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3  想いを乗せて



 還魂祭二日目。ユリが初めて巫女神楽を舞う日。巫女装束に身を包み、準備を整え終えたユリは、大きく息を吸っては吐いてを繰り返した。

 舞殿の周囲には、三十人ほどの人集(ひとだか)りができていた。時計の針が夜の七時を指すと同時に、先に舞殿へ上がった神官たちによる神楽笛が辺りに響き渡った。その音色を合図に、ユリは静かに舞殿へと向かった。

 舞殿へ上がる階段の手前でユリは神楽鈴を受け取り、顔には目の周りを赤く縁取られた白い狐の面が付けられた。ユリは静かに階段を上がり、舞殿の中央へ進む。

 これまでの練習のおかげで、なんとか神楽鈴を落とさずに舞うことはできるようになった。しかし、少しでも気を緩めると痛みと汗とで鈴を落としかねない。決して油断はできなかった。

 最後の最後まで、表情までは誤魔化すことができなかったユリには、顔に付けた狐の面が唯一の救いだった。面の下で歯を食いしばって痛みに耐えるユリの表情は、誰にも知られることはない。

 演奏とともにユリの舞が始まった。

 緩やかに流れるような動き、短く響く神楽鈴の音。手首をひねるたびに流れる汗が宙を舞い、舞殿を照らすぼんぼりがそれをキラキラと輝かせた。薄暗い空の下、ぼんぼりの淡い輝きが舞殿とユリを照らし出す。日本独特の和楽器が奏でる音も相まって、観客たちの瞳にはユリの舞はより幻想的に映った。

 舞が行われた約三十分のあいだ、観客たちはその舞に酔いしれるかのように静かに見守った。やがて演奏が終わり、ユリが舞殿の上で一礼をすると、歓声とともに盛大は拍手が涌き起こった。

 面を付けたままのユリは、無事に舞を終えられたことを実感した。今はただそれだけしか考えることができなかった。

 来たときと同様に、ユリは静かに舞殿を降りて参道の脇へと姿を消した。



 道場まで辿り着くと、ユリはそこでようやく神楽鈴を置き、狐の面を外した。乱れる息も流れる汗もそのままに、力が抜けたように座り込んだ。

 神楽鈴を手放した今も、手には僅かに鋭い痛みが残っている。だが今のユリには、舞を無事に終えられたという達成感が痛みに勝っていた。

 何度も痛みに耐え、何度も諦めかけ、それでも今日ここに辿り着いた。おそらく自分一人では辿り着けなかったと思う。これまで弓道部の部長だったという立場から、誰かに頼ることよりも、頼られることが多かった。自分が部を引っ張っていかなければいけない。そういった使命感にも似た考えが、誰かに頼るという発想を奪っていた。

