表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/20

第16話 王都からの手紙

――――――――



 昼過ぎ。


 冒険者ギルドの広間は、いつもより人が多かった。


 依頼掲示板の前。


 酒場のカウンター。


 階段の踊り場。


 どこを見ても、人がいて、声があって、落ち着かない。


 リアンは入口の柱の陰で、小さくなっていた。


 (なんでこんなに混んでるんだ……)


 嫌な予感は、だいたい当たる。


 今日も当たった。


「リアン・フォルテ」


 ギルドマスターのユルゲンが、二階の手すりから声を落とした。


「上に来い」


 リアンの胃が、きゅっと縮んだ。


――――――――



 マスター室には、いつもの顔ぶれが揃っていた。


 アリシア。


 ミレイユ。


 セリア。


 ノエル。


 そして、机の上には白い封筒。


 封蝋は金。


 紋章は王都中央府の双塔。


 リアンは、見ただけで目を逸らした。


 見たら現実になる気がした。


 ユルゲンは封筒を指で押さえ、低く言う。


「今朝、王都から正式な返書が来た」


 部屋の空気が、静かに固まった。


 ユルゲンが封筒を開く。


 紙の音が、やけに大きい。


「読み上げる」


 ユルゲンの声が、いつもより事務的になった。


「王都中央府は、リュミエル市街における一連の不正摘発と治安貢献に対し、功労者リアン・フォルテを国家的貢献者として記録する。ついては、王都における状況聴取および表彰準備のため、本人の登都を要請する——」


 リアンの頭の中で、一語だけが反響した。


 登都。


 王都へ行け、という意味だ。


 リアンは、小さく手を挙げた。


「えっと……俺じゃなくて、騎士団の人とか、協会の人とか、他にもっとふさわしい人が」


 ユルゲンは即答した。


「名指しだ」


「名指し……」


「名指しだ」


 逃げ道が、閉まる音がした。


 アリシアが真っ先に口を開く。


「護衛は私が引き受ける」


 ミレイユも続く。


「王都での質問項目は予測可能です。先に想定問答を作ります」


 セリアが胸に手を当てる。


「王都までの道中、士気管理は私にお任せください」


 ノエルは、すでに手帳を開いていた。


「移動手段、宿、経路、予備費、情報遮断。今日中に手配します」


 リアンは思った。


 (なんで全員、もう行く前提なんだ)


 ユルゲンがリアンを見る。


「返答期限は三日。拒否はできるが——」


 少しだけ間を置いた。


「拒否した場合、“王都の要請を退けた英雄”という別の噂になる」


 リアンは、目の前が暗くなった。


 進んでも地獄。


 止まっても地獄。


 (選択肢って、なんだっけ)


「……考えます」


 それだけ言うのが、精一杯だった。


 アリシアは、深く頷いた。


「慎重な判断だ」


 ミレイユは、小さく息を吐いた。


「即答しないのは正解です。王都は情報戦の本場ですから」


 セリアは、少し潤んだ目で笑った。


「重責を背負う横顔、ですね……」


 リアンは、心の中で頭を抱えた。


 (違う、ただ固まってるだけだ)


