第14話 貴族の陰謀
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リアンは朝、指先の小さな擦り傷を見て、ため息をついた。
昨日の夜、礼拝堂で転んだ時のものだ。
傷そのものは大したことがない。むしろ問題は——その傷に付いてくる記憶の方だ。
笑いながら人を壊そうとする女。
床に浮かぶ紋。
逃げて転んで、粉が舞って、石が欠けて、光が逆流して。
(……俺、なんで生きてんだろ)
疑問が浮かんで、すぐに引っ込んだ。
考え始めると胃が痛くなる。
だから、いつもの結論を先に言っておく。
「まあ……なんとかなるっしょ」
声に出したら、少しだけ現実感が戻った。
戻ったところへ、扉がノックされた。
「リアン様。朝の予定を確認させてください」
ノエル・メルカートの声だった。
(嫌な予感しかしない)
扉を開けると、ノエルがそろばんを抱えたまま、いつもの顔で立っていた。
「朝の予定って、俺の予定にノエルさんが入ってくるんですか」
「入ります」
即答だった。
「本日は中央区での行動が増えます。衣服の汚損確率が上がります。替えのシャツを二枚、こちらへ」
ノエルが袋を差し出してきた。
「いや、俺、中央区行く予定ないですけど」
「あります」
「ありますか」
「あります」
リアンは袋を受け取ってしまった。
受け取ってから、(断る流れはどこに)と思った。
――――――――
冒険者ギルドのマスター室には、昨日と同じように四人が揃っていた。
ギルドマスターのユルゲン・ホレルは、机の上に二つの封書を並べていた。
一つは王都の金の封蝋。
もう一つは——赤い封蝋の欠片を封じた、小さな布包み。
「昨日の件は騎士団から報告を受けている」ユルゲンが言った。「ゼルダ・クロウの拘束。負傷者の回復見込み。……よくやった、とは言わない。だが、生きて戻ったのは何よりだ」
リアンは頷いた。
(褒められてるんだろうけど、褒められたくない類のやつだ……)
「問題はこっちだ」ユルゲンは王都の封書を指した。「王都からの正式な追加要請が来た。内容は前回の続きだが、具体的になっている」
アリシアが前に出た。
「誰が、疑われているのですか」
「王都からは名指しがない」ユルゲンは首を振った。「ただし——リュミエルにいる貴族家の一つに、資金の流れが集まっているという情報がある。商業ルートの迂回、傭兵の雇い入れ、魔術師の失踪。これらが一本の線で繋がりそうだ、と」
ミレイユが眼鏡を押し上げた。
「資金の流れ、というのは」
「商人ギルド経由の取引の中に、不自然な空白があるらしい。表に出ない金の動きだ。詳細は商人ギルドの協力が必要になる」
セリアが小さく息を吸った。
「貴族が絡む……となると、歌が先に走りそうですね」
「走らせるな」ユルゲンが即座に言った。
セリアが両手を上げた。
「はい! 走らせません! 私、今回は我慢します!」
その宣言が、逆に怖かった。
リアンが小声で呟いた。
「我慢って言う人は、だいたい我慢できないんですよね」
「リアン、聞こえてますよ」
セリアが笑顔で言った。
(やばい)
リアンは背筋を伸ばした。
ユルゲンが布包みを開いた。
赤い封蝋の欠片が現れた。
「これは騎士団から回ってきた。ゼルダの持ち物から出た封蝋だ。刻印は潰れているが、貴族のものなのは確実だ」
ミレイユが欠片を覗き込んだ。
「封蝋に、微細な魔力痕があります」
「魔力痕?」
「貴族家の紋章封蝋には、偽造防止の簡易刻印術が使われます。……このタイプは、王都の上層が好む方式ですね」
ミレイユが淡々と言った。
淡々としているのに、言葉の意味が重い。
アリシアが唇を結んだ。
「王都の上層が、ゼルダに関与している可能性がある」
「可能性、では済まないだろう」ユルゲンが言った。「ゼルダは“作品”と称して動いたように見えるが、道具が必要だ。拠点も必要だ。金が必要だ。……それを出している誰かがいる」
ユルゲンはテーブルの端の紙を押し出した。
依頼票だった。
「今日から三日、中央区の貴族街区で調査を開始する。名目は“王都要請に伴う安全確認”。実質は、誰が裏で動いているかを掴むための足掛かりだ」
リアンが思わず言った。
「中央区の貴族街区って、俺、行ったことないです」
「行くんだ」
ユルゲンの声は優しかった。
優しいのに、逃げ道がなかった。
リアンは小さく頷いた。
(俺の人生、いつから中央区に向かうようになったんだ……)
――――――――
中央区の貴族街区は、リアンの知っているリュミエルとは少し違った。
石畳が綺麗すぎる。
門の鉄が磨かれている。
