朝日の予感
リリルアが外へ出ると既に多くの者は息絶えようとし、艦船は止まっている。走るリリルアの足にも人の血肉が嫌みたらしくまとわりついていくのだった。命の朽ちていく匂いに吐き気がしたが、先ほどまでいた一室から大きなエーテルの波が放出される。
黒づくめの男はこの艦船の心臓部だった、それを突き刺したのはリリルア。言うなれば黒づくめの男が取り込み力としていた全てのエーテルはこの船の血液。大きな波はやがてリリルアの体を飲み込む。
意識は夢の中にいるような浮遊感に襲われ体の自由は強い流れによって奪われてしまった。波は全ての人の死骸を飲み込み甲板に空いていた大穴へ流れ込む、リリルアもその穴の中へと落ちていく。
落ちた先は艦船の燃料タンクの中だった。この船は人間の地肉によって動くというのだから、燃料を動かす媒体のない今ここはただの死体置き場。予想はリリルアもしていたがいざ光景を目の当たりにすると激しい動悸がする。
◆
流れが落ち着くと辺り一面にゆらりゆらりと浮遊する無数の死体が見える。
全てが「物」だ。
粘っこい死者の匂いがリリルアの鼻をつん裂きそうであるというのにこれといって目を引く死体はない。全て単純明快、人間のように他人が違うものに見える感覚はない。
一体の死体がリリルアの手に触れると、飛んでいきそうになる意識は喚起させられ自分は生きているという実感を思い出す。これだけ死者の多い場所にいるのだから自分が死んだと錯覚してもおかしくはなかった。
死体は柔軟な弾性を持っていた。生きている人間と分かり合うのは今起こっている戦争、それだけ難しいというのに死者の肌は優しかった。
しばらくして自分の体に血と混じり合って異質な液体が絡まっているのに気づく。女性である彼女はすぐにそれが何であるか理解し、辺りを見回すと死体のほとんどが裸体であることを知る。それが今度は執拗に意識の中へ入ってきてキノコの森の光景と重なる。死者の性的な部位が自然の中の神秘に酷似して見えるのである。
旅をしてきてずっと人の優しさに触れ、真に理解しようとしてきた自分は「死」への憧れを持っていたのかもしれない。永遠への回帰、宇宙への望楼、性衝動。
今度はリリルアの鼻の中に「性の倦怠感」なる匂いがしてきた。
死体の浮遊する姿はあたかも眠っている母親の記憶のよう。
レースのカーテンから西日が差し、ゆらゆらと揺れす椅子の上で母親が眠っている。自分はぎゅっと母親の真っ白い服を握っていて膝の上で母の肖像を眺めている。
それは確かにリリルアの母親だった。温かい西日に体が晒される感覚を、母への愛しすぎる感情と繋げて確かに覚えている。
名前を失ったことで忘れかけていたが、自分にも母親がいるのだ。
「お母さん… 私はどこで生まれたの?」
「キノコの森で…」
「いや! そんなの違う!」
眠っていた母の形相は醜く歪み、否定したリリルアを睨めつけている。母親はリリルアの首に手を添えて強く締め付けていく。
リリルアは母親だから私はここで死んでもいいか。と、幼く思う傍ら強く「生きたい」と思って母親の顔を足で蹴飛ばす。走り去る時振り返ってみると、顔を押さえて地に伏す母親の姿が見える。自分の心を締め付ける強い鎖のような罪悪感が芽生えていった。
「ダメ、行かないで! お母さんを一人にしないで!」
いつまでもこの光景から死体の山を見るような思いで絶え間ない憎しみとともに逃げてきた気がする。思春期の子供がそうするように。
今温かな記憶は「性の倦怠感」と共に思い出された。
◆
「母さん」と、リリルアは言いたかったが口を開くとエーテルと血、性の流れが自分の口に流れ込んできてはっきりと味を感じる。
そこで自分はどうして水の中で匂いを感じていたのか、目を開けていられたのかという疑問を自覚する。
衝動的に水を蹴り、死体をかき分けて水面を目指した。エーテルは燃料タンクを埋めつくほどの量だったらしく水から上がると甲板にたどり着く。甲板面もまた一つの大きな水溜りのようになっていた。
少し咳き込んで辺りを見回すと皆なぜか眠っている。戦っていたレイジとフローレンシア、海の底から現れた龍も。レイジの剣がフローレンシアの体を貫いているのが見えて、そこから流れ出る血は妙にリアルに見える。
