4-7 神の考え
エレベーターを降りると「理事長室」とプレートがかけられた扉が目に飛び込んでくる。他の扉よりも立派で重厚なそれは、妙な威圧感を放っていた。
ドアをノックする前に緒方は深呼吸する。ここには何度も訪れているが、未だ慣れない。魔王の根城に飛び込む勇者はこんな気持ちだったのだろうか。そんなことを考えながら緒方は扉をノックした。
「緒方雄介です。佐藤彰さんいらっしゃいますか」
「いるよ~。どうぞ~」
緒方の緊張をよそに、中からはのんびりとした声が聞こえた。男にも女にも聞こえる中性的な声。チラリと隣の双月を見ると顔をしかめている。
親戚であり、同じ双子の呪いを受けた身。複雑な気持ちを彰に抱いているのが表情から伝わってきた。
扉を開くと真っ先に視界に映るのは掃き出し窓の前に置かれたデスクと、そこに座る人物。声と同じく中性的な容姿をした少年は、青い瞳に青い髪をしている。人形のように愛らしい姿をした、子どもにしか見えない人物は香月と同じ二十代後半。
双月と少年――彰の血筋は呪いの影響で老いにくい。事情を知らない人間には羨ましいと言われる体質だが、これが人間ではなくなりかけているからだと知ったら世の人間はどう思うのだろう。
緒方と双月の姿を見て彰はデスクから立ち上がる。成人した男性にしては小柄な体つきと、性を感じさせない細い体をスーツで包み、彰はにっこり笑った。
「突然呼んでごめんね。僕らで対処するには人手が足りなくて」
「いえいえ。迅速に連絡を頂き、有り難い限りです。知らぬ間に成られては困りますので」
「そうなったら僕が責任持って殺すけど、殺しましたって事後報告されてもそちらとしては困るものね」
軽い口調で彰は笑う。今日の夕飯なににしようというノリで「殺す」という物騒な言葉を使う姿に、緒方は冷や汗を流した。恐ろしいのは、彰の手にかかれば簡単にできてしまう事だ。
双月は体を刃物に変えて戦うが、彰は拳一つで十分な力を有している。その力は人といえるものではないのに、完全に外レてはいないから体のもろさは人と同じという不安定な状態だ。
「ほんとはさ、僕が適当に片付けようと思ったんだけど、報告書が面倒になるからやめろってリンに言われてさ。仕事もいっぱいあるし、特視にぶん投げろっていうんだよ。アイツ酷くない?」
その酷いは、暴れられそうな仕事を取り上げられたことに対してなのか、仕事を押しつけられた特視に対してなのか。両方の意図がありそうだなと思いながら緒方は苦笑を浮かべる。双月は彰の視界に入ってから、借りてきた猫のように大人しい。
「彰さんになにかったら、リンさんは怒り狂いますからね……」
「アイツ、変なところで過保護発揮するんだよね。僕、とっくに成人してるんだけど。アイツから見れば赤ん坊みたいな年齢とはいえさあ」
眉を寄せ、不快、不満をあらわにした彰は最終的に肩をすくめて見せた。
「そんなわけで、事前に話していた通り、迅速に対応していただけると有り難いよ。大鷲《源ちゃん》も手伝えるように調整してるから。今日で終わらないなら数日滞在してもいいし。そこら辺の手配も源ちゃんとナナちゃんに任せるから、二人を遠慮なく使って」
「配慮いただき、ありがとうございます」
「気にしないで。こっちの不手際を解決してもらうんだから」
彰はそういうとひらひらと手を振った。動くたびに青い髪がさらさら揺れる。男にしては大きな瞳と整った容姿は、双月の顔立ちと似通っていた。
血の繋がりを感じるたび、緒方は複雑な気持ちになる。彰も同じ事を思っているのか、双月に対して不自然なほどに視線を向けない。お互いを空気のように扱っている状況は、どちらも悪くないのだと分かっているからこそ居心地が悪い。
悪意ではない。お互いに善意で触れないようにしているのだ。
「そういえばさ、新しく配属になったっていう新人は? どんな子なんだろうって、楽しみにしてたんだけど」
空気を変えるように彰が明るい声をあげた。彰は博愛主義者だ。特に未成年の子供に発揮されるが、自分より年下に対しては甘くなる。新社会人の久留島も、彰からすれば可愛い年下という扱いになるらしい。
「久留島でしたら、今は香月先生と一緒に見回りをしています。事件が解決したら、改めて挨拶にうかがいますので」
いないと聞いて彰は見るからにがっかりした。人間離れした存在だと知っているのだが、外見が中性的で若く、言動も素直なのでつい甘やかしたくなる。自分の容姿の良さを理解して、あえての言動だと知っていてもだ。
「仕事が優先なのは社会人として当然だもんね。仕方ない」
彰がそういって納得しようとしたとき、扉が勢いよく開かれた。大きな音とともに、部屋の温度が数度下がるような重圧を感じて緒方はゾッとした。
入口には黒い男が立っていた。耳、首、手首の居たるところにシルバーのアクセサリーをつけている。
服の系統としてはクティと似ているが、クティと違って上から下まで真っ黒。夜の闇がそのまま形になったような姿をしているが、目だけは赤い。
普段はもう少し友好的な顔をしているのだが、今日はすこぶる機嫌が悪いらしく、赤い瞳は血だまりのように不穏な気配を発していた。
「お前ら、なに連れてきた?」
「り、リンさん……」
悪魔と呼ばれる存在が本気で怒っている。
リンの威圧に慣れたはずだ。高校時代から何十年と付き合ってきたのに、久しぶりにたたきつけられた怒気に声が震えた。体まで震えそうになったのをなんとか耐える。険しい顔をした双月が緒方を庇うように異動した。
