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月曜8時のカフェ

作者: つばさ

[chapter:絵が好きな女性のお話]

 私は毎週月曜8時にひなたカフェへ通う。最近できたばかりのカフェ。店内も白を基調としていて、日が差して明るくて好きだ。なにより店主が、そんな店内の雰囲気を具現化したような、太陽みたいに明るい女性だった。私は彼女が好きだ。月曜の仕事初めの鬱々とした気分を、帳消しにしてくれる。


 今日も朝8時、お店に入る。

「いらっしゃいませ、おはようございます!」

 女性が私と気づくと、ひまわりのような笑顔を向けてくれる。

「おはようございます。カフェラテを1つお願いします」

「かしこまりました。あ、今日のお客さんのイヤリングすごくかわいい」

「わあ、気づいてくれました? 私が働いてる店で、新商品のイヤリングなんです! めちゃかわいいですよね」

「え!? そうなんですか。お客さんアパレル店員さんなの。通りでいっつもかわいいと思ってた」

 

 この会話がこれからの一週間の私を形作ってくれていた。

 

 ひなたカフェには、さまざまなお客さんがいる。中でも、いつも月曜8時にいるお客さんは、だいたい決まってる。

 カウンター席の二十代後半の綺麗な女性。その隣のお婆さん。いつもパソコンを触っている窓側の席の若い男性。新聞を読むスーツ姿の男性。

 さまざまな人が、さまざまな理由でここに来ている。それらを想像するのが好きだった。


 今日は特に気分がいい。いつものようにスケッチブックを出して、カフェラテの絵を描く。

 店主さんが、カフェラテを届けにきた。

「わあ! そろそろ完成しそうじゃない? この絵、完成したらどこか展示したりするんですか?」

「そんなことしませんよ、ただの趣味でやってますから!」

 店主さんは、いつも私の絵を褒めてくれた。

「そうなの? もったいない。もしよかったら、このカフェに飾らせてもらえませんか? お金は払うので」

「そんな、この絵はただ遊びで描いただけで……。こんなもの飾れませんよ」

「そんなことない、ぜひ買い取らせてください!」

 私はつい店主さんの気圧された。

「そこまでいうなら……飾ってもいいですけど、お金はいただけません」

「払いますよ。こんなに素晴らしい絵なんだから!」

 私は、つい遮るように叫んだ。

「本当に! ……ほんとに、大丈夫です。お金は……いらないんで」

 店主さんは呆気にとられた顔をしている。

 ……やってしまった。はじめて店主さんと気まずい空気になってしまった。


 私がお金を貰いたくなかった。なぜかはわからないが、学生の頃から、働くことへの恐れのようなものがあった。それは父が仕事終わりに怒鳴るからかもしれない。姉が毎日泣いて帰ってくるからかもしれない。もしくは、自分自身の自信のなさからかもしれなかった。

 私は、絵を描くことを仕事にするのを恐れていた。お金を稼げないかもしれないだとか、批判されるのではないかとか、そんなものはただの建前だった。ただ、描くことが仕事になって、それを目的にし始めたら、絵が嫌いになってしまうのではないか。そんな恐怖からくるものだった。

 きっと今のままが一番いいのだ。アパレルで働いて、趣味で絵を描く。描くことは自分を無心にさせてくれる。


 私は、画家になりたい、とは思わない。


 今日も朝8時にひなたカフェへ向かう。なんだか今日は店主さんの顔を直視できない。

「いらっしゃいませ! 今日も素敵なお洋服!」

 よかった。いつもの店主さんと変わらない。

「ありがとうございます。カフェラテ1つ、お願いします」


 今日はスケッチブックを開くか一度躊躇して、バックからスケッチブックを取り出す。

 いつものルーティンは、崩したら私ではなくなってしまう気がした。


 ……来た。店主さんがカフェラテを持ってこちらに来ている。何か言われるだろうか?

「うちのカフェラテをモデルに絵を描いてくれて、本当にありがとう。これはね、ほんの気持ちなんだけど、他のお客さんもお金を出したいって、みんなでお金を出し合ったの。その絵をカフェに飾る代わりに、ぜひもらってくれる?」