空を見上げると宙にいたのは真理の影だった。乱れていたエーテルの流れも散りじりと粒子のようになり地へ降り注いでいる、キノコの森で見た胞子のように一つ一つが輝いて見える。
「皆、死んだの…?」
『ああ、死んだのだ。永遠の夢の中へと落ちていった。』
「もしかして滅ぼすって、夢の中へ連れて行くことだったの? この世界も滅びた太古の世界の夢の中なの?」
リリルアの中で自分がどうして太古の記憶を持っているか妙につじつまが合ってきた。それは昔の記憶というより、別次元の記憶である。恐らく今も滅びたもの全てが別の次元で生きていて自分たちはそれを認識できないだけだ。その証明としてサンタ・マリアがあった。
戦争で死んだ者全て、今から死のうとするレイジ、ラケルらも、自分の母親も。自分の犯した罪を償おうとこの宇宙を漂い続けるのだろう。まさに孤児院の男メフィストフェレスが言っていたエル・トポの国そのものだ。
先ほど燃料タンクで触れた性の感触もそれで、死は絶え間ない快楽に似ている。自分はこの世界でずっと死に憧れ続けてきた。きっと、今ここで死んだとしても憧れは消えない。
『お前は選ばれし者か? ならば神の果実を与えてやろう、これを食べてこの世の動物と共に新たな文明を築き上げるのだ。我の花嫁にしてやろう。』
影の王、真理の影ガンダールヴはリリルアにそっと青白いリンゴを差し出す。それをしばらく見つめて考えるが自分は人間として生きたいと思った。
リンゴを拒み、ポケットからずっと懐に入れてあった小瓶を取り出す。これは魔法の力でラケルが飛行機を閉じ込めたものだ。それを念じながら割ると飛行機が顕現する。
すぐにリリルアはそれに乗り込みエンジンを起動する。ガンダールヴが大刀を振り下ろすのを間一髪ところで機体はかわし、空へと飛び上がった。
「やっぱり…! この星もまだ人と一緒に生きることを願ってる…」
大気中に散らばっていたエーテルが流れとなって凝縮し、壊れていた機体の翼をかたどってくれる。前よりもずっと早くリリルアは飛ぶことができた。風のように機体を後押ししてくれるエーテルもある。それは心地よくリリルアの髪をなびかせた。
颯爽とガンダールヴが後ろから追ってくる。
『貴様、記憶の保持者だったのか!』
「そうよ。この飛行機も、エーテルの流れも、私の記憶も人が生きようとする意思!世界の運命にだって立ち向かっていける!」
追いつき、刀を振り下ろそうとするガンダールヴをうまくリリルアはかわしていく。旋回し、飛びかかってくるガンダールヴにリリルアは自分の身で引導を渡すことに決めた。近づかれたところで左足に力を込め、操縦席から飛び上がる。ガンダールヴの脳天に自分の短刀を差し込んだ。
「あぁ…! あぁ…!?」
怯えるようなそぶりを見せるガンダールヴ。また一つ、刃を強く押し込むとリリルアはガンダールヴ共々海へと落ちていった。
『貴様! こんなことをしていいと思ってるのか!? 永遠の命が得られるんだぞ、人だって決して死ぬことにはならない! 転生するだけだ!』
「そうかもしれない… けれどもうあなたの役目は終わったはずよ、皆に夢を見せて。もう起こしてあげて、きっとあなたのことも救いに行くから。」
リリルアはそう言って微笑み、海の中でガンダールヴを抱きしめた。
『我はまた来るぞ… 貴様らが存在する限り我もまた…』
「うん。見守っていてね。」
安らかに眠りにつくガンダールヴの体は光り輝き、無限のエーテルが放出されていった。それはまた極限まで乱れてリリルアを飲み込んでいく。嵐のようになったそれはやがて鋼鉄の艦船すらも海に沈める。
◇
長い夢を見ていた気がする。
どこかも分からない浜辺で起き上がったリリルアは横にラケルやレイジ、フローレンシアの姿を確認することができた。波の音がゆっくりと胸に響いてくる。潮の匂いは濃いし、優しい音楽がそばで流れているのも聞こえた。これはリリルアの聞いた木の子の音楽だ。
「お前の妹、死んではいないよ…」
目を開けて寝転がったまま話しているのはフローレンシアだ。レイジもどうやら目を覚ましているらしい。
「そうか。」
「許してくださいな。あなたの気を引きたかっただけよ、ずっと私の命令に従ってばかりで反抗してくれたことないでしょう。」
「ああ。」
レイジの額に口付けをするフローレンシア。リリルアの方からは少し顔を赤らめるレイジが見えた。きっと皆夢から覚めたばかりで、風邪の時のように優しい気持ちでいる。
