4-12 生きたい理由
「お狐様……申し訳ないですが、もう少し順を追って、ちゃんと説明してあげてください」
緒方の声が聞こえたことにタガンは驚いた。目眩や吐き気が落ち着いたことで、気配を探る余裕も出てくる。お狐様、彰、緒方の他に双月、もう一人全く知らない気配がある。その気配があまりにも禍々しく、タガンは体を硬直させた。
タガンの雰囲気が変わったことにお狐様は気づいたようで、目を細めてから部屋の隅をチラリと見る。その方向は禍々しい気配が鎮座している場所と相違ない。
「細かい説明なんて面倒くさいことはしたくない。説明なら緒方と双月の坊主がしろ。あと、悪魔は気配をおさえろ。タガンが怖がっている」
「はあ? 俺は黙ってるだろうが」
「黙っててもリンは存在がうるさいんだよ。気配を空気のように消して、おとなぁしく、出番が来るまで息を止めて」
「それ死ねって言ってねえか?」
不機嫌そうな男から発せられた圧は、男以上に圧の強い彰の言葉で消え失せた。悪魔やリンと呼ばれた存在はため息を最後に、本当に気配を消した。先ほどまで感じていた禍々しさが綺麗さっぱり消え去ったことに、そんな器用なことが出来るのかという驚きと、あんな禍々しい存在を言葉だけで従わせられる彰への畏怖をおぼえた。
ぎゅっと布団を握りしめ、身を固くしていると、人が近づいてくる気配がした。気配からして緒方と双月だ。
「タガン様、落ち着いてください。リンさんは彰さんが居たら大人しいので」
「人を狂犬みたく言うな!」
「リン、ハウス!」
漫才のようなやり取りが聞こえ、視界に映った緒方が苦笑した。双月は死んだ魚を見るような目をリンがいる方向に向けていたが、すぐにタガンへと向き直る。こんなに間近で、きちんと対面したのは初めてだと気づき、タガンは先ほどとは違う緊張で身を固くした。
「あんたの事情はだいたい把握した。久留島を命をかけて護ったのも聞いたし、特視はあんたをどうこうするつもりはない。久留島を無理矢理婿にしようとするなら考えるが」
「正直にいえば、そうしようと思った時もありました」
双月の視線が鋭くなる。それは仕方ないことだとタガンは刺すような視線を受け止めた。
「零寿の恋人、妻という形をとれれば、今よりも安定します。消えかけた私にとっては魅力的でした。なにより、寂しくない。零寿が私を愛してくれる間は私は安息を得られます」
「でも、あなたはそうしなかったんですね」
緒方の声は優しかった。タガンとして、優しい言葉をかけられたのが久しぶりで、思わず泣いてしまいそうになる。それでもタガンは心情を悟らせまいと、気を強くもった。
「零寿は私の可愛い子供の一人です。いくら忘れられようと、子の幸せを願うのが母。あの子の幸せを私が奪ってはいけない」
「っていうわりには、すごい粘着ストーカーしてたけどな」
「双月……」
グサリと双月の言葉が突き刺さる。緒方はとがめるように双月に声をかけたが、双月のいうことは事実だ。タガンは否定せずに双月の言葉を受け止めた。
「零寿が幸せになってほしいのも本音です。ですが、零寿に忘れられたら死んでしまうとすがっていたのも本音です。私はあの子の幸せを願っていながら、あの子に自分を選んで欲しいとも思っていました」
「もともとタガンは現人神で人間に近い性質のようだし、母や妻、娘、擬態した様々な人間の要素を併せ持っているようだ。そのうえで堕ちかけだったとなれば、錯乱して粘着ストーカーになるのも仕方ないだろうな。既成事実つくったり、刺し殺さなかっただけ上出来じゃないか」
「お狐、それフォローしてる?」
お狐の言葉がグサグサ突き刺さり、タガンは胸を押さえた。視界の端に映った緒方と双月に同情的な目を向けられているのも辛い。
「お前が死なないようにお狐に神気を少しわけてもらった。同じ山神、人と交わり子をなしたという共通点があったから、なんとか馴染んだって感じだな」
「そんな荒技……」
「久留島の血を飲ませたことで、お前の器が少し頑丈になったのも効果を発揮した」
タガンはギョッとして思わず身を起こそうとした。その反応を予想していたのか、双月はタガンの肩に手を置いて止める。軽い動作に思えたがびくともしない。力の差に内心タガンは舌打ちした。
「どうして、なんであの子にそんなことを!」
「アイツが望んだんだ。親友を助けてくれって」
「久留島くんは、自分の親友がタガン様だとは気づいていない。ただ、巳之口くんが人間ではないことは認識した」
どうする? と言葉なく緒方に訴えかけられる。久留島が自分を助けようとしてくれたことへの喜びと、そんな優しい子を騙しているという事実に胸が張り裂けそうになる。