 みなさんが? 私の絵を認めてくれたような、むず痒い気持ちと同時に、やはりまだお金をもらう恐怖もある。

 私が逡巡していると、店主さんは言葉を重ねる。

「これはね、あなたの絵への評価なの。あなたの絵には価値があるんだよ。だから、受け取ることにおじけないでほしいの」

 店主さんは、私がなにで悩んでいるのか、わかっているようだった。その眼差しは私の心の中を覗いているようだ。

 「わかりました。でも、お金をもらうのは来週にしてもいいですか? まだ完成していなんです」

 嘘だ。もう完成していた。でも、お金をもらうにはなにか足りないような気がする。そう感じた。


 一週間が経った。朝8時にひなたカフェへ向かうために、家を出る。こんなに日差しって暖かかったかな。

 今日、私は生まれて初めて自身の絵でお金をもらうんだ。今後どんな気持ちで絵を描くことになるのか、まだわからない。

 この絵がどんな評価をうけるかも、わからない。でも、この作品は今の私の全てだ。


 店のドアをつかむ。目を閉じて、深呼吸する。きっと今週は素晴らしい一週間になるはずだ。ドアを開ける。

「いらっしゃいませ!」

「あの、作品完成しました。見てもらえませんか?」

 店主さんが何かを言う前に、言葉を被せる。

「わあ、ほんと? みせてみせて!」

 他のお客さんもこちらを向いている。きっと、きっと大丈夫。私は、震えた手で2枚のカフェラテの絵を差し出す。

「これは、私自身のための絵です。もう一枚は、私の絵にお金を出してくれた、そして私の絵を今後見てくださるみなさんのための絵。2つ合わせて題名は、わたしとあなた。どうでしょうか? このカフェに合いますか?」

 

 一瞬の沈黙がある。早く何か言って……!


 すると、カウンター席の年配の女性が声をあげた。

「とっても素晴らしいわ! 私の家にも飾りたいぐらいだわ」

 次々に他のお客さんが感想を言ってくれる。

「もっとお金を出すべきだったんじゃないか?」

「将来の天才画家の誕生っすね!」

「なんか、見てると心があったかくなる!」


 一気に緊張が解けて、目がぼやけてくる。

「とても素晴らしい作品。このお金で、このカフェに飾っていいかな?」

 もう、怖くない。私は今日画家になった。


 この日から、ひなたカフェに絵画が飾られた。

 ここは私の居場所、私の一週間はここからはじまる。今日もスケッチブックを開く。

 

[chapter:サラリーマン]

 今日もひなたカフェに通う。俺は、このカフェに通うことが一週間の始まりの、力の源になっていた。

「いらっしゃいませ〜! 今日もブラックですか?」

 店主がいつものように声をかけると、俺は一瞬の逡巡の後、「いや、カフェモカで」と言った。


 店内に衝撃が走ったように全員が一斉に振り向く。中でも店主は目を大きく見開いていて、口はぽっかりと空いていた。

「……え? お客さんどうしたんですか? 何か嫌なことでもありました?」

 嫌なことはありまくりだ。先週は嫌なことしかなかった。俺は、気を使われないようにわざと軽快に話す。

「いや〜俺がやらかしましてね。取引先にこっぴどく怒られてきました。それに、妻の機嫌もちょうど悪くて。『子供の幼稚園の送り迎えぐらいできないの?』って小言言われちゃいました。今日も『喫茶店に毎週通うなんていいご身分ね。私もそんな時間欲しいわ』ってね。しかもこれからまた取引先に謝りにいくんですよ」

 店主は心底気の毒そうな顔をした。

「うわ〜。それは大変だね。これから取引先に謝りに行くっていうのが、また気分を落ち込ませるよね。今日は自分へのご褒美でカフェモカなんですか? お客さん、実はカフェモカ好きだったの?」