――――――――



 マスター室を出た瞬間、広間の空気が変わった。


 誰かが、叫んだ。


「出たぞ!」


 何が、とは言わない。


 でも、全員が分かっている顔をしていた。


「リアンさん、王都行くんですか!?」


「まだ決まってないです!」


「やっぱり謙遜だ!」


「違います!」


「ほら、やっぱり!」


 会話が成立していない。


 成立していないのに、盛り上がっていく。


 トムがジョッキを片手に、胸を張っていた。


「俺、前から言ってたろ! リアンはこの街で終わる器じゃねえって!」


「言ってないよね!?」


「言ってた!」


「いつ!?」


「今!」


 トムが親指を立てる。


 リアンは、壁に額をつけたくなった。


 ギルド受付の奥では、受付嬢たちが慌ただしく紙を運んでいる。


 掲示板の端には、いつの間にか小さな張り紙が出ていた。


『祝・リアン・フォルテ王都招請(予定)』


 予定、の文字だけが小さい。


 リアンの口から、乾いた声が漏れた。


「予定です……予定……」


 誰も聞いていなかった。


――――――――



 夕方。


 商人ギルドの中庭は、馬のいななきで騒がしかった。


 リアンは、ノエルに連れてこられていた。


 嫌な予感は、三度当たる。


 中庭には馬車が並んでいた。


 一台。


 二台。


 三台。


 四台。


 まだある。


「……これ、何ですか」


「王都行きの編成案です」


 ノエルがさらりと言った。


「編成、案」


「本隊一台、護衛二台、補給一台、囮一台、予備一台です」


「囮?」


「英雄護送には常識です」


「どこの常識ですか」


「今、作りました」


 ノエルは真顔だった。


 真顔が一番怖い。


 御者たちが、リアンを見る。


 次々に帽子を取って頭を下げる。


 リアンは反射で背中を丸めた。


 ノエルが続ける。


「費用は“護衛代”として私が立て替えます」


「護衛代って、俺が誰を護衛するんですか」


「王都に向かう皆様の心です」


「抽象度が高い」


 リアンが呻く横で、ノエルはそろばんを弾いた。


「恩義返済率は、現時点で5.31%」


「上がってる……」


「王都案件ですから」


 当然の顔だった。


 リアンは、馬車の車輪を見つめた。


 鉄の輪が、陽に光る。


 回る準備が、すでにできている。


 (本当に行く流れになってる……)


