6. 購買意欲
その夜、私は一晩を床で明かした。朝になり、部屋に食事を持ってきたルシエルが、床の上でぐでんと倒れ込んでいる私をみて放った言葉がこれである。
「臭い」
「最悪。もうお嫁に行けない」
これにより、私は魔法を覚える努力をしようと決心したのであった。
◆◇◆◇
怪我が治ると、それまでのような高熱は嘘のように引いた。「臭い」と言われた1日、ルシエルは家を案内した。台所、厠、アトリエ、寝室。食事は自分で作れ、アトリエには入るな、ベッドは今日から私が使う、云々。覚えられないほどの決まりを言いつけられ、謝って破れば殺意を向けられるといった最悪の1日を過ごした。もはや絶対零度のルシエルの視線には慣れたとはいえ、一般女子高生の私からすると殺意は大変心臓に悪い。病み上がりの体にはなお悪い。
そんなことを考えながら毛布一枚を押し付けられ床で寝た翌日。窓から差し込む光で目を覚ました。ぼーっとしながら、体を起こせば、ばさりという音と共に目の前が暗くなった。
「準備しろ」
顔に手を当ててみると、どうやら目の前を暗くしている原因は服だったことがわかった。がしりと掴んでその服を見てみれば、私の体から考えるとかなりオーバーサイズに見える。その上、真っ黒だ。これ、もしやルシエルの服なのでは……?まさか、ルシエルはこの服を着ろと言っているのだろうか。汚したら、殺されてしまうのではないだろうか。
「本日からは、雑用としての真価を発揮してもらおうか」
質問する間もなく、コートを翻して消えるルシエル。この男の横暴は今に始まったことではない。しかし、仮にも現役女子高生の私は異性の服を着るという行為に対して相応の忌避感がある。
「でも命大事に」
諸々の感情なんて命にかえられないのだ。
何がとは言わないが、とてもいい匂いがした。
準備をして連れられてきたのは、街だった。フードを雑に被せられ、人通りの多い道をずんずんと進んでいく。ここはどうやら市場のようだった。早朝の市場は大賑わいで、しっかりついていかなければすぐにはぐれてしまいそうだ。フルーツ、野菜、見たことのない草、生肉、石、独特なデザインのアクセサリー。知らない場所の知らない文化がそこにある。目を取られながらもルシエルの後をついていくと、どんどんと人通りの少ない方へと歩いていく。どうやら彼の目的は市場ではなかったようだ。
少しがっかりとした気持ちになりながらもどこに向かうのか、先を見れば、雑多な雰囲気の店が一軒あった。看板はなく、雑貨屋にも骨董屋にも見えるごちゃごちゃとした店がある。その店の前にはヘルメットを被り、バイクにまたがる男性がいた。その男性は店に向かってくる私たちをみると、バイクから降りて、ルシエルに対面した。
「わぁ!お得意様じゃないすかぁ?」
「ちっ……1ダース、銀貨8枚」
ヘルメットを外して、大仰にお辞儀をした男性に、何かの取引を持ち出すルシエルに状況が飲みこめない私。しかし、男性はルシエルの言葉の意味がわかったのか、ぱっと顔を上げてにんまりと笑みを浮かべた。
「粗悪品ならそれで手打ちしてもいいっすけどぉ。旦那のお眼鏡にかなうものに関しては最低でも銀貨20枚はほしいっすね〜?」
煽るような口調の男性に、眉をあげたルシエルの指先がぴくりと動いた。思い通りにならなかったときのルシエルの癖だ。彼を日々怒らせている私は毎日のようにその動作を見ている。ただ、いつもとは表情が違う。苛立ちというよりは驚き。これは、動揺しているのだろうか。
「…廃棄物に値段がつくことを幸運に思え。8枚だ」
「ふーん?」
考えるそぶりをする男性が、真横に手を伸ばす。そしてその指先近くの景色が歪んだと思うと、その歪みに腕を突っ込んだ。驚きその光景を凝視していると数秒でその歪みから腕を取り出した男性。その手には真っ黒な鉱石が握られていた。