「そうですね、甘いもの好きですね。見た目に似合いませんけど。今まで妻の小言がいやで一番安いブラックにしてきたんですけどね。今日ぐらいはいいかなって」

「それめっちゃ大切だよ〜! 自分を甘やかしていかなきゃ! じゃ、カフェモカ作ってきますね〜」


 嫌なこと続きの最近だが、ようやく心が落ち着いたようだ。

 いつも絵を描いている女性が、こちらを見て、「無理しないでくださいね」と言った。

 彼女の絵を見ることも、一週間のご褒美のようになっている。

 ここは居心地の良い場所だ。

 俺は、気の利いた返しができずに、ただ「ありがとう」と言った。


 店主がカフェモカと一緒に、紙袋を持ってきている。

「カフェモカです〜。あとこれ、よかったらなんだけど、試作のマフィン! 取引先にお土産で持って行く? 試作だから、お金はいらないよ〜」

「そんな。ありがたいですけど、ただではもらえませんよ。お金払わせてください」

「いいのいいの。私が勝手に持たせようとしてるだけだからさ」

「そうですか? じゃあ、遠慮なくいただきます」


 カフェモカは、ほろ苦い中にチョコレートの甘さがある。これを飲んだらもうブラックは頼めないかもしれないな。そう思った。


 先日と同様に取引先に謝りに行く。「これ、もしよろしければ、マフィンです」といって、相手に差し出す。

 これで受け取ってもらえなければ、店主に悪いな、なんて思っていると、「まあ、これを一緒に食べながら一旦冷静に話し合おうや」と言った。


 大した解決策は出なかったが、なんだか一歩前に進んだ気がする。


 家に帰って妻に、「今日なんか機嫌いい?」と聞かれる。

「今日カフェモカ飲んだからかな」

「何それ」

 妻は少し笑った後、俯く。

「今日はごめんね。ちょっとイラついてて、あなたに当たってしまったの。あなたも仕事で大変だってわかってるんだけど」

「全然いいよ。今日はカフェモカ記念日だから」

「だからなんなのそれ?」


「いらっしゃいませ〜。あ、今日は?」

「カフェモカで」

 なんだか店内の視線が生暖かい気がするが、悪い気はしない。

「あ、あとマフィンも」

 今日も俺は月曜朝8時にひなたカフェへ通う。

 

[chapter:職探し中の女性]

 今日も月曜日だ。結局先週も仕事は書類選考落ち。今週こそ、仕事を見つけるぞ! そんな今週一週間の自分を励ますために、朝8時にひなたカフェへ向かう。


 「いらっしゃい〜! 今日もアメリカーノでいいのかな?」

 「私の好きなコーヒー覚えてくれてありがとうございます! アメリカーノでお願いします!」

 

 私はいつものようにカウンター席に座る。今日はまだ、認知症のおばあちゃんは来店していないようだ。おばあちゃんは、いつも私の隣に座って私の愚痴を聞いてくれる。私は話好きで、おばあちゃんは聞き上手だから、いいコンビだと思う。

 

 最近、カフェに新たな絵が飾られた。作者の女性は、それからより明るくなったように思う。

 それに、いつもスーツのお兄さんは、ブラックコーヒーからカフェモカになった。こないだ、初めてこちらをみて、「おはようございます」って挨拶してくれた。


 「なのに! 私はなんで変わらず仕事探ししてるの〜!?」

 「どうしたの。仕事探し疲れちゃった?」

 店主さんはコーヒーを作りながら話に応じてくれる。

 「もう疲れたなんてもんじゃないですよ! 疲れ果ててます! なんで仕事落ちてばっかりなんですかぁ」

 「う〜ん。仕事探しって難しいよね〜」

 「難しいなんてもんじゃないです、激ムズですよ!」

 店主さんは私の勢いについていけないようで、苦笑いだ。


 「まあ、職歴もめちゃくちゃになってるし、面接も苦手だから、原因わかってるんですけどね。この間なんて、なんでこんなに職歴が多いんですか? って面接で聞かれちゃって。そんなん私が知りたいよぉ!」

 店主さんが何かを話そうと口を開いたのはみえたが、もう私は止まらない。

「志望動機はなんですかって、そんなのお金以外に理由ある人いるの!? 面接なんて、嘘つき大会なんだぁ」

「まあまあ、一旦アメリカーノ飲んで落ち着こ」

 アメリカーノが到着した。すっきりした味が、月曜朝の私を一新されてくれる気がして、好きだ。


「まあ、私も仕事探ししてた時あったよ〜。自分がやりたいことってなんだろって思うと、なかなか動けないんだよね」

「店主さんもそんな時期あったんですか?」

「あったよ〜。でも、みんなの居場所を作りたいと思って、カフェやってるんだよね。何か、やりたいこととかないの?」

「うーん。私は仕事を選べる立場にないっていうか……。逆に私を雇ってくれる仕事があるんだったら飛びつきたいというか……」

「そっかあ。じゃあやっぱりいろんなところに応募してくしかないのかな?」

「そうですねえ。やっぱそれしかないですよねぇ」

 二人で頷いていると、スーツのお兄さんがこちらを凝視していることに気づく。

 なんだ? 服表裏逆に着たか? 寝癖でもついてるか? 唇に朝ご飯の納豆つけてきたか? お兄さんを見ながら、頭や唇を触って確認する。

 「いや、話勝手に聞かせてもらったんですけど、うち事務職募集中なんで、応募してみます?」

 「え!? いいんですか!? ぜひ、ぜひ応募させてください!」

 店主さんが呆れたように呟いた。

 「本当に、どこでもいいんだね……」


 でも、カフェで仕事見つかるなんて、ドラマみたいじゃないか!? これは、いける気がする! 運命感じるぞ!