植え込みの形が整いすぎていて、逆に怖い。
(こんな場所、俺が歩いていいのか……)
足音が大きく聞こえる。
アリシアは平服で歩いていた。
いつもの鎧ではない。それでも姿勢と視線の置き方が、騎士のままだ。
ミレイユはローブを深く被り、いつものように周囲を観察している。
セリアはコートの襟を立てている。歌い手として、目立つのを避けている——たぶん。
ノエルは当然のように同行して、手帳とそろばんを抱えていた。
そしてリアンは。
ノエルに押し付けられた、少し高そうなシャツを着ていた。
「似合ってますね」セリアが言った。
「似合ってるから嫌なんです」リアンは言った。
「嫌がるのが似合うのも、物語的には——」
「物語じゃないです」
いつもの会話が挟まる。
挟まるだけで、少し楽になる。
アリシアが足を止めた。
商人ギルドの建物が見えていた。
大理石の五階建て。
天秤の紋章。
入口に立っている門番が、こちらを見て軽く頭を下げた。
(え、なんで頭下げたの)
リアンは反射で背中を丸めた。
ノエルが小声で言った。
「昨日の夜、商人ギルド情報部に連絡を入れておきました。『リアン様が来る』と」
「なんで言ったんですか」
「話が早いからです」
リアンは、話が早いという言葉が嫌いになりつつあった。
――――――――
商人ギルドの交渉室で、一行は資料の束を渡された。
紙の匂いがする。
数字の匂いがする。
リアンが嫌いな匂いだ。
対面に座っているのは、商人ギルド情報部の男だった。名は名乗ったが、リアンはすでに忘れた。
「こちらが、直近一ヶ月の商業ルートの変動です」
男は淡々と説明した。
「本来、王都へ向かう北街道の荷が、三回だけ西回りに迂回しています。理由は“治安不安”となっていますが、同日の騎士団巡回記録には該当なし。つまり、虚偽の理由で迂回させています」
アリシアが頷いた。
「迂回させた先で、何が起きた」
「荷が、消えています」
セリアが小さく「うわ」と言った。
男は続けた。
「表の帳簿には“破損による廃棄”とあります。しかし、廃棄証明がない。ここが不自然です」
ミレイユが資料を覗き込む。
「魔道具の搬入記録も、増えていますね」
「はい。魔術師協会からの購入として処理されていますが、協会側の記録と合いません」
ミレイユの目が少し細くなった。
(怒ってるんだな)
リアンでも分かった。
男が一枚の紙を差し出した。
「迂回を指示した署名は、すべて同一の紋章印です。——バルトロメウス子爵家」
アリシアの表情が変わった。
ほんの少しだけ。
でも、そのほんの少しが、怖い。
「……エドウィン」
小さく呟いた。
リアンが聞き返した。
「知ってる人ですか」
「……王都の政治に近い家だ。リュミエルにも屋敷がある。慈善事業を表にしているが、裏の噂も聞く」
アリシアは言葉を選んでいた。
貴族の噂は、言葉にすると刃になる。
「子爵の屋敷は、中央区の北側。庭が広い」
商人の男が言った。
「近日中に、子爵が“夜会”を開きます。名目は慈善。招待客の中に、傭兵団の幹部の名が混じっています」
リアンが思わず言った。
「夜会……」
夜会って、あの夜会だ。
服が高いやつ。
会話が難しいやつ。
空気が怖いやつ。
アリシアが頷いた。
「潜入する」
即決だった。
リアンが言った。
「え、俺も?」
「……お前は」
アリシアが言葉を探した。
ミレイユが横から言った。
「目立ちません」
「それ褒めてないですよね」
「褒めています」
ノエルが手帳を開いた。
「招待状は確保可能です。衣装の手配も可能です。潜入成功率は——」
「計算しないでいいです!」
リアンは両手を上げた。
セリアが小さく笑った。
「リアン、夜会の英雄になりますね」
「なりたくないです」
「なりたくない英雄ほど、歌われます」
嫌な予言だった。
――――――――
夜会の前日。
リアンは、中央区の道で迷っていた。
迷っていた理由は単純だ。
中央区の道は、綺麗すぎて、全部同じに見える。
標識も上品すぎて、目に入ってこない。
(俺、職人街区なら目を閉じても歩けるのに)
自分の街なのに、自分の街じゃない。
手には、ノエルから渡された紙袋がある。
中身は“夜会用の小物”。
リアンは中身を見ていない。見たら胃が痛くなる。
目的地は、子爵家の屋敷の外周。
“外から庭の構造を確認するだけ”の偵察。
それだけだ。
それだけのはずだった。
——だったのに。
リアンは、いつの間にか、子爵家の庭の入口の前に立っていた。
門は閉まっている。
でも、横の小さな扉が、半分だけ開いている。
(え、開いてる……?)