「この気配は土地神だよな? 神が住まう地に別の神つれてくるって、喧嘩売ってるって見なしていいよな?」
上から押しつぶすような低い声に、内蔵が震えた。
真っ暗な森、空気、匂い、自分が吐き出した荒い息。何十年も前に見た光景がフラッシュバックする。心臓が壊れそうなほどに震えるなか、緒方の横をなにかが通り過ぎた。
「うるせぇ! ドア壊れるだろうが!!」
見事なドロップキックをきめたのは彰だった。顔面を蹴られたリンが、漫画みたいに吹っ飛ばされる。彰の方は華麗な着地をきめ、何事もなかったかのように振り返った。
彰の笑顔を見た瞬間、思わず肩をふるわせてしまったが、彰はっまったく気にせずに話し出す。
「ごめんね。躾のなってないクソで。二度とお客様に舐めた口きかないように、ボコボコにしておくから」
「いや、そこまでしなくとも……」
リンに覚えた恐怖は本物だったが、それよりも彰の方が怖い。リンが彰に甘いので忘れがちだが、たとえリンが暴走しても彰は素手でリンを止められる。だから悪魔と呼ばれた存在を、平然と側に置いておけるのだ。
「それで、落ち着いた? いきなり客人を怖がらせるとか、うちの学校の品性が損なわれるから金輪際やめてくれる?」
彰は緒方たちに向けたのとは真逆の、冷ややかな視線をリンに向けた。蹴られた顔を押さえながら、リンはゆっくり起き上がる。赤く腫れた顔を見て、浮かんだのは同情だった。
「コイツらが、変なの呼び込んだのが悪いだろ」
「変なのっていうけどさ、具体的にそれはどんなもの。お狐様の結界があるんだから、変な奴なんてそもそも入れないでしょ」
「招き入れたなら別だろ」
不機嫌そうなリンに、彰は意外そうな顔をした。
「リンが僕に食ってかかるなんて珍しいね。たしかに、君たちが変なものを連れ込んだっていうなら、責任者の僕は確認とらなきゃいけないね。というわけで、緒方さんに双月さん、リンの言っていることに覚えは?」
にこりと笑って彰はこちらに問いかけた。表面上は額に飾りたいほど完璧な笑顔だが、返答によっては容赦しないぞという本音が透けて見る。リンを蹴り飛ばした姿をみた後では、下手な言い訳をする度胸などない。
「うちの新人に執着している、土地神がついて来たのは事実です」
「土地神がついてきてるの? 加護つけてるとか、分霊飛ばしてるとかじゃなくて?」
彰は驚いた顔をした。外レ者についてもよく知っている彰からすれば、土地神が自分が護る土地を放置して、一個人についてきているというのは理解できないことなのだ。
「それはよっぽど気に入られてるか、娶る気なのかな」
「は? 娶る?」
彰の呟きに双月が思わずといった様子で反応した。双月が反応するとは思っていなかったのか、彰が目を丸くする。
「違うの? 僕としては神がそれほど執着するって、相当好きなんだなって思ったけど」
「いや、久留島は男ですし、その土地神はお狐様と同じように人間と子どもをもうけていて、久留島はその子孫でして……」
緒方の説明に彰はふむふむと頷いた。それからにっこり笑う。
「それなら尚更、大事だろうね。自分の血を途絶えさせないために娶る……いや、この場合は嫁入りしたいんじゃない」
笑顔でもたらされた衝撃発言に、緒方と双月は固まった。そんなまさかと言いたかったのに、否定の言葉が出てこない。彰のいうことが正しいと仮定すれば、タガンがあれほど久留島に執着していた理由も分かる。クティがタガンに協力的な理由も分かる。
「タガンは村人とつがって、多くの子どもを得た。……その子どもがさらに子どもを産んで、村は栄えた。だが、時代の移り変わりにつれ、神を信仰する者は減り、血は薄れた……」
今まで調べた事実を口に出して整理する。それを真面目に聞いていた彰は、納得した様子で頷いた。
「減ったなら増やせばいい。子どもは親に対して義理堅いし、血のつながりのない婚約者よりもよほど親思いだよ。母親に対する情はなかなか捨てられない。タガンとかいう神がそこまで利己的に行動しているかは知らないけど、少なくとも一つの手段としては考えているんじゃない? 好いた相手とつがいたい、子どもがほしいっていうのは誰もが持つ欲求でしょ。たとえ神でも」
彰が話すたび、それが事実なのではないかという気持ちが膨れ上がる。
一度、子をなすことで神の地位まで登りつめたのだ。衰えた今、同じことを考えてることは不思議じゃない。
「タガンが久留島の交友関係のほとんどを占領してたのって、恋人つくらせないためか!?」
久留島の知り合いはほとんどタガンだ。男女問わずの友人、バイト先の同僚、学校の先輩、近所に住む人。すべて自分で埋めてしまえば、久留島が他の人に恋することはない。なにしろ出会いがないのだから。
「まさか、人間らしい生活をしてたのって花嫁修業か!?」
緒方と双月は顔を見合わせ、同時に血の気が失せた。青い顔をした相棒が視界にうつる状況に、お互いに目眩を覚える。
「これはまた、アグレッシブで執念深い子に好かれちゃったんだねえ、新人くん」
彰がのんびりとした口調で笑う。話を聞いていたリンの方が引いた顔をしていた。
「ところで、そのストーカー女と新人くん、いま一緒に行動してるんじゃないの? 大丈夫?」
彰の問いに緒方と双月は同時に正気に戻り、慌てて理事長室を後にした。かろうじて「すいません! 急ぎますので!」という理性は残っていたが、彰の反応を待つ余裕はない。エレベーターを待つ時間も惜しく、非常用階段を二人で駆け下りた。