 一週間後の月曜、今日もひなたカフェのドアを開ける。

「いらっしゃい! あ、仕事どうなった?」

「落ちました……」

「あらら……。まあアメリカーノ飲んで元気だそ! 今日はおまけでマフィンもつけちゃう」

「うわあ! 店主さん、天使に見えるよ!」


 カウンター席には、おばあちゃんが座っている。

「おばあちゃん! 先週どうしたの? 私は変わらず仕事探し中だよ!」

「先週? 覚えてないなあ。でも多分デイサービスってやつだね。それよりまだ仕事見つかってないのかい。不思議だねえ。こんなに明るくていい子なのに」

「うわあ! おばあちゃん、仏のようだよ!」

「まだ死んでないよ! でも、焦る必要はないさ。今は、休む期間なのさ」

「もう十分休んだけどなあ。でもそうだな。こうやって新しいカフェ発見したし、おばあちゃんにも会えたし、悪いことばっかじゃないよね」


 スーツのお兄さんも私の元に来て、申し訳なさそうに謝った。

「力になれなくてすまんね。おねえさん、明るいし、うちの事務所を明るくしてくれると思ったんだけど」

「その言葉だけで十分です……。ありがとうございます……」

 

 絵を描いているお姉さんも気にかけてくれた。

 「一緒に絵、描きますか? スッキリするかも」

 「いや、流石にお姉さんの隣で描くのは勇気いるんで、遠慮しときます……」


 そんなやりとりをみて、おばあちゃんは口を開く。

「でも、こんな優しい人に囲まれて、あんたは幸せもんやね。あんたはきっと大丈夫や」


 そうなのかな? でも、私の居場所を見つけられたことで、休める場所を見つけられたことで、大きく羽ばたくことができるのかも。

 いつか、就職決まりましたって言って、みんなに祝ってもらうのもいいな。


 今日もアメリカーノが美味しい。


[chapter:プログラマー]

 今日も俺はひなたカフェの窓側の席に居座る。

 ここでパソコンを開いてプログラムを書くことが、朝の日課になっていた。

 それに月曜はやる気が起きない。

 自身を奮い立たせるためにも、月曜日は必ず朝8時にカフェへ来ることを日課としていた。


 それが、今日は全くパソコンを開く気にならない。頼んだエスプレッソが来るまで机に突っ伏していると、店主の声が上から聞こえる。

「あら? 珍しいね。今日はお仕事しなくていいの?」

「ボイコットなんす」

「ええ!? ボイコット!?」

「そうっす。給料あげてくれってガチで言ってるんですけど、全然あげてくれなくて。幼稚な行動ってわかってるんすけど……」

「いやいや、そんなことないよ。立派な意思表明だよ」

「そうっすかね? 給料これであがるといいんすけど……」

「きっとあがるよ。エスプレッソ飲んで元気出して!」

 そうだ、給料をあげるために大切なのは、強い意志だ!

 カップをぐいっと一気に傾けて、エスプレッソを飲む。苦い。


 今日、俺は俯きながらひなたカフェのドアを開く。

「いらっしゃい! あれ? どうした? 調子悪い?」

「……店主さん……。俺、クビになっちゃいましたあぁぁあ!」

「ええ!?」

「ボイコットしてたら、同じ給料で違うやつ雇うって言われて……。うわあああ!」

「落ち着いて、一旦座ろう? エスプレッソでいい?」

「はい……」


 俺がトボトボと歩いていると、皆が声をかけてくれる。

「絵でも描きますか?」

「俺、美的センスゼロっす……」

「そんな落ち込むなよ。お前の技術は無くならないんだ。フリーランスでもやってけるんじゃないか?」

「そうっすかね……」

「人生山あり谷ありよ」

「おばあちゃんが言うと説得力ありますね……」

「無職仲間じゃん! いえーい!」

「おねいさんだけっすよ……。励ましてないの……」

 俺は絶望した顔で皆に返答していく。


 店主さんがエスプレッソをもってやってくる。

「例えばだけどさ、ホームページとか作れるの?」

「ホームページぐらい作れますよ……。俺だってそれぐらいできます……」

「じゃあさ、ひなたカフェのホームページつくってよ!」

「え!? 仕事くれるんすか!?」

 おお、早速お客さん第一号ができたぞ! なんか俺、フリーランスでもやってけるかも!

「早速今から作りますわ! 楽しみにしといてください!」

 うおおおおお、やる気が出てきたぞ!


 ホームページ完成したぞ! 今日はウキウキな気分だ! カフェの扉を力強く開ける。ドーン!

