僕は、死体の冷たさを知っている。
法医学者となった主人公の過去と現在をつなぐ、死の冷たさの記憶
僕は、死体の冷たさを知っている。
それは、初めて触れたときの衝撃が今でも指先に残っているからだ。氷のように冷たく、しかし氷とは違ってじっとりとした湿り気を含んでいた。まるで生と死の境界が指先を通じて伝わってくるような感覚だった。
あれは、まだ僕が十歳の頃だった。
夏休みのある日、僕は祖父の家の裏山で遊んでいた。鬱蒼とした森の中、木漏れ日が揺れる小道を進んでいると、不意に異臭が鼻を突いた。腐った肉のにおい。直感的に何か異常が起こっていると感じた。
恐る恐る茂みをかき分けると、そこに男が横たわっていた。
顔は見えなかった。仰向けではなく、うつ伏せになっていたからだ。しかし、背中にべったりとこびりついた黒ずんだ血と、あたりを飛び交う無数の蠅が、彼がもう生きていないことを僕に理解させた。
僕は、その場から逃げることができなかった。
ただ、何かに引き寄せられるように、そっと男の手に触れた。その瞬間、全身が凍りついた。まるで自分まで死の世界に引き込まれるような錯覚を覚えた。
誰かを呼ばなければと思いながらも、僕はしばらくその場を動けずにいた。ただじっと、死体を見つめていた。そこには、言葉にできない静寂があった。
結局、僕は震える手で祖父を呼びに行った。警察が来て、男は運ばれていった。近所の人たちの話では、あの男は行方不明になっていた猟師だったらしい。彼がなぜ森の中で死んでいたのか、誰かに殺されたのか、それとも事故だったのか、その真相を僕は知らない。
ただ、あの冷たさだけは、今でもはっきりと覚えている。
それから十年以上が経った。
僕は今、法医学者として遺体の解剖をしている。あの日、あの森で感じた死の冷たさ。それを知ったときから、僕の人生は決まっていたのかもしれない。
目の前に横たわる遺体の手をそっと触れる。
やはり、あの時と同じ冷たさだった。
この物語を書きながら、私自身が死というものにどう向き合っているのかを改めて考えさせられました。幼い頃の体験が人生を決定づけることは多々ありますが、それが「死」と結びつくことでどのような変化が生まれるのかをテーマにしています。
死の冷たさを知ることは、同時に生の温かさを知ることでもあります。主人公は法医学者として死と向き合い続けますが、それは単なる職業ではなく、彼の生きる理由の一部となっています。
読んでくださった皆様にとって、この物語が何かしらの形で心に残れば幸いです。