10. リード
その笑い声を、どこかで聞いたことがある気がした。けれど、それがどこだったか思い出すより、まずは目の前の少年がなぜフレディさんの杖を壊したのか。その方が重要だった。
「君!なんでこんなこと、」
突き出された腕をつかもうと手を伸ばす。しかしその瞬間、少年は手首を翻し、掌からバチバチと火花を散らした。
反射的に手を引く。コンマ三秒後、黒い稲妻がバリバリッと走り、私の指先を追うように迫ってきた。危ない、と目をぎゅっと瞑った瞬間、パリンという音。うっすら目を開けると、指先のすぐ前に透明な防御膜が張られていた。どうやら、ギリギリで防御魔法を発動させたらしい。あと少しで、あの殺人的な稲妻に貫かれていた。
視界の端では、周囲の人々が悲鳴を上げながら逃げていく。
しかし私の恐怖などお構いなしに、少年はローブの中からナイフを引き抜き、真っ直ぐこちらへ跳んできた。慌ててしゃがみ込むと、頭上をぶぉん、と風を裂く音が通り過ぎる。心臓が喉まで飛び出そうだ。
ほんの一瞬目を逸らした隙に、少年の姿が消えた。慌てて辺りを見渡す。
「下がって、ハナさん!」
その声に従い、大きく後ろへ飛び退く。フレディさんだ。折れた杖の片方を地面に立て、その上に手を当ててしゃがみ込んでいる。
カツン、と杖の先で地面を叩く音。
その瞬間、目の前に少年が再び姿を現した。ナイフを構えたまま、しかし突然力が抜けたかのように膝から崩れ落ちる。
「アッ」
目の前で人が倒れそうになったらどうする?私はどうやら支えてしまうらしい。反射的に、へなりと脱力した少年を抱きとめてしまった。
クゥン……
犬が甘えるような声が、腕の中から聞こえた。恐る恐る顔を下に向けると、薄水色の瞳が揺れ、少年の顔はりんごのように真っ赤になっていた。
「……っ!!」
慌てて私を突き放そうとするが、先ほどの鋭さはなく、明らかに力が入っていない。フレディさんが何らかの魔法で無力化したのだろう。もそもぞ、と緩慢に動く少年が、せめてもの抵抗として唯一自由な口を大きく開き、勢いよく私の首へ牙を近づけてきた。
噛まれる!? とぞっとして身を引こうとしたそのとき。腕のアーティファクトが、カチャリと小さく音を立てた。これまで何をしても外れなかったそれが光を帯び、腕から離れる。紐状に伸びた光が素早く少年へ向かう。
「ギャウンッ!!」
どこかで聞いたことがあるような悲鳴が響き、少年はそのまま私にもたれかかるようにして気絶した。
少年の首には、金属とも革ともつかない輪が嵌められている。私の腕と輪をつなぐように光の線がのびていたが、すぐに薄れて消えた。
「今の……何?」
「隷属の魔道具、ですかね。ここまで強固なものは、対象者の細胞が必要なはずですが」
フレディさんは立ち上がった。杖の上部にあてていた手から、だらりと血が流れている。
「フレディさん、血が!」
「お見苦しくて失礼いたしました。お気になさらず」
「いや、気にしますけど!」
「…まずはこの場を離れましょう。すぐに騎士団が来ますから」
騎士団。街の秩序を守る者たち。だが問題を起こした黒魔法使いは、例外なく即刻処刑にするらしい。エリーさんにも近づかないように、と言われていた。
「ひとまず、私の店へ」
「その前に、これ巻いてください」
ローブの裾を裂き、フレディさんの手に巻きつける。困ったように笑って、ありがとうございます、と小さく呟いた。
私は気絶した少年を背負い、フレディさんとともに歩き出す。
「フレディさん?そこ、窪んでるので気をつけて」
「おや。……すみません。どのくらいの大きさでしょう」
穴の場所を教えても地面を見る訳ではなく、おおよそ私の方向に顔を向けて穴の大きさを聞いてくるフレディさんに首を傾げる。思えば、荷物を落とした時も、落ちたものに触れてからようやくそこにあることに気づいたようだった。
「失礼を承知で聞くんですが、もしかして目にハンデを抱えてらっしゃいますか?」
「……お恥ずかしながら」
気まずそうに笑うフレディさんの手をそっと取る。
「もっと早く気づくべきでした。ごめんなさい。……3歩、左に寄れますか? この先も段差があります」
口で説明をしながらゆっくりと進む。すみません、ありがとうございます、とぎこちなく声を出すフレディさんはきゅ、と少し強めに私の手を握った。
「ところで、治癒魔法で傷を治す方がいいんじゃないですか?」
「…ああ。私は魔力がないと生活が滞るので、なるべく温存したいのです。」
「そうなんですね。私が治癒魔法が使えたら一番良かったんでしょうけど」
「お気持ちだけで十分ですよ」
◆◇◆◇
フレディさんのお店の前に着くと、そこからフレディさんは裏口へと私を案内した。中に入ると、生活感のあふれる部屋があった。壁にはいっぱいの本が並んでいる。部屋の中に入ると、全ての物の位置を覚えているのか、迷いも躓きもせず歩き始めた。驚いて見つめていることが伝わってしまったのか、振り返ったレディさんが少し笑った。
「ふふ。自宅であれば、杖がなくともある程度は迷わずに歩けますよ。さあ、こちらにおかけください。」