「店主さん、ホームページ完成しました!」

「ドア壊れるからその開け方やめてね! みせてみせて」

 俺は自信満々でホームページを見せる。

「わあ、すごいじゃん! オシャレでちゃんとしたホームページだよ」

「へへっ。 これでお客さんめちゃめちゃ来ますよ! そうしたら、俺のおかげなんで、これからコーヒー代チャラにしてください」

「いやあ、それはちょっと……」


 ふふっ。俺の人生はまだまだこれからだ。今日もエスプレッソを一気に飲む。

 「苦い!」

 「砂糖入れたら?」


 〜番外編〜

 プログラマーのお客さんのホームページの効果か、本当にたくさんのお客さんがいらっしゃるようになった。

 店主がカウンター席の女性に声をかける。

「うちでアルバイトしない? 一人だとキツイわこれ」

「まじっすか!?」

 

[chapter:小説家]

 月曜朝8時、ふらりと目に入ったカフェへお邪魔する。

「いらっしゃいませ! 一名様ですか?」

「はい。あの、デカフェありますか?」

「ありますよー。お好きなお席へどうぞ」

 おしゃれな雰囲気だ。意外にもこの時間からお店にいる客は多い。

「俺のホームページのおかげっすよ! 鼻が高いっす」

「おいおい、こないだクビになって随分落ち込んでたのに、顧客が一人ついただけでよくそんな大口叩けるな」

「まあまあ、いいじゃない。明るい方がいい方向にいくわよ。あなたもそう思うでしょ?」

「うーん。そうですねえ。私の絵画をまとめたホームページでも作ります? 私そんなにお金出せないですけど」

「え!? まじすか」

 聞き耳を立てていると、どうやら僕だけが新規客のようだ。なんだか急に居心地が悪い。


「お待たせしましたー! デカフェのコーヒーです」

「ああ、ありがとうございます。あの、みなさん常連の方ですか?」

「そうですよ。みなさん月曜の8時ごろにいらっしゃる方々ですね」

「あ、そうなんですか。なんだかちょっと僕、邪魔かなとか思ってしまって」

 しまった。こんなこと言うべきではなかった。嫌味みたいになったか? 店主はきょとんとしながら、「お客様も常連になりますか? 月曜の楽しみになりますよ。おすすめです」と言った。

 そんなつもりじゃなかったが、予想外の返答だったので面白くて、「それもいいですね」と言ってしまった。


「お、あたらしいお客さんじゃないですかぁ! 俺のホームページから来ました?」

「いやいや、私のブログを見て月曜8時にいらっしゃったんですよ。そうに決まってます!」

「そのブログも俺のホームページから作ってるんすよ! 俺のおかげっす」

「そんな言い争いすんなよ」

「お客さん! どうなんですか、どっちなんですか」

 勢いに押されて正直に答える。

「いや、どっちもみてないです。強いて言うなら窓から見える絵画が綺麗だったからかな?」

 彼らは顔を見合わせて、「俺らの負けっすね」「私たちの負けだね」と口を揃えて言った。

 スケッチブックを持っている女性が、控えめにガッツポーツをしていた。

「ははっ。コントみたいっすね。なるほど、月曜8時に毎週こようかな。なんだか楽しそう」

 これが一週間の楽しみになるのも、悪くない。コーヒーを手に取って、一口飲む。なるほど、コーヒーもうまい。


 今日もひなたカフェに向かう。

「いらっしゃいませ。あ、本当に常連になってくれるんですね! ありがとうございます」

 店主は俺を覚えているようだ。気恥ずかしいような、嬉しいような。でも、きっとこれが日常になっていくんだな。

 今日はこの間も絵を描いていた女性に話しかける。

「こんにちは。よければ僕の小説の表紙を書いていただけないですか?」

 彼女の目がキラキラと輝いている。いい返事をもらえそうだ。

「あの、私でよければ……」

 ありがとうと言おうとする前に、みなさんが話しかけてくる。

「小説家だったんですか!? まじかっけえっす!」

「なんてお名前で活動してらっしゃるんですか?」

「えー!? すごいすごい! 小説家の方に初めて会った。こんなことあるんですね。ここで働けて良かったぁ」

「とっても素敵ね、ぜひ小説を読んでみたいわ」

「わあ! 私も小説読んでみたいです。こんなご縁があるなんて」

 そんなに一気に話しかけられても、聖徳太子じゃないんだから。でも、小説家であるだけでこんなに喜んでもらえるなんて、嬉しい話だ。

 小説を書いていてよかったな。ここでの執筆は捗りそうだ。いつかこのカフェをモデルにした小説書こうかな、なんて。

 とりあえず画家の彼女と連絡先を交換して、席に戻る。


「お待たせしました、デカフェのコーヒーです」

 うん、やはりコーヒーがうまい。この人たちと一緒に飲むコーヒーは格別だな。


[chapter:小さなお客さん]

 お父さんがいつも行ってるコーヒー屋さんに今日は行くことになった! お母さんは、「いつもお世話になっているから、お礼しに行かないとね。それに、お父さんだけ独り占めはずるいわ。私もカフェモカ飲みたい」と言っていた。おせわってどんな意味かわからないけど、後半がほんとに言いたいことだよね。お母さん、私わかるよ!

