「老婆?幼女?」
積もり積もった雪の道を、町の郊外へ、山の麓へと歩きやっとの思いでたどり着いた。ここが、老婆の言っていた場所だ。
木々は全て枯れていて遠くまで見渡せる。ただ、白夜の時期は夏なので新芽を出そうとしている木も幾らか見て取れた。
小さな芽や蕾は可愛い。リリルアも優しい気持ちになってきた。それもそのはず、自分が商人をやめてからほぼ外に出ていなかったのだから。
自分が森の中にいるというだけで、心持ち穏やかなのである。
この辺り特有の乾いた風が吹く。吸い込むと、この数日間憂鬱に溜め込んだものが浄化されていく。この気分だけでも、町を抜け出してきた甲斐はあるというものだ。
そんな道中を抜けて、木のない場所を見つけたのである。
「それでどこにその機械が…もしかしてこの洞窟の中?」
「そう。この中に…この洞窟の入り口から向こうの平原まで、木がないのは滑走路だよ。」
目の前には大きな、長方形の入り口をした洞窟があった。老婆の言うには、飛ぶための勢いをつけるのに必要な道らしい。
「危ない人の住処になってたりとかしない?」
「お前はそんなこと言っとる場合か、文なし!」
リリルアは老婆に頭を軽く叩かれた。まあ、町に住むのは皆ホームレスのようなものだし、出て行った人の空き家もある。こんな郊外のヘンテコ施設に居を構える者はいないだろう。
さっさと入って行ってしまった老婆の後をリリルアが追う。
少し行ったところに大きなドーム状の部屋があり、そこに空を飛ぶ機械があった。人が二人乗れるくらいの席が上部に露出したままで見える。
外からの明かりで部屋はきちんと見渡せた。
「これがそうなの…確かに見たことない機械だけど、羽は生えてるし。オモチャとか現代アートの類じゃない?人力も馬力もなしに動くの…?」
「お前は馬鹿か!商人のくせに古代道具の勉強もしとらんのか…そんな教養のない小娘だから不景気に打ち勝つ力もないんだよ!」
また一喝されてしまった…
「めいいっぱいおだててた時と扱い変わりすぎじゃありません?それに教養なくても誰かしら助けてくれる人がいましたよ、前まで。」
まあ一世一代の大儲けをしようというのだから仕方ないか…なんだかこの老婆は、それにあやかろうとしてるらしいし。
それにしても元気だ。
リリルアが助けなくても死にはしなかったんじゃないか。愛嬌があるといえば、ある老婆だ。皺くちゃのくせに。
「ああ…本当にこんな小娘が救世主なのか私自身も心配に…分かった、お前はその愛らしさと美しさを与えられた代わりに名前を奪われたな!
それはともかく、これは飛行機というもの。昔は何か不思議な液体をエネルギー源にしておったようだが、今はその回路に魔力を流し込めば動く。」
呪いに関しては憎たらしいが納得がいった。ただ、名前のないことで不自由を被ったためしはない。
「はい!お婆ちゃん、魔法学校面接落ちなので魔力なんて微塵もありません!中退して商人やってました!」
実はリリルアにもとある町で学校へ通おうと思い立った時代があった。しかし面接で落とされたのである、ふてくされたリリルアは商人になったわけなのだ。
偉大な魔女になって素敵な王子様を操り富を手に入れよう、なんて考えてたのは結構な昔。
「本気で落ちこぼれのようじゃな…いいよいいよ、その点はここに魔石というのがある。商人だったら目にしたことはあるだろう。最高級のものだ、これくらいの機械を動かすくらいなら一日中でも平気だよ。
この飛行機はお前が操縦する。魔力に波長があるのは知ってるか?いわゆる、この世界でこれと同じものを作ってもお前にしか動かせんのだ…この機械の動いていた時代の記憶を持つお前にしか。操縦方法を記した書もないんでな。」
「お婆ちゃん大好き!」
自分が魔法を使い、空まで飛べる日が来るなど思ってもみなかったリリルアは老婆に抱きついた。夢のようだ。
魔石を使えば酒場であれほどひどい状態になることはなかったろう。しかし、見知らぬ旅人の導となるため貴重な魔石を使わずにいた。
リリルアも自分が空腹だったのにも関わらず、見知らぬ惨めな老婆に食事を与えてやった。
情けは人の為ならず。とは、よく言ったものである。
また、考えを変えればこれも呪いのおかげ…
「お、おいお前!老ぼれに抱きつくでない!腰が!腰…が?」
「は…え…?」
突然のこと。
みるみるうちに老婆が若返り、そして小さくなっていく。老婆の脆い体の感触はなくなり、しっかりしたと思うと手から離れる体。
リリルアが突然のことに驚いて抱きつくのをやめると、元々老婆だったはずの人間はぺたんと地に落ちた。
老婆が着ていた大きめのコートと洋服にくるまり、愛くるしい眼差しでリリルアを上目遣いに見遣る幼女がいる。
銀というほどきらびやかでない真っ白な髪に、真っ赤な瞳の幼女がいる。肌は驚くほど白く、今までいた外の一面の銀世界を思わせる。服にくるまっていたとはいえ僅かに見え隠れする肌の色。そして太古の月のような目の色。
この構図はまさに。
雪に閉ざされた世界に長い年月を経て舞い降りた、神の遣わしたる真っ赤な月。
リリルアは幾日ぶりか、本物の夜の中に身を置いた気がする。
今の彼女のことをある程度の腕の画家が描けば、世紀の名作として世に名を轟かせることだろう。水彩画がいいかな、油絵がいいかな…
音楽家がいればこの女神に賛美歌を捧げられるであろう。
とにかく、幼女がいる。
ーか、かわいい…インスピレーションの泉…!
