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無職だけど異世界で旅がしたい  作者: 橘麒麟
創世記:序章
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「そうだ、旅に出よう」

時々路上に敷き詰められた背の高い、しかしふさふさの雪に足を取られ転んだりしながらリリルアは町の酒場へ向かった。


今のご時世、この町で金のない者に貴重な食料を与えるのは酔っ払いくらいのものだ。

リリルアは運のない町で旅を終えてしまったなと思う。大雪の中、山や谷を越え何もない町にやってくる物好きはいないし、もしかすると人がいることすら知られていないかもしれない。


町はすっかり荒廃し、辺り一面雪景色。一通り衰微していた、この町は社会の余波であり、リリルアが廃人になったのはこの町の余波。

旅費を工面できたものは足早に去って行ってしまった。数日前までは、歩けば大道芸や音楽家の群れでサーカスの様相が広がったけれど今はない。温かいコーヒーを無料でくれる親切な人なんぞいない。


凍え切った体を震わせながら酒場の扉をくぐる。


店の中は少ない人の熱気で、外よりかは温かい。この町は今、白夜の時期。昇る朝日に夢を託すこともできず、温かな夜の安寧を得ることもできない。もちろん、いつ酒を飲んでいいのかも分からない。リリルアは初めてこの町に来た時感動したけれど、今は憎たらしく見える沈まずの太陽。

時間が止まっている。


長らく探し続けた落ち着ける椅子に不器用に腰掛けた。このまま眠ってしまうには周りの男共の悪臭と空腹が重すぎる。虚ろに目を開け続けた。


「おい、商人さん!また昼間っから酔っ払いかい?あ、この町に昼も夜もないか。」


ドッと笑いが起こった。皆真っ赤な顔をしていて床に寝転がるものもある。撒き散らされる唾がリリルアにも当たると、すぐに拭う。


「おいおい、誰か飯をやれよ。商人さんは今にも死んじまいそうだ。」


「安いパンは1だったのが今は20カペイカ。ぬるい粥は一杯50カペイカ。でだ、女は30カペイカ!金がなきゃダメだ、死にそうなのは誰だって同じなんだぜ。商人さんはまだ綺麗だから、髪や歯なら高く売れるな。それに…」


「それ以上は言ってやるなよ!」


また笑いが起こる。リリルアは机の上に上半身を投げ出し、腕の中に自分の顔を埋める。


——ああ、どうしよう。いっそ水商売でも始めるか。でもこいつらに媚びるのは嫌だ、ずっと家にこもっていられるならそうしたい。ずっとそんな風に生きてきた、知らない人のところを渡り歩いて…縛るものなんてない。自分の名前だって覚えてない、それが楽しくてしょうがなかった。自由がよかった。


どうにもならない世の中で、生きていくためどうにかするには反道徳的なことをしなければならない。身売りだとか、戦争、窃盗、詐欺まで。「どうにもならない」というのはそう感じることだ。金のことも、心のことも。手段を選んでいる暇はない。


例えば寂しいと感じたら身売りすればいいし。


例えば金がないと思えば盗めばいい。


それでよくできた世の中だし、戦争は格好の例で新たな価値を無限に創造し市場を潤す糧となるのだから致し方ないのである。


ただ、未だどうしてか分からないつっかかりが、心の奥の極細い道のようなところにあって何もできず酒を飲むしかないリリルアがいる。


彼女は少女だ。

歳も名前も生まれも分からないけれど、心から転じた容姿も幼く綺麗な少女だ。


ゆっくりと酒場の扉が開く音がして、リリルアは顔を上げてみた。彼女以外にこの町において酒場の外で暮らす人間がいるとは考えてもみなかったからだ。皆、現在の状況下一人でいるのは怖いことだから酒場で暮らす。


「あんな奴この町にいたっけか…?」


「いやぁ?俺は知らねえよ、あんなの。見たことも噂んなったこともねえや。目立つはずだけどなあ。」


入ってきたのは一人の老婆だった。オランウータンのように体を丸め、よぼよぼと歩いて来ると突然倒れた。この極寒の白夜の中をボロい絹のローブ一枚で歩いてきたらしい。裸足だった。足は真っ赤に染め上げられている。


「おー。死にやがったぜ!おい!誰かないか、人の肉を捌いたことのあるやつは!いるだろう、こんなご時世だ…今夜は久しぶりの肉でパーティさ!」


リリルアは突然ガタンと机を乗っけていた腕で跳ね除け、立ち上がる。


「ふざけるなぁぁ!!」


自分は見知らぬ、何も持たない老婆に一体何をしたいというのだろう…


酒場は今までの様子からは想像もつかないほど静まりかえった。


この瞬間、ずっと今考えていたもどかしい、心の奥のつっかかりが弾けて自分の中に熱い血液の循環のようなものを感じた。久しぶりに感じる、生きているのだという実感。


リリルアは老婆に走り寄ると、息があるのを確かめた。


「欲しいなら私が今着てるこのコートをくれてやる!だからこの店にある食料、水を持ってこい!お前らなんか大嫌いだ!」


ぎこちなく周りの人は動き始める。


「おい!水とパンに温かいスープだ!」


一人の男が言う。今度は忙しそうに酒場の全員が動き始める。

一人の男がリリルアの投げ捨てたコートを拾った。


リリルアは自分のセーターまで脱ぎ、それで老婆の足を覆ってやると顔を埋めて息を吹きかけてやった。やがて、お盆に乗せられた食事が運ばれてくる。リリルアが老婆に飲み食いさせてやった。なんとか食べる気力まで残っているようだ。


老婆を酒場の奥にある一室へ運び込むと、ベッドに入れて毛布に包んでやる。リリルアはそばで老婆が目覚めるのを待つことにした。その時にしてやっと老婆に買ってやった食事を、一口でも自分で食べておけばよかったなということに気づいた。