 お店の中に入ると、すごい! 真っ白で、とっても明るくて、絵がかっこいい! 天井からついている光が、お星様みたい。すごい、すごーい! なんだかいつもいる場所と違う感じ。大人がいる場所って感じだ。

 お母さんは、「あら、予想以上におしゃれなカフェね」だって。

 

「いらっしゃいませ! あら、かわいいお客さん。お好きなお席へどうぞ」

 お母さんが、「カフェモカと、ココアをください」と言った。

「ええ? 私もかふぇもかっていうの飲みたいー! お父さんとお母さんだけずるい」

「あなたにはまだ早いわよ」

「ええー! 早くないよ」

 すると店員さんが、「じゃあ小さなお客様には、特別にあまーいココアを作っちゃおうかな。お客さんだけの特別メニューだよ」

 わあ。特別だって。特別って、なんだかステキだ。私はついつい頷いた。

「店主さん、わざわざありがとうございます。あの、いつも夫もお世話になっていて」

「あ、もしかしていつも月曜8時にカフェモカ頼むお客様? 私の方がいつも旦那さんに励ましてもらってるんですよ。こちらの方がお世話になってるぐらい!」

「あ、夫には妻が来たって言わないであげてください。大切な場所を取られたって思われたら嫌なので」

「ええ? そうですか。じゃあ月曜以外にいらっしゃってください。奥さんにも大切な場所になってほしいなあ、なんて」

「ふふっ、そうですね。夫がここに通う理由、わかった気がします。私も秘密で通おうかな」

「それもいいですね! じゃあカフェモカとココア作ってきますね」

「あ、あとマフィンもお願いします」

 んんー? なんで秘密なんでろう? お父さんに言ったらダメなの?

「お母さん、なんでお父さんに秘密にするの?」

「お父さんはね、秘密にしてたからここのカフェモカが美味しかったのよ」

 うーん、なんだかわかるようなわからないような。


「ふふっ。あなたも飲んでみたらわかるわ。今日のココアはお父さんに秘密にするの。そうしたら特別な味がすると思うわ」

「そうなの? じゃあお父さんに秘密にすれば、このココアはとっても美味しいココアになるってこと?」

「そうよ。だからお父さんには秘密で飲みましょう」

 

 ちょうどココアが届く。他のお客さんの真似をしながら、かっこよくココアを飲んでみる。

「どう? 特別な味、した?」

 なんだか悪いことしてる気分。でもそれが、秘密の味ってことか。そうして特別になるんだ。

「あまいチョコレートの味。これが、秘密の味ってやつか」

 周りのお客さんに笑われた。でも、嫌な気分じゃない。いっつもお父さんは秘密を楽しんでたんだな。ずるい!

 これからは、私とおかあさんの特別な秘密の場所になるんだ。えへへ。

 もう1回ココアをぐびっと飲む。うーん、うまい!

 

[chapter:認知症のおばあちゃん]

 今日もひなたカフェは大盛況だ。なにより、常連さんが毎日お店にきてくださるのが本当に嬉しい。

 お客様のコーヒーを作りながらそんなことを思っていると、パリーンと大きな音がする。お客様の肩がビクッと上がったのがみえて、私はすぐに声に出す。

「失礼いたしました!」

 最近入ったアルバイトのみかちゃんも、大きな声で謝る。

「失礼いたしました! 店長! すみません、コーヒーカップ割りました!」

「しょうがないね。ああ! あぶないから素手で片付けないで!」

 

 みかちゃんは常連さんで、ずっと職探しの相談をしてくれていた。ホームページ効果でお客様が増えて、アルバイトとして雇ったはいいものの、ちょっとおっちょこちょいなのが玉に瑕だ。

 

 「あれ? 今日はいつものおばあさん、いらっしゃらないのかな」

 「え? さっきまでいたのに。どうして? みかちゃん、近くを探しにいってもらってもいい?」

 「もちろんです。いってきます!」

 そう言うやいなや猛スピードで店を出て行った。


 スーツの常連さんが、私に話しかける。

 「心配だね。何もないといいけど。あのおばあさん認知症だよね? 道に迷っちゃったかなあ」

 「そうですね。どこにいっちゃったんだろう……」

 どうしよう……。私は頭を抱える。何かあったらどうしよう?