プラレスがこっそり横でその光景を見て笑っていた。
「あんた、これからどうするんだよ…」
「もう少し穏便な方法を取ろうと思うよ。」
「今度はちゃんとできるといいな。」
フローレンシアももう人の血で船を動かすようなことは、真理の影に夢を見せられた今することはないだろう。「そこでシュラがまだ眠っているから叩き起こしてすぐに聖域へ帰る」と言って話を締めくくる。
「アリル、真理の影は。」
ラケルが聞く。
「帰って行ったよ、帰るべきところへ。黄泉の国へでも行けば会えるんじゃない?」
「黄泉の国へ奴が来るのか。妾に厄介が押し付けられたわけか。」
九尾の狐も加わって三人、微笑み合う。
リリルアは今度、きちんと立ち上がると浜辺に落ちている何かをみつけた。どうやらそれが流れている音楽の発生源だったらしい。それは聖域からシュトロハイム王国へ帰る時海へ投げ捨てたレコーダーだった。
どうやら木の子の森で何かの弾みに録音されたものらしい。防水機能まで備わっていたとは驚きだが、変な巡り合わせもあるものだと思って希望が湧いてきた。
「自分の名前は思い出せたのか?」と、ラケルが聞く。
「ううん、まだ。母さんに会いに行かなきゃ。」
自分にかけられた呪いは呪術師のものでもなんでもなかった、きっと自分自身がかけてきたものだ。世界によって生かされている事実。そんな世界の呪いにいつの間にか自分は屈してしまっていたのだろう。
しかし、今なら解ける気がする。
昇り来る朝日の満ちた水平線を、遠く見つめるリリルアであった。
◇
《拝啓 母上様
また突然旅に出た私のこと、お許しください。久しく帰郷しておりませんがお変わりありませんでしょうか。きちんとお医者様の処方する薬は用法用量を守り、ご自愛ください。
今度の旅は私にして珍しく、目的地を回ってまいります。私に目的があるなんておかしいでしょう?
私が北の国で出会ったラケル・フォン・シュトロハイム王女は自国が聖域に変わってから、国政に追われています。近臣のヴィンセントさんによく怒られていて。
結局私が行ってもあまり話をすることができなかったのです。しかし書類仕事に嫌気がさすとドワーフの農耕地へブリリアントという美しい馬を飛ばして、一緒にじゃがいもを育てるあたり彼女らしいと言えましょう。
泥んこになって帰ればまたヴィンセントさんに叱られます。
そう、シュトロハイムの軍人でもあったプラレスさんは龍神族の聖域へ行きました。どうやら元来のガンダールヴ信仰と龍神信仰のうまい統合を企てているようです。
レイジさんは裏の商会をNo.6さんやプラレスさんとまとめ上げて、今度ママ・コチャと盟約を結ぶそうです。フローレンシア様の活躍も手伝って商会は今度、ママ・コチャの政治機関になるみたいですよ。それに当たってフローレンシア様とレイジさんが血縁関係になられるそうなので、私も式には出席しようと思います。あの二人だから、きっともっといい世の中を作ってくれるはず。
No.6さんは異種族の奴隷の解放に尽力、プラレスさんは異種族の心地いい住処を再開発中。レイジさんは持ち前の技術で盲目の人に光を与える魔道具をこの間開発したみたいですよ。
見失っていたアリクイさんもその過程で見つかったそうで、今は山奥の異種族の集落で暮らしています。一時期一世を風靡したポルコ・パルコさんもレイジさんの元で一生懸命働いているそうな。
九つ尾っぽの狐さんはサンタ・マリアの統治を再開しました。昔と同じように虫屋敷? 紹介していなかった虫のお姫様の家があって、そこでガンダールヴさんと一緒に暮らしています。ガンダールヴってあのガンダールヴ、ご存知のことと思います。そこの家の前には看板があって、いろんな人が死んだ後の人生相談に訪れるそうで、そこから黄泉の国へ入っていきます。その看板動くんですよ。
サンタ・マリアのことは不可解なことが多いでしょうが単純にお伝えしておきます。
また友人共々家に帰ります。
そんな時は手紙を出すので、前に好評だった温かい母さんのキッシュを材料だけ用意しておいてくださいね。皆で作りましょう。
マリス・サテラ》
読者様
この話だけ読んでくださった方、ここまでお付き合いくださった方。ブックマークをつけてくださった方、感想をつけてくださった方、全ての方に心から感謝いたします。
橘麒麟