「俺、風の噂で旦那の商売について知る機会があって。使い道のない使用後の魔法石を何に使うかなんて考えもしなかったけど、擦って潰して黒色の画材にするなら、そりゃ粗野だろうがなんだろうが欲しくなるっすよね〜。…あれれ〜?でも、旦那はいつも品質の確認をしますよね。それってぇ、もしかしてぇ、やっぱり品質は良ければ良いほど、画材としても優秀なんじゃないの?って俺ぁ考えたわけっすよ」
「何が言いたい」
「価値には相応の値段が付けられるべきだと思うんすよねぇ。売れるって分かってるものを安く売るなんて、商う者としてあるまじき行為っすよ。…でも、旦那はお得意様ですから、今だけ銀貨15枚で取引しましょーか?」
どうやら、男性の手に握られているのは魔法石のようだ。その魔法石をルシエルは買い取りたいらしい。それ以上の内容はよくわからないが、話し合いに火がついていることは確かだ。ただ、私はというと、なんだかルシエルが押され気味なのが面白くて、心の中でバイクの青年に「いけ!やれ!」「ルシエルを倒せ!」と声援を送っていた。さながらヒーローを応援する幼児の気分であった。
「粗悪品とはいえ魔法石である以上、処理には金がかかる。ましてや、それだけの廃棄物が出るなら目もあてられんだろう」
「でも、だからこそこれだけの量を一気にお渡しできる俺たちから買い取ってるんすよね?」
次第に、「15」「8」と数字のやりとりが始まった。価格の交渉が始まったようだ。
「やーやー、今日も盛り上がってるねぇ。ルシウスのお連れさん、そろそろ暇してないかい?」
「ワッ!?」
唐突に後ろから話しかけられ、飛び上がる。後ろを振り返れば、顔を布で覆った男性が店へどうぞ、と手招きをしていた。全然気配がなく、足音すらも聞こえなかった。この場所の地面は人が歩きやすいように粒の細かい砂で道ができているが、歩けばそれなりの足音がするはずなのだ。…それはそれとして、ルシウスって誰だ。
「夢を選べる枕から、法定速度を守らない箒まで、品揃えには自信があるからね。お嬢さんが求める品もあったり、なかったり。どうぞ、見ていって。…ああ、お触りは厳禁だよ」
流れるように入店させられ、面布の男は店の前でまだやり合っている2人を、微笑ましそうに眺めていた。その上、どこからともなくスナックを取り出し、ぽりぽりと食べ始める。どうやら、観戦しているようだ。
「うーん、今回は銀貨11枚で決まりと見たね」
本気で観戦しているのか、私の方を見向きもしなくなった。まあしかし、私は「どうぞ、見ていって」、の言葉に甘えて、店内を歩くことにした。歩き始めてすぐ、私は逐一足を止めることになる。3秒間ゴリラになるポーション、ジェントルマンな歩行方法ー赤ちゃん編、装着式シックスパック、などなど。ふざけにふざけたとしか思えない品揃えに思わず苦笑した。店の入り口だけでキャラの濃い商品達に思わず一歩退く。
「お触り厳禁」
気がつけば、面布の男がすぐ目の前にいて、私の腰を軽く寄せて、背後の棚から離れさせた。通路の狭いこの店ではこの一歩でかなり後ろの棚に近づいてしまっていたようだ。
「それ、触るとゲップが止まらなくなるアーティファクトだね」
「えっ、汚なっ」
棚から距離を取る形で一歩手前に出て、反射的に自分の後ろにある物品に目を向ける。その瞬間、私は言葉を失った。
「ジョークだよ。…それはね、俺も知らないうちに店にあったんだ。不思議だよね。でもどうやら未知の言語で書かれているらしいことがわかって、面白いから試しに商品にして売ってみることにしたんだよ。手始めに銀貨10枚!どうかな、格安だよね」
それはノートだった。ページが開かれた状態で展示されており、そのページには以下のことが書かれていた。
『4/1、ルシエルうまれる 屋根裏生活 絵の具ゲット→ルシエルかんき かきとれない 銀のナイフ』
未知の言語と言われた言葉、それは日本語だ。そのノートとはつまり、私のメモ帳だった。
無理のない頻度で更新していきます。
どうか温かい目で見守ってやってください。




