誤解と気づき
「実の兄……? え? 何のことで……」
「とぼけないで! レオナルドは実の兄を排してこのリンデン家の跡継ぎの座を奪うつもりだったのでしょう!? お前達を誑かした卑しい雌猫がはっきりとそう言ったわよ!」
「リンデン家の跡継ぎの座? 雌猫? え? 何のことです!?」
夫人の発言にトマスは頭が混乱した。自分たちの企みが露見したのかと思ったが、どうやら違う気がする。
毒物を用いて他者を害そうとしたことは知られているようだが、その対象と目的は知られていないどころか大きな誤解が生じている。
「しらばっくれるのも大概になさい! あの薄汚い雌猫は『レオナルドが公爵になる』と言ったそうよ。それはつまり、あの子が実の兄から家督を奪うということじゃない! その証拠に部屋にこのような物を……」
そこまで言って堪えきれず「うっ……」と涙を零し言葉を詰まらせる夫人。
それに対してトマスは本当に訳が分からずただ困惑するばかりだった。
(レオナルド様がリンデン家の家督を兄君から奪うだと⁉ なんでそんな話に?)
トマスが覚えている限り、レオナルドがリンデン家を継ぎたいと口にしたことは一度もない。
ましてや実の兄を害そうなどと考えるような人ではないと信じていた。婚約者は害そうとしていたが。
(雌猫って……もしかしてシェリー様のことか? なんで奥様がシェリー様と? いや、それよりも……シェリー様は奥様に何と言ったんだ?)
そこまで考えてトマスはハッと気づいた。おそらくシェリーはレオナルドがどこの公爵になるとは分かっておらず、ただ「公爵になる」とだけ言ったのかもしれない。そしてそれを夫人が「リンデン公爵になる」と誤解したのだろう。
「奥様、それは……」
「それは誤解だ」と言いかけたところで、トマスは寸前で言葉を飲み込んだ。
本当のことを言ったとしても状況が改善するかといえばそうではない。むしろ、更に悪化するかもしれない。
対象がリンデン家の跡継ぎではなくカレンデュラ家の跡継ぎだと言ってしまえば、レオナルドの婿入りも絶望的となってしまう。
現段階で既に絶望的なのだが、お花畑に毒されたトマスの脳はそれに気づかない。
困惑した彼は何とかこの状況をやり過ごそうとしか考えていない。
「平民の娘に傾倒した挙句、実の兄を害そうとするなど……悍ましい! しかもその下賤な娘を公爵夫人にするなどと言ったそうじゃないの!」
「奥様、違います! レオナルド様は若様に危害を加えるような方ではございません…!」
「言い逃れする気? なら、これは何と説明するつもり?」
夫人が小瓶をトマスの眼前に持ってくると、彼は小さく「うっ……」と呻いた。
(まさか奥様がこんな誤解をなさるなんて……でも、本当のことを言うわけにもいかないし……かといって、この場を切り抜ける嘘なんて思いつかない。いったいどうすれば……)
夫人はすでに、レオナルドがリンデン家の跡継ぎの座を兄から簒奪しようとしていると決めつけていた。
このとんでもない誤解は解きたいと焦るが、本当の目的を言うわけにもいかない。毒物という決定打が見つかってしまってからでは誤魔化しもききそうにない。そんなものを入手する目的が、誰かを害そうとする以外にあるとは思えない。
(どうしてこんなことに……! せめて、あの毒さえなければ誤魔化せたものを……)
そこでトマスはふと気づいた。そもそも、毒を今の時点で入手しておく必要性は本当にあったのだろうかと。
婿入りの際に荷物に紛れ込ませて持って行くため……と言われたが、すぐに使うわけではないのでそこでもしばらく保管しておかなければならない。長期間の保管ともなると、それだけ露見する可能性も高くなる。だったら必要な時に密かに購入したほうがよかったのではないだろうか。
(……まてよ。そもそも、事前に毒を仕入れておいた方がいいと忠告してくれたのは……シェリー様じゃなかったか? そうだ、それでレオナルド様は俺に毒を入手するよう命じたんだ。でも……よく考えてみればおかしい。なんで、ただのパン屋の娘がそんな助言をしてくるんだ……?)
