通り過ぎたタクシー
※一部地域では意味が通じないかも知れませぬ。
「この前の話なんだけどさ」
向かいに座っていた友人が、手酌で冷酒を注ぎ足しながら切り出したのを聞いて、僕は黙って頷いた。
彼が突然話題を変えるのはいつものことで、話のついていけなくても怒らないのも知っている。とりあえず話の続きを聞いてからでも良いのだ。
「夜中の三時より少し前くらいかな。車を運転して帰ってたんだよ。隣に嫁乗せて」
前提として補足しておくと、友人は夫婦で飲み屋をやっていて、一時に閉店してから片づけをするので、大体帰りはそれくらいの時間になるらしい。
「でさ、交差点に差し掛かって、俺は左折レーンに入ったわけ。んで、左の方で信号待ちしているタクシーがいたんだよ。それが一目見て、思わず吹き出しちまうようなのでさ」
友人側も交差する車線側も両方赤信号というタイミングだったらしい。
「疲れた感じの爺様がドライバーなんだけど、ムスッとした顔してハンドル握っているのに、全然似合ってない七色に輝く上着を着ていてさ、タクシーの車体も七色。派手すぎだよな」
想像してみたが、うまくイメージできない。
車体カラーはタクシー会社のカラーでもあるだろうに、そんなにカラフルにしておく必要があるんだろうか。インパクトはあるだろうけれど。
そう考えている間にも、友人は話を進めている。
「変なのが、屋根の上にある行灯な。あれは普通に地味な深緑色でさ。どうせ七色で攻めるならそこもやれよ、と思う」
行灯という言葉に引っかかった僕が聞き返すと、タクシーの屋根についている会社名が書かれた表示灯のことらしい。
知らなかった、と僕は酔いで熱くなった頬におしぼりを当てる。
「そう思っている間にこっちの信号が青になったから、そのタクシーの横を通り過ぎるようにして左折したんだけどなぁ……客がさ、乗ってたんだ」
目を細め、友人は急に言葉のトーンを落とした。
僕の手元辺りを見ていた視線は、少しだけ逸れている。
「通りすがりに見ただけなんだけど、派手なタクシーに似つかわしくない、暗ーい雰囲気の女でさ。白いトレーナーみたいな、飾り気なんて全然ない服着てたんだよ」
真夜中だから、女性が一人でタクシーに乗っているのは不思議じゃないだろうに、友人はそれがとても重要なことのようにゆっくりと語る。
信号待ちのタクシーと、その横を通り過ぎた友人。
ちらりと見えた乗客の女性。その表情までは見えなかったらしい。
「……わかってないな?」
何の話かわからず、僕は首を傾げた。
「さっき言っただろう? タクシーの行灯は点いていたんだよ」
それに気づいた友人は、バックミラーにもサイドミラーにも目を向けることなく、無言で車を飛ばして帰宅したそうだ。
「帰り道を変更したけどな。飲み屋街で仕事していると、タクシーなんて大量に見る。またアレを見てしまうかと思うとな、正直、怖い」
そのルートだけは避けるべく、僕はタクシーに遭遇したという交差点の場所をもう一度聞き返した。
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