだけだ。しかも、子供みたいな口喧嘩。

 なので、ロシュワからの疑惑の眼差しから逃げるように店内で客の相手をしているカルティナを見る。


 ……やっぱりというか、いつも通り。そこに、ロシュワの言うような……動揺? そんなものは感じられない。


「俺の怪我程度で、アイツが動揺するかよ」

「それはそれで寂しいな、同居人」

「……言うな。なんだか少し悲しくなってくる」


 いつも通りなんだけどさ。それでも、自分で思うのではなく人から言われるというのは、無性に悲しくなってしまうものだ。

 肉を食べ終え、付け合わせのサラダをもしゃもしゃと食べながら溜息。

 すると、中身が半分ほど減っていたコップに水が足される。


「何を変な事を言っているの?」

「ん?」

「あの時も言ったけれど、私が貴方の怪我程度で動揺するはずないでしょう?」

「そうだな。俺もそう思うよ」


 どうやら聞こえていたらしい。

 そんなダメ出しをしてから、客の相手をするために戻っていくカルティナ。動揺の無い颯爽とした足取り。揺れるスカート。僅かに覗く革のブーツと白のストッキング。


 それはどこまでも平常で、いつも通り。

 ……わざわざダメ出ししなくても分かっているのに。

 肩を落とすと、ロシュワが声に出して笑った。


「お前の所為で怒られただろ」

「相変わらず仲が良いな、お前ら」

「どこが?」


 目が腐ってんのか、この野郎。

 まあ、そんなに怒られたとも思っていない。それこそ、いつも通りの遣り取りだ。

 むしろ、あの人形のようなカルティナが顔を青くしながら俺を心配する様子が想像できない。

 それくらい、俺にとってカルティナとは照れや動揺といった感情とは無縁の存在だった。


「ところで、傷の具合はどうだ?」

「掠り傷だよ。キマイラに少し噛まれた程度だ」

「……それが掠り傷で済むのはお前たちくらいだろ。なんだよ、キマイラに噛まれて掠り傷って」

「見るか?」


 服の袖をまくって傷口を見せる。

 包帯は巻かれているが、もう出血は完全に止まっている。針で縫うほどの怪我だったが、もう数日もしたら完治するだろう。


 肉体の強度もそうだが、回復力も普通の人間とは違う。

 『勇者』の肉体っていうのは、本当に『生存』することに特化しているのだとしみじみ思える。


「さすがの俺でも、キマイラに噛まれたら無事では済まないだろうな」

「まったくだ」


 ロシュワの、丸太のような腕を見ながら同意する。

 なにせ、頭がいくつかあるとはいえ、単純に体長五メートル以上の獅子に噛み付かれるって事なのだ。


 水の魔法で身を守っていたとはいえ、それが少し縫う程度で済むのだから勇者の肉体というのは凄まじい。

 おかげで昔は無茶が出来ていたのだ。

 そして、強靭な肉体や桁違いの回復力が当然だと認識されているから、『勇者』は人から求められるのだ――救世主としての在り方を。


「今日もまた仕事なんだ。忙しくて泣けてくるよ」

「ほう。最近は景気がいいじゃないか」


 ま、先日までは閑古鳥が鳴いていたからなあ、と。


「ここで働いて、稼いで、またしばらくはのんびりとするさ」

「ウチに話は来ていないが、真っ当な依頼か?」

「騎士学校の校長がな。学校で広まっている噂の真偽を確かめてほしいってさ」

「……それは仕事か? 子供のお遣いじゃなくて」


 まあ、そうだよなあ、と。


「所詮は噂だしな……それを確かめるだけで金が貰えるんなら、喜んで受けるさ。怪我もしないだろうし」

「そうだな。しばらくは怪我をしないようにしておけ」

「分かってるよ。また、カルティナから傷口を縫われちゃ堪らん」


 あれだけは、どうやっても慣れる事が出来ないんだよなあ、と。

 溜息を吐きながら言うと、ロシュワも溜息を吐いた。


「待ち合わせ、ここだから。しばらく水だけくれ」

「騎士学校のガキどもを助けて報酬を貰ったんだろう? 少しは贅沢をしたらどうだ」

「贅沢をすると、カルティナが怒るんだ」

「……尻に敷かれてるな」

「お前ほどじゃない」

「うるせ」


 言いつつ、ロシュワが水のお代わりを注いでくれた。


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