「ラケル王女、希望を捨てないで」
廃墟の城下町へ辿り着く。辺り一面、瓦礫の山。
草木がそれを覆っていないことから、滅亡から時間はそう経っていないことが分かる。
ラケルは走り。
歩き。
そして立ち止まる。
現実から目を背けるかのように、空を見上げた。髪の毛が垂れ下がって見えるのに哀愁が漂う。
荒野の空っ風まで吹くのでますます寂しい情景だ。崩れた瓦礫や焦げ付いた木の匂いがする。
リリルアがやっとの思いで走り、ラケルに追いつく。
その時、ラケルは地に膝をつきうずくまって怯えていた。
精一杯力を込めて、自分の心を守ろうと必死に腕で体を抱きしめる。震え。
それは自分の行き場所を、探しても探しても見つけられない。そういう力の動きだ。
ふと、ラケルが旅を始める時に言っていた言葉を思い出す。老婆から幼女へと姿を変えた時…
ーーそれで、記憶も戻ったのだ…私の名前はラケル・フォン・シュトロハイム。遥か西にある王国の王女。とはいえこの不景気、戦争も多く起きたのだろう。私の王国が健在かは分からん。もはや旅の身ゆえ、なんなりと使ってくれればいい。この恩情は計り知れないし、お前の旅は面白そうだ。
その言葉は強がりだったんだ。
そして、甘え…
長く、離れてしまった故郷の変貌を目にしたくない。
不登校児が学校に戻るような不安。そして、幼いながらも王女であるということの責任感。
多くの罪悪感がラケルの心でたぐり合わされ、重くのしかかる。
リリルアには分からない。一つの場所に留まることの苦しみが。移動を続けていれば責任なんてものはない。
だから、リリルアだって定住性ということから逃げていたのだ。
自分が自由であるということを大義名分に。格好をつけていただけだと今言われれば、返す言葉がない。
ラケルは突然、瓦礫に自分の拳を思い切り打ち付けた。
なんとか恐怖の落ち着ける場所を見つけようとしていた。そして、見つけた。それが自傷行為だった。
心の震えは、狂乱のマゾヒズムとなって顕現する。
サディズムもマゾヒズムも、「サドマゾヒズム」という言葉に集約されるので。これは人が憎いということと、自分が憎いということの、
人を傷つければ自分も傷つく。
不完全で、誰かいなければ完成しない心の形。
ラケルは幼すぎた。
何かを失えば何かが生まれる。逆も然り、という世界の流れを心の中に抱いている。本当に美しい魂の持ち主だ。それが滅びた自国の景色に重なる。
誰かが生きるためのしわ寄せである戦争、必然だ。けれど自分の責任で滅びた国がある、その事実。
ラケルは叫んでいた。
「誰か!誰かあるか!私はこの国の主、ラケル・フォン・シュトロハイム!誰でもいい、生きているのなら!」
そんなふうなことを何度も言い、声がかすれていく。やがて奇声のようになっていた。
腐りかけの木造建築の瓦礫。
拳の当てられたところは棘を帯び、痛々しく血が流れる。それでもラケルはやめなかった。
ひたすらに、自分の責任感を責めていたいんだ。
リリルアは見ていられない。
「やめてってば!あなたが今腕を怪我してどうするの!」
ラケルの腕を抑えると、睨まれる。自分の親兄弟、友人、市民。全て金の事情で滅ぼされた。もしかするともっと多くの誰かが、生きるために必要な戦いだったかもしれないけれど。
微塵も情はないように、今のラケルには見えてしまう。
自分の故郷全て、壊されてしまった。
「まだ…あなたが希望を捨てる時ではありません。二人で探してみよう、生存者がいるかもしれない。」
自分をどこまで責めてみても、何も生まれない。リリルアはそう呼びかけていた。
「そう…だな…」
リリルアは自分の服を噛みちぎり、ラケルの拳に巻いてやった。
先ほどまでいた町の酒場と同じ光景だ。またしてもリリルアはラケルの純粋無垢な怒りに優しさで答える。
それで落ち着いてくれたようだ。
なんとか立ち上がり歩き出す。二人一緒に廃墟の町を探し回ることにした。
「死体が一つもない…きっと普通の戦争じゃないよ、皆殺されたかも分からない。」
「あ、うん…」
「まだ落ち着かないの?」
ラケルは傷ついた自分の拳を気にしている。
「ありがとう、アリル。でも、落ち着くと拳が温かくて、痛いんだ。とっても痛いよ。」