開いていると、気になる。
気になると、近づく。
近づくと、巻き込まれる。
いつものパターンが頭をよぎった。
リアンは一歩後ろへ下がろうとした。
その瞬間、背後から声がした。
「そこの君」
低い声。
貴族街区の警備服を着た男が立っていた。
顔が硬い。
リアンは反射で言った。
「すみません、違うんです」
「違う? では何だ」
「俺、ただ……道に迷って」
言い訳が弱い。
弱すぎる。
男が近づいた。
「この屋敷の周りをうろつく者は、通報対象だ」
リアンは思った。
(あ、これ、捕まるやつだ)
捕まったら、夜会どころじゃない。
アリシアに怒られる。
ミレイユにデータにされる。
セリアに歌にされる。
ノエルに損失計算される。
嫌な未来が一気に見えた。
リアンの体が、先に動いた。
逃げた。
男の「待て!」が背中に飛んできた。
リアンは開いていた小扉に、反射で滑り込んだ。
(入っちゃった!)
入った瞬間に後悔した。
でも扉は閉まった。
外の足音が近い。
リアンは走った。
走って、庭の生垣の影に潜った。
息が荒い。
(俺、なんでいつもこうなる……)
心の中で泣いた。
――――――――
子爵家の庭は、迷路みたいだった。
生垣が高い。
道が曲がっている。
石畳が綺麗すぎて、逆に滑る。
噴水がある。
像がある。
像の顔が、やけに整っていて怖い。
リアンは走りながら、何度も方向を変えた。
(出口どこ!?)
出口を探しているのに、出口から遠ざかっている気がする。
背後から、警備の足音が増えた。
(増えてる!)
増えると焦る。
焦ると、視界が狭くなる。
狭くなると、足元がおろそかになる。
リアンの足が、石畳の端を踏んだ。
カタン。
小さな音。
石が、少し沈んだ。
(え?)
次の瞬間——石畳の一枚が、ゆっくりと持ち上がった。
まるで、蓋みたいに。
中から、細い金属の箱が出てきた。
リアンは立ち止まった。
立ち止まってはいけない。
分かっている。
分かっているのに、体が止まった。
(なにこれ……)
箱には、赤い封蝋の跡。
そして、貴族の紋章印。
——昨日見たものと、同じ色。
リアンの背中が冷えた。
警備の足音が近い。
リアンは、箱を拾ってしまった。
拾ってから、(拾うなよ!)と自分にツッコんだ。
でも拾った。
拾った以上、捨てられない。
捨てたら、誰かが拾う。
誰かが拾ったら、何かが起きる。
よく分からないのに、よく分かる。
リアンは走った。
走りながら、箱の蓋が少し開いて、中身が見えた。
紙。
薄い紙。
数字。
署名。
そして——
『ゼルダ・クロウ 前金 金貨三百』
文字が見えた。
(うわ……)
リアンの声が漏れた。
胃が冷たくなる。
あの女が、金で動いていた。
作品だの何だの言っていたのに。
金。
結局、金。
リアンは走りながら、泣きたくなった。
――――――――
庭の奥に、建物の裏口があった。
リアンはそこへ飛び込もうとして、止まった。
裏口の前に、別の男が立っていた。
貴族の服。
派手ではないが、仕立てが良い。
手に手袋。
背が高い。
そして、笑っていない。
男はリアンを見て、少しだけ眉を動かした。
「……誰だ」
声が静かだった。
静かすぎて、怖い。
リアンは、言い訳を探した。
「す、すみません! 俺、迷って」
「迷った者が、箱を持っているのか」
男の視線が、リアンの手の金属箱に落ちた。
リアンは、咄嗟に箱を背中側に隠した。
隠した瞬間、(隠すの怪しすぎる)と思った。
でも隠した。
男が一歩近づいた。
「それを渡せ」
命令だった。
リアンの体が震えた。
(無理……)
渡したら、何が起きるか分からない。
分からないけど、嫌だ。
嫌だ、という感情が先に来た。
リアンは、震えた声で言った。
「……いやです」
男の目が、細くなった。
「そうか」
次の瞬間、男の手が動いた。
手袋の指先が、空を切る。
空気が、少し歪んだ。
(魔術?)