「落ち着いて。俺も今から探してみるよ。スーパーとかにいるかもしれないし。後1、2時間して見つからなかったら警察に連絡しよう」

 「わ、わたしも探します!」

 女性がスケッチブックを置いて言う。

「俺、走るの速いっすよ! かくれんぼも得意だったし、すぐ見つかりますよ!」

 ホームページを作ってくれたプログラマーのれんくんは、私を安心させるためか、わざと明るく言った。

「僕も行きましょう。人手は多い方がいい」

 最近月曜8時に来てくださるようになった小説家のお客さんも、手伝ってくださるようだ。

 ここは、みなさんのご好意に甘えよう。


「みなさん、ありがとうございます……。私は店にいますので、お願いできますか?」

 みなさんと連絡先を交換して、それぞれ店を出ていく。私は店がある。祈ることしかできない。


 1時間半は経過しただろうか、待っていることがこんなに辛いとは思わなかった。私は我慢できず、警察に連絡する。


 警察に連絡してからまた1時間半待ち続けた。連絡がない。いよいよ、徘徊の可能性が高い。そわそわしていると、新規のお客様にも心配されてしまった。

 スマートフォンが震える。電話だ。

「見つかりましたよ。道に迷ってるところ、近所の方が通報くださいまして。随分遠くに行ってしまっていたみたいです。今からそちらに向かいますがよろしいですか?」

 一気に肩の力が抜けた。よかった。ああ、よかった。

「もちろんです。お待ちしております。お手数おかけして、本当に申し訳ございません。よろしくお願いします」

 電話が切れた。急いで外を探してくださっているみなさんに連絡する。仕事がある方々はそのまま仕事に向かうと連絡が来た。みなさん仕事があるのに探してくださったんだ。そこまで頭が回っていなかった。本当に感謝しかない。

 

 みかちゃん、プログラマーのれんくん、小説家のお客さんが帰ってきた。その時ほぼ同時に、パトカーが目の前に止まる。


 「みんな、迷惑かけてすまないね」

 みかちゃんが、「全然迷惑なんかじゃないです。見つかって本当に良かった。どこかに行こうとしたんですか?」と言った。

「そうなの。トイレに行こうとしたら外に出ていて。気づいたらもうここがどこかわからなくなってたんだよ。ここにくるまでの道も忘れちゃうなんて、寂しいもんだね。いつかこのカフェもわすれてしまうのかな」

 私がなんて言おうか迷っていると、みかちゃんが声を上げた。

「じゃあ、私が家まで迎えにいきますよ! 一緒にカフェ向かいましょう! そうしたら、もしここのコーヒーを忘れてしまっても、いい場所だなって毎回思ってもらえますから!」

 みかちゃんを雇ってほんとに良かった。これからは二人で、このひなたカフェを作っていくんだな。

 れんくんも、「忘れたら、毎回ここのカフェ1回目の気持ちで入店できるってことっすよ! お得っす」と言う。

「そうね、私は幸せものだ。もしこれから色々なことを忘れたとしても、あなたたちがいるものね」

 ああ、ひなたカフェを作って本当に良かった。私は、ひなたカフェの店主だ。私がみんなの居場所をつくる。そして、これからはみかちゃんと、お客さんと、お母さんとみんなで作っていくカフェになる。

 

「みかちゃん、大丈夫。毎日私とお母さん一緒に家から来てるから。お母さん、おかえり。無事で良かったよ」

 

「え、え、ええ!? お、お母さん!?」

「お母さんってどうゆうことっすか!?」

 みかちゃんとれんくんはとっても驚いている。言ってなかったっけ?

 

「心配かけたね。ひかり」

「ほんとだよ。まさかひなたカフェにいてどっか行くなんて思わなかった。でも、戻ってきてくれてありがとう」


[chapter:ひなたカフェ、オープン]

 事務で働いていて、困ったことはない。カフェとかやってみたいなあ、なんて、少しは思っているけど、思うだけだ。そんな不確実な挑戦するよりも、いまのまま安定のお給料をもらっていた方がずっといい。きっと。そう思っていた。

 だが、最近お母さんの様子がおかしい。忘れ物が最近多々あったが、昨日は夕食を食べたのに、夕食はまだか、なんて。今日は料理のやり方を忘れた、ときた。もうこれは確実に認知症だ。お母さんを連れて病院を受診する。認知症の診断が下った。まあ、そうでしょうね。

 ああ、どうしよう? 認知症のお母さんを家にしておけない。このまま症状が進んで他人に迷惑かける必要もある。施設に預ける? いや、まだ母の認知症は初期症状だ。まだ家に居させてあげたい。