言葉に詰まるタガンを見下ろして、双月は静かな声で告げた。
「俺は久留島が気づくまでお前の存在を話す気はない」
「なぜ……」
「親友が粘着ストーカーだったって知ったら、さすがの脳天気もショックで人間不信になるかもしれないだろ。可哀想だろうが」
双月の切れ味のよい言葉にタガンはベッドに沈んだ。自分の行いが悪いと分かっているが、他人に言われるとダメージが入る。後ろから「そんなハッキリ事実を告げなくても」「人間不信にはなるだろうな」「女性不信にもなりそう」という言葉が聞こえてきて、ますますいたたまれなくなる。
「そういうわけだから、お前とアイツの関係に俺たちは口を出さない。母として見守りたいなら節度を護れ。恋人のポジションに着きたいなら頑張って籠絡しろ」
腕を組んだ双月は冷ややかな顔でそう言い捨てた。勝手にしろという空気を出しているが、久留島を傷つけたらただじゃおかねえからなという本音が透けて見える。我が子がこんなに愛されて嬉しいという気持ちと、私の子どもなのにという気持ちでタガンの心の中は落ち着かない。
「それとだ。お前が神として不安定になっている状況なのは変わらないから、今後の対策としてお狐様、彰さん、リンさんに協力して貰うことにした」
パチパチとタガンは目を瞬かせる。再び目覚められただけでも衝撃だというのに、まだあるのかという気持ちだ。
たしかに神気をお狐様にわけてもらったといってもその場しのぎ。補充する場所がないのだから、いつかはまた枯渇する。そうなれば不安定な状況に戻るだろう。今度こそ久留島を、欲望のままに己の手にしてしまうかもしれない。そんな予感にタガンは震えたが、双月はそんな未来はありえないという自信にあふれた顔をしていた。
なんでそんな顔が出来るのだろうとタガンは不思議に思う。双月の顔をじっと見上げていると、あまりにもあっさりと上半身を起こされた。
視界が変わったことで室内の様子がよく見える。ベッド脇には緒方と双月。少し離れた場所にお狐様、その隣に彰。部屋の隅。影に溶け込むようにして真っ黒な男が壁によりかかっている。初めて顔を見たが、この男がリンと呼ばれる悪魔であることは気配で分かった。
そしてベッド上。タガンの足にすがるように久留島がすやすやと眠りについていた。感覚を失っていたタガンは、視界にいれたことで初めて久留島の重みに気づき、ずっと側で見ていてくれていたのかと我慢していた涙腺が崩壊しそうになる。
「山神お狐はタガンを神として認める」
涙を耐えるタガンの耳に、その声は響いた。声と言葉が体全体に染み渡るような感覚がして、ふわふわしていた体にしっかりとした芯が通ったような気がした。
「呪われた一族の末裔、佐藤彰も君を神と認めるよ。呪われ家系に認められてもありがたみなさそうだけど」
「いや、彰さんの家系外レ者界での知名度すごいので、十分箔つきますよ」
「えぇーあんまり嬉しくないなあ」
彰は嫌そうな顔をしたが、タガンと目が合うとにっこり笑う。彰に認められたと思った瞬間、体に血が通ったような感覚がした。
「面倒くせぇけど彰の頼みだから、悪魔と呼ばれたこの俺、リンもお前を認めてやるよ」
最後に面倒くさそうな顔でリンがいう。心底どうでもよいという態度だったが、リンが認めると言った瞬間、体全体に重みが増したような気がした。たしかな血肉が出来た感覚は、ずいぶん久しぶりだ。全盛期とは言わないが、すぐに消えてしまうような不安定さは消え去った。
タガンは自分の両手を見つめる。ただ認められただけ。それだけでこの力。いま部屋に集まる存在の強さと恐ろしさを実感し、自分の計画の無鉄砲さに冷や汗が流れた。それしか方法がなかったとはいえ、安定した今であったらどれだけ危険な賭けだったかがよく分かる。
「クティからの伝言だ。お前の勝ちだってよ」
双月の言葉が頭に染み渡った瞬間、おさえようとしていた涙がこぼれた。堰を切ったようにあふれ出る涙に緒方と双月がうろたえるのが見えた。すぐさま近寄ってきたのは彰で、背を優しく撫でてくれる。「よく頑張ったね」という声を聞いたら、余計に涙があふれてきた。
涙で歪んだ視界に眠る久留島が映る。ちゃんと生きている。自分も生きている。
このときタガンは実感した。例え消えても零寿が幸せならそれでいいなど嘘だ。自分は生きたかった。見届けたかった。消えかけた時、唯一自分に手を差しのべてくれた子どもが大人になり、死んでいく様を。
無謀だと分かっていてもあがき続けたのは、ただそれだけの理由だった。