リアンが思った瞬間、背後からアリシアの声が飛んだ。
「そこまでだ」
剣の音。
抜刀。
アリシアが、路地の影から出てきた。
平服のままでも、騎士は騎士だった。
男が一瞬、表情を整えた。
「これはこれは。シルヴァレスト家のご令嬢」
丁寧な声。
でも、目が笑っていない。
アリシアが冷たく言った。
「バルトロメウス子爵家の方ですね」
「エドウィン・バルトロメウス」
男は名乗った。
名乗り方が、貴族のそれだった。
丁寧で、礼儀正しくて、距離を置く。
「このような場所で、何を」
「こちらの台詞だ」アリシアが言った。「あなたの屋敷の庭で、なぜ私の協力者が追われている」
リアンは心の中で叫んだ。
(協力者って言わないで! 俺、今、ただの迷子!)
でも口には出せない。
エドウィン子爵が、静かに笑った。
「誤解です。庭に不審者が侵入しました。警備が対応しただけ」
「不審者の手に、金属箱がある」
アリシアの視線がリアンの手に行った。
リアンは、箱を差し出した。
差し出しながら、言った。
「すみません。俺、拾っちゃって……」
アリシアが箱を受け取った。
蓋が少し開いている。
中の紙が見える。
アリシアの目が止まった。
リアンにも分かった。
読んだ。
そして、理解した。
エドウィン子爵の笑顔が、ほんの少しだけ薄くなった。
「それは——」
「騎士団へ提出する」アリシアが言った。
即断だった。
迷いがない。
リアンは、その迷いのなさが怖かった。
(ここで戦ったら死ぬ)
現実的にそう思った。
エドウィン子爵は、肩をすくめた。
「あなたがそうしたいなら」
言葉は柔らかい。
でも、背中に刃がある。
「ただし、貴族の屋敷で見つかったものは、貴族の所有物だ。持ち出しは窃盗に当たる可能性があります」
リアンが思わず口を挟んだ。
「え、俺が窃盗……?」
「君が、だ」
エドウィン子爵の視線がリアンに落ちた。
冷たかった。
リアンの胃が、また冷えた。
(やばい。これ、俺が悪者になるやつだ)
アリシアが言った。
「こちらには王都の要請状がある。国家案件だ。妨害は看過できない」
「要請状は、免罪符ではありません」
貴族の会話は、言葉が刃だ。
刃が、静かに刺し合っている。
リアンは、その間で息ができない。
そこへ、別の声が割り込んだ。
「その箱、封蝋の魔力痕が一致します」
ミレイユだった。
いつの間にか、裏口の影に立っていた。
手には小さなクリスタル。
赤い封蝋の欠片の魔力痕と、箱に残った痕。
同じだ、と言っている。
エドウィン子爵の目が、わずかに揺れた。
それは、彼が初めて“予想外”を見た目だった。
「魔術師協会が関与する必要はない」
「あります」ミレイユは平坦に言った。「魔術師が襲われ、魔道具が消え、封蝋に刻印術が使われている。これは魔術師協会の案件でもあります」
ミレイユの声には、感情が乗っていない。
でも、言葉の底に怒りがある。
リアンは、少しだけミレイユを見て、心の中で(頼もしい……)と思った。
思った瞬間、ミレイユがリアンを見た。
「リアン」
「はい」
「箱を拾う位置が、適切すぎます」
「褒めてないですよね」
「褒めています」
この状況で、いつものやり取りが出てくるのが怖い。
でも、少しだけ呼吸ができた。
――――――――
騎士団詰所。
アリシアは報告書を机に置き、箱の中の紙束を並べた。
ヴィクトリア副長が目を通し、無言でページをめくった。
最後の一枚で、手が止まった。
「……ゼルダへの支払い。傭兵団への前金。魔道具の横流し。商業ルートの迂回。全部繋がっている」
ヴィクトリアは息を吐いた。
「子爵が、これを庭に隠していた理由は?」
「裏切りへの保険」ミレイユが言った。「証拠を持っていれば、相手を脅せる」
「あるいは、別の誰かに見せるために」アリシアが言った。
セリアが、部屋の隅で口を開いた。
「これ……歌にしたら、一瞬で街が燃えますね」
「燃やすな」ヴィクトリアが言った。
セリアが頷いた。
「燃やしません!」
宣言が、やっぱり怖い。
ノエルが紙束を覗き込んだ。
「取引番号が、商人ギルドの内部符号と一致しています」
「内部符号?」
