終わらない世紀末 - 第参章:平和教室の矛盾
夏休み。うだるような暑さの中、ケンタは出校日の平和教室にいた。体育館に集められた全校生徒の前で、一人の老人がマイクを握っていた。彼は広島で被爆したと語り、その日の出来事を淡々と、しかし生々しく語り始めた。
「…あの時、私は便所にしゃがんでおりましてな。それが、運の尽きか、はたまた幸運か…」
老人の言葉に、ケンタの耳は釘付けになった。彼の脳裏には、原爆の閃光が、そして廃墟と化した街の光景が、鮮やかに描かれていく。しかし、ケンタが考えていたのは、その悲劇そのものよりも、**どうすれば生き残れるか**、という一点だった。便所にしゃがむ。地下壕に逃げ込む。それとも、爆心地から遠く離れた場所にいることか? 彼は、来るべき世紀末を生き抜くための、具体的なサバイバル術を模索していた。
「そうか、おじさんは便所でしゃがんでいたから助かったのか…」
ケンタは、ノートの端に「便所」と走り書きした。もしもの時のための、貴重な情報だ。
老人の話が終わると、今度は見慣れた顔が壇上に上がった。吉田先生だった。斎藤先生が困惑した表情で脇に立つ中、吉田先生はマイクを掴むなり、大声で話し始めた。
「お前たち、この老人の話を聞いて、何を感じた? 悲しいか? 恐ろしいか? だがな、その悲劇を引き起こしたのは誰だ! 誰がこの国に、あの恐ろしい兵器を落としたのだ!」
吉田先生の演説は、次第に熱を帯びていく。彼の言葉は、明確に**アメリカへの憎しみ**を煽るものだった。
「奴らは、我々を実験台にしたのだ! 新しい兵器の威力を試すために、何の罪もない市民を焼き殺したのだ! そして今も、世界中で同じようなことを繰り返している! 我々は、その真実から目を背けてはならん!」
体育館に、吉田先生の怒声が響き渡る。生徒たちは、その迫力に圧倒され、静まり返っていた。しかし、ケンタの心の中には、別の疑問が渦巻いていた。
(でも、攻撃してくるのは、ソ連なんじゃないの?)
ケンタは、以前テレビで見た、ソ連が開発したという**「ツアーリ・ボンバ」**の映像を思い出していた。世界最大の水素爆弾。あの巨大なキノコ雲。もし、本当に世紀末が来るのなら、アメリカだけでなく、ソ連もまた、世界を破滅に導く力を持っているはずだ。吉田先生は、なぜアメリカばかりを悪者にするのだろう?
(吉田先生の言う「きれいな原爆」は、アメリカが落とす原爆のことじゃないのか? ソ連の原爆は、きれいじゃないのか?)
ケンタの頭の中で、吉田先生の思想と、彼自身の抱く「世紀末」のイメージが、複雑に絡み合い、矛盾を生み出していた。吉田先生が語る「正義」と「悪」の構図は、ケンタが思い描く終末の世界とは、どこか食い違っているように感じられた。
平和教室は、ケンタにとって、平和を学ぶ場ではなく、来るべき混沌の時代を生き抜くためのヒントを探し、そして大人たちの矛盾を垣間見る場となっていた。彼の世紀末への夢は、一層複雑な様相を呈し始めていた。