第二章:広報の女という「窓」
40代、人生の折り返し地点で私たちは何を守り、何を捨てるべきなのでしょうか。 本作は、SNSの片隅で育まれた10年の純愛が、冷徹な国際謀略に巻き込まれていく物語です。 愛する人を守るために「社会的な死」を選んだ男と、強欲なまでに日常を謳歌する女。 日常の裏側に潜む孤独と、すれ違う大人の生存戦略を、切なく、そして冷徹に描き出します。
窓の外では、夕暮れが街を飲み込もうとしていた。 二〇二五年、秋の気配が混じり始めた九月。
柏木たくまは、深根会のエージェントとして、ある外資系投資企業「アトラス・グローバル」による国内インフラ乗っ取りを阻止する任務の渦中にいた。アトラス社は、一見クリーンな投資を装いながら、その実、基幹システムの脆弱性を突き、強引な買収を繰り返す「捕食者」である。
そのアトラス社との公的な窓口となっていたのが、東京都内の某役所、広報課に勤める女性だった。
「柏木さん、お疲れ様です。今日の進捗、少しだけお話しできます?」
役所の廊下で声をかけてきた彼女は、いつも完璧なまでに整ったスーツを纏い、柔らかな微笑を絶やさない女性だった。広報のプロとして、相手の懐に入る術を熟知している。たくまは、彼女からアトラスの内情を探るべく、仕事の打ち合わせを口実に接触を重ねていた。
本来のたくまなら、ここでも「あきら」という偽名の盾と、エンジニアとしての冷徹な観察眼で、彼女との距離をミリ単位で制御していたはずだった。
だが、今の彼は、致命的に脆かった。
夜、誰もいないマンションに戻れば、リビングの壁に残った家族の写真の跡が、自分を責めるように見つめてくる。ユキが去り、家族が去り、自分の人生を繋ぎ止めていた「愛されている」という確信が、音を立てて崩れ去っていた。
「……少し、お茶でもいかがですか? 柏木さん、お顔色が優れないわ」
彼女の誘いを、たくまは断れなかった。役所近くの、古びた喫茶店。琥珀色の照明の下で、彼女は自分の身の上を話し始めた。
「私、主人が……自死だったんです。数年前のことですけれど。あの日から、私の世界の色は変わってしまいました」
彼女の告白には、湿り気を帯びた切実な孤独が宿っていた。それが、今のたくまの「空洞」と、あまりに容易く共鳴してしまった。
「……実は、僕も、最近すべてを失ったような気がしているんです」
孤独という名の猛毒は、たくまの警戒心を溶かしていた。彼は、本来なら墓場まで持っていくべきユキとの十年の記憶を、名前を伏せた「ある女性」の話として、少しずつ、吐き出すように語ってしまった。
「ユキっていうんです。十年間、ずっと僕の心の支えでした」
その瞬間の、彼女の瞳の奥に宿った「光」に、たくまは気づくべきだった。 それは同情ではなく、自分と同じ「闇」を持つ男を見つけた、捕食者の歓喜だった。
「ユキさん……素敵な名前ね。でも、そんなに深い喪失感を抱えたままじゃ、あなたが壊れてしまう。私が、あなたの力になれたらいいのに」
彼女は、たくまの目をじっとみつめ微笑んだ。その優しい笑顔は、その時のたくまには、唯一の救いのように感じられた。
だが、この時すでに、広報の女の背後でアトラス・グローバルの「調査機関」が動き出していた。柏木たくまにあたりをつけていた「調査機関」は、彼女が漏らした「現在、御社に限らず取引業者様のことを調査しています。不備や漏れなどないようにしてください、選定は公平にさせていただきます。」という情報は、冷徹な機械たちによって解析され、柏木たくまの包囲網へと繋がっていく。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。 自己犠牲を「究極の愛」と信じる男のロマンと、それを「コストパフォーマンス」で切り捨てる女のリアリズム。 40代という世代が直面する、キャリアの終焉や家庭の変容、そして拭えない孤独をテーマに綴りました。 誰にも言えない秘密を抱えながら、今日を懸命に生きるすべての女性に、この物語を捧げます。
もしよろしければ、今回の物語で最も印象に残ったシーンや、登場人物の豹変についてのご感想を詳しくお聞かせいただけますか?