「表の帳簿に載せない取引の符号です。本来は、緊急時の保険や、競売の機密に使うものですが……」
ノエルはそろばんを弾いた。
「悪用されています」
ヴィクトリアが言った。
「ここまで揃えば、騎士団は動ける。だが——」
言葉が途切れた。
全員が、次の言葉を知っている。
貴族。
貴族相手に、騎士団が剣を向けるのは簡単じゃない。
証拠があっても。
正義があっても。
政治がある。
リアンは、椅子の上で小さく縮こまった。
(俺、なんでこの部屋にいるんだ……)
たぶん、いない方がいい。
でも、もう出られない。
ヴィクトリアがリアンを見た。
「リアン・フォルテ」
「はい」
「お前は、今日は一つだけ、よくやった」
「拾ったことですか」
「拾ったことだ」
リアンは、泣きたくなった。
褒められると胃が痛い。
でも、拾わなければ、子爵は隠し続けただろう。
誰かが、また倒れただろう。
そう思うと、褒められるのも、少しだけ分かる。
ヴィクトリアが続けた。
「ただし、次からは勝手に貴族の庭に入るな」
「はい……」
そこは怒られるところだった。
アリシアが小さく言った。
「リアンが入らなければ、証拠は出なかった」
「それは結果論だ」ヴィクトリアは言った。
結果論。
その言葉が、リアンの胸に刺さった。
自分の人生は、結果論でできている。
だからこそ、怖い。
――――――――
その夜。
騎士団の動きは早かった。
商人ギルドと連携し、帳簿の照合が始まる。
魔術師協会が封蝋の刻印術を解析する。
吟遊詩人ギルドには、情報統制の要請が飛ぶ。
——そして。
統制されるほど、噂は美味しくなる。
金獅子亭では、もう話が回っていた。
「聞いたか? 貴族が黒だったってよ」
「誰が暴いたんだ」
「リアン・フォルテだ」
リアンは、その場にいないのに、名前だけが走る。
セリアは吟遊詩人ギルドの部屋で、リュートを膝に置いた。
指が勝手に弦を触る。
歌が、喉まで来ている。
でも、今日は我慢すると決めた。
我慢——
(無理かもしれない)
自分に正直すぎる答えが出た。
セリアは深呼吸して、歌詞の紙を破った。
破った紙を見て、少しだけ泣きそうになって、笑った。
物語にするのは、あとでいい。
今は、現実が先だ。
――――――――
リアンは宿の部屋で、布団に潜っていた。
外が静かだ。
静かすぎて、逆に怖い。
昼間の貴族の目。
冷たくて、整っていて、何も感じない目。
ゼルダの目。
ヴィクターの目。
似ている。
人間なのに、人間じゃない。
リアンは布団の中で、小さく呟いた。
「……俺、帰りたい」
帰る場所は、ここだ。
でも、“帰りたい”という言葉は、場所のことじゃない。
昔の、何もなかった日々。
薬草採取と、安い飯と、依頼の失敗と。
それで十分だった頃。
そこに戻りたい。
でも。
アリシアの頬の傷。
ミレイユの指先の白さ。
セリアの歪んだ旋律。
それが頭に浮かぶ。
戻れない。
戻れないなら。
(……なんとかするしかない)
その結論に、また行き着いた。
リアンは目を閉じた。
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(第14話・終)
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バルトロメウス子爵の屋敷の奥で、別の封書が開かれていた。
封蝋は黒。
中の文字は短い。
「証拠が外に出た」
それだけ。
返事も短い。
「なら、次の手を打つ」
第15話「貴族の陰謀(後)」
静かな夜会は、静かに終わらない。
第14話、お読みいただきありがとうございます。
第14話「貴族の陰謀」です。
ゼルダ事件の余韻が消えないまま、噂と金と政治が絡む“上の世界”に足を踏み入れる回になりました。
リアンは今回も、迷って逃げて、踏んで拾ってしまう。
本人は胃が痛いだけなのに、結果だけが積み上がっていくのが本作の(ひどい)構造です。
そして敵側も、表向きの礼儀や慈善の仮面を被ったまま、静かに刺してくる。
剣や魔法とは違う怖さを、少しでも感じていただけたら嬉しいです。
次回は後編。
証拠が出た以上、相手も動きます。
引き続きお付き合いいただければ幸いです。