一瞬心を奪われかけたリリルアだったが、程なくして我に帰ると老婆を探す。少し声が素っ気なかったのは棚に置こう。
「お婆ちゃん!?お婆ちゃーん!!」
戸惑っていたリリルアはなんとか目の前の幼女からまず目をそらすことに成功した。そしてどぎまぎと部屋の中を探し回る。しかし、隠れられるような場所は一向に見当たらない。
「おい、お前。」
「へ…?」
「ここだよ、そのお婆ちゃんは。」
ゆーっくりと幼女の方へ目をやってみるリリルア。
「うん、ここだってば。」
確かに幼女の口が動くのを見た。
「そ、あなたに助けられてここに導き、あなたと一緒に空を飛ぼうとしてた老婆は私よ。」
「本当に?」
「そう。」
まだ固い体のままで、静かに対面する。
「どうしてそんな体になってしまったのでしょうか…?」
「抱きしめられたからだよ。お前の愛嬌、呪いのせいだって言ったでしょ。それが魔法の力のようになっていたんだね、気づかぬ間に放出される。いい、この世界では人のオーラとか自然に作り上げる雰囲気のことも魔法なんだ。
それとも、お前が太古の人間だからか…お前の抱擁が私にかかっていた呪いを解いた。酒場でのことと言い、お礼を言うよ。
酒場でのお前の無償の愛も、解く鍵として蓄積されていたのかも…」
助けておいてよかった。酒場で老婆を助けてしまった時には、一体気狂いの老害だったらどうしようかなんて思ったものだが、こんなにも美しい幼女だったとは。
つゆ知らず…無礼と無知の数々をリリルアの方が詫びたい。
そういえば、老婆が倒れていた時足に顔を近づけ温めたが…あれも幼女の足だったのか。ここは悩みどころだ。
全く、世の中何が起きるかわからないのだから。かけられる情けはかけたほうがいいのだろう。
静かに元老婆は洋服をまとめ、体に巻きつける形で上手に身にまとった。
「それで、記憶も戻ったのだ…私の名前はラケル・フォン・シュトロハイム。遥か西にある王国の王女。とはいえこの不景気、戦争も多く起きたのだろう。私の王国が健在かは分からん。
もはや旅の身ゆえ、なんなりと使ってくれればいい。この恩情は計り知れないし、お前の旅は面白そうだ。」
ラケルが笑った。笑顔はますます輝かしい。
「いえ、行きましょう。あなたの国へ。まだ残っているかもしれないですし…私にもこれと言って行く当てはないですから…」
「おいお前、なぜ敬語に…」
「あなたがあまりにもお美しいので…いっそ家来に…」
「馬鹿かお前!だから不景気に勝てんのだ!元のままでいいわい!」
ラケルが飛び上がり、リリルアの頭を叩く。
やっぱり、記憶が戻ったとはいえ中身は老婆のままだ。ラケルの方も、あ、老婆出ちゃった。とばかりに照れている。
不機嫌そうにするラケルに押しやられ、やっとリリルアは飛行機の操舵席へと入った。
どうすればいいのかわからないリリルアに、魔石で後方に乗ったラケルが魔力を供給するから。ただだたインスピレーションで動かせばいいと言われた。
それが前世の記憶によって、練習なしに何かができる。俗に言う天才の手法なのだと言う。
飛行機、動く。後ろにあった三つのエンジンが稼働し、下から車輪が降りた。
「おい、お前!できそうか!!」
大きなエンジン音の中、ラケルが確認する。
「集中してるから話しかけないで!」
ラケルは一喝され、感心しているようだ。やはり、リリルアは太古の世界よりやってきた人間なのだと。
リリルアとラケルを乗せた飛行機は滑走路をゆっくりと動き始め、スピードに乗ったと思うと一気に大空へ舞い上がった。