違和感を覚えたトマスの顔は、みるみる険しくなっていった。
これまでのお花畑のような自らの思考に基づく言動が、今になっておかしく思えてくる
レオナルドを立派な貴公子として導くため、陰で支えることこそ自分の使命だと思っていた。
それなのに、自分はいつから人に言えないほど非常識なことをするようになってしまったのだろう。
(あの女……シェリーに会ってからだ。レオナルド様だってあの女と関わるようになってからおかしくなってしまった。婿入り後に妻を毒殺して家を乗っ取るなんていう悍ましいことを企てるような方ではなかったはずなのに……)
今さらながらトマスは自らの企てがどれほど悍ましく、そしてどれほど愚かしいものであったかを思い知らされた。何の罪も無いクロエを、ただシェリーを後妻に迎えたいが為に葬ろうとするなど正気ではない。何より、この国では入り婿にしろ嫁にしろ、配偶者亡き後に婚家に留まるには再婚してはいけないという決まりがある。再婚する場合はその家から出て実家に戻るか平民になってからでないと認められない。何より、後妻ならば平民でもいいなどという決まりも慣習もない。クロエ亡き後にレオナルドがシェリーをカレンデュラ家に迎え入れることも、彼女を公爵夫人にすることも確実に不可能だ。法がその時点で改正でもされない限りは。
(いや、嘘だろう……? なんでこんな当たり前のことを俺もレオナルド様も全く気づかず、違和感も抱かずに受け入れていた? そもそもこの案はレオナルド様のものか?いや……違う。思い返してみれば、あの女が変な入れ知恵をしていたような……)
これまで違和感を抱くことのなかったシェリーの振る舞いが今になって奇妙に思え、トマスはようやくその異常さに気づいた。そして同時に自らがどれだけ悍ましい行いをしようとしたのかを悟り、トマスの顔から血の気が引いていく。
(俺は何てことを……! こんな無意味な目的のために、家族まで巻き込むことに……)
無価値な目的に突き動かされ、とんでもない行為に手を伸ばし、その結果家族まで巻き込んでしまった──トマスはその愚かさに気づき、絶望した。
「奥様……申し訳、ございません……」
気づけば、ぽつりと謝罪の言葉がこぼれていた。氷のように冷たい眼差しで見下ろす夫人と視線がぶつかった刹那、トマスの脳裏にひとつの考えが閃いた。
(そうだ……! この方法ならば、もしかするとこの状況を切り抜けられるかもしれない……)
そう考えた途端、深く考えるより先にトマスは床に深々と額づいた。そして、張り上げた声で堂々と告げる。
「……実は、その瓶は大切な証拠品なのです。リンデン家を内部から破壊しようと企む政敵へと繋がる物であります故、誰の目にも触れぬよう保管しておりました」
「は……? 政敵? どういうことです」
トマスの一世一代の大嘘に、夫人が食いついたことで彼は内心で「よっしゃ!」と歓喜した。
彼はシェリーを『リンデン家の内部破壊を目論む貴族が送り込んだ間者』という大それた設定のもと、自分が敢えてそれに乗ったフリをしてその貴族が何者かを探っていた、というテイで押し通そうと企んだ。
「はい。黙っていたこと、誠に申し訳ございません。実は、その平民の娘はとある貴族が送り込んだ間者にございます。純粋なレオナルド様を色香で惑わし骨抜きにしたあの娘は、非常識な言動をわざとさせることでカレンデュラ公女の不興を買い、婚約破棄をさせようとしました」
「なんですって⁉ じゃあ……レオナルドのあの非常識な言動の数々は、その娘が誘導したことだと言うの?」
「さようでございます。本来のレオナルド様は婚約者にガラクタを贈りつけるような真似をする方ではありません! 全てその娘がそうさせるよう促したのです! 娘に心酔しているレオナルド様は疑問を抱かず、言われるがままに……」
疑わし気な目を向けてくる夫人だが、トマスはここで退くわけにはいかなかった。
退けば、全てが終わる。だからこれに賭けなければならない。
「いくらなんでも、そんな無茶な要求を素直に聞くなんて無理があるわ……。その行為がどれだけ自分の品位を貶めるものなのかを、知らないわけでもないでしょうに」
「いえ、そこが訓練された間者の恐ろしい洗脳術なのです。自分に心酔させ、どれだけ愚かしい真似でも疑問を抱かずにさせる。そんな真似が出来る女が、一般人であるはずがないと、そう思いませんか?」
トマスがそう問うと、夫人は「それは、まあ……」とやや納得しかけた。しめたとばかりにトマスは次の一手に出る。
「そして、この小瓶こそがその女から渡された証拠品。あの女はこれを用いてカレンデュラ公女様を害すよう促したのです!」
「はあ⁉ なんですって? クロエ様を?」
毒殺しようとした相手が嫡男ではなくクロエだと言われ、あまりの驚きに夫人はトマスの荒唐無稽な言葉に思わず引き寄せられた。その反応にトマスは内心で「よっしゃあああ!」と叫び、身を小刻みに震わせる。