 私の悩みがお母さんにも伝わったのか、お母さんは「心配するな」という。

「ひかり、お母さんこれから色々忘れてくと思うけど、ひかりを縛りつけたくないよ。わたしゃ施設にでも入っていいよ。ひかりの好きなことやんなさい」

 好きなこと? 事務が私の好きなことだったのか? いや、私はカフェをやりたくて……。


 よし、決めた。カフェをやろう。この機会だ。私のやりたいこと、やるべきだ。それに、カフェならお母さんとずっと一緒にいることができる。お母さんの居場所を作ろう。お母さんだけじゃなくって、たくさんのお客さんの居場所になりたい。私とお母さんで、居場所を作る。


 そこからの私の行動力はどこから湧いてきたのか、というような勢いだった。お金は幸いお父さんが残してくれたお金がある。お母さんは最初は心配そうだったが、私がやる気だと気づいたのか、店ができ始めるとノリノリになってきた。時々ご飯を忘れたり、言葉の単語を忘れたりして会話が途切れることもあるが、カフェを作っていることは覚えているようだ。


 飲食店を開くのなんてわからないことだらけの連続だった。いい立地探しから、メニュー開発、仕入れ先の確保……。全てが初めての連続だ。でも、楽しい。時にはお母さんとコーヒーを飲みあったり、アップルパイを作ったり。アップルパイにはどのコーヒーが合うかなんてそんなことで1日何杯もコーヒーを飲んだ。

 もしかしたら失敗するかもしれない。お客さんが全然来ないかもしれない。でも、それでもいい。挑戦したことが一番だ。この経験は、きっと大切なものになるはず。お母さんとの、大切な思い出になるはずだ。


 いよいよオープン初日だ。緊張する。

「お母さん、お客さんが全然来なかったらどうしよう」

「そんときゃそんときさ。私が客第一号さ。いいだろう?」

「確かに。お母さんがお客さん第一号か。ねえ、これからが楽しみだね」

「年取ってこんなワクワクするとは思わなかったよ。これからもきっと楽しいだろうねえ」

「お母さん、手伝ってくれて、ありがとう。あ、8時だ。いらっしゃいませ!」

「お、8時か! あれま、人がぎょうさんきとるよ!」

 私はドアを開ける。あ、みんなお母さんの友達だ。お母さん、いろんな人に声をかけたんだな。想像して、少し笑ってしまう。

「いらっしゃいませ。ひなたカフェへようこそ!」

 

[chapter:ひなたカフェへようこそ]

 私が毎日通うひなたカフェ。大切な娘のカフェ。記憶を失う日々の中で、絶対に忘れたくない場所。


 スケッチブックを開く女性は、「これがあったら、ひなたカフェを忘れないかと思って」と言いながら、絵をプレゼントしてくれた。これは私がいつも飲んでいるドリップコーヒーかしら。優しい子だ。

 

 スーツの子は、「今日もカフェモカで」と笑った。自分に正直が一番やね。

 

 みかちゃんは、今日も一生懸命に働いてくれている。「もうすっかりここの人やね」というと、得意げに笑った。

 

 プログラマーの子は、今日もエスプレッソだ。頑なに砂糖を入れない。可愛い子だ。

 

 小説家の子は、「まさかおばあさんと店主さんが親子だったとは。全然気づかなかった。これも小説にできそうだな」なんて呟いている。

 

 ひかりは、「この間みなさん、お母さんを探していただいたので、今日はコーヒー代サービスしちゃいます!」と言う。

 店内は拍手に包まれる。「まじすか、じゃあ高いコーヒーにしないともったいないっすね!」なんて声も聞こえてきた。

 

 私は、みんなへアップルパイを配る。作り方はところどころ忘れてしまっていたが、ひかりが手伝ってくれた。

「わあ、ありがとうございます。大切に食べます」

「わざわざすみません。あ、妻と子供の分も!? ありがとうございます」

「やったあ! 私も? あの、業務中に食べたらダメですよね?」

「エスプレッソに合いそうなスイーツだ! タダっすか?」

「小説にできそうな感動的場面だな、ありがとうございます」

 みんな、個性豊かで、本当に大切なお客さんだ。ここが私の居場所。そして、みんなの居場所。

 

 あら、ドアが開いたわ。今日もあらたなお客さんね。さあ、常連さんになるかしら。

「ここのコーヒーは美味しいわよ。私の隣はいかが?」

 

 ここはひなたカフェ。絶対に忘れたくない場所。いや、忘れても、大丈夫。娘と、みんながいるから。

 仮に「初めまして」と言ってしまったとしても、きっと笑顔で迎えてくれるって、もうわかってるから。

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