「ご丁寧にありがとうございます。」
少年とはいえ男性をずっと背負ったままでかなり辛かったので遠慮はせずに促されたソファに座った。いざ、降ろさん、とソファにゆっくりと腰をかけて、手を離す。
「というか、フレディさんはまずご自分の手当をされた方が」
「お気遣いありがとうございます。…おや、どうなさいましたか?」
「この子、剥がれなくて。もはや苦しいまである…っ!ぐえぇ」
しかし、手を離せども、コアラのようにぎゅっとしがみつかれて剥がれない。耳元では寝息のような深い呼吸が聞こえるので故意ではないことはわかるのだが、下ろそうとすると首を絞める如くしがみついてくる。
「少し目を瞑っていただいてもよろしいでしょうか」
「え?ああ、はい」
言われるがままにぎゅっと目を閉じる。すると、首を絞めるように力が込められていた力が緩められた。どうやらフレディさんが何かをしてくれたらしい。
もう目を開けてよろしいですよ、の言葉で、ほっ、と息を吐き出し、目を開けばと、ローブの裾をぎゅむりと引っ張られる感覚がした。目を横に動かすと、私の後ろで小さく眠っている少年の手が私のローブを掴んでいた。
「おや、随分と懐かれているご様子で。」
「そう、ですね…」
ローブをそっと脱いで、眠る少年にかける。彼はすぐにそれを受け止め、抱き枕のように抱きしめた。つい先ほどまで私を殺しにかかってきたとは思えないほど無防備な寝顔である。
「僭越ながら、このアーティファクトについて説明しても?」
「ぜひお願いします……」
フレディさんは声を落とし、私の前に座り直した。
「隷属の魔道具です。主の身を傷つけられないよう制御し、主と従者を一定距離以上離れさせない。離れようとしたり、主を害そうとした場合、従者は抵抗不可能な状態になります。…趣味がいいとはいえない魔道具です。ハナさん、これを一体どこで?」
「雑貨屋の店主さんに押し付けられたと言いますか…。あのこれ、どうやって外すんですか」
隷属の魔道具。あの店主、全くの説明をせずに私に取り付けていた。まさか、人を隷属させるようなアーティファクトとは思わなかった。考え込むフレディさんに、未だ眠り続けている少年を見る。
「…この魔道具は主人が命を落とすまで壊れることはありません。しかし、あるいは…」
なんとも気になるところで口を閉じたフレディさんは、どれだけ聞いてもその次の句を語ることはなかった。まさか、ルシエルに従属の魔法で好き勝手動かされている私が、人を従える魔道具で人を隷属させてしまうなんて笑えないジョークだ。その上、解除できないなんて。おかげで命は救われたけど。
「キュウ……?」
もぞもぞと、布擦れの音がして、目を向けると、ゆっくりと目を開く少年の姿があった。フレディさんも、少年の様子に気づいたのか、距離をとって、向かいのソファへと腰をかけた。
少年は自分がどういう状況にあるのかを理解できていないようで目をぱちくりとさせている。そして、自分が今抱えているローブを見て、悲鳴を上げた。
「なんだこれ!?ぎゃっ!!」
どこからか取り出したナイフを構える少年だったが、首輪が光り、カランと音を立ててナイフが落ちてしまった。ならばと、次の手で攻撃してこようとする少年は毎度首輪に制御され、かわいそうなほどにキャウン、キャウンと鳴いていた。
「あ、あ、あ….あしょべないなった……ぷ、ぷえ……」
ついには、自分が何もできないことに気づくと、自分で蹴り飛ばしたローブを引き寄せて、ぷえぷえとソファの隅に縮こまってしまった。
なんだか気の毒で、手を伸ばしてみるも、触れるのも失礼かと思って手を浮かせていると、私の指をがぶがぶと甘噛みする。びくり、と手を引っ込めるとまたぷえぷえ、泣いてしまったので仕方なくもう一度手を差し伸べる。これではまるでおしゃぶりを口にした赤ちゃんだ。
「あ、あの……その首についてるものなんだけど」
そうして、私は目の前の少年に今彼の身に起こっていることを説明した。私だけでは至らない部分をフレディさんから説明をしてくれた。それで、ようやく理解をしたのか、私の指からちゅぱり、と口を離した少年が、パチクリと目を見開く。そうして自分が来ていた服を胸元まで上げた。突然のことに目を逸らす。しばらく経つと、服を元に戻した少年が口を開く。
「ホントだ。ナイフだけなら握れる。…じゃさ、オマエ、これつけたオトシマエはつけてくれんの?」
「アッハイそれはもう」
面布の店主がつけます、とは今は言わなかった。
「……まあ、オマエとあそべないのはザンネンだけど。ほかにも楽しいコトはあるし、ヨシ」
意外と軽い少年に驚きながらも、手のひらを返したように真隣に座った少年がご機嫌そうにキュウと鳴くので、思わず頭を撫でると、その拍子に少年のローブが外れる。中から現れたのは犬ような白銀の耳だった。
「オレ、ウノ。窃盗、密売、暗殺、ぜーんぶオテノモノ!新しいご主人サマ、これからいーっぱいあそぼーね」
少年はにんまりと笑い、その大きな耳をぴくぴくと動かしながら、カチャリと私の首にナイフを当てた。
拾った犬が犬を拾った