 でも今回は、アオイの言葉がなければ達成できなかっただろう。みっともなくアオイの前で取り乱したこともあったが、今ではそれも良かったのだと思えていた。

 ぼんやりとここ数日を振り返っていると、暗く細い砂利道から足音が聞こえてきた。顔を向けると、暗闇からアオイの姿が現れた。

「伊吹くん」

「先輩、お疲れ様でした」

 アオイは穏やかに言った。

「見させて貰いましたよ、先輩の舞。その、すごく……綺麗でした」

 アオイの率直な感想に、ユリは僅かに頬を赤く染めた。

「そ、そう……あ、ありがと」

「本当を言うと不安だったんです。自分の我が儘とか理想を先輩に押しつけたばっかりに、それが先輩の重荷になったんじゃないかって」

「ううん、むしろ逆かな」

「え?」

「伊吹くんに励まされたから、最後までやり遂げることができたんだと思う。私一人だけじゃ舞うどころか、途中で投げ出してたかも……」

「先輩……」

「だから、ありがとう」

 そう言うと、ユリは不意におかしくなって小さく吹き出した。

「え……ど、どうしたんですか?」

 ユリはクスクスと笑いながら首を振った。

「ごめん、ごめん。何だかここ最近、ずっと伊吹くんに〈ありがとう〉って言ってるなぁと思って」

「そ、そうですか?」

 ユリはうんうんと頷いた。それから何事か考えるように、目線を落とした。しばらく考えたのち、ユリは顔を上げてアオイを真っ直ぐ見つめた。

「ねぇ伊吹くん。明日、学校の弓道場に来てくれない?」

「あ、明日ですか? 特に予定はないですけど……でも部活も休みで道場には入れないんじゃ……」

「大丈夫、大丈夫。それじゃあ明日の二時に、いい?」

「は、はぁ……」

 強引に約束を取り付けると、ユリはアオイを見送った。

 見上げると、薄い雲がゆっくりと泳ぐように夜の空に流れていた。それをじっと見つめるユリの瞳には、どこか意を決した光が宿っていた。



 翌日。空は生憎の曇り空で、どこか重苦しさが感じられた。

 弓道衣に着替えたユリは部の道場で一人佇んで、アオイの到着を待った。空の表情とは対照的に、ユリの顔は晴れ渡っていた。

「先輩、お待たせしました」

「伊吹くん、五分の遅刻だよ」

「す、すいません……」

 アオイは頭をぺこぺこと下げ、申し訳なさそうに謝った。その様子が、可愛く見えたユリは思わず口元を緩ませた。

「それじゃあ早速で悪いんだけど、私と勝負して」

「えっ、勝負?」

「そう」

「あの、勝負って何の……」

「私が今着ているのは何? ここは何をするところ?」

「……て、まさか弓道で?」

「正解」

 一体何が起きているのか理解できないアオイは混乱した。

「だって、先輩は手が……そ、そう言えば病院は?」

「うん、この勝負が終わったら行くから」

「えぇっ!?」

「ほら、早く準備する!」

「え、いやでも……は、はぁ……」

 訳が分からないまま、ユリに言われるがままアオイは準備を始めた。

 弓道衣に着替えたアオイが道場へ戻ってくると、ユリは一つ頷いた。

「それじゃ私からいくね。そうね……的中制でいい?」

「分かりました」

 ユリは静かに左手に弓を、右手に矢を持った。触れた瞬間、電流が走ったような痛みがユリの両手を襲う。それでも手を放すことなく、ゆっくりと両腕を上げ、弓を引き始める。痛みで腕をふるわせながらも、ユリの目は真っ直ぐに的を見据えた。その表情は部長を務めていた頃の凛々しさが戻っていた。

「先輩……」

 実のところユリの中では、勝敗はどうでもよかった。舞が終わった昨日の夜、アオイに今日の話をしたときにユリは決めていた。この矢を的に中てることができたら、もう少し人に頼ることを覚えようと。

 痛みに震える腕はやがて静止する。

 アオイになら頼ってもいいんじゃないか。弱い自分を見せてもいいんじゃないか。ユリはそう思った。的に中ったら、言えなかったことを言おう。〈ありがとう〉以外の言葉を。これはそのための儀式のようなもの。

 引ききった弓からユリの想いを乗せた矢が、的へ向かって飛び出した。


 パンッ。小気味良い音が辺りに響いた。



まずは、最後まで読んでいただき、ありがとうございます。


あらすじ部分でも触れていますが、本作は『あの日、透明な想い』内で投稿していた話を、本編から独立させたものです。

話の内容に変更点はありません。みっともない誤字・脱字の類は修正しましたが……。


作中の時間的には、本編のアカネが帰省するあたりから始まり、

本作の終わりののちに、本編第四章のアカネとユリの再会へとつながります。


お気づきかもしれませんが、

本作は始まりと終わりが同じ1文になっています。

同じ文章で違う印象が与えられたら(違う意味が込められたら)なぁと思い、

ちょっとしたお遊び感覚でやってみました。


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