——まあ、いいか…


リリルアは部屋の鍵を閉め、やっと眠りにつくことができた。



リリルアが目を覚ました時、老婆は上半身を布団から出して窓の外を眺めていた。勘付いたのか、リリルアの方を振り返って優しく微笑んだ。


「お嬢さんかい、私のことを助けてくれたのは…」


「あの。でも、パンを作ったのはパン屋でスープを作ったのはここの料理人です。水は、雪を溶かしてためていて…」


「そういうふうに考えるんだねえ、お嬢さんは…優しい顔をしてるよ、でもやつれてる。お酒はほどほどにね、まだお若いんだからねえ…」


「…宿命です。不景気に戦争も窃盗もする勇気がないとしたら、皆酒を飲みます。私たちは俗に言う落ちこぼれ集団です。

ところで、お婆ちゃんはどうしてこんな町に?ずっとこの町にいたの?」


リリルアはしきりに首を振り、俯いていた。なんだか、自分に何の勇気もないということを抉り起こされているようだ。それが嫌で新たに質問を提示した。

老婆もそれを察し、あえて「落ちこぼれ」というところには踏み込まない。


「…

私は山から降りてきたんだよ…この町に旅人さんが来ているというから、その人に導を示すためにな…」


「お婆ちゃんは預言者や仙人の類なの?」


「まあ、そんなところねえ…お嬢さん、手を見せてごらんなさい。」


言われるがままに手を差し出す。本気で老婆が預言者、などとは信じていなかったが今や何の当てもない身だ。損にはなるまい。それに、老婆を救ったのも何かの縁。


「なにか…ある?」


「お嬢さん、この世の人間じゃないね。」


「は?」


いやあ嘘でしょう。何かデタラメを言われている。


「記憶は長く長く…ほ。幾億年か前じゃな。そこから転生してきたのか…おお!これは救世主の証…そして曇りなき目の証。」


「ちょ、ちょっとおだて過ぎですよ…?」


「いやいや、嘘じゃあないよ。お嬢さんは遥か昔の記憶を持ってる。いいかい、時代ごとに大成する人間というのは長い記憶を持っているものなんだよ。それがデジャビュとして現れるのが普通…芸術家のインスピレーションもそれだねえ。

お嬢さんは人を救う力を持ってる。私を救ったように、前世の感覚を覚えているから、汚いものや価値のないものに目を向けて救うことができるんだよ。現世の感覚に縛られないからね。そしてそれはいずれ、全て己の益となる…」


だんだんと信じ始めているリリルアがいた。


「それじゃあ私は何をするべきなの…?」


「旅だよ。そしてお前は自分の名前を知らないね。それは呪術師の呪い。名前を奪い、運命という呪いをかける。お前が今ここにいるのはその呪いのせいもあるね。

とにかく出て行ってごらん。その呪いも、旅をし人を救い続けていればあるいは…」


「私は一文無しだけど…?」


要は自分が不幸にならないためには、その呪術師とやらに会って名前を返して貰えばいいのか。なかなか簡単そうな話だ。記憶というものの話も、ただのインスピレーションというのなら分かる。ちょっと誇張されて聞こえただけだ。


いや、でも転生と言われると…


「一億年前の世界からやってきた時呪術師に出会い記憶と名前を消失。今や呪術師がどこにいるかも分からず、思えば自分の出自は一切覚えていない。」


というふうに聞こえなくもない。


そういえば…不自然だ。


もしかすると至極重大かつ複雑な問題…?


「私が降りてきた山の麓に、古びた機械の残骸がある。きっとお前なら使えようぞ…空を飛ぶ機械だ。私がそこまで案内しよう。それでどこへでも行くがいいよ。」


まあ、当てもないしこの町で野たれ死ぬのも嫌だ。行ってみるのも一興かもしれない、あわよくば太古の文化を使って価値創造。宣伝できれば一攫千金。も、ないことはない。

空を飛ぶ機械があるのだとしたら…未曾有の大発明だ。移動手段に馬車と徒歩しかない世の中で、その需要は莫大なものとなるだろう。


「分かったよ、分かったから…!どこへでも連れてって。」


信じてみるか。少しの希望と疑惑を持って、言い切ってしまった。


二人は酒場から出て行く。靴や衣服は部屋にあったものを少し、拝借することにした。もしも老婆の言っていたことが本当なら、すぐにこの町一つくらい救えるだろう。


「お婆ちゃん、もう歩けるの?大丈夫?」


リリルアは声をかけたが、そんなに甘く見るなという顔で歩く老婆を見て安心した。


突然リリルアの中に存在すると言われた、太古の記憶と解けない呪い。これが全て老婆に言われたままの事実なのかはまだ分からない。しかし、リリルアは決心し胸を馳せる。


商人だってやめてやる、金に嫌気がさすのは飽き飽きした。世界はこんなにも残酷なのだから美しい場所だってきっとある。

純粋な朝日、黎明、人の温もり美味しい料理。土地に根付いた音楽に踊り。

そんな人々の優しさをきっと見つけてみせる。


もしも自分に力があるというのなら、それを分け与えればいい。自分のできることを自分のできる場所でという考えは、子供の頃からずっと忘れ続けてきたような気がする。


もしも呪いがかかっているというのなら、名前が奪われてしまったというのなら人に与えてもらえばいい。優しさが自分の帰るべき故郷へと連れて行ってくれるだろう。


とてつもない喜びがリリルアの中に生まれつつあった。


——そうだ、旅に出よう。


さあ、これから自分の知らない自分のことを知って行くんだ。思いもよらない自分と人のことはきっと残酷にそして温かくやって来る。


自分の生きる世界は自分で変える。

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