――――――――



 夜。


 吟遊詩人ギルドの練習室。


 セリアは譜面の上で、羽ペンを止めていた。


 書いては、消す。


 書いては、止まる。


 リュートの弦を一音鳴らして、また黙る。


「……『黄金の塔へ向かう、謙虚なる英雄』」


 声に出してみる。


 違う。


 すぐに線で消す。


「……『王都を黙らせる、沈黙の剣』」


 もっと違う。


 消す。


 セリアは、ペン先を紙の端に置いたまま、窓の外を見た。


 街の灯りが遠い。


 その中に、リアンの小さな背中が見える気がした。


 今日のリアンは、いつもより言葉が少なかった。


 それを“覚悟”と呼ぶのは簡単だ。


 でも。


 セリアは、昼に聞いた小さな声を思い出す。


「まだ決まってないです」


 あれは、物語の台詞じゃない。


 ただの、本音だ。


 セリアは、深く息を吸った。


「……歌、少し待とう」


 紙を畳む。


 リュートをケースに入れる。


 歌えば、街はもっと熱くなる。


 熱くなれば、リアンはもっと逃げ場を失う。


 セリアは、扉の前で一度だけ振り返った。


「今は、歌わない」


 小さく決めて、部屋を出た。


――――――――



 同じ夜。


 騎士団詰所の裏庭。


 アリシアは木剣を握り、無言で素振りを続けていた。


 振って、止める。


 振って、止める。


 呼吸だけが白く見える。


 副長ヴィクトリアが、少し離れた場所から声をかけた。


「休まないのか」


「休みません」


「守るために体を壊しては意味がない」


 アリシアは、木剣を下ろした。


「分かっています。……分かっているつもりです」


 ヴィクトリアは近づいて、アリシアの手元を見る。


 掌に、薄く赤い跡。


「焦っているな」


「はい」


 アリシアは、短く認めた。


「王都は、私の知っている剣の距離では戦えません。言葉と格式で、人を斬る場所です。……彼を連れて行くなら、私が先に壊れている場合じゃない」


 ヴィクトリアは頷いた。


「なら、壊れない準備をしろ。完璧は要らん。継続だ」


「……はい」


 アリシアは、もう一度木剣を握る。


 今度は、ゆっくり振った。


 守るための速さじゃなく、折れないための速さで。


――――――――



 魔術師協会の資料室。


 ミレイユは机いっぱいに紙を広げていた。


 王都の貴族儀礼。


 中央府の過去の聴取記録。


 貢献者叙勲の質問傾向。


 関連する魔術犯罪の分類。


 紙の束は、壁みたいに高くなっている。


 ミレイユは眼鏡を押し上げ、ひたすら書き続けた。


『想定問答A-1:功績の定義を問われた場合』


『想定問答A-2:作戦意図を問われた場合』


『想定問答A-3:偶然性を否定された場合』


 ペン先が、少しだけ止まる。


 偶然性。


 リアンは、いつも「偶然です」と言う。


 ミレイユは、その言葉を何度も理論で包んできた。


 でも、今日の沈黙は理論で包めない気がした。


 机の角に、リアンの名前を書いて、すぐ消す。


「……分析対象、じゃない」


 自分に言い聞かせるように呟いた。


 分析対象ではない。


 大切な人だ。


 だから、理屈だけでは足りない。


 ミレイユは深呼吸し、新しい紙を取った。


『想定問答B:本人が王都行きを拒否した場合』


 その見出しを書いたところで、手が震えた。


――――――――



 宿。


 夜更け。


 リアンの部屋は、妙に広く感じた。


 実際の広さは変わらない。


 変わったのは、音だ。


 昼の歓声が残響みたいに耳の奥で鳴っている。


 『王都』


 『国家的貢献者』


 『英雄』


 言葉だけが大きくて、リアンの中身が追いつかない。


 ベッドに腰を下ろす。


 手を見る。


 剣ダコの薄い、普通の手だ。


 震えている。


 (俺、もう無理かもしれない)


 口に出した。


 誰もいない部屋で、やっと言えた。


 扉がノックされる。


 リアンは跳ねた。


「は、はい」


 入ってきたのは、アリシアだった。


「遅い時間にすまない。明日の打ち合わせを——」


 言いかけて、アリシアは止まった。


 リアンの顔を見たからだ。


「……大丈夫か」


 リアンは反射で笑った。


「だ、大丈夫です。ちょっと、疲れてて」


 アリシアは、黙って一歩だけ近づいた。


「無理をするな。君が倒れたら、意味がない」


「はい」


 リアンは頷く。


 頷きながら思う。


 (もう倒れてるのに、見えないだけなんだよな)


 アリシアは、扉の前で振り返った。


「君が行くと言うなら守る。行かないと言うなら、それも守る。……私は、君の選択を守りたい」


 言い残して、部屋を出る。


 静けさが戻る。


 戻った静けさの中で、リアンは膝を抱えた。


 選択。


 その言葉が重い。


 今の自分には、選べる気がしない。


――――――――



 深夜。


 窓の外で、風が鳴っていた。


 リアンはベッドから起き上がり、床に置いていた古い鞄を引き寄せる。


 昔から使っている、擦り切れた革鞄。


 薬草採取のときに使っていたやつだ。


 肩紐を握る。


 それだけで、少しだけ呼吸が楽になる。


 王都へ行く前に。


 誰かに止められる前に。


 噂に完全に飲まれる前に。


 リアンは、小さく呟いた。


「……一回、逃げよう」


 いつもの逃げではない。


 何から逃げるのか、自分でもよく分からない逃げだ。


 でも、今はそれしか思いつかなかった。


 机の上に、紙を一枚置く。


 ペンを取る。


 書き出して、止まる。


『ごめんなさい』


 その一行だけ書いて、リアンは額を押さえた。


 謝るな、と言われたばかりなのに。


 体が勝手に、その言葉を書く。


 リアンは、紙を裏返した。


 書き直す気力はなかった。


 窓の外は、まだ暗い。


 夜明けまで、少し時間がある。


 リアンは鞄の口を閉じた。


 金具の音が、小さく鳴る。


 その小さな音が、やけに大きく聞こえた。


――――――――


(第16話・終)


――――――――



 同じ夜。


 宿の廊下。


 セリアは、部屋に戻る途中で足を止めた。


 リアンの部屋の前。


 扉の隙間から、灯りが細く漏れている。


「……まだ起きてる」


 小さく呟いて、通り過ぎる。


 そのとき、床板が一度だけ、きしんだ。


 セリアは振り向いた。


 でも、扉は閉じたまま。


 静かだ。


 静かすぎて、少し怖い。


 セリアは胸の前で指を組み、足を速めた。


 明日、ちゃんと話そう。


 そう思いながら。


 第17話「逃亡」


 英雄は、夜にいなくなる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