「痛いの痛いの、飛んでけー!」
…ダメ元だ。
少し間が空いたのでこれは効果がなかったか、とリリルアは不安になった。
けれど、ラケルは笑顔になって打ち付けた腕を振って見せた。
なかなか、子供騙しのおまじないもバカにできないな。「御呪い」と書くくらいだから。
しかし、やはり笑顔のラケルは天使のようだ…焼けるほどの憎しみや情熱を心に秘めていながら、飽くまで可憐。
これが、美の定義…
やめよう。あまりくだらないことばかり考えていられない。リリルアは邪念を振り切る。
二人は町を徘徊し続けると、明らかに不自然な地下への階段を見つける。それは家の瓦礫に囲まれた真ん中の空間にあった。
簡単には見つけられないものだ。希望が見える。
ただの家の地下の残骸…もしくは生存者の隠れ家。
階段を少し下ってみると、光が見えた。やはり人が住んでいる。
実は敵陣である可能性も否めないのだが…
こちらの気配に気づいたのか、声がする。
「誰だ!」
シンプルかつ冷静でいい。
急に階段の狭い通路に火球を撃ってきたりしない。
「ラケル・フォン・シュトロハイム!」
声は地下空間の中、木霊する。
特に攻撃される気配はない、王女が名を名乗ってもだ。
敵陣である可能性は薄い。
「まさ…か…!貴様、今度は王女殿下に変化でもして来たか!声も似ている…」
「お前はヴィンセントだな!我が王家の者を代々側で守り続けている一族の者!」
「名前など誰が知っていてもおかしくはない!」
「私が子供の頃愛用したのは、平民の友人ソフィーが作ってくれたホッキョククジラの縫いぐるみジェファーソン!」
地下で剣の落ちる音が聞こえた。どうやら、本当にラケルの王国の生存者がいたらしい。
うまく説得した。
クジラのジェファーソン…リリルアもいつか見てみたい、さぞかし可愛い縫いぐるみなのだろう。
ラケルは階段を駆け下りていく。またリリルアは走るラケルを追った。
地下へ辿り着くと、そこには真っ赤なコートをまとった若者とラケルの抱き合う姿があった。ほのかなランプの明かりが満ちている。
「王女様!生きておられるとは…あぁ、この喜び!しかし、私は守れなかった。この国を…」
「ヴィンセント…説明してくれるか。この国に何が起こったのか。」
涙目でラケルはヴィンセントという男を見つめている。それほどまでに再会が嬉しいのだろう。男は王族の近衛騎士、とでもいったところだろうか。
それとも狙撃手?長い弓矢を背負っている。
リリルアは地下室の入り口のところで、見守る。
「はい…市民もろとも、王族の方々は突然襲ってきた…あ…」
「襲ってきた…?なんだ?」
「一人の少女によって捕らえられ、国もまたそいつに瓦礫の山とされました…!
我々は、王の恩恵で異種族の者たちを匿っていたのです、そして共存しようとしていた!しかしその者たちも、もはや囚われの身…!恐らく、襲ってきたのは闇社会の者でしょう…
我々は情けないながら、なすすべもなく滅ぼされました。一夜のうちにです…大陸最強の魔法軍と謳われた、エルフの臣下たちまで囚われの身に…」
ヴィンセントという男は震え始めていた。
しかし、予想通り。戦争には裏の者が絡んでいるらしい、しかし戦力「一人」とは闇社会の底が知れない。
「うむ…しかし、よく私にそのことを伝える勤め果たしてくれた。お前が生きてくれていること、ここにいること、嬉しく思う。
それほど強大な者…しかし、私も手土産があるぞ。我が主、この世の救世主アリルだ!
本名はない。あと、口が悪い。が、空を飛んであの龍神まで落として見せた女だ。商売の知識もある、力になろうよ。」
いや、ちょっとは一人に一王国が滅ぼされたことに驚きませんか?
なんだか期待の眼差しでリリルアは二人に見つめられている。そして、いつからラケルの主人に自分はなったのだろう。
たった三人で、国を滅ぼすまでの力を持つ一人。それにどう立ち向かっていくというのだろう…確かに龍は運良く落とせたけれど。
あれはブラック企業で、弱点丸見えだったからだ。世の中全てあんなふうに甘くない。
「ええと…こんにちは?」
リリルアは不器用に笑って見せた。
商人が龍を落とすのに飽き足らず、滅びた王国の再建まで図っていいのか…?身の程知らずにも限界がないかな…?